素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

『樋口一葉』を訪ねて

2010年07月18日 | 文学者

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝(どぶ)に燈火(ともしび)うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き、・・・・・・
代表作《たけくらべ》の一部であります。



一葉の父「樋口則義」の文学好きの影響を受け、下谷元黒門町にあった私立青梅学校小学校高等学科第四級を首席で修了後退学し、14才の時、小石川安藤坂にあった歌塾「萩の舎」へ弟子入りして和歌・書道・古典を学んだようです。

一葉の文章は読点でつなげられ、一文が非常に長い。                                                       切れめのない流れるような文章を書く人は、もう出現しないと言われています。
甲州市塩山には、イトザクラで有名な「慈雲寺」があります。一葉の父、則義は慈雲寺の寺子屋で学問を学びました。
そんな事で一葉の、ご両親が安政4年(1857)まで塩山で暮らしており、樋口なつ(一葉)は、明治5年(1872)に樋口家の第五子、次女として東京で生まれました。



一葉にとり塩山は両親から大藤村やその周辺の話を聞き、想像を巡らせていたようです。
「我が養家は大藤村の中萩原とて、見渡す限りは天目山、大菩薩峠の山々峰々垣をつくりて西南にそびゆる白妙の富士の峰は、をしみて面かげを示さねども、冬の雪おろしは遠慮なく身をきる寒さ・・・・・」

上記は小説『ゆく雲』の中で、まだ見ぬ故郷・中萩原についてこう記しています。         明治28年、23歳の時の作品です。



江戸へ出てから一葉が生まれるまでの15年間、さらに一葉がその才能を惜しまれながら世を去る24年間、樋口家、また一葉を取り巻く環境は決して楽なものではありませんでしたが、優れた作品を数多く生み出したことは、改めてその存在の偉大さとその偉業が称賛されています。



18歳で東京朝日新聞記者兼専属作家の半井桃水について初めて小説の手ほどきを受け、翌年には桃水の主宰した雑誌『武蔵野』に小説「闇桜」がのり、次いで雑誌『都の花』に「うもれ木」が連載され、これが一葉の出世作となりました。



28年1月から1年間にわたり「たけくらべ」を『文学界』に連載し、この間に「大つごもり」・「にごりえ」・「十三夜」・「わかれ道」などを発表しました。
一葉はこのほか四千首に近い和歌と15歳から晩年までの日記を残しました。                この日記は「たけくらべ」・「にごりえ」などの作品と並んで、近代文学の傑作と言われています。                                                                                                                          29年11月23日、肺結核のため本郷区丸山福山町で、24年の短い生涯を閉じました。 

 

 

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天上の楽園『尾瀬沼』

2010年07月04日 | 国立公園

梅雨時に高山植物を見るのも良いだろうと思い、雨対策万全にして「尾瀬」に向かった。最近は高速道路が便利になり5時間で大清水駐車場に到着した。



早朝のすがすがしい空気の中を歩いてみようと5時半に出発、平日なので駐車場も空いてたし、登山者もいない。                                                                                                      夜、車を走らせ最近では珍しい月夜であった。そんなことで雨の予想は外れた。
昨年の秋、20年以上履き続けた登山靴をやめ、新調した。                              今回は新登山靴のデビュー戦である。                                                                                  夏に山仲間と出かけるに、迷惑をかけない為の試し履きを兼ねていた。



ダラダラと登る林道(沼田街道)を進み、一ノ瀬休憩所6時20分通過、この先で林道は終わり左へ冬路沢左岸沿い、ブナ林の中を登る。                    途中に岩清水と言う湧き水があり、とても美味しかった。



三平峠通過7時10分。ここまで来ると木道も水平になり、登り切った感じがした。  下りが始まって樹間から尾瀬沼が見え出し、自然に歩行ピッチが上がった。



尾瀬沼山荘のある「三平下」を7時20分通過。



ここからはカメラを手に持ち木道を闊歩した。                   尾瀬沼の向こうには燧ヶ岳(2,356m)が堂々とした姿を尾瀬沼に映していた。  アジサイのようなムシカリ、ミツガシワ、水芭蕉等、まだ知らない花が沢山咲いていました。



長蔵小屋や尾瀬沼ビジターセンターに7時35分到着。朝食と小休止にした。
予想外の好天なので、お結びをかじりながら作戦変更、時間は充分あったので尾瀬沼周遊をやめ燧ヶ岳登山とした。



尾瀬沼東岸から北岸へ大江湿原から沼山峠へも歩いてみたい所です。


 

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▲ 尾瀬のシンボル《燧ヶ岳》にご招待 ▲

2010年07月03日 | 日本百名山

雨のつもりが最高の天気、三平峠を越えたら正面に尾瀬沼と燧ヶ岳(2,356m)が望めた。                                     イヤ~ッ これが尾瀬だと感動し、今までの疲れが飛び足取りは軽くなった。
この天気なら不登の山「燧ヶ岳」に挑戦しようと思い先を急いだ。              尾瀬沼ビジターセンターで朝食休憩とし、7時45分出発。



尾瀬沼東岸の湿原も、とても素晴らしかった。                       目的の燧ヶ岳に向かうため浅湖(あざみ)湿原手前の分岐を右手へ長英新道に取り付いた。
安全かつ迅速に登れるルートとなっていたが、ぬかるみのあるうっそうとした樹林帯の中をダラダラと登って行く。

傾斜は徐々に増し岩や木の根が露出した溝状の登山道で風はなく、サウナ風呂状態の中を、ただひたすら登る。



やがて視界が少し開け、ちらちら尾瀬沼が見える。                   ダケカンバが多い樹林の道を進むと右手上部に俎(まないた)ぐら
の峰が望めた。      ハイマツの急斜面を一気に登るとミノブチ岳に10時20分到着。



少し風に当たり休憩した後、山頂を目指した。                       山頂は下から見たほどきつくなく、11時に立つことができた。 


                                             眼下に見える尾瀬沼そして少し右手には木道と湿原の中に建つ沼尻休憩所がハッキリと見えた。


                                             
まるでジオラマの尾瀬沼を上から覗き込む感じである。


                                           中々、山頂を踏んだからと言って、こんなにハッキリと眺める事ができたのは、本当に稀だと思う。                                          燧ヶ岳の最高峰「柴安」(しばやすぐら)には11時半に登頂した。 



こちらからは見晴の小屋から一直線に至仏山に向け延びている木道も見え、どっしりした至仏山も尾瀬ヶ原と共に、これまた箱庭のようでした。



充分に景色を楽しんでから、岩が露出した砂礫の見晴新道を一気に下り、尾瀬ヶ原の見晴を目指した。                                  見晴十字路に13時50分到着。この付近はレンゲツツジがとても綺麗でした。



ここからは今日の宿「元湯山荘」まで木道脇の花々を楽しみながらノンビリハイキング。でも足の裏はジンジンしていた。

 

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♪風薫る尾瀬ヶ原♪

2010年07月01日 | 国立公園

前日は梅雨期と言うのに素晴らしい天気に恵まれ燧ヶ岳(2,356m)に挑戦した。 そんなことで10時間も歩いた。
素晴らしい景色に引っ張られたと言う感じである。
                                             昨日15時10分に赤田代の元湯山荘に到着。足の裏全体が腫れ上がっていた。    山荘は全室が個室になっており、ノンビリでき、受付で「お風呂が沸いていますから、どうぞ」と教えて下さり、早速風呂に行き足をマッサージした。               硫酸塩泉を沸かしたぬるめの湯だけど気持ち良かった。
夜中、暑くて窓を開けて休んだら、その窓の明るさで目覚めた。                        なんと9時間も寝ていたことにビックリである。



朝食6時。食後カメラだけ持ち、足の調子をみながら平滑ノ滝まで散歩に出掛けて来た。足は大丈夫そうでほっとした。



元湯山荘に戻り、水の補給をして7時10分尾瀬ヶ原向け出発した。
尾瀬の最大の魅力は、尾瀬ヶ原に代表される湿原の美しさであり、池塘の神秘さや高山植物の可憐さを堪能する事ができます。



早朝に湿原周辺のオオシラビソやブナ等の森の中から聞こえるカッコウの爽やかな鳴き声、心が洗われます。



6月下旬、この時期は湿原を埋めるワタスゲの白がとても印象的でした。
水芭蕉は白砂田代付近で可憐な姿を見せてくれた。もう遅いと思っていただけに嬉しかった。
東電小屋を7時55分に通過し、ヨッピ吊橋へ。                     ここに山の鼻と龍宮への分岐点があり、今日中に大清水駐車場へ戻らなくてはいけないので木道とはいえ10時間以上歩くのはやめる事にした。



龍宮へ向かい、少し西の至仏山を見ながら中田代に足を踏み入れた。         木道が尾瀬ヶ原に敷き詰められ、この景色が尾瀬を代表する景色だと感じた。休日なら蟻の列のように木道に人の列ができるが、平日ならではの貸切り風景です。



のんびりと景色を楽しみ、休憩の後 東に進路をとり龍宮から見晴そして沼尻へと戻る事にした。                                              今度は正面に昨日登った燧ヶ岳(2,356m)が見えた。





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