素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲氷の横谷渓谷へ▲

2012年02月29日 | 冬の風景

日曜日、朝食を取りながらテレビを見て急に思い立ち、滝の氷瀑を見に行こうと決定。直ぐに準備を開始した。   

準備と言っても一寸したハイキングなので、防寒対策とアイゼン・ピッケルだけを用意した。                                                                                                                                        この時期は狭い渓谷に入ると日の落ちるのも早いので、急いで9時に出発した。

方向は山梨方面、走りながら目的地を探した。                                                                      写真撮影の時間も考慮しなくてはいけないので、西沢渓谷や尾白川渓谷では時間が足りない。                                                                                                              その時、何年か前の紅葉の時期に訪問した『氷瀑群の案内』を思い出し、そうだ蓼科の横谷渓谷が良いと決定。

蓼科までは距離があったけれど、渓谷自体は3時間もあれば往復できるので、直ぐカーナビを高速利用の最短距離に設定し一路目的地へ急いだ。

横谷峡入口の温泉街に12時半到着。                                                                                    当地と違い道路以外は雪が沢山あり、気温は低く人がいない。                                          直ぐ出発の準備を開始し温泉街を抜け渓谷に取りついた。

横谷渓谷の川は渋川と言い距離は短いが登りがきつい。                                                    この時期は例年では遅いけど、今年は少々寒さが長引いているので期間的に長く見られそうである。                                                                                       歩き出してすぐ左手に木戸口神社が見え、過ぎた右手の所に横谷峡遊歩道への下り階段がある。その階段の降り切った所に最初の乙女滝である。                                         この滝の回りは凍り付いていたが、滝自体は普通に流れ落ちていた。

そこからは渋川の右岸を上流に向かい徐々に高度を上げて行く。

今年は何度も降雪があったようで、遊歩道の表面は雪であるが踏み込むと下はガチガチの氷。                                                                                                                                   不用意に足を出すと、すってんころりんと一本取られそうな道であり、ピッケルで突き割りながら登り、帰りは安全を期してアイゼンを装着し確実に下った。

暖かい時期なら、一滴一滴の滴や小さな流れ、それに滝などは何気なく見過ごしてしまう事が多いけど、この冬に限っては「エッ」とビックリするような感動を与えてくれるので、危険かなと思いつつ足が向いてしまいます。

今回は名のある「乙女滝」・「霧降の滝」・「王滝」のどれも完全凍結はしていませんでした。時期が遅かったのかもしれません。

けど屏風岩の氷瀑は迫力があり素晴らしかった。                                                               あと名も無い所の樹林が氷に包まれ、ドロリとしたアメーバが垂れ下がっているような感じの所も見られました。その氷はブルーでとても綺麗でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なら瑠璃絵

2012年02月25日 | 古寺巡礼

京都では大分前から、夜間拝観の催しが行われていました。                                                              3月の中旬頃に平安神宮の大鳥居から神宮道、ねねの道、二年坂、三年坂を経由して清水寺までの《東山花灯路》。                               そして12月の中旬には嵐山・嵯峨野一帯で《嵐山花灯路》が開催されており、昼間と違った幻想的な京都が味わえます。         

今回は奈良でも夜間拝観ができる事を知り、出かけてみました。

午前中は西ノ京の『秋篠寺』・『西大寺』・『薬師寺』そして聖徳太子ゆかりの斑鳩(いかるが)の里で『法隆寺』・『中宮寺』を参拝しました。                意外と時間がかかり東大寺南門駐車場に15時到着。                    明るいうちに奈良公園を一回り散策。                                                            南大門付近で鹿煎餅をねだる、人に慣れ過ぎた鹿を避け、他の所で静かに遊んでいる鹿を遠くから眺めた。

大仏池から正倉院そして二月堂へ歩を進めた。

                                                                                              大仏池から東大寺大仏殿と若草山を望む景色も、のどかで雄大な奈良公園を満喫できる。正倉院は工事中でした。                              大仏殿の北側から二月堂へ向かう参道は土塀に囲まれた石畳の美しい小道で、のんびり散策にはピッタリである。

懸崖造りの『二月堂』は舞台からの奈良市街が一望でき、その眺めが素晴らしい。   3月には奈良時代から一度も絶えることなく続けられた伝統行事、修二会(しゅにえ)の一環である「お水取り」と「お松明」が行われ、その準備も進んでいました。

17時半頃からライトアップが始まり、冷え込みも増し、万全の態勢を整えた。

《しあわせ回廊なら瑠璃絵》は早春のこの時期に夜間特別拝観を実施して下さる『東大寺』・『興福寺』・『春日大社』と言う奈良を代表する三社寺を幻想的な光の道でつなぎ美しい瑠璃絵の世界に導いてくれるものです。

それぞれの社寺で手を合わせて頂くことで、心が洗われ、幸せが訪れることを、そしてその小さな祈りの数々が大きな平和の祈りとなって世界に届くように、瑠璃色の星がいつまでも美しく輝くようにと、願いを込めて実施したとの事です。 (パンフレットより) 

 夜参り提灯(ちょうちん)と言う、参加者全員が提灯を持って、なら瑠璃絵案内人の方の説明を受けながら会場内を散策するという企画もあり、夜で奈良公園に不慣れな方には本当に助かります。

私は東大寺大仏殿の西にある、仏教の戒律を授けるための場所で鑑真和上の来日を機に建立されたと言う『戒壇堂』を参拝しました。                   ここには国宝の四天王立像(持国天・増長天・広目天・多聞天)が安置され、見学してきましたが、今にも動き出しそうな躍動感があり、夜間拝観の薄暗い照明で見るのは怖いですね。                                                                            悪い奴を踏みつけた立像ですが、四天王とも高さが160cm以上あり、大きさから言っても怖いですよ。

次に参道を春日大社に向かいました。                         参道の両脇にある石灯籠には和紙が貼られ中に和ロウソクが灯され、ほんのりとオレンジ色に光り、雰囲気は満点でしたが広い参道には暗過ぎるように感じました。

写真撮影を目的に出かけましたが、大失敗。電池切れでした。           基本的な事で自分を怒るに怒れず、「味噌おでん」や「しあわせココア」など味わい帰途につきました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★斑鳩(いかるが)の法隆寺★

2012年02月22日 | 世界遺産

法隆寺は姫路城や屋久島、白神山地と並び日本の世界遺産第一号であり、その建物が美しく後世の建築に大きな影響を与え、日本仏教史でも重要な役割を果たしたと言う事が、世界遺産に登録された理由だそうです。

 世界最古の木造建築として有名な法隆寺は用明天皇が自らの病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願しましたが、その実現を見ないまま崩御され、その遺志を継がれた推古天皇と聖徳太子が、推古15年(607)に寺とそのご本尊『薬師如来』を造られたのが、この法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えられています。

現在、法隆寺は五重塔・金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。

広さ約18万7千㎡の境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、沢山の宝物類が伝来しています。                    国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいるそうです。                                このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に伝えています。

 金堂 (飛鳥時代)                                                                                    法隆寺の御本尊を安置する聖なる殿堂が金堂で、威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子の為に造られた『金銅釈迦三尊像』(飛鳥時代)、太子の父君用明天皇の為に造られた『金銅薬師如来座像』(飛鳥時代)、母君穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の為に造られた『金銅阿弥陀如来座像』(鎌倉時代)、それを守護するように、樟(くす)で造られた我が国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています。          その他、木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安時代)が安置されているとの事です。

 五重塔 (飛鳥時代)                                                                                       塔はストゥーパとも言われ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。                           高さは約32.5m(基壇上より)で、我が国最古の五重塔として知られています。

 百済(くだら)観音堂                                                                                   秋篠寺で伎芸天立像と言う優婉な姿を見学いたしましたが、この法隆寺にも素晴らしい立像が見られました。それは『百済観音菩薩立像』。               百済観音像(飛鳥時代)と呼ばれていますが、我が国の仏教美術を代表する仏像として世界的に有名であります。                             また、日本の仏像には珍しい八頭身のすらりとした姿と、優美で慈悲深い表情は多くの人々を魅了しています。

 夢殿(奈良時代)                                                                                   西暦601年に造営された斑鳩宮(いかるがのみや)跡に、行信僧都(ぎょうしんそうず)と言う高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮(じょうぐう)王院といいます。その中心となる建物が、この夢殿です。                                                                         八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身の秘仏『救世(くせ)観音像』(飛鳥時代)を安置し、その周囲には聖(しょう)観音菩薩像(平安時代)、聖徳太子の孝養像(鎌倉時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の修理をされた道詮(どうせん)律師の塑像(平安時代)なども安置しています。                                                                                        この夢殿は中門を改造した礼堂(らいどう)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える聖徳太子を、供養するための殿堂としてふさわしい神秘的な雰囲気を漂わせています。

法隆寺参拝パンフレットより

 

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西ノ京『薬師寺』参拝

2012年02月20日 | 世界遺産

薬師寺は天武天皇が680年に皇后(後の持統天皇)の病気回復を願って建立を発願されたとの事です。 

                                                                                              以来1330年を経過、この間、幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火で東塔(国宝・白鳳時代)を除いた諸堂が焼失し、また廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で荒廃した薬師寺の伽藍は現在よみがえりつつあります。

東塔(730年建立)は1280年の疲れから最上階の屋根から雨漏りが見つかり、解体修理が行われております。                           当初より現存する唯一の塔であり、完成は2018年12月の予定ですが楽しみに待ちたいと思います。

参拝すると朱色に塗られた綺麗な白鳳伽藍に驚かされます。

この美しい白鳳伽藍が見られるのも、先々代の高田好胤(たかたこういん)管主が、檀家をもたない薬師寺復興の為に一般の人々から写経永代供養料を日本全国行脚により集められました。

それは1968年に始まり8年で100万巻、10億円に達し、金堂の再建に当てられたそうです。現在も写経勧進は続いています。

「一文字一文字心を込めて写経することは、仏像を刻むのと同じこと。本来もつ清浄な心を写経によって取り戻す」と説かれ、それを求めた宗派を問わない人々の思いが集まったのだそうです。

高田好胤管主は98歳で亡くなられましたが、生前、修学旅行生にユーモアたっぷりの法話をされたり、テレビにも出られたようです。

私たちも、金堂の薬師三尊像(国宝)の横で、お寺の方から上記のお話を面白可笑しく聞かせて頂きました。                               薬師寺の方は皆さんユーモアある方が多いようです。                  三尊像様は薄い天衣しか羽織っていませんが風邪をひきません。と話されながら袈裟の中からハンカチを出して鼻水を拭かれていました。                     外は日差しがあれども、堂内は風通しが良く、凄く寒かった。

一文字書写するお写経を自宅で行い、薬師寺に送り納経して頂けると聞き、私も般若心経を1巻申し込みました。                               本来であればお写経道場で書写し納経すれば良いのですが、寒さで手足が震え、自宅でやることにしました。

境内を出てからは、日差しのある分暖かく感じ、ぶらぶら薬師寺の南西にある大池の回りを散策しました。                                大池越しに伽藍が遠望でき、更に金堂の左手に東大寺の大仏殿も望め、奈良の都の大きさに感動しました。

また、現在解体修理中の東塔は、しっかりと保護建屋に納まり、今から7年後によみがえった姿を見せてくれます。                                      その時は是非とも再訪問してみたい。 

                                                                                        『東塔』は西塔同様に屋根を数えれば六重塔にみえますが、三重塔との事です。                                           これは各層それぞれに裳階(もこし)と呼ばれる本体の屋根の木組を守る補助的な庇(ひさし)をつけているためで、その連続性が塔ののびやかさを一層際立たせているとの事です。 高さは33.6m。 再建の西塔は少し高く36m。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伎芸天立像の秋篠寺へ

2012年02月19日 | 古寺巡礼

いにしえの大和路を歩いて見た。 奈良市街から見ると西の方向である。

以前にも参拝に伺ったことがありましたが、朝早く散歩がてらであり境内に入る事が出来ず、今回再訪問してみた。

奈良公園と違って秋篠町は清閑な所です。                        秋篠寺近くは古い民家のあいだの狭い道を進むが、バス通りであり角々に誘導員の方が待機され支障なく駐車場に入る事が出来た。

駐車場からは東門が近いのですが、参拝は9時半からであり、ぶらぶらと南門に回った。こちらは車道から離れているので清閑とした境内の雰囲気が味わえる。

南門を入ると両側には高い樹木が鬱蒼として、この時期ではひんやりとしており、一層神聖な境内を感じた。                               歩を進めると木漏れ日が庭園の緑苔をより綺麗に引き立てていた。

受付から進むと、すぐ右手に端然として気品のある本堂の佇まい、パッと見て唐招提寺の金堂を小さくしたような建物に感じた。                    創建当初は講堂として建立されたが、金堂の焼失以後鎌倉時代に大修理を受け、以来本堂と呼ばれているようです。                                事実上鎌倉時代の建築と考えるべきであるが様式的に奈良時代建築の伝統を生かし単純素朴の中にも均整と落ち着きを見せる純和様建築として注目されているとの事です。  (パンフレットより)

秋篠寺の御本尊は薬師如来坐像ですが、このお寺が世に知られるようになったのは本堂内に安置されている『伎芸天立像』(ぎげいてんりつぞうだそうです。                   その美女をじっくりと見て来ました。

本堂に向かって左手の側面から堂内に入る。                          堂内は薄暗く石の土間で、左側に諸仏がずらりと並んでいる。                            秋篠寺の名を高めた『伎芸天立像』 こころもち首を左に傾け、伏し目がちに微笑む顔立ちと胸を大きく広げて、天衣を羽織った体軀(たいく)がまことに優婉で見入ってしまいました。

《漢訳密教経典「伎芸天念誦法」より》                                                                         あるとき天上では、大自在天王(シバ神)が大勢の天女たちに囲まれて、天界の音楽や踊りを楽しんでいた。                                すると忽然として、大自在天王の髪の生え際から一天女が生まれ出た。          その容姿の端麗なことはもとより、伎芸に秀でていることは、並み居る天女たちの遠く及ぶところではなかった。                               居合わせた天人天女たちは一斉にその勝れた才能を称えて、彼の天女を伎芸天と呼んだ。                                       伎芸天は、多く集まった天人天女たちの中に立って、「もし、世に祈りを込めて田畑の豊作や、人生の幸せや、家庭の裕福などを願うものがあれば、私がその願いをことごとく満足させよう。また学問や芸術に関する願いを寄せる者には、その祈願を速やかに成就させよう。」と語られたそうです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大雄山最乗寺節分豆まき祭

2012年02月03日 | 伝統行事

道了さんの愛称で親しまれている大雄山最乗寺で、2月3日に毎年開催される『節分豆まき祭』に無病息災を願い、足を運んでみた。

大雄山最乗寺は、曹洞宗に属し全国に4千余りの門流をもつお寺だそうです。 

                                              御本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、脇侍仏(わきじぶつ)として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏万民富楽を祈ると共に、真人打出の修行専門道場との事です。

                                                                                   開創以来6百年の歴史をもつ関東屈指の霊場として知られ、境内の山林130町歩、老杉茂り霊気は満山に漲り、堂塔は30余棟に及ぶようです。

この日は街中で外気温5~6℃。山中である最乗寺の池は凍りつき、寒さが肌を刺すようであった。

13時半より御真殿で節分の大祈祷が行われ、14時石附周行山主の前後に多くの僧侶や山伏が列をなし御真殿から本堂へ移り、本堂前や本堂内の特設舞台で『福は内、福は内』と威勢の良い掛け声が境内に響き渡った。

さて、皆様のお宅では豆まきをされましたか                                                                    神社やお寺では、その年の干支生まれの年男・年女の方々が、集まった人々を前に豆まきを行ったりします。

ちなみに、『鬼は外、福は内』と大声で豆をまくのは、季節の変わり目に、鬼などの妖怪や悪霊が集まり、疫病や災いをもたらすと考えられていたためで、豆をまくことによって自分の家から鬼を打ち払おうとしたのだそうです。

煎った豆は福豆と呼ばれ、その豆をまき、自分の年齢の数だけ食べることで、邪気を追い払い、病に勝つ力がつくと考えられていました。

もともと、節分とは、立春、立夏、立秋、立冬など、季節の改まる前日のことを呼びましたが、次第に立春の前日だけを節分と指すようになり、この節分を境にして、暦の上では翌日から春と呼ぶようです。

 「しきたり」につきましては一部青春新書『日本人のしきたり』飯倉晴武編著を参考にさせて頂きました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする