素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

*西の京『薬師寺』*

2010年01月22日 | 世界遺産

平城遷都1300年。奈良大和路、西ノ京を歩く。                薬師寺は天武天皇により発願(680年)、持統天皇によって本尊開眼(697年)、更に文武(もんむ)天皇の御代(みよ)に至り、飛鳥の地において堂宇(どうう)の完成を見ました。

                                              その後、平城遷都(710年)に伴い現在地に移されたようです。         当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の荘美を誇りました。    すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、中でも裳階(もこし)を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは、“龍宮造り”と呼ばれて、人々の目を奪ったようです。

以後1300年を経た間に幾多の災害を受け、特に享禄(きょうろく)元年(1528)の兵火では、東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼(かいじん)に帰しました。 

昭和42年高田好胤管主(たかたこういんかんす)により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願され、失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とし、お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、更には平成15年3月に大講堂が復興され、白鳳伽藍の輪奐美(りんかんび)が甦りました。

薬師寺では今でも日本人の浄らかな心の結晶が、堂塔伽藍のたたずまいとして未来の人々に継承されることを願い、更なるお写経のご結縁をお願いしております。          檀家を持たない薬師寺の復興にご協力を

お写経勧進・・・お経は、一文字書写するごとに仏様を一躰刻むのと同じ功徳があるとい       われています。 納経回向料 般若心経1巻2,000円ほか

初めて参拝し白鳳伽藍の鮮やかさに驚かされました。                金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に裳階(もこし)をつけた美しい堂で、龍宮造りと呼ばれているようです。

金堂の東西に三重の塔がそびえています。                        創建当時の建築を奇跡的にのこす「東塔」は西塔同様に屋根を数えれば六重塔に見える。

                                              これは各層それぞれに裳階(もこし)と呼ばれる本体の屋根の木組を守る補助的な庇をつけているためで、その連続性が塔ののびやかさを一層際立たせている。            高さは約33.6m、再建の西塔は少し高く約36mだそうです。                古い東塔は工事中であり撮影できませんでした。

興楽門から北へ、芝生地の真ん中に幅の広い石敷きの参道が、玄奘塔(げんじょうとう)を中心とする伽藍に通じていて、右には本坊と写経道場、左手は小ぶりな松ノ木が植栽されて、まだ新しく明るい雰囲気であった。

礼門から受付に回り、玄奘三蔵院伽藍内に入り中央の玄奘塔を参拝し、回廊伝いに大唐西域壁画殿に進み、正月と春秋の決められた期間しか公開されないというシルクロード画家『平山郁夫』画伯が30年の歳月を費やしたという玄奘三蔵求法の迫力ある壁画を見てきました。

ところが後日(平成21年12月2日)平山画伯が脳梗塞で他界されたと聞きビックリしました。お住まいも神奈川県の鎌倉と近い所でした。                 ご冥福を、お祈りいたします。

 

 

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*鑑真和上の唐招提寺へ*

2010年01月09日 | 世界遺産

2000年に始まった「平成の大修理」が昨年、2009年11月に完了し金堂を覆っていたやぐらも取り外され、堂々たる威容を現した。

今年も、つい先日奈良県桜井市の大型前方後円墳「桜井茶臼山古墳」の石室を覆っていた土の中から13種81面分の銅鏡の破片が331点も出土したと新聞紙上に発表されました。                                     昨年に続き今年も「せんとくん」忙しくなりそうですね。寝てられませんよ

井上靖の名作『天平の甍』は、唐の高僧「鑑真」と彼の招聘(しょうへい)に命をかけた日本の留学僧たちを描いた大河ドラマ。                            失明という苦難にあいながら日本を目指し、仏教者が守るべき戒律を始めて伝えた鑑真の功績は非常に大きいものであります。                              その鑑真和上が住んでいられたのが、この唐招提寺(とうしょうだいじ)であります。

★中国が誇る名僧『鑑真』て、どんな人 ★                      668年、唐の揚州生まれ。14歳で出家した鑑真は、戒律の大家として唐の国内でも指折りの高僧であったそうです。                     そんな鑑真が、遣唐使として唐を訪れていた日本の栄叡と普照から、朝廷の「伝戒の師」として招請を受けたのが54歳のとき、当時の日本は仏教未開の地であり、高僧の渡日に周囲が反対するなか、鑑真は仏法の伝達こそ我が使命と信じ渡航を決意。

                                              12年の歳月をかけ65歳のときに6度目の航海で日本にたどり着く。        この間に多くの弟子と自分の視力を失ってしまったようです。

日本での最初の5年を東大寺で過ごし、残りの5年を唐招提寺で過ごした鑑真は天皇をはじめ多くの人々に戒を与えた。                          その後、渡日10年目に唐招提寺で入寂されたようです。                             御影堂内の鑑真和上坐像は、死の直前に弟子たちが造られたとの事です。

平成の大修理が終わったと聞き、鑑真和上坐像が拝観できるかと楽しみにしていたが、毎年6月6日の開山忌の前後数日間のみ公開との事で見ることは出来なかった。残念

仕方なく鑑真の廟である開山御廟を参拝した。                           境内一の静かな場所で、墓前には鑑真の故郷である揚州から送られた沢山の花が植えられていました。

 

 

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*平成22年*

2010年01月01日 | 

謹賀新年

平安遷都1100年を記念し、明治28年(1895)に創建されました。                               平安京で最初の桓武天皇と最後の孝明天皇を御祭りしている元官幣大社です。

緑の瓦と朱塗りの柱のコントラストが鮮やかな社殿は、平安京正庁の朝堂院を八分の五の大きさで再現された建物だそうです。

大晦日の朝、静かな平安神宮を参拝しました。                                             既に初詣の準備は完了し、嵐の前の静けさを感じました。

本年も、どうぞよろしく、お願い致します。 

 

 

 

 

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