おどる、つながる、もりあがる。
小さな町が、いちばん熱くなる夜。
自治会や事業所ごとに一致団結した町内連をはじめ、高円寺(天狗連)・大和(笑星連)などの町外連も参加し、約 800人の踊り手が役場周辺の道路を練り歩きます。
『踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿保なら 踊らな損 損』
と、飛び入り大歓迎のにわか演舞場も。
東日本でいちばん小さな町が一年でいちばん 熱くなる夜。
数十人が連(れん)といわれる組を作って、三味線、笛、鉦(かね)、太鼓の囃子(はやし)に合わせて大勢が列をなし「よしこの節」の歌を歌いながら姿態をくねらせ踊りながら進んで行く。
腕は両肩から上にあげ、腰の上下動は少ないのが良いとされているようですが、意外と振りは奔放であり、元気な掛け声を掛けながら踊り、底抜けに明るい。
幼い子も交じって踊り、一生懸命に踊る姿は とても微笑ましく、応援の声が飛んでいました。
女踊りでは履いている下駄をタップダンスのように、道路を蹴りつけ全員の蹴る音が一つに聞こえる素晴らしさに驚き、足元を見つめてしまいました。
女性の編み笠を被った女踊りがメインのように思っていましたが、法被姿でひょっとこのお面を被った踊り手さんが、剽軽な踊りを見せてくれ笑いが盛り上がり楽しかった。
女性の踊り手は浴衣に鳥追い笠と呼ばれる編み笠、下駄履き姿で、連と呼ばれるグループを組み、腰を落とし両手足を交互に突き出すようにして踊ります。
男性は半纏や浴衣、手ぬぐいのほおかぶりに白足袋姿。
壱粋連(東林間)さんの演技は、お腹に響くような大迫力の太鼓演奏に女性踊りが下駄を鳴らし、素早い踊りに見る者、圧倒されました。
道路の各所に設定された演舞場は熱気に包まれ、町外連や町内連の工夫を凝らした演舞が披露され、踊りの素晴らしさに引き付けられました。
小さな踊り手も暑い中、必死に頑張っていました。
阿波踊りは、天正13(1585)年 徳島城築城の祝いに阿波藩祖で城主の『蜂須賀 家政』が城下の者に無礼講で躍らせたのが始まりと伝わっていますが、今日の阿波踊りの形がつくられたのは文化・文政年間(1804~1830)頃と考えられているようです。
阿波踊りの中でもチームワークのピタリと合った「男踊り」と「女踊り」の掛け合いの様な踊りは、早いお囃子に合わせて男女がぶつからずに軽快な動きを見せて踊る姿には、素晴らしくて見とれてしまいました。
2024年 『 第37回 開成町阿波おどり 』
の様子でした。