足柄峠は古来から都と東国を結ぶ官道として、防人や旅人の往来が盛んであった。
大和朝廷の昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫(おとたちばなひめ)をしのんで『あづまはや』と叫んだという記述が古事記にあるそうです。
奈良時代 東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人(さきもり)の任に赴く東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い心の叫びを詠んでいます。
こうした万葉人(まんようびと)の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸を打つ。
ここ足柄峠で、当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず「足柄の御坂かしこみ」 と峠の神に手向けせずにはいられなかったというが、往時の森厳さと神秘感 寂寥感は今もその名残りをとどめています。
ここで万葉人の心の叫びである歌をご紹介いたします。
足柄の 御坂畏み 曇夜の
吾が下這へを 言出つるかも
歌意 読み ⇒ あしがりの みさかかしこみ くもりよの あがしたばえを こちでつるかも 足柄の神の御坂を越えて行く時、峠の神に手向けして恐れかしこまるあまり、人の秘さねばならない恋人の名前まで、つい告白してしまった。 人に云うべきことではないのに。 この歌は「下這い」の自分の最も大切にしていること、「曇夜」の見えない心の美しさが良くにじみ出されている。 「下這い」⇒心の中の思い。 「曇夜」⇒暗くて見えない。
足柄の 御坂に立して 袖ふらば
家なる妹は 清に見もかも
歌意 読み ⇒ あしがりの みさかにたして そでふらば いわなるいもは さやにみもかも 足柄の神の御坂に立って、ふるさとに向かって別れを告げる時、家に残してきた妻は、私が力のかぎり袖を振っているのを、はっきりと見ているであろうか。 この歌は防人が九州防備のために徴用され、その任期が3年とされていたが、当時の防人の宿命として再び故郷へ帰ることが困難な時代であった。
東国の人々にとっても、坂の向うは、全くの異郷であった。防人として耳にしたこともない遠い筑紫の国(九州)に赴くとなると、不安は限りなく大きかった。 防人たちは坂を越える時、住み慣れた郷里を目にすることのできる最後の機会として、この坂でしばし佇み、郷里に別れを告げた。
当時は、もっぱら「坂」の字が今日の「峠」あるいは「峠路」の意をもって使用されていたようです。従って、古典にいう「足柄の坂」は足柄峠ないし足柄の峠路の意味を指します。
「峠」という言葉は比較的新しくなって使われ出したもので、記紀万葉の頃には、まだ使用されて無かったようです。
古来から官道として歩かれていた足柄峠は、今でこそ明るく気持ちの良い公園となっていますが、当時としては樹木が鬱蒼として寂寥感にあふれ、この峠を越えたら「もう故郷は見えないんだ。」と思わせる様な場所であったことが伺われます。
また、この峠には『足柄山聖天堂』という社堂があります。 こちらの御本尊は《大聖歓喜双身天》(だいしょうかんきそうしんてん)といい、この辺りでは「聖天様」とか「聖天さん」と呼ばれています。
その聖天様の功徳が御座いますので、ご紹介いたします。 高齢化社会そして核家族の現在に相通ずるお話かと思います。
昔 相模の国、小田原在の姥、足柄山聖天尊に祈願し曰く
『吾、年老いて余命いくばくもありと覚えず、大往生遂げたしと願ふても叶わざる事往々にしてあり、永年病床に臥し家人に「下」の面倒を受くるは堪え得ざるものあり、されば日頃信仰せし聖天尊の功徳を何卒吾に垂れ給え』と姥は持参せし「腰の物」を差し出したり、堂主、信心深き姥に応え心を込めて誦経(ずきょう)し、差し出せし「腰の物」に印授を書きしるし、終生之をまとわば汝の願望必ず叶ふべし、と与えたり 『自分は年老いて、あと何年生きられるかわからないが大往生したいと考えている。所がもし病気などで、家族の者に「下」の面倒をみてもらうことになっては、辛くて耐えられない。そこを聖天様のお力で、そうならないような功徳を下さい。』と願い、持参した腰巻を堂主に差し出しました。 堂主は信心深いおばあさんの気持ちを察し、読経後に腰巻に願望を書きしるし、常に身に着けていれば必ず叶うと伝えました。
幾星霜年経て、姥の若者、山を尋ねて曰く 『吾が母、米寿の祝を経て大往生せり、遺言に「下」の世話にならぬはこれ大聖歓喜双身天の法徳なり、願わくば功徳を後世に垂れ給え、これ母の意志なりと』 そして長い年月の経過後、おばあさんの息子さんが聖天様を訪ね、母の意志を堂主に伝えました。 『母は米寿祝の後、大往生しました。母の遺言に「下」の世話にならなかったことは、御本尊の大聖歓喜双身天様のお陰であり、この功徳は後世の人々にも与えて欲しい。』と母が申しておりました。
この御利益を堂主は、長く伝えるべく参拝者の皆様に「お守り」として沢山の方々に分かち与えているとのことであります。
足柄峠にお越しの際は、是非 安穏祈願に ご参拝ください。
※ ご訪問、ありがとうございます。