素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

⛰ 新緑の天城山 ⛰

2018年05月25日 | 日本百名山

ブナの原生林、ヒメシャラ林の景観、アセビのトンネルなど樹林相が豊かで、この時期にはシャクナゲやツツジの花が山路に彩りを添えていました。                      万二郎岳から見た万三郎岳    

今日は天城高原 ゴルフ場のハイカー専用駐車場を起点に万二郎岳(標高 1299m)~万三郎岳(1405m)~涸沢分岐点を経由しての周回コースを歩いてみました。

ハイカー専用駐車場に 7時 40分 到着。大きな駐車場で立派なトイレも完備されていました。    平日にも関わらず 20台ほど止まっていました。晴れのはずが午前中は曇りで残念。

20分ほどで準備を済ませ 8時出発。                                                                                              駐車場入口の反対側に「天城山縦走路入口」の大きな標示板があり、下る感じに登山道があった。

                                              取り付き直後は登山道が湿り、岩、土、階段が作られた丸太の全てが滑り易く、緊張感を持たせてくれた。                                                                                                                                行程のほとんどが樹林帯の中で、晴れていたら蒸し暑かっただろうと感じた。

四辻通過、8時 20分。

                                                  新緑の中に点々と燃えるようなヤマツツジが顔を見せてくれた。

万二郎岳山頂の 200m手前の階段

万二郎岳山頂 到着、9時 05分。                                                                                                  万三郎岳が見えるよう西側だけは展望が効いたが、他は展望悪し。

万二郎から万三郎への尾根伝いの道は「馬の背」と言われる場所を通過するので痩せ尾根だろうと覚悟していたが、とても歩き易い平坦地でヒメシャラ並木が綺麗であった。

長大な天城山脈の最高峰「万三郎岳」を中心に原生林の息づく稜線にはキョウマルシャクナゲやミツバツツジが美しく咲き、小鳥のさえずりも爽やかであった。

石楠立(はなだて)通過、9時 43分。

この辺りは、とても歩き易い道で万三郎岳 本峰直下まではハイキング気分。

本峰の登りに入ったら、周りはシャクナゲ群落であった、登山道で直には見られず離れていたが満開でした。近寄れず望遠で狙ったが今一ピンボケ。

万三郎岳登頂、10時 13分。  ベンチで 15分休憩、展望なし。

万三郎岳の下りに入ったらトウゴクミツバツツジが多く見られた。ただ開花が早かったのか登山道に色を添えていた。

万三郎岳下分岐点通過、10時 30分。

                                               ブナ原生林の中である。                                                                                                                     ここからは涸沢分岐点に向けて、滑り易い丸太階段そして登山道に飛び出した木の根につまずかぬ様、慎重に下る。

涸沢分岐通過、10時 54分。

涸沢分岐から四辻まではシャクナゲコースとマップ表示されていたが、シャクナゲを見かけることは無かった。それよりも四辻まで薄暗い登山道で思ったより長かった。                 石柱 101地点通過、11時 27分   

四辻通過、11時 47分。

天城高原ハイカー専用駐車場に 12時 01分、無事ゴールしました。

                         

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🌸 伊豆の踊子 🌸

2018年05月25日 | 史跡・名勝探訪

伊豆の踊子

                                            道がつづら折になって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。・・・・・

川端康成の文章は黙読よりも、ラジオから 流れてくる静かな朗読で味わうのが一番心に染み入る。

 

1926年(大正15年)発表の短編小説。                                        伊豆の自然を背景に、旧制高校生と旅芸人の幼い踊り子との淡い交情を描いた出世作。

一高生の「私」は伊豆の旅で旅芸人の一行と道連れになった。

                                                   14歳の踊子の素直な好意に、孤児である私の いじけた気持ちも伸び伸びと解きほぐされるが、しかしやがて悲しい別れがくる。

                                            大人と子供の境目の少女 の可憐な姿態がくっきりと定着され、青春のときめきと悲哀とがみずみずしく表現されている。

1918年(大正 7年)一高時代の川端は伊豆の旅をしたが、これはその時の体験に基づいた作品とのことです。

 

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▲ 蒜山(ひるぜん)登山 ▲

2018年05月13日 | 国立公園

中国自動車道の落合 JCTより米子自動車道に 進路を変え、終点の蒜山 ICを 11時 10分に降りた。 15分ほどで道の駅「蒜山高原」に到着。                                                                   ここで出発の準備を行い 11時 45分、登山口へ向かう。

中蒜山登山口には日本名水百選の「塩釜の冷泉」があり、トイレ なども整備されていた。

蒜山は岡山県真庭(まにわ)市の蒜山(ひるぜん)高原に聳える名山であり、上蒜山(標高 1202m)・中蒜山(1123m)・下蒜山(1100m)のいずれも標高差 600mほどの山で❝蒜山三座❞と呼ばれています。                                                宿から見た蒜山三座です。                                                                                                             正面が上蒜山(かみひるぜん)、右手が中蒜山、中蒜の右手斜面に小さく盛り上がったところが下蒜山になります。

私たちは時間の都合上、中蒜山から上蒜山へと左回りのコース取りをし、12時丁度に出発しました。

晴れそして新緑の中の歩きは、1年で一番気持ちの良い時期かもしれません。

                                                  そんな中で皆さんも快調でした。 12時 15分、一合目(標高 562m)の標示板通過。

                                                  天気が良く気温上昇、でも樹林帯の中の登路であり、日影 歩きで楽でした。

二合目付近から斜度が増し、中蒜山 に向けて直登となり、汗が流れる。                三合目(標高 645m)通過、12時 45分。

                                               きつい登りと感じながらも自然保護協会の方の花 の説明を聞きながら進むので、耳を傾け写真を撮り順調に高度を稼げた。

                                            船のイカリに似ているのでこの名が付いた「イカリソウ」

                                               それに落葉樹林内の湿り気のある所に生える腐生植物「キバナノショウキラン」

五合目(標高 792m)到着、13時 05分。  10分休憩。

「イワカガミ」、和名の岩鏡は光沢のある葉を鏡に見立てたものだそうです。

八合目(標高 1030m)通過、13時 45分。

八合目を過ぎたら眺望が良くなり、蒜山高原が箱庭のように見下ろせた。

14時、蒜山三座を縦走する尾根道に合流し、中蒜山の避難小屋が見えた。

この尾根に出てからカタクリの花 がチラホラと姿を見せ、疲れを癒してくれた。

中蒜山 登頂、14時 05分。 展望が良く15分の休憩を取った。

下蒜山 遠望。

これから進む上蒜山 遠望。  14時 20分、中蒜山山頂を後にした。

上蒜山直下までは笹原を下り、

                                              登り返しが結構きつかった が皆さん頑張って頂き、コースタイムの約 1時間で山頂を踏むことができました。                                       笹原の両脇にはカタクリが群生し、カタクリの応援があり頑張れたのだと思います。

上蒜山を登りながら中蒜山(右)・下蒜山(左のピーク)二座を顧みる。

15時 25分、上蒜山の山頂を踏む。こちらの山頂からの展望は良くありませんでした。

                                             10分休憩し、下山開始。登山開始して 3時間半、疲れも出てきているので、慎重に下山。    下りながら、西から東に尾根を伸ばす 蒜山三座 が見えた。

                                             15時 50分、八合目の槍ヶ峰に到着。5分休憩。

槍ヶ峰からは大山  が良く見えた。明日挑戦である。  奥の中央ピーク。

百合原牧場の上蒜山登山口に 16時 53分下山 、全員予定通りのコースを踏破しました。

                                              お疲れ様です。また明日もありますので、どうぞよろしく。

 

 

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⛰ 伯耆大山登山 ⛰

2018年05月13日 | 日本百名山

鳥取県西部にある複式火山   『大山』(だいせん) を歩いて来ました。                          大山とは、大山山頂避難小屋のある弥山(標高 1709m)・最高峰の剣ヶ峰(1729m)・天狗ヶ峰(1636m)・象ヶ鼻(1550m)・三鈷峰(1516m)の峰が馬蹄形に聳え、この峰々全体で『大山』と言います。

                                              昭和 11年(1936)に大山は、日本で 3番目に国立公園となりましたが、その後、蒜山(ひるぜん)・隠岐(おき)の島・島根半島・三瓶山(さんべさん)が追加指定されて『大山隠岐国立公園』となりました。

岡山県にある蒜山高原の宿を 8時 15分 出発。                                   夏山登山口に近い下山キャンプ駐車場に 9時 到着。5月12日の土曜日であり駐車場は大混雑でした。15分で準備を済ませ 9時 15分出発。

歩き出して間もなく、阿弥陀堂に到着、9時半。                                     室町時代末期の天文 21年(1552)に再建されたといいわれる建造物で、中には大仏師良円の作とされる金色に輝く木造の阿弥陀如来と両脇には観音と勢至の両菩薩も安置され、建物、仏像共に国の重要文化財に指定されています。

古来より山岳 信仰が盛んで、修験道の行場として熊野・吉野・金峯山・富士山と並び称されていた大山。開山より 1300年の歴史があります。                                古くから山そのものを神として祀り、全山を信仰の対象としていた大山(だいせん)では、近代まで一般の登山は制限され、樹木の伐採も一切禁止されていました。                           昭和 11年に国立公園として指定され、その自然・歴史が今日まで保全されています。 

立正地蔵様と五輪塔 

道は整備されており、子供 さんや登山初心者にもお勧めと言われる大山登山のメインコース(夏山登山コース)を登りました。                                                                                                 標高差 950m、距離にして往復約 6Kmの登山道です。

という触れ込みではありましたが、五合目を過ぎた辺りの行者谷分かれ付近まで、整備された木製階段の 1段の高さがやけに高い所があり、またほぼ直登状態の登山道には厳しいものがありました。

                                                 でも幼稚園生だろうか  小学低学年生だろうか  後からガンガン追い上げられるのには参りました。                                                                                                                                       休憩している時は棒を振り回したり、疲れ知らず。羨ましい体力です。

登山道に何合目という表示があるのは、苦しいながらも目安になって助かりました。           五合目あたりまでは、ブナやミズナラ、ケヤキなどの樹林帯の中を進み、六合目付近から一気に視界が開け、爽やかな 風もありホッとします。

                                            清々しいブナの森の空気を吸いながら、草花・鳥・昆虫に目をやりながら汗を流すのは最高です。                                                                                                                                      11時 10分、避難小屋のある六合目に到着。 場所が広くなっているので、皆さんの休憩所。

見晴らしも良く、大山北壁や三鈷峰 が望めました。

                                               大山の北壁は崩壊が酷く弥山から剣ヶ峰、天狗ヶ峰、象ヶ鼻方面へは縦走禁止になっています。                                                                                                                                                          八合目から先は急登ですが振り返れば米子市街や弓ヶ浜が望め 感動しながら登ってしまいます。 山頂が近くなってくると木道に変わり、コツコツと音を立てながら一歩ずつ前進。

                                               弥山(標高 1709m)の山頂は大山頂上避難小屋 より少し登ったところにありました。         12時 20分、大山の弥山(みせん 山頂に全員登頂。

                                             最高峰の剣ヶ峰(1729m)を背にして舞台を見る観覧席風に通路というか  ベンチの様な感じに木製の棚が作られていました。   そこが山頂の休憩所。

                                                  近くで見た大山 は標高 1729mの剣ヶ峰をピークとする山ですが、南北アルプスに見られるような厳しい一面があるため山岳信仰の対象となり、山伏たちの修験の山になったことに頷けます。                                                                                                                                               山容は、剣御前小舎の別山乗越から見た北アルプス 立山連峰の北端に屹立する『剣岳』に似ていました。                                            山頂でノンビリ 30分の休憩を取り昼食とした。12時 50分、下山開始。                               九合目付近は周回コースが作られており、登りに使った登山道の景色と違った景色を楽しもうと別の道を下山した。西壁の崩壊も進んでいた。

国の特別天然記念物であるダイセンキャラボク 群落を抜けて、緩やかな木道を下る。

そのダイセンキャラボクが群生する中に火山の山を物語る石室(シェルター)が残されていた。

                                                   八合目手前で登山道と合流し、登って来た道を下る。                          景色が良いので 、つい足元の注意が散漫になり、皆さんで声を掛け合いながら慎重に下る。                         こんなガレ場の急登を良く登ったと 皆さんの元気さに驚いた。

                                            行者谷分岐、14時 10分通過。                                      ここからは登りに使った夏山登山コースを使わず、行者コースに進み大神山神社奥宮と大山寺本堂を参拝して行くコース取りをした。

                                                                       大山には西日本最大級のブナの原生林が広がっています。                            森に雨が降ると、雨粒は大きく広がったブナの枝先の丸みを帯び少しへこんだ形の葉に落ち、葉の付け根から小枝に伝わり幹に集まって、滝の様な❝樹幹流❞をつくります。

                                                   そうして流れ落ちた水は、驚異的な保水力を誇る根元の厚い腐葉土層に吸い込まれます。    雨水を効率的に集め、そしてたっぷり蓄えるシステムを持っているブナの木。                ブナの森が『緑のダム』と呼ばれる所以です。

ブナ林に入ると緩やかな道に変わり歩き易い。                                                                               14時 40分には元谷避難小屋を通過し、佐陀川上流を横切り崩壊している大山北壁を見上げた。 下山中にも岩石の崩落音 が聞こえていました。

                                               群馬県北部の谷川岳一ノ倉沢を見ているようでした。                                   15時 10分、大神山神社奥宮に到着。

                                              杉の大木に囲まれた静寂の中にたたずむ荘厳な社。                                                                         両翼で 50mある社殿は国内最大級の権現造り。                                                                          神仏習合の時代の様式で、かつては大智明権現社と呼ばれ、大山信仰の中心を担って来ました。

信仰深い皆さんなのでゆっくり参拝した。                                     大山寺の宿坊「蓮浄院」で文豪❝志賀 直哉❞が長編小説「暗夜行路」の終章を、ここでの体験談をもとに書き上げられたとのことです。

織田収 詩碑   御幸参道本通りにて

下山キャンプ駐車場 到着、16時。  全行程 6時間 45分、大変お疲れ様でした。

 

母なる木、ブナについて                                 樹齢 100年のブナの木についている葉っぱは 20万枚から 30万枚。                                               それが毎年落ちて腐葉土になり、スポンジ効果によって1時間に約 300㎜もの雨を吸収します。                     樹齢 200年のブナの木が蓄える水の量は、1本あたり年間 8トンと言われています。

 

 

 

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◎ 山陰海岸ジオパーク「玄武洞」 ◎

2018年05月13日 | ジオパーク

初めて来た、鳥取県の三朝(みささ)温泉。                                  こちらは高濃度のラドン含有量を誇る温泉で新陳代謝の向上、免疫力や自然治癒力を高めてくれるという「ホルミシス効果」が有ると聞き、沢山ある大庭園風呂全部に入ってきました。                                                                                                                                    ラジウム蒸気風呂は、蒸気となった温泉が呼吸によって体内に取り込まれ、細胞に刺激を与えてくれるのだそうです。宿を出る時は、何となく元気になった気がしました。                宿の部屋から三朝橋手前の公衆露天浴場「河原風呂」が遠望できました。

早起きして朝食前に三朝温泉街を散策し、与謝野晶子、斎藤茂吉、野口雨情などの歌碑 巡りでもしようと考えていたが、夜のうちから本降りの雨。                            予報では午後当たりから降るのではと予想していたが、雨足が早く、散策は出来なかった。

宿の方々に見送られ、8時 出発。国道 179号線から山陰道に乗り、道路延長工事中で結構無料区間があり嬉しかった。                                           まず最初、神話「因幡の白うさぎ」に登場する白うさぎを祀る神社である『白兎(はくと)神社』を参拝。8時 55分~9時 20分。                                白うさぎは、大国主と八上姫の縁を結んだ縁結びの神様といわれています。           雨の降りは弱まらず、写真も撮れないし参拝が済んだらすぐ移動。                                                  雨が酷いと建物内の見学以外は気が進まない。

今日は 3日目の最終日であり、関東方面に進路を向けながら山陰近畿自動車道に乗り、国道 178号線で城崎(きのさき)温泉に近い、兵庫県豊岡市の 玄武洞 に向かった。                                    玄武洞公園 到着、11時 10分。                                           ユネスコ世界ジオパークに認定されている「山陰海岸ジオパーク」の 1つである『玄武洞』を見学してきました。

                                              約 160万年前の溶岩 の冷却でできた柱状の割れ目が美しい玄武岩の大露頭。         過去の地球の磁気逆転発見につながった場所であります。

まず、玄武洞ミュージアムで解説員の方から説明を受け、玄武洞へ見学に向かいました。

玄武洞と玄武岩そして名前の由来                           文化 4年(1807)この地を訪れた江戸時代後期の儒学者「柴野栗山」は、この洞の岩石が作り出す節理の形や断面の模様などから、中国の妖獣「玄武」を連想し「玄武洞」と命名したのだそうです。

                                                さらに明治 17年(1884)、東京帝国大学の小藤 文次郎博士は玄武洞にちなんで、同様の岩石の名称を玄武岩と名付けました。                                                                                             「ところてん」を絞り出した様な感じです。 

柱状節理の美しい青龍洞                                    岩石に見られる規則正しい割れ目を節理と言い、それが柱の様になったものが柱状節理と言います。玄武洞公園の洞窟の中でも特に美しい柱状節理を見せてくれるのが青龍洞です。

                                                この様な柱状節理は、熱い 溶岩が固まり冷えて行く過程で溶岩が収縮してできたもので、溶岩の表面から中心部に向かって伸びていきます。

横向き節理の白虎洞                                      白虎洞では、水平方向に伸びた柱状節理の断面を間近に見ることができます。

                                             玄武洞の垂直方向に伸びた節理と比べると、細かいことに気付きます。            一般に柱状節理は、ゆっくり冷えた所ほど太くなるので、この付近では溶岩 が速く冷えたこと、つまり溶岩の周縁部に近いことがわかります。また、横を見ると節理の断面が見られます。    色々な角形のものを見ることができます。 

 

 

 

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🎏 端午の節句 🎏

2018年05月05日 | 伝統行事

5月5日は『こどもの日』として親しまれています。                           端午の節句とも呼ばれ、男の子の成長を祝う日として知られていますが、古来この行事は女の子のためのものであったようです。

そろそろ田植えが始まろうかという時期に、山や田の神として知られる「サ神」が里に降りてくる。                                                                                                                                            その月は、いつしか「サ月」=皐月・五月と呼ばれるようになった。

※『サ神』・『サガミ様』とは、日本人が田畑をはじめ自然と密接に関わって、ささやかに生きていたその時代、山神として崇められていました。

 

昔の、女の子たちは豊穣を願い、小屋や神社に籠って、サ神のために身を清めて穢れを祓う。  その彼女たちは「サ乙女」=早乙女と呼ばれたそうです。

旧暦の 5月 5日あたりは、今でいう梅雨の時期にあたる。                            湿度も気温も上がり、衛生状態が悪くなり、食中毒や伝染病がなどが、現代よりも広範に深刻にはびこった。                                                                                                                                 感染を避けるための厄除けの意味もあったようです。      

端午の節句に菖蒲湯に入るという今でも続いている風習も、神事として身を清めるだけでなく、薬草でもある菖蒲を使って病気を予防したり抵抗力をつける意味合いがあった。

男の子の祭りに変わったのは平安時代からで、この時代宮中では馬の 上から矢を射たり、競馬などの勇壮な行事を行うようになるなか、端午の節句で使われるショウブが、武事を尊ぶ『尚武』や『勝負』にも通じることから、男の子がショウブを頭や体につけたり、ショウブで作った兜で遊ぶようになり、女の子のお祭りであった五月忌みが、男の子を祝う行事に変わっていった。

更に、江戸時代には五節供《毎年5度の節句: 正月7日(人日)・ 3月3日(上巳)・ 5月5日(端午)・ 7月7日(七夕)・ 9月9日(重陽)の総称の一つである「端午の節供」に定められ、武者人形を家のなかで飾るようになり、また中国の「龍門を登って鯉が龍になった」という故事にあやかって、子供の出世を願うために吹き流し 型の鯉のぼりを立てるようになり、5月 5日は完全に男の子の節句になりました。

  

※参考図書     (株)青春出版社 「日本人のしきたり」                                                     

             (株)彩図社  「本当は怖い日本のしきたり」  

                           

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