素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 内蔵助平経由真砂沢ロッジへ ▲

2012年09月30日 | 北アルプス

扇沢駅に午前3時半に到着、すぐにシュラフを広げ仮眠に入った。          6時に目覚め外を見たら濡れていた。                               トロリーの始発は7時30分であり、再びシュラフにもぐった。                                1時間前にそろそろ準備をしなくてはと思い起きたら外は雨、「エッ」と思い心は曇り、外で湯を沸かす事も出来ず、傘を差して扇沢駅へ様子を見に行く。        もう切符売場も営業開始で、何人かの登山者が切符を購入していた。

早くも駅舎内の改札には、利用客の列が出来ていたが、それを横目に私たちは売店に入り、温かい御そばを朝食とした。                           自分は出発時点が雨だと、中々エンジンがかからない。                内心、もう始発の乗車は無理だと思い、コース取りをどうしようかと迷った。   予定のコースは黒部川から急登が続き、合羽を着ての登高は厳しいだろうと思った。

あまりノンビリも後が苦しくなるので、1時間遅れの8時30分発に乗車。      まず黒部ダムまで入ることにした。その間にお互いのエンジンが快調に回りだしたのか、「よし予定通りで行こう。」と言う事になり決定。

トロリーは16分でダムに運んでくれた。                              アルペンルートに行く観光客の方々と別れ、下の廊下への登山者専用通路に向かう。  外は雨であり、通路内で合羽を着用した。

20分ほどでダム下に降りた。                              この時期はダムが観光放水をしており、迫力ある様子が見学できた。

9時10分にダム下を通過。                             黒部渓谷沿いの道はハイキングで、合羽を着ているので汗をかかぬように、そして内蔵助谷出合からの急登に直ぐ対応できるように、体調を整えながら歩いた。               行く手には黒部丸山の東壁が屹立し、来るなと言わんばかりに立ちはだかっていた。

今日のコースは黒部丸山の裾野を縫うようにして走る内蔵助谷を登るのである。    内蔵助谷出合着10時05分。                                    右は黒部下の廊下へ、自分たちは左の登山道に取り付く。

                                                                  一呼吸入れてから下の廊下と分かれ内蔵助谷の右岸に取り付く。この付近は木々が鬱蒼として丸山の東壁は見えない。                                  傾斜のきつい山道を黙々と登る。汗が顎から滴り落ちる。  黒部の巨人

景色はほとんど見えず、地図の所要時間2時間30分を頼りに、2時間30分頑張れば内蔵助平に着くと自分に言い聞かせ、頑張った。                        岩の様なカエルに遭い、疲れているとビックリも2倍である。                        2時間ほど歩いたら傾斜が穏かになり、ホッとしていたら鉄の橋が見え内蔵助平に到着した。12時10分。

2度目の訪問であり辺りを見回したが、当時の記憶は草原の別天地「こんな素晴らしい所が有るんだ」とビックリしたが、今回の訪問では、その夢がグチャリとつぶされた。 管理されない庭園になっていた。

                                                                    確かにこのコースはサブ的なコースであって、何時間歩いても1人の人に会うかどうか?と言うほど人が入らないコースなのである。                                                          橋を渡り渓谷沿いの岩に腰掛け、休憩兼お弁当時間とした。

50分ほど大休止した後、最後の登りハシゴ谷(たん)乗越に向かった。          両側から木々に覆われた中、水の無い涸れ沢を進むのである。                一時雨が降り出し合羽を着るのかな と考えていたら止んでくれた。           最初は緩やかであったが、乗越に近付くにつれ傾斜がきつくなり、それも岩がゴロゴロした沢なので、非常に疲れた。 登りきった疲れの顔 

ハシゴ谷乗越通過14時50分。                                                  少し尾根を巻くように進んでから剱沢に向け下りになった。             この下りも木の梯子は朽ち果て、登山者の通行が少ないので整備が何もされていない状況でした。                                    下部の方は登り同様、岩がゴロゴロした涸れ沢の下りが延々と続いた。          下りでも汗が流れた。   ガスに煙る剱岳 

剱沢出合着15時50分。                                                           急に明るく開けた剱沢に出てホッとした。                           もう真砂沢ロッジまでは30分程なので、ノンビリ荷を下ろして休憩とした。          剱沢に掛かる丸太橋は流されてしまったのか、アルミの橋に架け替えられていた。

                                                                   ロッジまでの登山道ではアザミやほか沢山の花が出迎えてくれた。                 真砂沢ロッジ到着16時45分。     お疲れ様。

 

 

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剱沢雪渓を攻める

2012年09月29日 | 北アルプス

ハシゴ谷(たん)乗越から剱沢へ下る途中から、真砂沢ロッジと剱沢雪渓の取り付き点が見えたが、雪渓下部が崩壊している状況を確認。                     内心、雪渓上の登高は無理で巻道を行くのかなと感じた。

昨夜の夕食時、オーナーより「明日はどちらに向かうの?」と聞かれ「剱沢から剱へ」と答えたら「アッ一般道ね。」と軽く流されてしまった。             と言うのもロッジで御一緒した方々は、日本山岳会の方や若い頃登山競技でインターハイに参加された方などで全国の山全般について非常に詳しい方々でした。              オーナーからすると私達は素人の部類でした。

山岳会の方は2名で今日、八ッ峰を登り長次郎谷を下ると話され、早立ちで自分達が起きた時には姿は無かった。                             八ッ峰はクライマーの方々の岩峰であり、一般は入れないので地図上にもコース表示はありません。

また、年配の方々は剱沢を下り、池ノ平山に登り池ノ平小屋に泊まられるとの事でした。皆さん山の事については非常に詳しい方々で、楽しい話を沢山聞かせて頂きました。    真砂沢ロッジ遠望  

ロッジのオーナーも食事の準備時はお忙しいのですが、それが過ぎると私達の相手をして下さり、剱沢雪渓の現況とコース取りについて、また雪渓を登ったら、すぐ剣山荘で宿泊予約をし荷を軽くして剱へ行きなさいと助言を頂きました。                                                          オーナーは佐伯成司(さえきまさし)さん。                         現役バリバリのクライマーで海外遠征もされるようです。              佐伯さんが小屋のオーナーになって2012年で10周年を迎えたそうです。        小さな小屋でも皆さんに気持ち良く過ごしてもらいたいと物静かで小屋経営には、とても熱い方でした。                              ロッジの看板に書かれているインゼルハオス(InselHaus)とはドイツ語で『中洲の家』と言う事だそうです。

オーナーに見送られ7時、ロッジを後にした。                     長次郎出合の分岐あたりまでは雪渓の状態が悪く、滝となっている所が有り左岸を高巻して、滝上部よりクレバスやスノーブリッジに注意しながら雪渓に取り付いた。

雪渓も窪みは先が見渡せるので状況把握は楽だが、山状になっていると下からの状況把握が出来ず慎重に歩を進め、目の前でクレバスに気付き遠回りをしたりとコース取りを慎重に行った。

朝から天気は最高で気分もハイ。                           平蔵谷そして雪渓上部の武蔵谷が迫る辺りは、雪渓もしっかりしており、快調に高度を稼いた。

左岸には徐々に剱が大きく迫り、見上げると別山尾根の稜線が青空の中にクッキリと見えた。                                                技術が有れば谷を登り、一気に別山の稜線に出られそうに感じた。

雪渓は、ほぼ最上部まで登った後、右岸の登山道に移り、途中にV字型の分岐があり右手の剣山荘に向けに登高する予定が、足元ばかり見ていたらウッカリ見落としてしまい剱澤小屋経由で剣山荘を目指した。                               剱沢小屋から剣山荘向かう登山道からの剱岳(2,999m)の山姿は素晴らしかった。

 

 

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▲ 別山尾根より剣岳へ ▲

2012年09月26日 | 日本百名山

日本三大雪渓の1つである剣沢雪渓を攻め、剣岳(2,999m)の麓にある剣山荘に10時20分到着                                        真砂沢ロッジのオーナーに言われた通り、すぐに宿泊の申し込みをし荷物を部屋に置き、サブザックで剣岳を目指した。

                                                                     剣山荘の受付でも、日が落ちるのが早いのでヘッドランプ、防寒着、非常食、ツェルト、水等必ず持って行くように忠告された。                            私は今回で2度目の剣であるが、当初の登山で危険を感じた所は無かったが、真剣な眼差しで忠告を受け、体の中を緊張感が走った。

天気快晴。                                         忠告を受けたものとカメラをサブザックに詰め、10時40分剣山荘を出発した。  最前衛の一服剣へ20分で登った。そこからは次に聳え立つ前剣の岩峰が望め、剣の本峰は、まだまだ姿を見せてはくれない。

                                        別山尾根から剣を目指すと一服剣、前剣、そして本峰の剣岳と大きな峰が3つあり、前剣から先は気の抜けない岩峰が続くのである。

ルートも前剣の手前から登りと下りは別ルートになっている箇所があり、うまく時間帯を避ければ待つことなく順調に登山できる。                   私たちは剣沢を登り、剣に向かったので通常の登山者とは時間がズレ、とても快調に進んだ。

前剣を下ると5m程の鉄のブリッジがあった。                                 足元は見たが、それより下には目をやらず通過。 

                                         すぐ目の前にはキラキラしたクサリが見え、約20m程の岩峰トラバースである。  混雑時に他の人がクサリを引いたりするとバランスを崩す危険があるが、登山者は少なく楽しみながら岩に張り付いた。

無事通過と思う間もなく稜線の東側、平蔵谷側にクサリで約20m下り、前剣ノ門から平蔵ノ頭(ずこ)を通過。                                  本峰に近づくにつれ「岩と雪の殿堂」と言う言葉の実感が良く判る。

平蔵の頭の本峰側に傾斜は緩いが高度感抜群の一枚岩をクサリに沿って下り、幾つかの岩峰帯をトラバースして行くと平蔵のコルの標示板を通過する。

                                               当初の登山時は標示板など何も無かったが、現在では親切に岩に張り付けられ、地図のどこを通過したのかが確認出来て助かった。

ここまで来ると剣岳本峰が眼前に迫り、最後の詰め「カニのタテバイ」へ向かう。   約50m程の急峻な岩場に慎重に取り付き、上体を岩から離し安定した体勢で三点確保の実践である。                                  必死で岩に取りついていると、ビックリした距離も、そう感じずに通過できた。

見上げると標示板が見える。                                 山頂かな と思いきや早月尾根への分岐点の標示板であった。                  ここから15分ほどで山頂に立てた。到着13時50分。                             風も無く20分ほど山頂からの景色を楽しんだ。   

以前は山頂に立派な祠が有ったが、風雪に耐えきれなかったのか祠の姿は無かった。  人跡未踏と思われていた山頂に有った錫杖や鉄剣は奈良か平安時代の物と推定され、その時代にこの峻峰に登った修験者がいたのである。  

                                                               自分も何か無いかとキョロキョロしたが、何も見つからず一等三角点の石標を撮影して来た。                                     仏教の修験者により始まった日本の山岳登山、古に登られた方々のために是非山頂の祠は必要と感じました。

存分に写真を撮り、下山準備。                               登りより危険が伴う下降路、お互いに慌てずに慎重に下ろうと誓い、最初の肝試し「カニのヨコバイ」へ。 

                                                      クサリの付けられた高度感ある岩場を岩棚に沿って下るが、三点確保の一点を委ねるホールドやスタンスが見つからず苦戦した箇所が幾つかあった。             クサリ場の次は長い梯子の下りだ。                          梯子はしっかりしたもので安心して取りつけた。

下りは落石に注意しなくてはならず、自分もつまづかない様に気を使うので意外と疲れるのである。                                 でも岩峰をトラバースしたり、クサリ場を登下降したりは、剣岳ならではの味わいであり、お互いに楽しめた登山であった。                          

 

 

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☆室堂平の草紅葉☆

2012年09月25日 | 北アルプス

好天の剣岳登頂に大感激。                                 ゆっくり剣山荘で体を休め、他県から剣に来られた方々との夕食後の歓談がとても楽しかった。                                    他県と言っても、剣は富山県立山町から近いので関西から見えられている登山者の方々がほとんどであった。

これから、剣岳へ行く予定の方々は夕食後の談話室のテレビで天気予報を食い入るように見ていられたが、最近の天気予報はほぼ正確で、予報通りの雨の朝を迎えた。                                       早朝より剣に向かうパーティーの姿が見られたが、景色も見えないうえ岩と雪の殿堂「剣岳」を甘く見ない方が安全である。きっと下山されたと思う。

私たちの予定は立山三山縦走し一ノ越へ下る予定であったが、雨であり完全に疲れが取れていなかったので、無理せず最短距離で室堂バスターミナルへ向かうことにした。

剣山荘を7時20分出発。                               剣御前の東側中腹を剣御前小舎に向け登りだしたが、きつかった。            若い方が道を尋ねて来たので「同じ方向なので先導しますよ」と言ったものの、若い人は歩きが早いので、自分たちも実力以上に頑張り余計に疲れてしまった。

剣御前小舎に到着時も雨の勢いは変わらず、小舎の配慮で休憩室を利用させて下さったので、暖かいコーヒーを注文し体を温めた。                      雨になると小屋に入れてくれる所は少ないので、本当に有難かった。

                                                                         この小舎の前からは、晴れているとピラミッド型の堂々とした山姿の剣岳が見えるのだが雨で雲隠れ、残念 

室堂に向け、雷鳥坂を一気に45分で下った。                        剣山荘からずっと雷鳥に出会わないかと気にしながら歩を進めたが会えなかった。   天気が雨でチャンスだったのに、やはり温暖化や他の動物の餌食となり激減してしまったのだろうか   

雷鳥平から室堂のミクリガ池一帯の草紅葉は素晴らしい。                                                   バックに奥大日岳(2,605m)や立山三山が望め北アルプスの真っただ中に立つ実感、雲上の高原に立つ実感が充分に味わえた。

 

 

 

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金時山トレイルラン

2012年09月09日 | ジオパーク

昨日今日と天気予報が良い方向にはずれ、朝晩はともかく日中は真夏の暑さであった。                                                                                          そんな事で、この土日にお祭りを予定していた主催者さんは、ホッとされたと思います。                                                                                 南足柄市でも山向こうの静岡県小山町と共催で9月9日(日)「第41回足柄峠笛まつり」が足柄峠で開催されました。

家にいても暑いし「よし行こう」と考えた。                                                                    ただ足柄峠まで道は狭いし、駐車場も少ないだろうと思い、車は夕日の滝駐車場に置き、練習不足解消のためトレイルランで金時山(1,213m)に向かい、帰りに足柄峠へ回るコース取りをした。駐車場を8時35分出発。

到底、全コース走り通すことなど不可能だが、極力歩くことは避けるようにして、どんなに遅くとも腕振りを心がけスロージョギングで行こうと考えた。

夕日の滝上部から最初の分岐点まではどうにか走り、沢を越え尾根に出るまでが木の根が露出し、一歩が高い階段状になっていたりで、汗は出るが走る気力は出なかった。  この辺は、私の大好きな言葉の『臨機応変』を活用して金時山を目指した。

金時山直下まで1時間、山頂までは急登で梯子が10ヵ所位あっただろうか?             30分と地図通りの時間がかかった。                                                                                  何十年振りの山頂、富士箱根の景色が素晴らしかった。                                                   仙石原から遠く芦ノ湖方面です。

こちらは金時茶屋と富士山です。

帰りは山頂から金時下まで20分、そこから足柄峠まで20分かかった。                       到着11時06分。                                                        祭りは10時30分からであり、最初のセレモニーは終了し、皆さん峠広場の会場に移動中でありました。会場から見た金時山です。

『足柄山笙(しょう)の調べ』の故事について                                                八幡太郎義家の弟、三郎義光は琵琶湖のほとり三井寺の近くの新羅の森で元服したから新羅三郎義光と云っていた。                                                                                                    戦乱の世にあっても風雅の心を失わず、笙は時の名人「豊原時元」に学んだ。

堀河天皇の御代に奥州の清原武衡などが叛(そむ)いて兵を挙げたので、これを鎮定するために八幡太郎義家が行った。                                                                                                   世に云う「後三年の役」で、この時敵の抵抗強く義家苦戦と聞いて三郎義光は数十騎の兵を連れて逢坂山を越え、日を重ね足柄峠に露営したのは仲秋名月の夜であった。

新羅三郎義光は豊原時秋を傍(かたわ)ら近く呼んで『よく聞かれよ。我は御尊父より笙の秘曲を授かり、これを後世に伝うべく託された。                          然るに、この度戦場に赴く上は生死の程も計り難い。我死なば、この道はすたれ先師の志をも空しうする。                                     只今、これより相伝の秘曲を伝授すれば、貴殿はこれより京へ引き返し、この道を守られよ。』と論し、伶人(れいじん)豊原時秋に笙の奥義を伝えた。との事であります。

 

 

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