素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 足柄峠から矢倉岳へ ▲

2024年05月05日 | ジオパーク

足柄峠は標高 759mの箱根外輪山から派生する尾根上に位置し、静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、古くから官道として防人や旅人の往来も盛んでありました。

また、軍事的にも重要な場所であったため、多くの史跡や遺跡、石仏、文学碑等が残され、その上旅情豊かな風景は訪れた人達の心を離しません。

古代、足柄峠は都と東国とを結ぶ官道でありました。                             大和朝廷の昔、倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲んで「あずまはや~」と叫んだという記述が古事記に所載されています。

足柄峠から富士を望む。

雄大に広がる富士の裾野 御殿場市、その左手には愛鷹山。

雲一つない富士を望んでから聖天堂へ。                                        弘法大師の建立と云われ、本尊は等身大の石仏で秘仏として公開されていません。      福運厄除、縁結びの御利益があるとして参拝者が絶えません。

聖天堂の近くに足柄明神社があります。

ここ足柄明神は 『古事記』 によると、東国平定の帰りに食事をしている倭建命を白い鹿になって襲い、打ち殺された坂の神が祀られています。

足柄の開拓者たちが足柄明神を産土神(うぶすなかみ)として祀った。坂東人(関東地方の人)の誇りを守った古代の英雄なのです。                                          この足柄明神は天慶3年(940)に創建され、後に矢倉岳に遷座され矢倉明神となり、その後に苅野への移転があり、昭和 14年(1939)には足柄神社となり現在に至っております。

足柄明神社跡よりこれから向かう矢倉岳(標高 870m)を望む。 

矢倉岳に向かう途中で、万葉集に詠われた足柄道に関連する7つの歌碑が迎えてくれる「足柄万葉公園」を歩き、しばし万葉人の心に触れて行きます。

足柄の坂は、世に聞こえた荒振る神の棲む坂であった。                      その荒振る神は、坂を旅する異郷の人々にとって、恐ろしい神であっただけでなく、坂の麓で生活する里人にとってさえも、畏み恐れなければならない存在であった。

  足柄の 御坂畏み 曇夜の

        吾が下這へを 言出つるかも

《 あしがりの みさかかしこみ くもりよの あがしたばへを こちでつるかも

【大意】足柄の神の御坂を越えて行くとき、峠の神に手向けして恐れかしこまるあまり、人の隠さねばならない恋人の名前まで、つい告白してしまった。                                人に云うべきじゃないことだのに。

当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず『足柄の御坂かしこみ』と峠の神に手向けせずにはいられなかったというが、往時の森厳さと神秘感寂寥感は今もその名残りをとどめています。

                               

次の詩は、防人が九州防備のために徴用されその任期が3年とされていたが、当時の防人の宿命として再び故郷へ帰ることが困難な時代であった。

  足柄の 御坂に立して 袖ふらば

        家なる妹は 清に見もかも 

《 あしがりの みさかにたして そでふらば いわなるいもは さやにみもかも 》

奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人の任に赴く東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い、心の叫びを詠んでいます。

【大意】足柄の神の御坂に立って故郷に向かって別れを告げる時、家に残して来た妻は、私が力の限り袖を振っているのをハッキリと見ているであろうか❓

                                           こうした万葉人の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸をうちます。

この様に、足柄の坂は日本列島を東西に区分する重要な境界と考えられていました。

                              

足柄峠からは万葉公園を通過すると尾根伝いのアブラチャン並木の中を進みます。      アブラチャンはクスノキ科 で何本も株立ちするのが特徴で、とても分かり易いです。     樹木全体に油分が多く、特に秋の果実は触ると油っぽい感触が伝わります。

尾根道(新ルート)を下り、旧ルートと合流する。

尾根道の下り途中で見られた露頭の「タマネギ石」 。                            地層は泥岩や頁岩(けつがん)などで良く見られ、地層の中に丸い同心円状の岩を「タマネギ状風化」と言います。                                                   また、昼と夜の温度差によって岩石の表面と内面で膨張量の差が出来ることによるヒズミで割れ目が入って起こるともいわれています。

足柄万葉公園から矢倉岳に向かう尾根道の鞍部(上部に送電線が見える。)を過ぎ、矢倉岳本峰の登りにかかる辺りで宝永 噴火で降灰した黒い火山灰を見ることが出来ます。      火山灰の下に見える小石の層は噴火の際に軽いので先に飛んできた軽石の層です。

矢倉岳本峰の登りは樹林帯の中の登りで、直接の陽射しが当たらないので登り易かった。   山伏平通過、 この辺りは地蔵堂や二十一世紀の森、洒水の滝への分岐となっている。

山頂に近い樹林帯の中では、苔が生き生きしてとても綺麗でした。

お昼に丁度良く山頂に着いた。まずは休憩してお弁当に。

足柄明神が矢倉岳山頂に遷座され、矢倉明神となった名残りの五輪塔。

黒玉子で有名な箱根大涌谷(おおわくだに)の噴気が見えました。 

                                          

この矢倉岳は約 200~70万年前に伊豆と本州の間にあった海に泥や砂、礫が堆積して出来ている足柄層という地層をフィリピン海プレートに乗った伊豆半島が押して来たプレート運動の圧力により、標高 870mまで隆起したのです。

この足柄層群が出来ていく過程で、およそ 170~120万年前に出来た地層に、その直後の115万年前にマグマ が入り込んで、ゆっくりと冷え固まり、後に矢倉岳となる岩体が出来ました。   できた岩石の種類は『石英閃緑岩 と呼ばれる深成岩の一種です。

115万年前に深成岩体が出来たことは、そう珍しいことではありません。

世界的に珍しいのは、115万年前にできた岩体が既に地表に露出している点にあります。

低山であれども、世界的に(地質を研究されている方にとって)有名な 『矢倉岳』 であります。 

 

 

                                                                 

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🌋 火山活動により産み出された滝 🌋

2023年10月17日 | ジオパーク

伊豆半島の歴史は、約 2000万年前にさかのぼります。                            当時の伊豆は、本州からはるか南のかなた約 800Km先の太平洋の海底に沈む火山群でした。   その後、フィリピン海プレートの北上の動きに合わせて本州に接近、衝突。                現在の半島の形になりました。これは約 60万年前の出来事です。

衝突後、20万年前までは半島上のあちらこちらで噴火 が続きました。                天城山や達磨山といった伊豆の大型火山が誕生し、現在の伊豆半島の骨格を形作ったのです。

これら大型火山の活動が終わると、日本には数少ない単成火山群の活動が始まります。           大室山に代表される『伊豆東部火山群』 の誕生です。

また、フィリピン海プレートの動きは、現在も伊豆半島を本州に押し込み続けていて、緩やかな地殻変動が伊豆の大地の多様性を今もなお育み続けています。

                              

そんな火山活動の中から誕生したジオの恵み ❝ 滝 ❞ を2つ ご紹介いたします。                まず最初は、柱状節理の見られる修善寺に近い 旭滝です。

《 旭滝 》

滝というと高さの表示があるのですが、この旭滝 は高さもあるのですが、全長 105mで6段になっているとの表示です。                                      また、この滝は真東を向いていることから、この名がつけられたとのことです。

かつての火山の地下にあったマグマの通り道が地上に姿を現した 「火山の根」 の一部です。  火山の根の側面にあたるこの場所は、横方向からマグマが冷やされたため、横倒しの柱状節理ができました。                                             正面から見ると、まるで人工的に積み上げた石垣の間を水が流れ落ちている様に見えます。

滝の展望台に登ると、石垣の様に見えた岩が柱の様な形をしていることに気が付きます。   この柱の様な岩は、マグマが冷えて固まる時に縮んでできる割れ目『柱状節理』です。

柱状節理 は、マグマが冷えた側から柱が伸びていくという性質があります。

                                    

2つ目の滝は駿東郡長泉町の町中を流れている、黄瀬川にかかる 鮎壺の滝 です。

《鮎壺の滝》

富士溶岩流(三島溶岩)の岸壁に形成された、高さ9m:幅 65m余りの滝です。

およそ10万年前、本州と伊豆との境界付近に富士山 が誕生しました。                      約1万年前に富士山頂付近から新富士火山旧期溶岩流の一つが流出し 『三島溶岩』 と呼ばれており、溶岩の亀裂や隙間は地下水の通り道となり、各地に豊富な湧水をもたらしています。

溶岩の岩質は白色の斜長石が目立つ玄武岩で、滝の上流部では浸食によって生じたポットホール(甌穴:おうけつ)が数多く観察できます。

また、富士山が発した溶岩流は愛鷹山麓に堆積する柔らかい土壌の『愛鷹ローム層』に乗り上げ、南下が止まったとのことです。

滝壺付近がオーバーハングしている原因は、三島溶岩の下にある柔らかな「愛鷹ローム層」が黄瀬川の流れによって浸食されて無くなったからであります。

そんな事で、通常観察困難な溶岩流の断面も見ることが出来るのであります。

滝壺の東側には、直径約1m、高さ約7m 、大人が立てるほどの ❝ 溶岩樹形 ❞(溶岩中に取り込まれ、焼け残った樹木の形をした穴) を見ることが出来ます。

滝の正面に架かる吊り橋からは三島溶岩の断面と、そこを落ちる何本もの滝が作り出す迫力ある景色が楽しめます。

 

 

 

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🌋 南の海からやって来た伊豆半島 🌋

2023年10月15日 | ジオパーク

伊豆半島はフィリピン海プレートの移動によって、はるか 南の海 から現在の位置に移動してきました。

46 億年前に誕生した地球は、その姿を変え続けてきました。                       大気中に酸素のない時代もありましたし、地球全体が寒く凍りついていた時期もありました。 大陸も初めからあったわけではなく、プレート運動や火山活動によって作られ、場所や形を変え続けています。

多くの旅人が訪れる伊豆半島。                                      実はこの半島そのものも旅人なのです。                                     南の海で誕生した海底火山は、噴火を繰り返しながら 800Kmを越える道のりを 2000万年以上の年月をかけて旅してきました。                                          約 100万年前には、その行く手にあった本州と衝突し、現在の伊豆半島になりました。

伊豆半島の成り立ちは、なが~い  なが~い火山の歴史を経て、海底火山時代の地層や陸上火山時代の地層が見られるのです。

今回は中伊豆を中心に伊豆市、伊豆の国市、長泉町にある、色々な溶岩の上を流れる渓谷や滝を見てきました。                                                    まず、伊豆半島ジオパークミュージアム『ジオリア』で伊豆半島の成り立ちを映像で見たり、川の流れによる地形の変化を探る模型実験 で扇状地や河岸段丘などの作り出される経過を学んできました。

10時半には中伊豆の道の駅『天城越え』に到着。

道の駅で伊豆市のジオガイドさんと合流し、10名ずつの2班に分かれて滑沢渓谷へ向かう。  踊子歩道という川端康成の小説『伊豆の踊子』の舞台となった天城路を歩く「浄蓮の滝」から「湯ヶ野」までの約 18.5Kmのコースの一部を歩きました。

道すがらの各所で、水温が一定の湧水が豊富で、伊豆名産の『わさび畑』 が見られました。

また、踊子歩道の脇で沢山の『ホトトギス』 が目に入り、初めて見たのでビックリしました。

谷を埋め立てた溶岩の上を流れる、この渓谷は岩肌を美しく磨き上げ、夏には清らかな水の流れを、秋には岩肌に映える紅葉を楽しむことができるそうです。

滑沢川の渓流が安山岩(伊豆最大の一枚岩)の間を白布の如く走って流れ、ある時は本流となり、またある時は淀みとなって流れる様は滑沢渓谷ならではの自然美となっています。

滑沢川と本谷川(狩野川源流)が合流する地点には『竜姿の滝』があります。

滑沢火山の溶岩が西からとエサシノ峰火山の溶岩が東側から本谷川へ流れ込み、その岩肌の割れ目が龍のウロコの様に見えるので、『竜姿の滝』と呼ばれているようです。

 

 

 

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🌋 夏休み親子体験教室 🌋

2023年07月26日 | ジオパーク

開催概要                                                        関東大震災から 100年を迎える本年、箱根ジオパークでは断層がもたらす災害や、それに対する防災について考える年として取り組んでいます。                                   本イベントでは、親子を対象に子供さんにも分かり易く理解しやすい体験を通じて、断層や防災・減災について楽しく学び、防災意識の向上につなげることを目的に実施されました。

箱根ジオパーク認定10周年記念講演 神奈川県立生命の星・地球博物館ミューズ・フェスタ2023を開催します‼

実施内容                                            夏休みの親子体験ということで、お菓子のチョコビスケットで火山を作り、完成した火山を皆さんで美味しく頂きましょう。                                        水槽内に水を含ませた砂を入れ、地下に埋設されている水道管などを模した模型を砂の中に埋め、水槽に振動を加えることで、砂の上に浮いてくる様子を観察し、地震でしばしば問題になる『液状化現象』の仕組みを学ぼう。                                      避難所などで活躍する知恵として新聞紙を利用し、大人用、子供用のスリッパを作る工作。

                           

 

2023年7月 22日(土)小田原駅東口  ハルネ小田原 うめまる広場にて                    11:00~15:00

9時より皆さんで会場設営を行い、私たちジオの会は 「チョコビスケット火山」担当で、準備から進行方法の手順を確認しました。

10時開始と勘違いし、「余り人通りが無いですね。」と話していたら「11時からですよ。」と教えて頂き資料を確認、勘違いに気付いた。

11時になったら急に「エッ どこから来たの❓」と思うほど沢山の親子連れの姿が現れ、我が「チョコビスケット火山」ブースも満席となりました。

満席でしたので、中央のディスプレイを利用し、学校教室の様な雰囲気で進行。              午前中は中々の賑わいで、子供さんの進行のお手伝いをしたりと楽しい時間でした。

                            

午後に入ったら、子供連れのお客様もまばらとなり、開始時間もそれぞれ違って来ましたので、私たちガイド要員が各々の子供さんに付いて、お話ししながら年齢に応じた説明する対応を取らせて頂きました。

私が対応したご夫婦のお子さんは体に障害が有られる様で「帰られてしまうかな❓」と思いましたが、お父さんが子供さんを支え、お母さんが子供さんの手を取り熱心に「チョコビスケット火山」作りに挑戦して下さいました。                                       ご両親は私に気を使われ、「ジオガイドって、どんなことをされるんですか❓」・「ご自分の住んでいる所がどの様にしてできたのか❓ 調べるのは 楽しそうですね。」など色々お話しさせて頂きました。                                                   子供さんの仕草が時間掛かるので、大変恐縮がっていられましたが、何度も「気にしないで下さい。」とお伝えし、チョコで汚れたお口の周りをウエットティッシュ拭き、「美味しかった❓」と尋ねたらニコニコと「うん」と返してくれ満足されたようで安心しました。

はこジ郎

夏休み中の8月には、また別の地域で開催予定。新しい出会いが楽しみです。

 

 

 

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▲ 不老山から神縄断層経由で駿河小山駅へ ▲

2023年07月03日 | ジオパーク

『動かざること山のごとし』と、古来 詠まれている様に、山や大地は動かないものの代名詞として例えられてきました。                                          でもそれは、アジア大陸やアメリカ大陸のような地殻の安定した地域においてのことであり、日本列島のような常に地震や火山 噴火など地殻変動の活発な地域にはあてはまらないようです。

そんな事に興味があり、今回のハイキング計画をするにあたり、登山マップを眺めていたら『神縄(かんなわ)断層』という文字が目に入り、ここを見てみようとコース取りをしたのです。

自分の住んでいる所が、どの様にしてできて来たのか❓ それを調べるのはワクワクします。

2015年 5月 撮影のハコネサンショウバラ  

不老山山頂では 20分ほど、ノンビリ休憩し 11時 35分、下山開始。

途中の道標案内板には、こんなことが書かれていました。                         《「不老」の名につられて不老山に来られる方や、ひと昔前の本の「山頂付近ではハコネサンショウバラの花が見られる」ということを期待される方、または丹沢湖と富士山の眺めに心ときめかせてお出での方が多いのですが、残念ながら期待外れの方が多いのが現状です。》 と 

今回、一輪のみ見ることができたサンショウバラと花が散った後に見られる刺のある実。

付近の案内を文字で色々書いて下さり、親切な方がいるのだと読んでいて楽しくなりました。

花の良い時期となっても、天気や家庭・仕事の都合で中々上手い具合に来れないですからね。 でも遅咲きの花もあり、少しでも見られ満足でした。

先程は右手の金時公園コースから登って来ましたが、神縄断層を見るため不老の活路コースへと直進していきます。

南進する尾根を慎重に下る。

12時15分、No.9鉄塔を通過。 

No.9の鉄塔を通過して10分ほど下ったら、生土(いきど)山分岐を通過、12時 25分。             この分岐で不老の活路コースから生土林道コースへと、右に進む。

生土山分岐から15分ほど下ったら、登山道から砂利道の林道に変わった。                      12時 50分、林道脇に神縄(かんなわ)断層という案内板が見えた。

神縄断層  (伊豆半島衝突の現場)                                      今から約 1500万年前、伊豆半島は今の小笠原諸島あたりにあった島でした。                    それから少しずつ北上して約 100万~ 50万年前に本州に衝突しました。                     その後も北上を続け、丹沢山地を隆起させたのだそうです。

垂直に走る一本の断層線を挟んで、向かって左側が本州側で、右側が伊豆半島側になります。 本州側は丹沢山地をつくる凝灰岩で、伊豆半島側は礫層です。                         この礫層は約 10万年前、丹沢山地から流れ出し駿河湾に注いでいた河川(古酒匂、黄瀬川)がつくったものとのことです。

多分、案内板のある後ろの縦に窪んだ辺りが断層かな❓ と想像するだけで、荒れ放題でガッカリ。                                                  伊豆半島が本州と衝突した現場の断層が、唯一確認できるところであれば、もう少し綺麗に整備して欲しいと思いました。

こちらの断層は、国府津・松田断層の延長線上に神縄断層があり、更に西の延長は富士山の下に隠れていて良く判らないようです。

期待してコースを決めたのに、ちょっと残念でした。

林道歩きで見かけたキンシバイの花。

ぱらぱらと人家が見え始め、生土・不老山線の林道起点通過、 13時 18分。

駿河小山駅に 13時 41分、無事到着。                                       まず、時刻表を確認してからノンビリしようと考えて、何気なく見たら 13時 45分があり、休む間もなくホームへ走った。

 

 

 

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🏞 駿東郡小山町の金太郎伝説 🏞

2023年06月26日 | ジオパーク

金太郎伝説は日本各地にありますが、ここでは小山町に伝わるお話です。

 きんたろう  

まさかりかついで  きんたろう                                                   くまにまたがり  おうまのけいこ                                      ハイシ ドウドウ  ハイドウドウ                                           ハイシ ドウドウ  ハイドウドウ

あしがらやまの  やまおくで                                           けだものあつめて  すもうのけいこ                                       ハッケ ヨイヨイ  ノコッタ                                      ハッケ ヨイヨイ  ノコッタ

明治 33年6月に発表された児童唱歌。 作詞:石原 和三郎 作曲:田村 虎蔵

                            

金太郎ゆかりの地といわれる、ここ小山町には金時屋敷のあった一帯を「金時公園」として保存管理されています。

金時屋敷は坂田 金時の家があった所で、現在は金時神社の拝殿が建てられています。

祭神は「坂田 金時」、神域は小山町中島、金太郎が呱々(ここ)の声をあげた山崎家を含む坂田三軒のあった「金時屋敷」の跡で、その屋敷裏にあった金時産湯の水「ちょろり七滝」は今尚その清流に古き昔を偲ばせる水音を響かせ古風の生家は境を接して現存しています。

このことは、文政3年(1820)に発行された【駿河記】に記されているとのことです。

幼名 金太郎、「金」の字も鮮やかな腹掛けをして猿や熊と力を競い、猪の鼻嶽(現在の金時山)の山頂でよく遊んだ。この山々と恵まれた環境の中で、力逞しく心凛々しい怪童に育てられた。

天暦 10年(958)5月 金太郎誕生                                     中島(現:小山町中島)の彫り物師「十兵衛」の娘、八重桐は京にのぼり、大宮人 坂田 蔵人と結ばれ懐妊したので故郷に帰り金太郎を生んだが、間もなく蔵人が亡くなったので京へ帰らず中島で金太郎を育てた。                                                大きくなってから金太郎は母に孝養をつくし、足柄山で熊と相撲をとったり、大鯉を捕まえたりして、智・仁・勇をそなえた立派な子供として成長していった。

天延4年(976)3月 21日  源 頼光と対面                                  源 頼光は上総(現:千葉県)守護の任期が終って、足柄峠に差し掛かった時、怪童 金太郎と出会い その力量を見抜いて主従の縁を結ぶと共に坂田 公時と命名し、京にのぼって頼光四天王の一人となった。                                         源朝臣(あそん)頼光の四天王は                                              渡辺舎人(とねり)綱、坂田靫負(ゆげい)公時、碓井荒三郎貞光、卜部六郎季武(うらべろくろうすえたけ)の4名であります。                                      【前太平記】

正暦元年(990)3月26日 大江山酒呑童子退治                                丹波の国、大江山(現:京都市西京区大枝)に酒呑童子が住み、都に出てきては悪いことをしたので勅命により頼光を大将に藤原 保昌を案内として、四天王が山伏姿に身を変えて、神変奇特酒(眠り薬入り酒)をもって酒呑童子を退治したとのことです。                          【御伽草子】

寛弘7年(1011)12月15日 没                                       九州の賊を征伐のために筑紫(現:北九州市)に向かう途中、作州路 美作(みまさか)勝田荘(現:岡山県勝央(しょうおう)町)に於いて重い熱病にかかり 55歳で亡くなったそうです。             勝田の人々は公時の武勇を慕い、倶利加羅(くりがら:剛勇の意)神社を建てて葬った。          現在は栗柄神社と称しています。                                      【作陽誌】

 

 

 

 

 

 

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💎 矢佐芝石丁場を歩く 💎

2023年03月12日 | ジオパーク

御嶽神社 参拝の後は、南足柄市の埋蔵文化財包蔵地に登録された『石丁場』を歩いて来ました。                                          初めて見た時は、地元に この様な歴史遺跡の有ることにビックリしました。 

                            

                                           どうして、江戸時代初期に石の需要が生まれたのでしょうか ❓

当時、江戸城や小田原城の大規模な土木工事が計画されていたと考えられています。

江戸城の普請の時、石垣用の石は小田原付近から伊豆半島辺りの石丁場(いしちょうば)から運ばれたと云われています。                                               小田原では早川石丁場が良く知られています。  

 

南足柄市にある三か所(塚原矢佐芝石丁場、塚原上向坂(かみむこうざか)石丁場、広町平石通石丁場)の「石丁場」は、すべて標高 250m以上の山林で、沢筋に近い所で見つかっています。

本市は箱根外輪山のすそ野に位置し、箱根火山の マグマが冷えてできた石である安山岩が多いという点から「石丁場」が点在しております。

「石丁場」は石を割る場所で、主に近世、江戸時代に機能していたと考えられています。

「石丁場」という言葉は石切り場の昔の言い方で、丁場とは仕事場、作業場といった意味を持っています。  

                                                   つまり、「石丁場」とは石を適当な寸法で切り出して加工するための作業場ということになり、ここで見られる石の特徴は、幾つもの小さな長方形の穴が、一定の間隔で一直線に入っていることです。

この穴を『矢穴(やあな) と呼びます。

鉄ノミで石の割りたい場所に沿って穴を開け、そこにを含むと膨張する木を差し込み、作業が終わる時に水を掛けておきます。                                     すると、木が水を吸って膨らむことにより、次の日の朝には矢穴の線に沿って石が割れています。下記のように大きな石が綺麗な平面で割れているのです。

この様にして割った石は、沢や石を曳くための石曳道(いしびきみち)を使い、山から運び出し、江戸城や小田原城の石垣に用いたと考えられています。

ただ何故❓ この様な大変な思いをして山から石を運び出さなくてはいけなかったのか❓

江戸幕府は各大名の統制する方法として、参勤交代や大規模工事を命じました。

諸大名が競って江戸城の石垣用の石を集めなければならなかったのかは、大名の忠誠心を試すと共に資金力を削ぐために、江戸幕府が行う大規模工事に動員をかけたと考えられています。

工事の失敗は御家の取り潰しにつながるので、諸大名は命令に従い必死に作業を行いました。

私たち地元に、この様な貴重な歴史遺跡が有ることを知り、調査に向かいました。      矢穴が開いた、形の整っていない石が矢佐芝橋を中心に分布しているのです。

矢穴の開いた大石には 〇 や △ などの刻印が付けられたものがあります。

刻印の意味は  石を割った人達が作業を行う石を判別するために刻んだもの、仕事の手順に応じて刻むなど現場で石を割るために必要な刻印です。                          石を割ることを江戸幕府から命じられた大名たちが、石垣とする良質な石を見つけた際に、自分たちの縄張りを主張するために刻むというものです。

上部の陽が当たっている所に、大きな 〇や △の刻印のある通称「おでん石」。

この様にして採石した石は、石垣用の大きな石であり重量もある。                      山中で切り出した石を、どの様にして運び出したのか、今のように重機やトラックなど無く道路さえしっかりと整備されていない時代であり、大変な苦労が考えられます。

それでも、妻子を江戸に囚われている大名は、何が何でもやらなくてはならなかった。

この明神ヶ岳の麓にある矢佐芝地区には足柄平野の栢山で生まれ育った「二宮金次郎」が父母を助け働き、学問に励みながら栢山から矢佐芝へ薪を拾いに来たところでもあります。

矢佐芝集落では、この地域の歴史遺跡を守り続けています。

 

 

 

 

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⛩ 郷土の御嶽神社 ⛩

2023年03月09日 | ジオパーク

御嶽(みたけ)神社は蔵王権現を祀った神社。総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂であります。      また、ヤマトタケルの伝説が残る神社で、古くから御嶽権現と呼ばれ信仰されてきました。

苔生した階段の上の平場に社殿が建つ。

現在の社殿は昭和 45年(1970)に再建されたものだそうです。

社殿には、風化し傷みの激しい木製の仏像・神像 18体が保存されているそうです。                傷みが激しく年代は不確かですが、平安時代のものも含まれているのではないかと云われています。蔵王権現かと思われる右足を上げた木像も2体含まれているそうです。         明治 15年(1882)奉納の祭礼の様子が描かれた絵馬や『金峰山』・『蔵王権現』の扁額などが残され、狼の木像も有るとのことです。

この神社の起源は不詳でありますが、古代にさかのぼる歴史を持つことは確かであります。

                              

鳥居杉について

新編相模風土記稿に「杉二株・鳥居杉と称す」と記されています。                    2本が根元でつながり、真っ直ぐに高く聳える姿は圧巻であります。

古くから地域の人々に親しまれ、崇められてきました。                            杉は長寿で大木になるので、昔から神社仏閣に多く植えられてきたそうです。           一説によれば、高く聳えて人間の目印になるような大樹は、神にとっても目印になるとも云われています。                                              また、私たち日本人にとって古木は単なる木材ではなく「長年生き続ける精霊」として古代から大切にしてきました。                                                  日本武命(ヤマトタケル)を祭神とする、この神社の杉も同様であります。

昭和 59年(1984)には『神奈川の名木百選』に選ばれ、高さといい樹形の優雅さといい、我がふるさと南足柄の誇る文化財であります。

樹高       約 50m                                                  胸高周囲     約 7.3~7.5m                                       根回り周囲    約 17m                                            樹齢       推定 500年

                              

お神水(みたらし)の由来について

このおみたらしは権現さんの御神水と呼ばれ、昔から霊水として近隣にも聞こえていたそうです。                                          その由来は、昔 弘法大師が、この三竹山を通りかかった時、部落に水が無くて困っていることを知り、法力でこのみたらしの水みちを開いて下されたという伝説や、また日本武命が東征の折、野火の難をのがれ、ここで休息され村人に世話になった礼として、持っていた剣で水を湧かせた。それがこのみたらしの起こりだとも伝えられています。

おみたらしの水 は眼病、その他 諸病に効くと今でも深く信仰されています。         また、関東大震災でも枯れず水量は減ってしまいましたが、現在でも湧き続けています。

                                   

御嶽神社の社叢林(しゃそうりん)について

御嶽神社 社叢林は箱根外輪山の明神ヶ岳東斜面の標高 160~200mに位置しています。

周辺には杉植林が広がっていますが、神社 社叢林はスダジイ、タブノキ、シラカシ、ウラジロガシ、ムクロジ、ビランジュ(ばくちの木)などを主体とした常緑広葉樹林で構成されており、面積的にまとまっているだけでなく、胸高直径 1.5~2.0mに達するスダジイ の老大木も生育しています。

御嶽神社は箱根外輪山溶岩の安山岩上に堆積した関東ローム層(立川層)上に位置しており、ローム層堆積の浅深の差はありますが、樹高 19~32mに達する常緑広葉樹を良く保存しています。

樹木の保存状態が良好で平成6年(1994)2月 15日、神奈川県指定天然記念物に指定されています。

 

 

 

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❄ 凍てる夕日の滝 ❄

2023年01月29日 | ジオパーク

久し振りに凍結した『夕日の滝』。

金時山 の東斜面より発する酒匂川の支流「内川」の上流部に掛かる滝であります。

一般的に滝のできる成因には、大きく分けて2つあります。

 異なる2つの地質が接する場合                                 浸食され難い硬い地質と浸食され易い柔らかい地質が接した場合、柔らかい地質が一方的に削られてしまい、そこに滝ができます。

 断層によって生じた崖が滝になる場合 

所が、こちらの滝は両方の成因で出来上がった面白い滝なのです。

地殻変動で断層が動き、何と内川の下流が隆起し 上流が沈降したのです。

この滝付近の地層は海底 に溜まった足柄層群と呼ばれる軟らかい砂岩や泥岩であり、その上に箱根火山で最も古い約 40万年前の狩川溶岩グループの噴出物が覆っていました。

隆起した狩川溶岩は、長い期間を掛けて内川を流れる水流に削られ、柔らかい地層である足柄層群が顔を出し、火山噴出物に比べて浸食に弱いため著しく削られ、そこに夕日の滝が誕生しました。

夕日の滝付近には金時山もあり元気な金太郎が、この一帯を自分の庭のように動物たちと遊びまわったり、滝の水を産湯としたという伝説がある金太郎の生誕地であります。

 

 

                 ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

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▲ 足柄峠から金時山へ №3~2 ▲

2022年05月10日 | ジオパーク

人気の高い箱根外輪山の雄峰『金時山』を目指す。

箱根外輪山の最高峰で、付近は坂田金時、幼名❝金太郎❞が生まれ育った地とされ、金太郎ゆかりの神社や岩などが見られる。

富士山の展望も最高で、山頂の茶屋でノンビリするのも楽しい。

                                          

足柄峠(標高 759m)を9時 25分、 出発。                                  ここには神奈川県南足柄市から静岡県小山町に通ずる県道が走っており、足柄峠には金時山へ向かう林道もあり、歩きながらも車に  注意が必要です。

足柄峠から金時山の麓にある猪鼻砦まで、車道から車止めゲートの先もダラダラと登りの長い林道を進む。

猪鼻砦(標高 962m)到着、10時 10分。金時山への急登が始まるので 10分の休憩。             ここは富士山の展望も良く休憩に丁度良い。周りには真っ赤な可愛いボケの花が迎えてくれた。

猪鼻砦を出発、10時 20分。目の前に壁のようにそそり立つ金時山。

車止めゲートのある駐車場には『 足柄峠から金時山へのコースは崩壊に付き通行止め 』と標示板が出ていたので、「大丈夫だろうか 」と不安であったが、下山してくる方がいたので尋ねたら、『 大丈夫ですよ。行けます。行けます。』と返事を頂けホッとした。         それに『 山頂は登山者の方で一杯ですよ。』と聞き、ビックリした。

この猪鼻神社の鳥居を通過してから、本当の急登が続く。

必死に登っていると、視界の端にミツバツツジが見えた。 この時期は若葉も綺麗であった。

以前の台風などで登山道が相当荒れた様子を目の当たりにし、慎重に取り付く。

 

手元の岩をつかみながら体を引き上げていたら、顔の3~40cm位の所に可憐なイワカガミが風に花弁を揺らしながら群生していた。

登山道の崩壊が酷い所は登りと下りの道が別々になっていた。                アルミ製のハシゴや階段も設置され、狭い岩場はロープで安全確保がなされていた。

11時 05分、金時山(標高 1212m)山頂に出た。                      足柄山の金太郎と童謡に歌われている足柄山は、神奈川と静岡の県境にある足柄峠を中心とした箱根山北部の山地、古くは金時山も含めた山々の総称であったようです。

金時山は箱根外輪山の最高峰であり、周囲の山々に抜きん出て強い傾斜のある山容から猪鼻ヶ岳(いのはながたけ)とも呼ばれていました。

眼下の仙石原と遠く芦ノ湖を望む。

短時間で到達できる山頂、そして遮るものの無い雄大な富士山の眺め、訪れる登山者にはリピーターが多く、何千回も登っている強者もいるほど絶大な人気を誇っています。

お昼前で、まだまだ登山者が登って来るので早めの昼食を済ませ、11時 25分下山開始。

次の明神ヶ岳(標高 1169m)に向けて、箱根仙石原に向けて下る。

箱根仙石原方面からはファミリー登山が多く、とても賑やかでした。            足柄峠方向からよりも仙石原側からの方が、子供さんには登り易い道になっています。

下山途中で見つけたミツバツチグリ。 綺麗な黄色でとても可愛い花です。

箱根仙石原側からの登山がメインコースの様で、狭い箇所では渋滞が発生していました。      下る途中から、これから登り返して行く明神ヶ岳 ハイキングコースのハコネダケの道が見えた。

11 時 55分、矢倉沢峠(標高 867m)うぐいす茶屋通過。

ゴールデンウィーク中ですが、うぐいす茶屋さんは休業中でした。           仙石原の金時登山口へは右手に進みます。 足元にご注意を

 

    ※ 次はうぐいす茶屋から明神ヶ岳に登り、最乗寺に下山します。(№3~3)

    

    ※ ご覧頂き、ありがとうございます。 

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