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素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 早春の八方尾根 ▲

2021年07月28日 | 北アルプス

黒菱平から八方池へ 

白馬は『塩の道祭り』や『白馬岳登山』、『大出散策』など何度も歩かせて頂きました。

この時は白馬駅から猿倉登山口方向に進み、途中から黒菱林道経由で黒菱平に向かいました。

春先に訪問したのですが、ネガフィルムをデジタル化したもので日時は不明です。

この時は黒菱平駐車場から八方池山荘までリフトがありましたが、雪をかぶった山岳風景に感動し、天気も良いので頑張って皆さんで歩きました。

                                           中央のピークは五竜岳(標高 2814m)、左の双耳峰は鹿島槍ヶ岳(標高 北峰2842m:南峰2889m)であります。

第一ケルン、第二ケルン、そして八方池のある第三ケルンまでは一般の観光客の方々も歩かれるので木道が有ったり、登山道も整備され歩き易いです。

この時期は、まだまだ八方池から上部は冬山です。                           左手の雪をかぶった山は、唐松岳(標高 2696m)です。

池に映る白馬三山を見たいと楽しみにして頑張って登りましたが、残念なことに池は雪に埋もれていました。                                                この鳥居の前に八方池があるのですが、雪に覆われ真っ白でした。

八方池から上部は真の登山者のみの世界で、雪があると夏道でなくアイゼンを効かせて、真っ直ぐに目標へ向かえるので気持ちの良い歩きができます。                              白馬三山の迫力ある山姿が眼前に迫って見えます。  

白馬三山から続く後立山連峰を左に目をやれば、正面に尖った岩峰の不帰ノ嶮が眺められる。

この『後立山連峰』を白馬岳(標高 2932m)から爺ヶ岳(標高 2670m)まで2度縦走をしましたが、賑やかなのは白馬三山までで、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳までは静かな山旅が楽しめます。

 

 

   ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

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⛰ 蓼科山を歩く ⛰

2021年07月22日 | 日本百名山

八ヶ岳連峰の最北端に位置し、二重火山の蓼科山(標高 2530m)を歩いて来ました。           円錐形の女性的な山容で、隣り合う北八ヶ岳の山々をはるかに超える存在感があり、独立峰の展望良好の山である。別名『諏訪富士』ともいわれる。

ビーナスラインの通り沿いにある女神茶屋前の「蓼科山登山口」 バス停より登山道に入る。  7時45分。

大きなダケカンバの横から、クマザサの茂る道を緩やかに登って行く。

歩き出してクマザサやカラマツの間をぬうように進むと、40分ほどで木の根が張り出した岩がゴロゴロした坂道に変わる 

それもつかの間、再び緩やかな登山道となる。女神茶屋からのコースでは登ってから緩やかにといった感じを2度ほど繰り返し3度目の登りを登り切ると山頂の蓼科山頂ヒュッテに出た。

天気は最高であったが、2回目の登りまでは樹林帯の中で直射日光に晒されずに済んだ。   日陰であることには助けられたが、女神茶屋コースからの登山道はほぼ直登であることが厳しかった。

登山道は岩がゴロゴロしているので広く感じ、平坦になると岩と木の根が張り出しており、足元の注意は欠かせない。 幸徳平通過、9時22分。

登り出して1時間を過ぎた頃から徐々に振り返る景色が見える様になり、だいぶ登って来たことが実感できる。

幅広の登山道で相変わらず岩のゴツゴツした地面を踏ん張り、急登に大汗を流す。

中間地点のピークから僅かに下り、3度目の厳しい急登が更に続く。

シラビソの立ち枯れた林が見えてくると森林限界は近い。

目の前がパッと開ける。1~5m位もある溶岩が折り重なる斜面である。

登るほどに斜度は増し、やがて山腹を右に巻いて行く。

浮き石を踏んだり、踏み外しをしないよう注意しながら標示に従って行くと、ようやく蓼科山頂ヒュッテが見えた。 ヒュッテ到着、10時55分。

山頂は中央が僅かに窪んでおり、そこが火口に当たるらしい。 ただ、山頂のあまりの広さに驚いた。                                              ヒュッテの方にお聞きしたら、400mトラック位の広さと話されていたが、もっと広いのではと感じた。 正面に人が立っている、小高い所が蓼科山の山頂。                                        壊れた山岳展望の方位盤からの山頂風景。                        

山頂の広大な火口跡のほぼ真ん中に蓼科神社奥宮が佇んでおり、無事安全登山のお礼の参拝を済ませた。

蓼科山山頂の三角点。登頂、11時。

休憩しながら、コース状況や色々お話を聞かせて頂いた蓼科山頂ヒュッテ。

下山開始、11時半。

 

   ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

 

 

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▲ 蓼科山から大河原峠経由竜源橋へ ▲

2021年07月22日 | 南アルプス

広大な蓼科山の山頂に感動し、蓼科山頂ヒュッテから将軍平へ。

ヒュッテを右に見ながら、山頂の北東側から将軍平へと急な岩塊の斜面を下る。11時半、出発。

ヒュッテ横から将軍平に建つ、蓼科山荘 を俯瞰する。

ヒュッテ前の案内板と将軍平に下る岩塊の下山道。疲れもあり岩を踏み外さないよう注意する。

私は下りであり、必死に汗を流し頑張って登られる方々を待機しながら応援の声掛けをする。 直ぐ下に見える蓼科山荘から登り30分、下り20分と地図に表示されているが、岩がゴロゴロした酷く急な登りなのである。                                    下りの自分は、踏み外しや捻挫に注意しながら慎重にくだった。

下り切り蓼科山荘前に出た。到着、11時55分。 日陰が無く5分休憩。                この蓼科山荘が建つ「将軍平」は登山道の十字路で、左は御泉水自然園へ、右は天祥寺原への道で、自分の向かう大河原峠へは直進して行く。                            

10分ほど歩いて、休憩に良い所を見つけたので30分間での昼食 とした。

30分の休憩後に歩き出した時は、足取りが重かった。 調子回復までゆっくり前進。

                                                 赤谷の分岐通過、12時40分。

気持ちの良い木道を進み。

立ち枯れの林を抜けた後は、 

樹林帯の中のガレた岩の道を大河原峠に向かう。

急に明るくなり大河原峠の駐車場が見えた。到着、13時35分。                     延々と長い下りで足の裏がジンジンしてきたので、大河原ヒュッテのベンチで登山靴を脱き、足を楽にした。20分休憩し13時55分出発。

ここからはクマザサの中の道をビーナスラインの竜源橋まで下る。                          大河原ヒュッテの西側から竜源橋への道が始まるが、広く笹原が広がり登山道の判別が難しかった。 道が隠れてしまうほど茂っているので、足元に注意をした。

笹原の中に点々とシラビソが立つ景色は中々絵になると感じた。

蓼科山が視野に入り、滝ノ湯川源流を渡ると「天祥寺原」に到着である。通過、14時半。

段々、クマザサより樹林の比率が増してきて、滝ノ湯川沿いを下る。

笹原の中を歩くのは、風もあり 気持ち良いが、凄く長く感じた。                      車の音が聞こえて、急な下降路に変わると竜源橋はもう直ぐだ。 竜源橋着、15時50分。

そのまま女神茶屋前の蓼科山登山口駐車場までビーナスラインを約1Km登って行くのは辛かった。                                                 途中から遠くに雷鳴が聞こえ、まだ晴れてるので大丈夫だろうと思っていたら、段々暗くなり雷鳴も大きくなり、ヤバいと思いながら疲れた足にムチを入れ頑張った。駐車場着、16時10分。                                                                                                       車が見えた手前で大粒の雷雨、休む間もなく車に飛び乗り、狭い車内で着替えた。

帰りのビーナスラインは側溝から水があふれ、最近のテレビで良く見る様な凄い洪水状態であった。

 

 

 

 

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📚 島崎 藤村を訪ねて 📚

2021年07月14日 | 文学者

まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり

以前、京都に毎月通った時、毎回 同じ道では飽きてしまい、早く用事が終了した時は中央道で帰った時がありました。                                             その時、恵那山トンネル手前の神坂PAでの休憩時、下記の案内図を発見しました。

これは面白いと思い、長時間運転も疲れるので 運動がてらに中山道「馬籠宿」を散歩して来ました。この道を下った先が、神坂PAになります。

地図には徒歩約15分と書いてありましたが、行きは登りでノンビリ歩き 25分程掛かりました。

道路より階段を登り切ると、急に宿場町らしい所に飛び出ました。

神坂PAからは登りなので、上が見えない山の中の道を歩き階段を登り切ったら、目の前に馬籠宿の宿場風景が現れビックリした。                                            近世、中山道 木曽十一宿の最南端にある宿駅として繁栄したようです。

当時の面影を残す旅籠、民家や石畳が残され、一旅人としてタイムスリップした雰囲気が味わえました。                                              宿場内の石畳沿いには馬籠本陣跡や藤村記念館が設けられており、立ち寄って来ました。

島崎藤村の生家は馬籠宿の本陣、問屋、庄屋を兼ねた旧家であったそうです。

明治・大正・昭和期の詩人、小説家。父、島崎正樹の四男として生まれ、本名は「春樹」。(1872~1943)

島崎家は正樹で17代目の旧家であったが、藤村の出生時は明治維新に伴う諸改革で没落しつつあり、1881年(明治14)数え10歳で修学のため上京し、泰明小学校を経て明治学院に学び、その間 親戚や知人の家で成長されたとのことです。                                                                                  キリスト教の影響を受け、自由な雰囲気の中での交友などから文学を志す。

1893年、北村透谷らの『文学界』創刊に参加、透谷の影響を受けた。

卒業後は明治女学校の教師となったが、恋人の死、実家の没落、透谷の自殺などを経験し、苦悩と懐疑の日々を送ったようです。

1896年、仙台の東北学院に赴任、この頃から清新な叙情詩を発表し始め、それらは1897年『若菜集』としてまとめられた。

この藤村生地である馬籠宿は、長編小説『夜明け前』の舞台としても知られています。

主人公、青山半蔵(モデルは藤村の父、正樹)の数奇な生涯を軸として、幕末維新の動乱期を描き、抑圧からの解放を求める「若い生命」の苦しみを浮かび上がらせた歴史小説。

夜明け前 (序の章)         

木曽路はすべて山の中である。                                     あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。                          一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。・・・・・

 

                              参考書籍:日本歴史大事典

 

    ※ ご覧頂き、ありがとうございます。

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▲ ロープウェイで西穂山荘へ ▲

2021年07月06日 | 北アルプス

ロープウェイ利用で、穂高の主稜線へ 

  ※ここの写真は1995年7月のネガフィルムをデジタル化したものです。                                                                                                        

                        

新穂高温泉バスターミナルから案内板に従って車道の奥に入り、新穂高ロープウェイ乗り場に向かう。                                                   第一、第二ロープウェイを乗り継いで、標高 2156mの西穂高口へ。                        西穂高口駅周辺は、千石園地と呼ばれ、観光客用の散策コースが造られている。

終点の西穂高口駅から西穂山荘までは標高にして200mほどの登りになる。

千石園地を通り抜け、樹林帯の中の千石尾根を進む。                              千石尾根からは、コメツガやオオシラビソの針葉樹林越しに西穂高岳(標高 2908m)の稜線や南岳から槍ヶ岳(標高 3180m)までが遠望できる。

前方に目をやれば、木々の間から稜線に建つ西穂山荘が見え隠れしている。                1992年に原因不明の火災に遭い、この時は2階建てログハウス的な綺麗な山荘に変身していた。

左手から新穂高温泉、西穂平を経由してくる道と合流する。ロープウェイが出来てから、あまり利用されていない道のようです。

ここからはオオシラビソの茂る急傾斜をジグザグに登る。                     石がゴツゴツした登山道を右手に回り込むように登り、斜度が段々緩くなり笹の斜面に出ると前方に西穂山荘が見えてくる。

振り返れば、笠ヶ岳(標高 2897m)の雄大な姿が望める木道を回り、山荘の正面に出る。

山荘前の広いテラスからは、上高地側の霞沢岳(標高 2646m)がゆったりした山容で横たわっているのが見える。

また山荘は丁度、森林限界に建っており、山荘前のテント場周辺では、沢山の高山植物が眺められる。

 

 

        ※ 訪問、ありがとうございます。

 

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