〇吉見俊哉『東京裏返し 都心・再開発編』(集英社新書) 集英社 2024.12
2020年刊行の『東京裏返し』では、都心北部を歩いて歴史の古層を探索し、「東京についてのあまりにも自明化されたリアリティ」を「裏返し」していく実践を示した著者が、本作では都心南部(南西部)をフィールドとする。もとは雑誌「すばる」2023年11月号~2024年5月号に掲載した内容に加筆修正したもので、集英社新書編集部の担当者、カメラマン、ライターと著者の四人で朝早くから歩き回った旨が「あとがき」に記されている。
著者は街歩きの鉄則として「狭く、曲がった、下り坂」の愉しみを挙げる。上り坂は坂の頂上に意識が向かうが、下り坂では、細かい路地や長屋風の集落など、変化に富んだ風景に出会うことができる。こうした下り坂を探すのに重要なのが川筋だ。東京は、東に向かって張り出した武蔵野台地の東崖に形成された都市で、西から東に流れる大小の河川が、武蔵野台地を削って、台地と低地を繰り返す、複雑な地形を築いている。
私は東京育ちだが、生まれが武蔵野台地の外側(東側)の下町低地だったので、東京の地形に対する感覚は鈍かった。かなり大人になって、中沢新一の『アースダイバー』(2005年)を読んだ頃から、ようやく東京都心の複雑な地形に気づいた。本書には、渋谷川、古川、目黒川、北沢川、烏丸川、三田用水、蟹川、鮫川など、川の名前が頻出する。しかし、いま私が住んでいる東京東部の河川の存在感に比べると、都心西部の川は、暗渠になったり断ち切られたり、現存していても、街づくりにその魅力を生かせていない場合が多いようだ。
本書に紹介されたスポットで特に気になったところを挙げておく。渋谷川の章では、著者の現在の所属大学である國學院大のキャンパスに立ち寄り(ただし本務はたまプラーザキャンパスとのこと)、國學院大學博物館を「絶対にイチオシの施設」と紹介していて嬉しかった。しかしすぐ隣の渋谷氷川神社には行ったことがないので今度行ってみよう。三田用水の章では、荏原畠山美術館と、すぐそばの豪壮な白亜の邸宅の記述がある。「誰もがよく知るIT長者」の邸宅だそうで、私も年末に久しぶりに荏原畠山美術館を訪ねて、成金趣味まるだしの豪邸に呆れたばかりだったので、とても共感して読んだ。ちなみに白金の地名が、中世に「白金長者」と呼ばれる富裕な豪族の館があったから、というのは初めて知った。
また白金台の常光寺は、長く福沢諭吉の墓があった寺で、今でも慶応義塾による「史蹟 福澤諭吉先生永眠の地」の記念碑があるが、1977年に福沢家の宗旨の問題で、麻布の善福寺に移転したのだそうだ。改葬の際、ミイラになった福沢の遺体が発見されたが、遺族の意向で荼毘に付されてしまったとのこと。『医者のみた福澤諭吉:先生、ミイラとなって昭和に出現』という中公新書があるようだが、今でも入手できるかな。
著者が、ときどき都心北部と都心南部を対比させているのも面白かった。たとえば上野寛永寺と芝増上寺。両寺はどちらも明治維新後、新政府に抑圧され続けた。焦土となった寛永寺は、博物館や動物園など近代化のシンボル空間に変容させられたが、増上寺は本堂を教部省(宗教関係を所管する官庁)に献納させられ、仏教寺院であることを否定され、代わりに天照大神などを祀る神殿が置かれたという。とんでもないな、明治政府。なお、増上寺の将軍家霊廟は徳川家が所有することを許されたが、1945年3月10日と5月25日の空襲で焼失してしまう。さらに戦後、御霊屋部分の土地を購入した西武鉄道の堤康次郎は、徳川歴代将軍の墓を掘り起こしてまとめて一箇所に改装してしまった。なんだろうなあ、この酷い仕打ちの掛け合わせ。
堤康次郎については、むかし猪瀬直樹の『ミカドの肖像』を興味深く読んだが、本書には石川達三の小説『傷だらけの山河』が紹介されている。そして本書は、堤康次郎的な開発主義は戦後復興期だけの問題ではなく、東京では今日も「街の殺戮」が繰り返されていることを告発している。