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東海の日光 『おせんげんさま』
を参拝しながら、市民憩いの山『賤機(しずはた)山』を
歩いて来ました。 神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社及び大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社を総称して
静岡浅間(しずおかせんげん)神社(通称:おせんげんさま)
と申し上げ、いずれも御創祀は千古の昔にさかのぼり、駿河国総社として広く信仰されています。
総漆塗り極彩色の豪壮華麗な社殿群で26棟が国の重要文化財に指定され、「おせんげんさま」
という名称で江戸時代の庶民からも信仰を集めていました。
石鳥居から総門を通り境内へ、色彩豊かな楼門が現れる。
回廊内の舞殿は見られましたが、本殿・大拝殿は工事中で見ることはできませんでした。
舞殿前から左の南回廊を通り、スポーツ・武道・開運・必勝の守護神である 「八千戈(やちほこ)神社」
へ
こちらの神社境内には七つの神社が集合しており、各神社を参拝してから賤機山に向かった。
賤機山古墳に8時半着。 古墳は静岡平野の中心部に突き出た尾根の、賤機山南端に造られています。 葬られた人物は特定できていないようですが、6世紀後半に この地方を治めた有力な豪族の墓と考えられています。
古墳の形は、直径約 32m・高さ約7mの円墳で、内部には巨大な横穴式石室が造られ、石室内には遺体を納めた家形石棺が置かれています。
古墳から尾根道を少し上がった所に「麓山(はやま)神社」が鎮座。 こちらは山をつかさどる神、大山祇命(おおやまつみのみこと)を主祭神とし、日本武尊を配祀しています。 山を歩く者として必ず❝大山祇命❞を祀る神社は参拝をしています。
古来、賤機山上に鎮座され、「山宮」と称された麓山神社に安全登山の祈願をし、尾根を北上する。
8時 50分、登山道の右手が開け北東方向の雲の切れ間に富士が望めた。
9時丁度、第二次世界大戦の戦没者の菩提を弔う救世観音菩薩像に到着。 清水市は、昭和 19年 11月5日や昭和 20年6月 19日に大型長距離爆撃機 B-29により
大空襲を受け、壊滅状態となりました。
そしてここ静岡市随一の名勝地賤機山の聖地に御霊の冥福と共に静岡市民の安泰と子孫繁栄、曳いては世界人類の平和と幸福を念願し建立されたとのことです。
礼拝後、更に尾根を北上した。 この尾根は静岡平野に突き出た尾根であり西風が
強く、花粉症の方でしょうか? マスクやゴーグルをつけ頑張って歩かれていました。
低山なので沢山の方が歩かれる様で登山道はハッキリしていました。 ただ尾根上には、低山とは思えない立派な大木が連なっていました。
9時 22分、賤機山(標高 171m)山頂にある 「賤機山城跡」に到着。 賤機山城は南北朝の動乱期(14世紀)に北朝方の今川氏が安倍川西岸の安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏に備えて築き、南北朝期以後は今川館の詰城となり、永禄 11年(1568)には武田信玄の駿府進攻によってその支配下へ、更に天正 10年(1582)の徳川家康の駿府入りにより廃城となったとのことです。
城は南北に続く賤機山の主尾根上及び、そこから派生する支尾根上に築かれており、範囲は東西約400m、南北約600m以上にわたり、要所には尾根を横切る形で大小の堀切が設けられ、敵の容易な侵入を防ぐ形の様です。
時間的に早かったので、更に北上した。
10時、静清バイパスを越えて見晴らしの良い場所に出た。安倍川の上流を望む。
何の標示もなく、この先は同じ様な尾根歩きが続きそうなので引き返すことにした。
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