素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

特別公開“飛雲閣”参観

2010年11月23日 | 史跡・名勝探訪

以前より1度は見てみたいと思っていた『飛雲閣』の特別公開をパンフレットで知り、運良く公開日程が平成22年11月3~14日(日)であり、朝一で訪問した。

皆さんは飛雲閣がどこに有るか、ご存知ですか  

そうなんです。西本願寺の境内東南の隅にある滴翠園(てきすいえん)に建つ三層の楼閣です。

こんな事を言っても、私自身も知りませんでした。                 ただ、西本願寺は京都駅から近いし、早朝から参詣ができるし、他の寺院に比べてスケールが大きいのです。

浄土真宗本願寺派の大本山。正式には本派本願寺と言うようです。        通称名が「西本願寺」。

                                            親鸞聖人の娘、覚信尼(かくしんに)が現在の知恩院に廟(びょう)を移して御影堂(みえいどう)としたのが始まりと伝えられています。                     境内には国宝の唐門、飛雲閣や重要文化財の御影堂などが並んでいます。

飛雲閣(国宝)について    本願寺解説書より                                飛雲閣は、境内の東南隅にある滴翠園の池に建つ三層杮(こけら)葺きの楼閣建築です。                                 初層は唐破風(からはふ)と入母屋(いりもや)を左右に、二層は寄棟造りを中心に千鳥破風や唐破風を配し、三層は宝形造りと実に変化に富んだ屋根を持ち、左右非対称ながら巧みな調和を持つ名建築として知られています。                                      豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい)の遺構とも、本願寺の御亭の発達したものとも言われています。

一階は主室の招賢殿(しょうけんでん)と八景の間、舟入の間、さらに後に増築された茶室「憶昔」(いくじゃく)からなります。                        二階は歌仙の間、三階は摘星楼(てきせいろう)と呼ばれる展望室で、全体に外に向かって開かれ、庭園と一体となった構造になっているようです。  

飛雲閣は撮影禁止ですが、境内を出て堀川通りで買物中に三階の摘星楼を発見した絵がこれです。

 西本願寺には唐門(国宝)が境内南端にあります。                 桧皮葺(ひわだぶき)の四脚門。伏見城から移したと伝わり、随所に豪華な彫刻と飾り金具が施され、丹念に見ていると日が暮れるのを忘れることから、日暮門とも言われています。この唐門はいつでも拝観できます。

 

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☆桂離宮参観☆

2010年11月19日 | 京都の四季

 一度見てみたいと何回も参観手続きをし、やっと参観許可が頂けた。        去年の夏には京都御所を参観し、宮内庁が管理する5つの内2ヵ所を見る事が出来た。 あと、皇居・仙洞御所・修学院離宮があり、順次参観したいと考えている。

その参観許可ですが、簡単には中々頂けないんですよね               日本庭園として最高の名園であり、国内外を問わず人気が高いのに驚きました。

桂離宮については、教科書の写真で見た程度で詳しい解説書を見た事も無く、どこかに日本人の心が見えるのではと思い心躍らせて訪問しました。              以下の説明はパンフレットからの抜粋です。

桂離宮は御陽成天皇の弟、八条宮初代智仁(としひと)親王により、宮家の別荘として創建されたものだそうです。                             他では長い歴史の中で、ほとんどの寺社仏閣が火災に遭ったりしていますが、桂離宮は創建以来永きにわたり火災に遭うこともなく、ほとんど完全に創建当時の姿を今日に伝えている。

総面積は付属地も含め約6万9千㎡余りである。                  中央には複雑に入り組む汀線(ていせん)をもつ池があり、大小五つの中島に土橋、板橋、石橋を渡し、書院や茶室に寄せて舟着きを構え、灯籠や手水鉢を要所に配した回遊式庭園と数寄屋風の純日本風建築物とで構成されている。

苑路を進むと池は全く姿を消したり、眼前に洋々と広がったり、知らぬ間に高みにあったり、水辺にあったりしてその変化に驚かされる。                また、桂離宮には真(しん)、行(ぎょう)、草(そう)の三つの飛び石があり、庭の敷石で長方形の切り石と自然石とを組み合わせた延段や飛び石の変化を楽しみつつ、入江や洲浜、築山、山里等もあり、それぞれが洗練された美意識で貫かれ、晴雨にかかわらず四季折々の映し出される自然の美には感嘆尽きることを知らない。

作庭に当たり小堀遠州は直接関与していないとする説が有力であるが、庭園、建築ともに遠州好みの技法が随所に認められることから、桂離宮は遠州の影響を受けた工匠、造園師らの技と智仁(としひと)親王及び智忠(としただ)親王の趣味趣向が高い次元で一致して結実した成果であろう。

京都御所、京都大宮御所、仙洞御所、修学院離宮と共に皇室用財産(国有財産)として宮内庁が管理している。

参観中に何度も案内役の方が申しておりましたが、桂離宮は写真集等を見て頂いても本来の価値や良さは判りません。                           1度と言わず2度、3度、5度と是非またご参観下さい。と重ねて申しておられました。

確かに1つの景色の説明を受けている時は、次に進む隣の景色は見えないように大きな木や塀で隠され、広い敷地内と言えども1ヶ所で全体を見渡せる場所は無いとの事です。

それは確かに四季折々の桂離宮を誰しも見てみたいと思いますが、根気良く何度も参観手続きを行わないと参観出来ないと言うのが、唯一の欠点ですね。           参観希望の方は希望日の3ヶ月前の1日からです。              根気良く何度も出しましょう。

 

 

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洛南『東福寺』参拝

2010年11月17日 | 古寺巡礼

紅葉と新緑の美で知られる京都最大級の寺院『東福寺』を訪ねた。

燃えるような紅葉には、まだまだ早いが庭園をノンビリ見学してみようと考えた。

東福寺の創建は古く鎌倉時代。                          ときの摂政関白:藤原(九條)道家が、南都東大寺と興福寺から「東」と「福」の二字をとり、九條家の菩提寺として造営されたとの事です。

塔頭25カ院に囲まれて、三門・仏殿・方丈などの伽藍を配した大寺。

境内に架かる通天橋はカエデ茂る峡谷を跨(また)いで、秋は京都屈指の紅葉の名所として、また昭和の作庭家「重森三玲」(しげもりみれい)による方丈庭園も知られるところです。

そんな事で通天橋からの紅葉は、これからが本番のようです。            境内を一巡してから中央にある方丈の四方に作られた庭園も素晴らしく見学した。

パンフレットには長々と難しい言葉で説明されているが、簡単に見ると南庭は白砂に石組と築山を配した枯山水。                              西庭はサツキの刈り込みと砂の井田市松(せいでんいちまつ)。                北庭は敷石と苔の小市松。                            東庭は石を配した北斗七星。それぞれ趣が異なり《八相の庭》と名付けられています。 

 日当たりの良い方丈の縁に腰掛け、のんびり枯山水の眺めを楽しんでみた。

 

 

 

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街中のオアシス《梅小路公園と蒸気機関車館》

2010年11月15日 | 史跡・名勝探訪

京都駅中央口から西へ800m程のところに、平安建都1200年を記念して整備された府民憩いの庭である梅小路公園に寄ってみた。

小さい子が走り回るには安全で最高の公園である。

芝生広場のほか、池泉回遊式の朱雀の庭と木々や小川で実際の自然環境を再現した「いのちの森」があり府民の憩いの場となっている。

また、隣り合わせに蒸気機関車の歴史を保存する博物館が併設されている。           正式名は『梅小路蒸気機関車館』

ここは、1972(昭和47)年に日本の鉄道開業100周年を記念し、貴重な交通文化財である蒸気機関車を末永く後世に伝えるため、博物館として誕生したとの事です。

 

公園で遊んでいたら横を蒸気機関車が走り抜けて行くので、尋ねたら誰でも乗車できると聞き、昔の懐かしさを感じ乗車してみた。                           石炭の燃えた黒い煙、そのススの香りが何とも言えない郷愁を感じた。

機関車展示館外には、扇形車庫に勢ぞろいする蒸気機関車、SLがダイナミックに向きを変える転車台、線路を勇壮に走るSLスチーム号、SLの知識がいっぱい詰まった展示品、そして明治の雰囲気を色濃くかもし出す旧二条駅舎により、日本の鉄道の歴史と鉄道文化を運転席に座ってみたり実際に体験できることで、子供より大人が興奮してしまう世界でした。

東海道本線の国府津駅、御殿場線の山北駅、共に昔は国鉄の町として栄えた時期がありました。                                     そこには扇形車庫も転車台もありましたが、当時は近寄って見る事など出来ず、子供の時に線路を横切るだけで時間が掛かり、子供心に「広いな~ッ、大きいな~ッ」と感じた記憶がよみがえりました。

 

 

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