今年の8月に大菩薩峠登山競争に参加した関係で、甲州市役所・観光課から秋の甲州へ、是非「遊びにこーし」と沢山のパンフレットを送って頂き ました。 山梨は別名「フルーツやまなし」と言われるほど、年間を通してブドウ・モモ・リンゴ・イチゴ・サクランボ・スモモ・ブルーベリーが有り、そして柿があ ったんですね。 私は柿にビックリ。パンフレットにも 「甲州ころ柿」の写真が出ていました。 青空に映える干し柿の写真が素晴らしいんです。是非見てみたいと思い 出かけてみました。 中央本線の塩山駅に行って観光案内で聞けば、場所を教えてくれるだろ うと思っていたが、何と観光案内が見当たらずガッカリ。 裏駅には武田信玄公が居られ、甘草屋敷が見えたので寄ってみました。
甲州民家の代表的建造物 旧高野家住宅 「甘草(かんぞう)屋敷」。 江戸時代に薬用植物である甘 草の栽培をして幕府に納めていた家で、19世紀初頭の建築の大型民家で、優れた美観を呈しており、茅葺切妻造り民家である「大和棟」や「合掌造り」にはみられない、甲州地方の特色を遺憾なく発揮した建物だそうです。
その後に恵林寺に寄ってみました。 パンフレットで見ると、どうも恵林寺 付近が「ころ柿の里」と言うようなので、恵林寺の駐車場に車を置き、まず 恵林寺を参拝。 『安禅不必須山水(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず)、滅却心頭火自涼(しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし) 』の門標が掲げられた三門を通り、 庫裏の受付へ入ったら正面に力強い毛筆で書かれた「風林火山」の 屏風に驚きました。
乾徳山 恵林寺 武田信玄の菩提寺として知られる臨済宗妙心寺派の名刹。 三門に掲げられた「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」は信玄公が没 した後、織田軍の焼き討ちにあった際、快川国師が言い残した有名な 言葉です。 そののち徳川家康により再建され、庭園は京都の天竜寺、西芳寺(苔寺)と並ぶ夢窓国師の代表作で、国の名勝となっているとの事です。折角の庭園も紅葉は既に遅しでした。
参拝が終わってから恵林寺近辺の松里地区を歩いてみました。 確かに、この地区の中は柿の木が多いのにビックリ、規模の大小はあり ますが、ほとんどの家で干し柿を見かけました。ただ見学用でなく商品として作られているので、絵になるような場面は少なく残念でした。 歩いた最後に高橋山「放光寺」を参拝し、恵林寺に戻りました。
帰りに御土産物屋さんをのぞき、そこの近辺案内図に「枯露柿」見学できます。と表示されているのを発見、近くでしたので寄らせて頂きました。 そこは岩波農園さん。自分でも「これだ」と思い満足しました。ご覧ください。
ころ柿(枯露柿) ころ柿と言う名は、柿を乾かす時まんべんなく陽が当たるように、コロコロ位置を変える作業をする事によると言われています。 武田信玄公の時代に奨励され、美濃の国から蜂屋柿を移植して増産をはかったそうです。
松里地区では気象条件が適している事などから甲州百目(百匁)柿を中 心に、ころ柿づくりが盛んで11月から12月にかけて、民家の軒先に吊る された「ころ柿のすだれ」は甲州を代表する風物詩になっているようです。