今回は新しく開通した圏央道から関越、上信越を経由し、北陸自動車道の立山ICを降りた。立山有料道路が6時開門で、それまで途中の道の駅で時間調整をした。 室堂までは入れないと思っていたが観光バスは室堂バスターミナルまで入れるのを初めて知った。 本降りの雨でありバスターミナル入口に横付けしてくれた。7時10分到着。 トイレ、身支度を20分で済ませ7時30分出発。 私は先に外に出て待機したが、濃霧で100m先が、やっと見える程度で、回りの山々は何も見えなかった。
今回の参加者は全23名。 いつも通り私は最後尾を担当。 濃霧の発生により休憩の都度、人数の確認を励行した。 室堂の遊歩道は晴れていれば問題は無いのだが、今日の様に濃霧の場合、初めての方には特に注意をした。
みくりが池通過、7時45分。 今年は雪が多く、池の周りはまだ雪に覆われていた。
登り下りを繰り返す遊歩道を雷鳥平に向け進み、雷鳥沢ヒュッテ通過、8時20分。
雷鳥平にある雷鳥沢キャンプ場管理事務所のトイレを借り、10分休憩。 周りには残雪がアチコチに見られた。
浄土沢の木橋を通過、8時45分。
少し行くと剱御前小舎への道と分かれ、新室堂乗越へは河原を更に進む。 本来であれば大日尾根は高山植物の多いコースなのだが、今年は雪が多く花は寂しかった。
浄土沢から新室堂乗越への取付き地点から急傾斜の雪渓にベンガラで道案内が記され、全員アイゼンを装着した。 常に使用する物でもないので、手こずっている人のお手伝いをした。9時雪渓登高開始。
大日尾根の新室堂乗越着、9時55分。 きつい急登の雪渓であったが女性陣の粘り強さには感服しました。 尾根を西に進み、左手にはガスが消えると今歩いて来た雷鳥平やロッジ立山連峰が伺えた。
奥大日岳(2,611m)まではハイマツや雪渓の中を進み、これと言った危険個所は無かった。 それだけに好天であれば剱岳(2,999m)を眺めながらの稜線ハイキングであるが、今日は残念であった。
奥大日岳の最高地点は(2,611m)であるが、丁度その地点は称名川よりを巻いて最高地点を通らずに三角点のある山頂(2,605m)に向かう。 尾根でありながら池塘がある。
山頂の狭い奥大日岳到着、12時。 周りは真っ白で何も見えない。記念写真のみ撮った。
奥大日岳までは以前に歩いた事があったが、この先大日小屋から称名滝までは初めて歩くコースであり緊張していた。 アルペンガイドでは岩場の急下降、長いハシゴ、急な崩壊地が有ると記されており、厳しい尾根歩きを覚悟していた。
ところが現実はコースの不安よりも気象状況の急変である。 ここまでも雨は降り続いていたが、この辺りから遠く雷鳴が聞こえラジオを点けた。「ガリガリッ」・「ガリガリッ」、ラジオと直に耳に入る雷鳴が段々大きくなり、こんな時に山頂や尾根にいるのは自殺行為に等しいと書かれた本の言葉を思い出した。 こんな時は一刻も早く最寄りの山小屋へ避難することであり、室堂へ引き返すよりも今日の宿「大日小屋」の方が近く前進するのみである。
きついが休憩は控え前進、急に雨粒が大きくなったと感じたら、何と5ミリ大の雹が合羽・岩・木々に当たり飛び跳ねていた。頭上でも雷鳴が鳴り響いた。 この場ではどうする事も出来ず、前を行く皆さんの様子を見ていたが頭の中はパ二クッていた。雹は数分で収まった。
ふと浮かんだのが、昭和42年の西穂高岳独標付近で発生した松本深志高校の落雷遭難事故。避難(下山)中のパーティーに落雷したのである。1人の人に落雷した電流が周りの人に飛び散る「側撃」を受け数名の死者が発生した事故である。
最近はストックを使用している方が多く、それに落ちないよう祈った。不安の余り大声で「間隔を空けて下さい~ッ」と叫んだ。
七福園付近に来たら雷鳴は消え、雨も落ち着いてきた。
それまでは気持ち的に興奮して写真を撮る余裕も無かった。雷については皆と知識を高める必要を感じた。
そんな事で奥大日岳から七福園手前まで、どんな所を歩いたのか記憶にない。 中大日岳(2,500m)に向かう頃は、ガスも上がり周りの景色に目をやる余裕ができた。
大日小屋到着、14時40分。 雨はまた強くなり出したが、皆さん無事でホッとした。
雷の事を思うと、雨など何とも思わない。 小屋に入り横になったら、何も無くて良かったとつくづく感じた。 夕食前に顔を出してくれた剱岳。
小屋の西側にそびえる大日岳。
夕食後はギターを作る職人さんであるオーナーが、下手だけどと言いながらギターで歌を聞かせて下さった。