見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

波濤を超えて/阿蘭陀とNIPPON(たばこと塩の博物館)

2010-06-12 23:08:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
たばこと塩の博物館 日蘭通商400周年記念展『阿蘭陀とNIPPON~レンブラントからシーボルトまで』(2010年4月24日~7月2日)

 「今年、2010年は、徳川幕府がオランダに貿易許可書としての『朱印状』をはじめて発行してから401年目にあたります」という趣意書にくすっと笑ってしまった。401年目って…ちょっと数あまりだが、まあ目をつぶろう。日本とオランダが相互に与えた影響を、美術・工芸資料、歴史・考古資料を通して再認識する企画。

 私は、このテーマ(近世以前の日本の対外交流史)に関心が高いので、けっこう見たことのある資料が多かった。しかし、びっくりしたのは、東京駅八重洲北口遺跡の写真。八重洲の地名がオランダ人ヤン=ヨーステンにちなむ、という話は聞いたことがあったが、この遺跡(中央区八重洲1-8)から、キリシタン遺物(メダイとロザリオの玉)と人骨が出土しており、キリスト教徒の土坑墓と考えられているのだそうだ。写真には、ほぼ完全な2体の人骨が写っていた。調べてみたら、2003年に報告書が刊行され、『発掘された日本列島2008』でも紹介されたようである。

 漢文で書かれた『安南国渡航免許状』(長崎歴史文化博物館蔵)は初見だろうか。1624年(寛永元年)日本の商人に下された免許状らしいが、主語がよく分からない…。メモを取って帰ったものを調べてみたら、「永祚六年」というのはベトナム後黎朝の年号で、「清都王」というのが、後黎朝の権臣の鄭松の子、鄭梉のこと。ベトナム北部(トンキン=ハノイ)に鄭氏政権を樹立する(さすが、中国語Wikiの記述が日本語版より詳しい)。この時代(17世紀)、日本は海上交通を通じて、さまざまな国や地域と交流があったのに、今のわれわれは、残念ながら周辺諸国の歴史を知らなすぎるように思う。

 アムステルダムのオランダ国立博物館から出品の資料も、行ったもんね~と余裕。しかし、オランダ東インド会社(VOC)本部の建物は、アムステルダム自由大学の政治社会学部の校舎として使われているそうで、これは未見。行ってみたい…と食い入るように写真を眺める。また、会場には、オランダ国立博物館制作の短いビデオが流れていて、東インド会社がどのように船員をリクルートしていたかが語られていた。要するに、職を求めて港に集まった貧民を片っぱしから船に乗せ、無事に帰国できたのは3分の1だったな? 実態は、かなり悪辣で悲惨なものだったようだ。このビデオ、会場でいちばん記憶に残った。

 そのほか、見ものは、ライオンの刻印が入ったVOC慶長小判。世界に5枚しかないという。折りたたみできる「阿蘭陀提灯」なるものがあったが、あれって関東人的には「小田原提灯」なんだが…両者に関係は? 森仁左衛門作の天体望遠鏡(→文化財オンライン:これと同形)は、レンズ径91mm、倍率10陪。「宝暦改暦時に幕府天文方が用いた大望遠鏡と推定される」と解説にあった。宝暦暦は、宝暦5年(1755)に渋川春海の貞享暦から改暦。でもあまり精度はよくなかったみたい(Wiki)。ちなみに現在の所蔵者は「レストラン銀嶺」とあったが、長崎歴史文化博物館内で営業している老舗のレストランのことか!

 また、オランダ国内に残るレンブラントの銅版画が数点展示されていたが、これには洋紙に刷ったものと、和紙に刷ったものがある。レンブラントは1645年(寛永21年)頃から和紙を使用しており、その頃には、日本から輸出された和紙が、オランダ国内で入手できたという。こんなことが「分かる」ということも含めて、地味にすごい話だと思う。
コメント
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