まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり
以前、京都に毎月通った時、毎回 同じ道では飽きてしまい、早く用事が終了した時は中央道で帰った時がありました。 その時、恵那山トンネル手前の神坂PAでの休憩時、下記の案内図を発見しました。
これは面白いと思い、長時間運転も疲れるので 運動がてらに中山道「馬籠宿」を散歩して来ました。この道を下った先が、神坂PAになります。
地図には徒歩約15分と書いてありましたが、行きは登りでノンビリ歩き 25分程掛かりました。
道路より階段を登り切ると、急に宿場町らしい所に飛び出ました。
神坂PAからは登りなので、上が見えない山の中の道を歩き階段を登り切ったら、目の前に馬籠宿の宿場風景が現れビックリした。 近世、中山道 木曽十一宿の最南端にある宿駅として繁栄したようです。
当時の面影を残す旅籠、民家や石畳が残され、一旅人としてタイムスリップした雰囲気が味わえました。 宿場内の石畳沿いには馬籠本陣跡や藤村記念館が設けられており、立ち寄って来ました。
島崎藤村の生家は馬籠宿の本陣、問屋、庄屋を兼ねた旧家であったそうです。
明治・大正・昭和期の詩人、小説家。父、島崎正樹の四男として生まれ、本名は「春樹」。(1872~1943)
島崎家は正樹で17代目の旧家であったが、藤村の出生時は明治維新に伴う諸改革で没落しつつあり、1881年(明治14)数え10歳で修学のため上京し、泰明小学校を経て明治学院に学び、その間 親戚や知人の家で成長されたとのことです。 キリスト教の影響を受け、自由な雰囲気の中での交友などから文学を志す。
1893年、北村透谷らの『文学界』創刊に参加、透谷の影響を受けた。
卒業後は明治女学校の教師となったが、恋人の死、実家の没落、透谷の自殺などを経験し、苦悩と懐疑の日々を送ったようです。
1896年、仙台の東北学院に赴任、この頃から清新な叙情詩を発表し始め、それらは1897年『若菜集』としてまとめられた。
この藤村生地である馬籠宿は、長編小説『夜明け前』の舞台としても知られています。
主人公、青山半蔵(モデルは藤村の父、正樹)の数奇な生涯を軸として、幕末維新の動乱期を描き、抑圧からの解放を求める「若い生命」の苦しみを浮かび上がらせた歴史小説。
夜明け前 (序の章)
木曽路はすべて山の中である。 あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。 一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。・・・・・
参考書籍:日本歴史大事典
※ ご覧頂き、ありがとうございます。