小田急線 の渋沢駅と秦野駅を結んだ線路に沿って秦野市の南側に位置した、長い丘陵地帯が
「渋沢丘陵」
です。 そこにある
震生湖
を歩いて
来ました。
1923年(大正 12年)9月1日の関東大震災で、この付近は幅約 200mにわたって陥没し、市木沢が堰き止められて誕生した湖とのことです。
面積 13,000平方メートル、周囲約 1,000m、水深は平均で 4m、深い所では 10mあると言われています。
日本の湖は、貯水や発電
のための人工湖も多いが、震生湖は自然湖としては、最も新しい湖だそうです。
沢山の太公望が静かな湖畔に座し、釣り糸の先を見つめていました。 静かにお聞きしたらブラックバス が釣れるのだそうです。
また、湖畔の森の中には福寿弁財天様
が祀られ、各所に 4月頃はカワセミが
子育てをしているので、優しく見守って下さいと標示されていました。
湖畔の売店付近に寺田 寅彦
の句碑がありました。
東京帝国大学 地震研究所の寺田寅彦が 1930年(昭和 5年)9月に震生湖に 2度調査に訪れ、その際に詠んだ俳句 3句のうちの 1句とのことです。
『山さけて 成しける池や 水すまし』
「大地震で山が割れ、川が堰き止められてできた湖に、今やその時の騒がしさが嘘のように水すましがひっそりと水面に浮かんでいる。」 この句碑は、1955年(昭和 30年)9月 1日に建立されました。
天災は起きてから年月が経って、その惨禍を忘れた頃に再び起こるものである。
寺田寅彦の言葉とされる。
物理学者で夏目 漱石の門下、筆名は吉村 冬彦。高知県人。著書 ❝天災と国防❞ など 随筆・俳句に巧みで藪柑子(やぶこうじ)と号し、高知市の邸址に「天災は忘れられたる頃来る。
」の碑文があるそうです。
危機管理の上からも脳裏に置きたい言葉です。