丹沢東端のミニ山脈を縦走して来ました。
かつては山岳修験者の霊場だったといわれる峰々には、今もその名残りが色濃い。 狭い稜線などもあるが、そこはまた展望も良く、広葉樹の山肌が新緑や紅葉の時期には格別の趣を見せてくれ、お勧めです。
これから向かう仏果山(標高 747m)と高取山(標高 705m)は樹林に覆われた山頂ですが、どちらにも展望塔が設置され360度の展望が楽しめます。
今回のミニ山脈縦走の南東側に位置する「経ヶ岳」を出発して土山峠分岐に戻った。 土山峠分岐通過、11時 16分。
関東ふれあいの道を 進む。
丸太で作られた階段を登り11時 35分、革籠石山(かわごいしやま)を通過。
仏果山に向かう尾根に入ってピンクのミツバツツジが沢山見られるようになってきた。 周りの遠景が良く見えないので、近くの花々が顔を見せてくれるのが嬉しい。
長い階段やきつい登りが続いても、要所要所にテーブルベンチが設置されているので非常に助かる。
仏果山に近づくにつれヤセ尾根の道となり、バランスに注意する。
山岳修験者がこの一帯を霊場として修法のために歩かれた解説版があった。
山岳修験者のはなし 丹沢山塊のうち経ヶ岳、大山を中心とする一帯は、昔 山岳修験者の修法の霊場であったという。ここより東方の八菅神社(愛川町八菅山)には、入峰者の名称・位・入峰回数などを記録した古文書が残っている。
伝説では大宝3年(703)に役の小角(えんのおづの)が八菅山に来たときから、この地を起点に平山・塩川滝などを経て大山まで7宿 30ヶ所を、おおよそ 49日間かけ加持祈祷を唱えながら修法を行っていたという。 煤ヶ谷(清川村)の人々は修験者が行の途中で村に入ると進んで接待を申し出たり「願い事が叶えられる」という事から、特に行中で使用した草鞋(わらじ)などを所望したと伝えられている。 また、この修法は明治維新の神仏分離令によって廃止されたとのことです。
仏果山山頂まで、あと 400mの案内板が見えた。
あと 400mの案内板を過ぎてから、修験者の霊場という雰囲気の険しい道となった。
不思議と危険な場所には綺麗な花が良く見える。 ヤマブキ
気を抜かずに必死で登っているのを優しく見守っていてくれる気がする。
危険だが誰もいないのでノンビリお花見もできて楽しい。 ミツバツツジ。
可憐なタチツボスミレ。
キョロキョロしながら登っていたら目的の仏果山山頂に出た。12時半丁度。
可愛いお地蔵様が迎えてくれた。
山頂自体は雑木林の中で見通しは悪いが、そこに巨大な展望塔が設置されており、天気が良ければ展望最高である。
折角なので展望塔に上がり、眼下の宮ケ瀬湖が少し見えた。
曇天で風も無く寒くも無かったので、山頂で 40分もノンビリした。 13時 10分、高取山へ向かう。 仏果山から高取山へ向かう尾根は登って来た時の厳しい登山道とは違い安心して下れた。
宮ケ瀬越通過、13時 35分。
宮ケ瀬越からは 500m少々の登り、しっかりした登山道であった。
高取山到着、13時 50分。 山頂は北東側に樹木が無く全体的に仏果山より明るかった。
仏果山と同様な立派な展望塔が設置されていた。
テーブルベンチも沢山あり、大人数でもノンビリできる山頂を単独貸切と贅沢が出来た。
15分の休憩で14時 05分、下山開始。宮ケ瀬越まで戻る。
宮ケ瀬越通過、14時 15分。 その近くでタコの様なものが沢山あるのに気付いた。なんだろう
宮ケ瀬越から仏果山登山口バス停への下りは木製階段は有れど、岩やガレ場はなく快調に下れた。
下山途中でウラシマソウを見掛けた。 マムシグサにも似ていて見かけるとドキッとする。
下山口近くで見かけた登山届提出ポスト。 登山届は必ず提出しましょう。
14時 55分、宮ケ瀬湖湖畔にある仏果山登山口バス停に無事下山。ヤマブキの出迎えを受ける。
ここから大棚沢広場駐車場まで直ぐで 15時丁度に到着。 お疲れ様でした。
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