素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

ころ柿の里を巡る。

2007年12月02日 | 史跡・名勝探訪

今年の8月に大菩薩峠登山競争に参加した関係で、甲州市役所・観光課から秋の甲州へ、是非「遊びにこーし」と沢山のパンフレットを送って頂き  ました。                                        山梨は別名「フルーツやまなし」と言われるほど、年間を通してブドウ・モモ・リンゴ・イチゴ・サクランボ・スモモ・ブルーベリーが有り、そして柿があ ったんですね。                                       私は柿にビックリ。パンフレットにも 「甲州ころ柿」の写真が出ていました。       青空に映える干し柿の写真が素晴らしいんです。是非見てみたいと思い 出かけてみました。                                                       中央本線の塩山駅に行って観光案内で聞けば、場所を教えてくれるだろ うと思っていたが、何と観光案内が見当たらずガッカリ。                           裏駅には武田信玄公が居られ、甘草屋敷が見えたので寄ってみました。

    甲州民家の代表的建造物                                   旧高野家住宅 「甘草(かんぞう)屋敷」。                    江戸時代に薬用植物である甘 草の栽培をして幕府に納めていた家で、19世紀初頭の建築の大型民家で、優れた美観を呈しており、茅葺切妻造り民家である「大和棟」や「合掌造り」にはみられない、甲州地方の特色を遺憾なく発揮した建物だそうです。 

その後に恵林寺に寄ってみました。                       パンフレットで見ると、どうも恵林寺 付近が「ころ柿の里」と言うようなので、恵林寺の駐車場に車を置き、まず 恵林寺を参拝。                                     『安禅不必須山水(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず)、滅却心頭火自涼(しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし) 』の門標が掲げられた三門を通り、  庫裏の受付へ入ったら正面に力強い毛筆で書かれた「風林火山」の 屏風に驚きました。 

     乾徳山 恵林寺                                          武田信玄の菩提寺として知られる臨済宗妙心寺派の名刹。                    三門に掲げられた「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」は信玄公が没 した後、織田軍の焼き討ちにあった際、快川国師が言い残した有名な 言葉です。           そののち徳川家康により再建され、庭園は京都の天竜寺、西芳寺(苔寺)と並ぶ夢窓国師の代表作で、国の名勝となっているとの事です。折角の庭園も紅葉は既に遅しでした。

参拝が終わってから恵林寺近辺の松里地区を歩いてみました。           確かに、この地区の中は柿の木が多いのにビックリ、規模の大小はあり  ますが、ほとんどの家で干し柿を見かけました。ただ見学用でなく商品として作られているので、絵になるような場面は少なく残念でした。                        歩いた最後に高橋山「放光寺」を参拝し、恵林寺に戻りました。

帰りに御土産物屋さんをのぞき、そこの近辺案内図に「枯露柿」見学できます。と表示されているのを発見、近くでしたので寄らせて頂きました。             そこは岩波農園さん。自分でも「これだ」と思い満足しました。ご覧ください。 

          ころ柿(枯露柿)                                        ころ柿と言う名は、柿を乾かす時まんべんなく陽が当たるように、コロコロ位置を変える作業をする事によると言われています。                       武田信玄公の時代に奨励され、美濃の国から蜂屋柿を移植して増産をはかったそうです。 

松里地区では気象条件が適している事などから甲州百目(百匁)柿を中 心に、ころ柿づくりが盛んで11月から12月にかけて、民家の軒先に吊る されたころ柿のすだれは甲州を代表する風物詩になっているようです。  

コメント
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