素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 高見山霧氷トレッキング ▲

2014年02月25日 | 私の見た山・登った山

樹氷や霧氷で人気の『高見山』(1,248m)に行って来ました。                 年間を通して冬期(1~2月)の登山者が圧倒的に多いのにビックリです。

高見山は、奈良県吉野郡東吉野村と三重県松坂市との境界線上にある山です。                                            台高山脈の北端に位置しており、奈良県側の紀ノ川支流の高見川と三重県側の櫛田川の源頭になっています。

関西では冬に霧氷や樹氷を手軽に見る事が出来る登山先として有名で、多くの登山者に人気の山です。

宿は昨年の三峰山(みうねやま)の時と同じ、みはる温泉の『美榛苑』(みはるえん) さんに泊まり、当日は8時に出発。                                     車で杉谷登山口へ移動し、8時50分着。

霧氷の季節は近鉄榛原(はいばら)駅から奈良交通の霧氷号バスが増発運行しており、杉谷登山口がごった返していた。

登山口付近にも沢山の雪が路肩に見られ、安全最優先のため最初からアイゼンを装着して頂き、9時10分登山開始。

取付きから踏み跡の多い雪道を登る。                          ここからの登山道は旧伊勢南街道の石畳道であるが雪で見えず、江戸時代には紀州の殿様が参勤交代で利用した道と聞き、思いを馳せてみた。                        昔は多くの旅人も行き交った様である。

50分程登ると杉林の中を進み、10時20分に小峠に到着。                      雪道であるが、予定通り順調に進んだ。

杉谷登山口の標高が470mで高見山山頂との標高差は778m。                            秀麗な山容を誇る高見山は関西のマッターホルンと言われています。

小峠から先は急登になっていたので、15分程小休止を入れ平野・杉谷分岐点(標高1,010m)まで頑張って頂いた。

登山道の雪は柔らかく、上部へ行くにつれパウダースノー化しており、アイゼン付けずにキックステップで充分歩行可能であった。

関西では12本の蹴り爪付きアイゼンを付けてる人を多数見かけ、人気の山であり渋滞中に蹴られない様に、止まる時や休憩時には後ろにも気を付けて頂くよう声を掛けた。

平野・杉谷分岐から山頂への尾根道は青空に映える樹氷・霧氷の雪の花が満開でした。

この辺りからは、皆さん疲れを忘れ、あちこちから歓声が聞こえ、私も冬山の素晴らしさを存分に堪能した。

尾根上には様々ないわれを持つ国見岩・揺岩・笛吹岩が点在し、頑張ったご褒美は山頂からの素晴らしい景色でした。山頂着11時55分。

山頂には避難小屋と高角神社がありました。

昼食を済ませ、山頂からの景色を楽しみ、思う存分写真を撮り、12時半下山の途に着いた。

平野・杉谷分岐着13時。                                    登りは杉谷にから取付いたが下りはこの分岐点より距離は長いが、なだらかな下りの平野登山口へ進路をとった。

高見杉のある避難小屋に13時30分着。                                   皆さん元気で下りも足取り軽やかであった。

車を杉谷登山口から平野登山口に回してくれた仲間が、迎えに上がって来て下さり合流。一緒に全員無事下山した。14時30分。

スカイブルーの白銀の世界を、もう少しご堪能下さい。

身も心も真っ白になる感じは最高です。                        冷え込んだ晴れの日にしか見る事の出来ない素晴らしい自然の風景、一度見たら忘れられません。

 

 

 

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古都鎌倉『建長寺』参拝

2014年02月14日 | 鎌倉カメラスケッチ

建長寺は巨福山(こふくさん)建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。                                    このお寺は父が眠るお寺の本山であり、鎌倉訪問の際は必ず参拝しているお寺です。

今から約760年前の建長5年(1253年)に鎌倉幕府五代執権「北条時頼」(1227~1263)が建立した我が国最初の禅寺です。                         建長寺の開山(創始者)蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は、中国の高僧「無明慧性(むみょうえしょう)に学び、寛元4年(1246年)33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺に迎えられました。

蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を超える修行僧を指導されたとの事です。 

                                                                                                                                                                                                                                              その後は、京都の建仁寺、甲斐の東光寺等にも移り、弘安元年(1278年)に再び建長寺へ戻り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より大覚禅師という禅師号を賜りました。      これは日本で最初の禅師号だそうです。                                                                        尚、『建長汁(けんちんじる)は建長寺発祥の料理との事です。

創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅宗寺院を模したもので、総門・三門・仏殿・法堂・方丈などの主要な建物が一直線に並び、左右に大禅堂・大食堂(だいじきどう)を有する寺院であったようです。                                                                                        その後、14、15世紀に起こった数度の火災により、その多くが焼失してしまいました。                                          江戸時代に入り、高名な沢庵和尚や金地院崇伝(こんちいんすうでん)の進言、徳川幕府の後援などによって、再建・復興し、平成15年の創建750年事業によって 現在の姿を迎えました。本山の他に塔頭12院を数えるそうです。

私たちは、13時頃に三門近くに行ったら、僧侶による辻説法が始まっており、最初は50名ほどの拝聴者であったのが、気付いたら私たちの後ろにも沢山の参拝者が耳を傾けていた。三門下が人で埋まっていました。                                                    お話はテレビなどによる道理・道徳を欠く話題ばかりであり、世の中このままではいけません。                                                                                                                              過去は反省の薬とし、不確定な未来には頼らず、今・現在を大切にしましょうと言う内容でした。  

                                                                                                 あって両親の元に生まれ、あって会社勤め・農業従事・漁業従事をし、あって結婚し親となり、あって今日ご参拝下さり、皆さんにこうしてお話が出来る。                    そのを生かし、会社で与えられた仕事に精進する。                                                        親となったら親の務めを果たす。                                それぞれに皆さんが自分に与えられた立場・仕事を全うされれば、会社も、家庭も、町も、国も良くなると言う事でした。                                                                                     全てに通ずる事であり、僧侶に合掌、一礼をしてきました。

 

 

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古都鎌倉「円覚寺」参拝

2014年02月09日 | 鎌倉カメラスケッチ

大船で乗り換え横須賀線で北鎌倉へ、右手に白鷺池が見え、間もなく進むと左手に円覚寺の総門が目に入る。                             この時期は、これと言った花も無く参拝者は少ないだろう?と思っていたが、北鎌倉駅に下車したら改札も少ないせいもあり、なかなか進まず、鎌倉の人気の高さに驚いた。

みな歩く方向は同じであり、総門から山門、仏殿、大方丈へと参拝して行く。                                               自分は拝観受付でご朱印をお願いし、多くの人の流れを外れ、夏目漱石や島崎藤村が参禅止宿したことで知られている帰源院へ向かった。

拝観はできないが、この階段を夏目漱石も島崎藤村も歩いたのかァ~と思いを馳せてみた。

夏目漱石が初めて鎌倉を訪れたのは、1894年(明治27年)、27歳の頃。            当時は結核と疑われた病、教師という職業に対する不満などの精神的苦悩がつのり、救いを求めて帰源院に参禅するためにやってきたようです。

小説『門』の主人公・宗助が参禅する場面は、12月下旬から翌年の1月7日まで滞在していた時の体験を再現したものだと言われています。                              「彼の頭の中を色々なものが流れた。(中略)断ち切ろうと思えば思うほど、滾々(こんこん)として湧いて出た。」とあるように参禅は失敗に終わるが、3年後に再訪した漱石は当時を振り返り仏性は白き桔梗にこそあらめの句を詠んだとの事です。

円覚寺は臨済宗円覚寺派の総本山で、鎌倉五山第二位の寺格を持つ大寺であります。

開基は鎌倉幕府8代執権の北条時宗、開山は無学祖元(むがくそげん)、創建は1282年(弘安5年)と言われています。

ご本尊は仏殿に安置される木造宝冠釈迦如来坐像 

                                                          境内には仏殿、方丈、仏日庵、国宝の舎利殿など18もの塔頭が点在しています。         舎利殿は非公開で見る事はできませんでした。                   1889年(明治22年)に横須賀線の開通で分断され、現在の姿になっていますが、かつては広大な寺域であったようです。

 

 

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📚 鎌倉文学館 📚

2014年02月02日 | 鎌倉カメラスケッチ

鎌倉駅から散歩がてら由比ヶ浜大通りを西に進み、高徳院手前を右折、住宅街を進み緑に囲まれた石畳の小道を緩やかに登り、小さなトンネルを抜けると左手に見えた。

旧加賀藩前田侯爵家の別邸を利用した文学館。 

                                                                                             学校の教科書で知った有名な文豪が鎌倉文士(夏目漱石、芥川龍之介、久米正雄、里見、川端康成、小林秀雄、大佛次郎、永井龍男)として沢山の方が居られた事にビックリした。

文学館の中に、文豪を紹介した展示室が設けられ、著書や当時の原稿や愛用品を見る事が出来ました。                                                                                                                          原稿からは、この方は太い万年筆で力強い字を書かれたんだ。とか、また凄く丁寧な字を書かれる方とか、色々な面から興味深く拝見させて頂きました。

そんな時、ふと感じました。                                                                                                昔の有名な文豪は原稿用紙に綴られたので、今でも私たちが目にする事が出来ます。     ところが現代の小説家は原稿用紙を使用しているのか分かりませんが、もしパソコンなどで原作を書かれているとしたら、今後原稿などを見る機会は無くなってしまいます。

それぞれの人が書いた文字と言うものは、その人が表れている様に思うのです。            それを感じられなくなる事は非常に残念で、改めて原稿用紙の素晴らしさを知る事が出来ました。

2月1日から14日まで、鎌倉ゆかりの文豪たちの愛のメッセージを集めた特別展『愛は言葉だ文豪のハートにふれるバレンタイン』が開催されており、おみくじ形式に引いた番号により、文豪の愛のメッセージが頂けるのです。                                  「愛の言葉おみくじ」

                                                                          

「一度だけ本当の恋がありまして、南天の実が知っております。」   方代 『こおろぎ』 

                                                                        

「この頃ボクは、文(ふみ)ちゃんがお菓子なら、頭から食べてしまひたい位、可愛いい気がします。」  芥川 龍之介 『婚約者塚本文への手紙より

                                                                           

「しくじつた。惚れちやつた。」   太宰 治  『斜陽』

                                                                            

「あなたはあたしに、惚れてる?惚れてる、で気に入らなけれやア、恋(ラブ)してる?愛してる?   里見 弴  『四葉のクローバー』

                                                                                         

自分の引いたおみくじは里見でしたが、芥川龍之介のメッセージの方が良く理解できました。

 

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★江の島シーキャンドルライトアップ★

2014年02月02日 | 

江ノ電を七里ヶ浜駅で下車し海岸沿いを歩く事にした。                                                 と言うのも午前中から風も無く、とても穏やかな日和であり折角だから、波打ち際から江の島と富士山の夕景を撮ってみようと考えたのである。

                                                                   ところが波打ち際から富士、箱根の方を見たら、何と遠く山沿いは雲がかかってしまい見えないのである。残念であった。

車道に戻り、歩道を江の島まで歩いた。時刻は17時15分。                                  夕暮れが迫りつつ周りの景色が夜景へと変わりつつあった。 

江ノ電の中で湘南の冬の風物詩『湘南の宝石と言うのがあり、それは「江の島シーキャンドルライトアップ」・「江の島ウインターチューリップ」・「バレンタインアイランド江の島」の3イベントから構成されている光と色の祭典との事であります。

その第1弾として、『江の島シーキャンドルライトアップ』が2月2日(日)まで開催されている事を知り、歩行者専用の江の島弁天橋を渡り平和灯台を目指した。

この取り組みは2012年秋、『関東三大イルミネーション』に認定され、2013年には更に『日本夜景遺産』にも認定されるなど、そのエンタテイメント性、オリジナリティーそして地域一体となった取り組みが評価されたようです。

江の島神社まで階段を登ったが、流石七里ヶ浜駅から歩き続けて来たので、神社横から2つのエスカレーターを乗り継いで山頂の平和灯台ライトアップ会場に上がった。   神社の参道脇などあちこちで「タコ焼きせんべい」のお店に長い行列ができておりビックリした。

                                          江の島の名物のようです。                            早速、私たちも行列につき15分ほど待ってから賞味できた。軽くて中々美味しいお煎餅でした。

 

 

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