素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

🏞 足柄峠の萬葉公園 🏞

2021年03月24日 | ジオパーク

足柄峠は古来から都と東国を結ぶ官道として、防人や旅人の往来が盛んであった。

                                           大和朝廷の昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫(おとたちばなひめ)をしのんで『あづまはや』と叫んだという記述が古事記にあるそうです。

奈良時代 東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人(さきもり)の任に赴く東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い心の叫びを詠んでいます。

こうした万葉人(まんようびと)の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸を打つ。

ここ足柄峠で、当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず「足柄の御坂かしこみ」 と峠の神に手向けせずにはいられなかったというが、往時の森厳さと神秘感 寂寥感は今もその名残りをとどめています。

ここで万葉人の心の叫びである歌をご紹介いたします。

 

     足柄の 御坂畏み 曇夜の 

              吾が下這へを 言出つるかも 

                           

歌意  読み ⇒ あしがりの   みさかかしこみ   くもりよの   あがしたばえを   こちでつるかも                                            足柄の神の御坂を越えて行く時、峠の神に手向けして恐れかしこまるあまり、人の秘さねばならない恋人の名前まで、つい告白してしまった。                                         人に云うべきことではないのに。                                      この歌は「下這い」の自分の最も大切にしていること、「曇夜」の見えない心の美しさが良くにじみ出されている。 「下這い」⇒心の中の思い。        「曇夜」⇒暗くて見えない。 

  

                         

     

     足柄の 御坂に立して 袖ふらば  

           家なる妹は 清に見もかも

                      

歌意  読み ⇒ あしがりの   みさかにたして   そでふらば   いわなるいもは   さやにみもかも                 足柄の神の御坂に立って、ふるさとに向かって別れを告げる時、家に残してきた妻は、私が力のかぎり袖を振っているのを、はっきりと見ているであろうか。                                    この歌は防人が九州防備のために徴用され、その任期が3年とされていたが、当時の防人の宿命として再び故郷へ帰ることが困難な時代であった。

 

東国の人々にとっても、坂の向うは、全くの異郷であった。防人として耳にしたこともない遠い筑紫の国(九州)に赴くとなると、不安は限りなく大きかった。                         防人たちは坂を越える時、住み慣れた郷里を目にすることのできる最後の機会として、この坂でしばし佇み、郷里に別れを告げた。

当時は、もっぱら「坂」の字が今日の「峠」あるいは「峠路」の意をもって使用されていたようです。従って、古典にいう「足柄の坂」は足柄峠ないし足柄の峠路の意味を指します。

「峠」という言葉は比較的新しくなって使われ出したもので、記紀万葉の頃には、まだ使用されて無かったようです。

 

古来から官道として歩かれていた足柄峠は、今でこそ明るく気持ちの良い公園となっていますが、当時としては樹木が鬱蒼として寂寥感にあふれ、この峠を越えたら「もう故郷は見えないんだ。」と思わせる様な場所であったことが伺われます。

 

                      

 

また、この峠には『足柄山聖天堂』という社堂があります。                       こちらの御本尊は《大聖歓喜双身天》(だいしょうかんきそうしんてん)といい、この辺りでは「聖天様」とか「聖天さん」と呼ばれています。

その聖天様の功徳が御座いますので、ご紹介いたします。                         高齢化社会そして核家族の現在に相通ずるお話かと思います。

                      

昔 相模の国、小田原在の姥、足柄山聖天尊に祈願し曰く

『吾、年老いて余命いくばくもありと覚えず、大往生遂げたしと願ふても叶わざる事往々にしてあり、永年病床に臥し家人に「下」の面倒を受くるは堪え得ざるものあり、されば日頃信仰せし聖天尊の功徳を何卒吾に垂れ給え』と姥は持参せし「腰の物」を差し出したり、堂主、信心深き姥に応え心を込めて誦経(ずきょう)し、差し出せし「腰の物」に印授を書きしるし、終生之をまとわば汝の願望必ず叶ふべし、と与えたり                              『自分は年老いて、あと何年生きられるかわからないが大往生したいと考えている。所がもし病気などで、家族の者に「下」の面倒をみてもらうことになっては、辛くて耐えられない。そこを聖天様のお力で、そうならないような功徳を下さい。』と願い、持参した腰巻を堂主に差し出しました。                                                 堂主は信心深いおばあさんの気持ちを察し、読経後に腰巻に願望を書きしるし、常に身に着けていれば必ず叶うと伝えました。

                                          幾星霜年経て、姥の若者、山を尋ねて曰く                                    『吾が母、米寿の祝を経て大往生せり、遺言に「下」の世話にならぬはこれ大聖歓喜双身天の法徳なり、願わくば功徳を後世に垂れ給え、これ母の意志なりと』                 そして長い年月の経過後、おばあさんの息子さんが聖天様を訪ね、母の意志を堂主に伝えました。             『母は米寿祝の後、大往生しました。母の遺言に「下」の世話にならなかったことは、御本尊の大聖歓喜双身天様のお陰であり、この功徳は後世の人々にも与えて欲しい。』と母が申しておりました。

この御利益を堂主は、長く伝えるべく参拝者の皆様に「お守り」として沢山の方々に分かち与えているとのことであります。

 

足柄峠にお越しの際は、是非 安穏祈願に ご参拝ください。

 

 

       ※ ご訪問、ありがとうございます。

 

                                      

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🏯 足柄城址 🏯

2021年03月16日 | ジオパーク

足柄城址は、標高759mの足柄峠に小田原北条氏の属城として遺構を残す連郭式の山城であります。

峠の一番高い所が「一の郭(くるわ)で、そこから北側に「二~五の郭」や土塁、井戸跡、倉屋敷跡、数地点に砦(矢倉)等が存在します。

足柄城築城の目的は、駿河(裾野市)を拠点としていた大森氏が相模への進出の足掛かりとして造ったのではないかといわれています。

                                                            二の郭と奥のピークは金時山。

                                             自然地形を利用して、甲斐武田氏との境目の城として、また足柄古道などの監視。

手前は空堀で奥が三の郭 

城跡の本丸と木立の間には、玉手ヶ池があり、いかなる日照りがあっても枯れなかったといわれており、また、長い日照り続きの時は、池の水をかき回し雨乞いをすれば、必ず雨が降るので「雨乞い池」とも呼ばれたようです。

後北条時代になって、駿河の今川義元、甲斐の武田信玄などからの侵攻を阻止する意図での重要な城として築造された。

                                            武田信玄は甲斐から駿河進出を図り、幾度となく北条氏と対峙した。特に激しく接近してきたのは 1570年前後である。

 

豊臣秀吉が全国統一を果たす上で最後まで抵抗した小田原北条氏の支城である。

                                                北条氏は秀吉の攻撃に備え、拠点小田原城を守るに際し、豊臣軍を箱根連山で防御する支城群を整備した。

                                           伊豆韮山城、箱根の山中城(三島市)そしてこの足柄城や河村城(山北町)などである。

この城は 1590(天正18)年 豊臣軍に参加した徳川家臣の井伊直政隊の、小田原城攻めの攻撃を前に山中城の落城の報を受け、その時の将兵 26名は一戦もせずに退去落城したとのことです。                                         

 

 

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⛰ 懐かしの鳳凰山 ⛰

2021年03月02日 | 日本百名山

日本百名山では薬師岳 (標高 2780m)、観音岳(2840m)、地蔵ヶ岳(2764m)の『鳳凰三山』を鳳凰山と言っているようです。

ここでは夜叉神峠登山口から鳳凰三山を縦走し、白鳳峠から広河原へ戻るコースを御案内いたします。

※ここでの写真は2010(H22)年7月30~31日に撮影したものです。※

夜叉神峠登山口からは良く踏まれた登山道を1時間ほど登ると、白根三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)の展望台である夜叉神峠に到着する。

                                           夜叉神峠には小屋があり、小屋前は広場になっており、小休止しながら白根三山が眺められる。でも、この時は曇りで、野呂川の深い谷を隔てて対峙する白根三山を望むことは出来なかった。                                         峠を過ぎると眺望のない深い樹林帯に入り、緩やかな長い登りが杖立峠まで続く。

杖立峠は大崖頭山から西に延びる小尾根を乗越す地点にあたる。

杖立峠からはダケカンバなどの原生林の中を下り、登り返す感じで進むと樹林がまばらとなり明るく開けた山火事跡に出る。                                    好天であれば北岳(標高 3192m)が望めるはずが、残念だった。

                                           山火事跡から緩い登りが始まり、シラビソの樹林帯に入り、

                                               右手より千頭星山からの登山道と合流し苺平に着く。

苺平は原生林の中で展望は無い。体が熱くなっているので樹林帯の中のひんやりとした空気は気持ち良かった。                                       苺平からは辻山(標高 2585m)を通らず、北東側の薄暗い原生林の中を巻いて行く。

                                                  登山道が下りになって来ると、南御室小屋近しである。下って行くと小屋の正面に出る。

小屋の右奥には冬でも枯れない清水が流れ、乾いたのどを潤してくれる。

                                           水場の有ることから、小屋周辺は樹海の中のオアシスといった感じで、西側の平坦地はキャンプ指定地になっており賑やかな所である。

ここから薬師岳方面へは小屋の左側より急登に取り付く。傾斜が緩み、ダケカンバが混生するようになれば森林限界を抜け、砂払岳や遠く観音岳まで見えた。

                                            花崗岩の大きな岩塊と白い砂礫の砂払岳に到着する。                      ここから先は風化された花崗岩が周辺に点在し、自然が織りなす日本庭園の中の稜線歩きである。

鳳凰三山の素晴らしさは、ここから地蔵ヶ岳までの白い砂礫の稜線に薄いピンクのタカネビランジが咲き乱れ、花崗岩の岩の割れ目には青紫の釣鐘状のホウオウシャジンが楚々と咲き、最高の稜線漫歩が楽しめる。

前方にはダケカンバに囲まれた薬師岳の見事な岩峰が目に飛び込んでくる。         

                                            砂払岳を下った鞍部にはダケカンバに囲まれた中に薬師岳小屋が迎えてくれる。

薬師岳小屋から薬師岳山頂へはダケカンバとハイマツの道をひと登りすれば到着である。

                                           

この日の山頂はガスっていましたが、晴れていれば白い砂礫が眩しくサングラスが欲しいくらいです。この様な稜線歩きが、ずっと続くのです。                                薬師岳から約50分ほどで、鳳凰三山の最高峰『観音岳』に到着です。

観音岳は花崗岩が折り重なった岩の山頂です。                             観音岳から先はやせた岩稜が続き、赤抜沢ノ頭へ向かう。

                                              カラマツやダケカンバが厳しい自然に耐え成長している光景がいたるところで見ることができる。

徐々に地蔵ヶ岳のオベリスクが大きく見えてくると心がワクワク、足にも自然に力が入って来る。

                                           稜線上からは右に甲府市街、正面には八ヶ岳、左手には大樺沢と北岳が見え、気持ちの良い稜線歩きが楽しめる。

                                           赤抜沢ノ頭に立つと、

                                             目の前に鳳凰三山のシンボルである地蔵ヶ岳のオベリスクが望める

                                           石のお地蔵様が並ぶ賽ノ河原に下り、見上げる地蔵ヶ岳は迫力満点である。

赤抜沢ノ頭まで引き返し、早川尾根南端の高嶺(たかね)に向かう。

                                            白ザレの鞍部まで下り、急斜面を登り二つ目のピークが高嶺山頂である。中央の雪渓は大樺沢で雲に隠れた中央のピークは北岳。

                                           高嶺から先はダケカンバが点在する急斜面の露岩帯が続き、慎重に下れば、やがて傾斜も緩くなりハイマツ帯をジグザグに下れば白鳳峠である。

 

 

 

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