素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

🏔 天城山シャクナゲコースで戻る 🏔

2024年05月20日 | 日本百名山

日本百名山の天城山 (万二郎岳・万三郎岳)をたどりながら、四季折々の自然を満喫できる人気の周回コースを歩き、天城高原ハイカー専用駐車場に戻りました。

万三郎岳(標高 1406m)で軽い 昼食を済ませ 11時 40分、出発。              山頂から小岳方向の西へ進むと5分ほどで万三郎岳下分岐点に到着。

こちらの万三郎岳下分岐点付近には アマギシャクナゲ が群生しており、天候が回復傾向で陽射しも出てきたので、一寸のんびりシャクナゲを愛でる時間を取った。

分岐の左は小岳(天城縦走路)方面ですが、ここは右に進路を取り涸沢分岐点方向に向かいます。                                                           500段余りの木製階段を下りますが雨により部分的に崩壊しており、濡れているのでスリップにも注意しながら慎重に下りました。

長い下りの階段を過ぎた辺りからヒメシャラやブナの林に変わってきた。

こちらはシャクナゲ コースと名の付いた登山道なのですが、鬱蒼とした樹林帯の中でシャクナゲは見られず、大きな立ち木に棚状で馬蹄形に発達したサルノコシカケが見られました。                                                                                                                                           これはキノコの一種で木を腐らせてしまうようです。

登山道が大分緩やかになって来たら涸沢分岐点に到着、12時半。

涸沢分岐点を通過後、天城山北側の裾野を巻くように斜面の道でアップダウンを繰り返しながら進み、意外と長く感じました。                                         今日は雨上がりですが、苔が生き生きしている様子を見ると常に湿気の多い所のようです。

コケの上にチシオタケの様な可愛いキノコを見かけました。

元気な二ホンヒキガエルさんも登山をしていました。

左側が切れ落ちた斜面で道幅も狭く岩場も多く滑りやすいのでより慎重に歩いた。

天城山麓の北側は鬱蒼とした原生林の中を進む道で、あちこちに巨木を見かけました。    左はブナの巨木、右はヒメシャラの巨木です。

苔むした道が続く。                                      途中で、「シャクナゲコースとなっていたので見に来ました。」という方にお会いし「稜線沿いは満開でしたが、このコースはもう終わりの様です。」とお伝えしたら残念がって帰って行かれました。                                            花の良い時期に来ることは本当に難しいです。

石柱101地点通過、13時 22分。 陽光は僅かしか足元に届かない。

朝9時に通過した四辻を13時 55分に通過、あと20分ほどで天城高原ハイカー専用駐車場に着く。                                          14時 15分、駐車場に無事戻りました。 噓のような最高の天気にびっくり                                 こちらの駐車場には立派な トイレが完備され、入口脇には登山靴洗い場迄設けられ助かりました。

帰りも伊豆スカイラインを利用し、多賀展望所で休憩。

眼下に初島が見えた。 

行く時は 濃霧 が酷く10~20m位しか先が見えず怖い 思いをしましたが、帰りはルンルンでした。

 

 

 

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🏔 雨の天城山 🏔

2024年05月17日 | 日本百名山

ブナの原生林に覆われる伊豆半島の最高峰はアマギシャクナゲやトウゴクミツバツツジの名所であります。

伊豆半島に U字型に延びる尾根の南側の一角に位置する最も高い山が天城山。        その最高点の万三郎岳でも標高 1400mをわずかに超えるだけですが、伊豆半島最高峰にふさわしく大らかな山容を見せ、ブナ林も見事であり日本百名山にも選定されています。

                           

天城高原ゴルフ場の入口左手にハイカー専用の天城高原駐車場があります。         そこを目指して箱根峠に上がり、熱海峠から伊豆スカイラインを利用、酷い 濃霧の中で慎重に走った。駐車場に8時 15分到着。久し振りの雨の中の登山。                                            車内で登山準備を済ませ、8時 45分 出発。

前日からの雨もあり登山道はぬかるみ、木製階段の丸太が滑るので注意して歩を進めた。

雨の樹林帯(リョウブやヒメシャラが多い)の中は薄暗く、深山幽谷の雰囲気満点。     9時 04分、四辻通過。

岩がゴロゴロし、木の根が張り出した道を進む。

また、雨で掘れてしまったヌカル道も多かった。

9時 55分、万二郎岳(標高 1299m)直下の木製階段通過。

急階段だが頑張ってひと登りすれば万二郎岳山頂に出る。10時 03分。            山頂は南側が開けており、そこから万三郎岳を望むこともできるが、この雨で望むことはできなかった。

雨ではノンビリもできず、5分ほどの休憩で次を目指す。                      稜線沿いではトウゴクミツバツツジの大木が迎えてくれた。

ひと下りするとブナやヒメシャラ林のなだらかな稜線を進む。

10時 25分、馬の背通過。

馬の背を越えると、ここから先「アセビのトンネル」の案内板が見えた。

アセビは宮城県以南の本州、四国、九州に分布しています。                常緑低木で、早春から枝先に小さな白い花を多数つけます。また、毒性を持っている有毒植物でもあり、馬が 食べると酔った状態の様に苦しむことから漢字では「馬酔木」と書きます。

                                   

岩場の急斜面に木製のハシゴが架けられ、下ると鞍部に出る。右は下った所を見上げる。

下った鞍部には「石楠立(はなだて)」と書かれた大きな看板に地図や方位案内が標示されていました。 石楠立通過、10時 50分。 

石楠立から天城山の主峰である万三郎岳(標高 1406m)へは、ブナの巨木とアマギシャクナゲが群生する登山道を登って行く。

万三郎岳への登山道脇にはアマギシャクナゲが見え始めた。

アマギシャクナゲはアズマシャクナゲの変種で天城山など伊豆半島の固有種とされ、高さ5mを超える大木も見られ、葉は革質で表面に光沢があります。

温暖化の影響などで、開花は一応5月中旬~6月上旬と言われますが、標高の低い所では既に散っていました。                                              今回は2度目の登山ですが、前回よりも予想以上に稜線上でアマギシャクナゲを見られたことに感激しました。

天城山の最高峰 『万三郎岳(標高 1406m)』 に到着、11時半。山頂に設置された一等三角点。

樹林に囲まれているし、こんな天気でしたので眺望は望めませんでしたが、植物たちが生き生きしており違った楽しい思いが出来ました。

 

 

 

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▲ 足柄峠から矢倉岳へ ▲

2024年05月05日 | ジオパーク

足柄峠は標高 759mの箱根外輪山から派生する尾根上に位置し、静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、古くから官道として防人や旅人の往来も盛んでありました。

また、軍事的にも重要な場所であったため、多くの史跡や遺跡、石仏、文学碑等が残され、その上旅情豊かな風景は訪れた人達の心を離しません。

古代、足柄峠は都と東国とを結ぶ官道でありました。                             大和朝廷の昔、倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲んで「あずまはや~」と叫んだという記述が古事記に所載されています。

足柄峠から富士を望む。

雄大に広がる富士の裾野 御殿場市、その左手には愛鷹山。

雲一つない富士を望んでから聖天堂へ。                                        弘法大師の建立と云われ、本尊は等身大の石仏で秘仏として公開されていません。      福運厄除、縁結びの御利益があるとして参拝者が絶えません。

聖天堂の近くに足柄明神社があります。

ここ足柄明神は 『古事記』 によると、東国平定の帰りに食事をしている倭建命を白い鹿になって襲い、打ち殺された坂の神が祀られています。

足柄の開拓者たちが足柄明神を産土神(うぶすなかみ)として祀った。坂東人(関東地方の人)の誇りを守った古代の英雄なのです。                                          この足柄明神は天慶3年(940)に創建され、後に矢倉岳に遷座され矢倉明神となり、その後に苅野への移転があり、昭和 14年(1939)には足柄神社となり現在に至っております。

足柄明神社跡よりこれから向かう矢倉岳(標高 870m)を望む。 

矢倉岳に向かう途中で、万葉集に詠われた足柄道に関連する7つの歌碑が迎えてくれる「足柄万葉公園」を歩き、しばし万葉人の心に触れて行きます。

足柄の坂は、世に聞こえた荒振る神の棲む坂であった。                      その荒振る神は、坂を旅する異郷の人々にとって、恐ろしい神であっただけでなく、坂の麓で生活する里人にとってさえも、畏み恐れなければならない存在であった。

  足柄の 御坂畏み 曇夜の

        吾が下這へを 言出つるかも

《 あしがりの みさかかしこみ くもりよの あがしたばへを こちでつるかも

【大意】足柄の神の御坂を越えて行くとき、峠の神に手向けして恐れかしこまるあまり、人の隠さねばならない恋人の名前まで、つい告白してしまった。                                人に云うべきじゃないことだのに。

当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず『足柄の御坂かしこみ』と峠の神に手向けせずにはいられなかったというが、往時の森厳さと神秘感寂寥感は今もその名残りをとどめています。

                               

次の詩は、防人が九州防備のために徴用されその任期が3年とされていたが、当時の防人の宿命として再び故郷へ帰ることが困難な時代であった。

  足柄の 御坂に立して 袖ふらば

        家なる妹は 清に見もかも 

《 あしがりの みさかにたして そでふらば いわなるいもは さやにみもかも 》

奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人の任に赴く東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い、心の叫びを詠んでいます。

【大意】足柄の神の御坂に立って故郷に向かって別れを告げる時、家に残して来た妻は、私が力の限り袖を振っているのをハッキリと見ているであろうか❓

                                           こうした万葉人の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸をうちます。

この様に、足柄の坂は日本列島を東西に区分する重要な境界と考えられていました。

                              

足柄峠からは万葉公園を通過すると尾根伝いのアブラチャン並木の中を進みます。      アブラチャンはクスノキ科 で何本も株立ちするのが特徴で、とても分かり易いです。     樹木全体に油分が多く、特に秋の果実は触ると油っぽい感触が伝わります。

尾根道(新ルート)を下り、旧ルートと合流する。

尾根道の下り途中で見られた露頭の「タマネギ石」 。                            地層は泥岩や頁岩(けつがん)などで良く見られ、地層の中に丸い同心円状の岩を「タマネギ状風化」と言います。                                                   また、昼と夜の温度差によって岩石の表面と内面で膨張量の差が出来ることによるヒズミで割れ目が入って起こるともいわれています。

足柄万葉公園から矢倉岳に向かう尾根道の鞍部(上部に送電線が見える。)を過ぎ、矢倉岳本峰の登りにかかる辺りで宝永 噴火で降灰した黒い火山灰を見ることが出来ます。      火山灰の下に見える小石の層は噴火の際に軽いので先に飛んできた軽石の層です。

矢倉岳本峰の登りは樹林帯の中の登りで、直接の陽射しが当たらないので登り易かった。   山伏平通過、 この辺りは地蔵堂や二十一世紀の森、洒水の滝への分岐となっている。

山頂に近い樹林帯の中では、苔が生き生きしてとても綺麗でした。

お昼に丁度良く山頂に着いた。まずは休憩してお弁当に。

足柄明神が矢倉岳山頂に遷座され、矢倉明神となった名残りの五輪塔。

黒玉子で有名な箱根大涌谷(おおわくだに)の噴気が見えました。 

                                          

この矢倉岳は約 200~70万年前に伊豆と本州の間にあった海に泥や砂、礫が堆積して出来ている足柄層という地層をフィリピン海プレートに乗った伊豆半島が押して来たプレート運動の圧力により、標高 870mまで隆起したのです。

この足柄層群が出来ていく過程で、およそ 170~120万年前に出来た地層に、その直後の115万年前にマグマ が入り込んで、ゆっくりと冷え固まり、後に矢倉岳となる岩体が出来ました。   できた岩石の種類は『石英閃緑岩 と呼ばれる深成岩の一種です。

115万年前に深成岩体が出来たことは、そう珍しいことではありません。

世界的に珍しいのは、115万年前にできた岩体が既に地表に露出している点にあります。

低山であれども、世界的に(地質を研究されている方にとって)有名な 『矢倉岳』 であります。 

 

 

                                                                 

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▲ 鷹打場から鳳来山東照宮経由で下山 ▲

2024年05月01日 | 国定公園

今回の山行は低山でありながら山岳信仰の強い山であり、景色というよりも信仰に重きが置かれ修行の場であることから景色は二の次であります。

天狗岩を 10時 45分出て、露岩の多い下り基調の登山道を進み、11時 05分 鷹打場分岐を通過。

鳳来山東照宮へ向かうコースからは外れているが、今回のコース上もっとも見晴らしが良いというところで寄ってみることにした。                                    樹林帯の中の道を5分ほど下ると急に目の前が開けた。 鷹打場展望台着、11時 10分。

やはり山では見晴らしの良い所が最高です。                                テーブルベンチの様な岩があり、風が とても気持ち良いので小休止とし、しばし展望を楽しんだ。                                         場所は約 900mの断崖上にある岩場で、雄大な景観が楽しめるスポットとなっています。

東照宮への道は多少のアップダウンはあるものの、ほぼトラバースで順調に進んだが、何ヶ所か朽ちているのが確認できる丸太橋があり、あまり衝撃を与えないよう慎重に通過した。    写真の橋は 日当たりの良い所にあるので、しっかりしていました。

11時 40分、背後から社務所を回り込む感じで鳥居のそばに出られました。                               鳳来山東照宮到着。                                                                                                                     こちらは、天竜奥三河国定公園域の鳳来寺山内にある徳川家康公を祀る神社。        日光東照宮、久能山東照宮と共に日本三大東照宮の一つとされています。

1648年(慶安1)に三代将軍 家光が造営を命じ、1651年(慶安4)に創建された。      写真の拝殿 をはじめ社殿は国指定重要文化財になっています。

建物は江戸初期の建築技法を残す入母屋造りで各所に彫刻が残されています。        拝殿と幣殿の繋ぎ構造は、背面切妻造りで拝殿に接続し貴重な建築様式で現存しています。

正面からは拝殿しか見えませんが、拝殿の後ろに幣殿、その後ろに中門があり、その門の中に本殿が並ぶ構造となっています。

こちらの鳳来山東照宮へは麓から鳳来寺山パークウェイで山頂有料駐車場まで車で来られるので、参拝者は軽装の方が多くザックを背負っているのは私くらいでした。

鳥居を出ると急な階段を下り、鳥居に向かって右手が山頂有料駐車場につながり、左手は鳳来寺本堂へと向かいます。

東照宮と本堂をつなぐ参道は立派な道で、途中では狛犬が迎えてくれました。

11時 50分、再び鳳来寺本堂に戻りました。                                朝と違い、無事に戻ってきたせいもあり本堂がスッキリと立派に見えました。          正面の扉が開いており、無事周回コースを歩けたことに感謝のお礼を済ませてきました。

本堂脇のシャクナゲにも陽光が当たり、とても綺麗でした。

本堂からは石段参道の下りであり、朝方よりは乾いていたがスリップや捻挫に注意して下る。 参道では沢山の石仏さまが見守って下さり、心強い。

12時 05分、892段目の石段を下る。                                         登りの時も石段が 1425段と聞きビックリしましたが 、石を運び階段を作った人達がいたことを考えると疲れたとか、厳しいとかは口に出来ず、修行のつもりで歩きました。

谷間なので朝方は薄暗かった松高院前も新緑が綺麗に見える。この辺りが 594段目だった。

更に長い石段を膝に負担を掛けないように下る。

傘すぎ にも陽が 差し、改めて立派な杉の大木に驚き  通過 12時14分。

12時 43分、石段参道の取付き点に下山。新緑が眩しい。 

木戸跡まで戻り、振り返って歩いて来た鳳来寺山を見上げる。                       低山でありながら山岳信仰の聖地となり深山を感じさせ、数々の歴史や文化が生まれた鳳来寺山に感慨深いものを感じました。

早朝は、まだ寝起き顔であったホソバシャクナゲが、陽光を浴び元気に開花し、帰りを迎えてくれた。

13時、出発点の門谷門前町入口に無事戻りました。   

鳳来寺本尊の薬師如来へ病気の平癒や災除などを願って、中世や近世では武士や多くの一般の人々もこの地を信仰するようになり、鳳来寺は江戸時代に最盛期を迎えたようです。       そんな事に想いを馳せ、歴史ある鳳来寺山を歩くことが出来て良かった。

 

 

 

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