素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

🍂 紅に染まる秋夜の堂宇 🍂

2024年11月30日 | 郷土の秋

開創以来六百年の 歴史を持つ関東(郷土)の霊場が、紅葉のライトアップ 開催中とのことで歩いて来ました。

 

 

大雄山最乗寺は、曹洞宗に属し全国に四千余りの門流をもつお寺であります。

こちらの寺域には約 17万本の杉が有るといわれ、中には樹齢が五百年を経過した杉もあるそうです。

境内には老杉茂り、霊気漂い霊験あらたかであり、気持ちが引き締まります。

辺りは、深々と冷え込みが増す。                                        境内広場に出て、中央の池越しに護国殿(本堂)を望む。

 

護国殿正面には僧侶が立ち、参拝者の諸願成就など夜間祈祷の案内して下さいます。

護国殿前から結界門へと進みます。                                      紅葉の方は瑠璃門付近と、こちらの護国殿から結界門への参道がとても綺麗でした。

鐘楼を下から見上げた所です。

鐘楼から開山堂方向のモミジは、色付きといい とても素晴らしかった。

結界門から護国殿に戻る参道の紅葉です。

護国殿の階段参道下る途中からの紅葉は圧巻でした。

再び、境内広場から瑠璃門を通り参道に戻る。

紅葉の消えた階段参道は、深々と寒さが身に沁みます。

大雄山最乗寺では 12月 01日(日)まで紅葉ライトアップが開催されております。

 

 

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🍂 2024:公園の秋 🍂

2024年11月28日 | 郷土の秋

地球温暖化で、そのうち日本の四季が『ニ季』になってしまうだろう❓ などと言われています。

それでも、この素晴らしい 春・夏・秋・冬の四つの季節が存続することを祈りたい。

 

木々を訪れる。 

何故あなたは 赤を好み、こちらの君は 黄色を選ぶのか ❓

もうそんな野暮なことは訊ねない。                                             色付く一枚一枚の葉は、既に木から離れようとしている。

そして春からの、枝と共に過ごしたさまざまの日を懐かしみ、別れる前の挨拶として、ひたすら華やいだ表情を見せようとしている。

風が 吹けば、木々の声が聞こえるだろう。        串田孫一(詩人:随筆家)

 

                      

深紅や黄金色に染まった木々の間からの木漏れ日を受け、落ち葉を踏むカサカサ音を聴きながら、秋に染まった中へと進み、静かで暖かな余韻に触れ秋を満喫。

こんな自然の舞台で、ひっそり奏でる音色は秋景色に吸い込まれ、それなりに響く。

深紅のヤマモミジが大きく枝を伸ばしていた。

黄金色に輝いた大きなモミジも存在感を発揮していた。

 

 

                                                           

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🐾 旧東海道:保土ヶ谷宿 🐾

2024年11月15日 | 日本の歴史

保土ヶ谷宿は、慶長6年(1601)徳川家康が東海道に宿駅伝馬制度を制定すると、神奈川・藤沢などと共に、幕府公認の宿場として誕生しました。                                               江戸から約 33Km(8里9丁)で品川・川崎・神奈川に続く4番目の宿場です。                日本橋を起点とした東海道は品川、神奈川と海沿いの道を進み、次第に海から離れ内陸部に入った場所に位置していたのが 『保土ヶ谷宿』 でした。

宿場が担う役割は、荷物の運搬に要する人馬などの継立や旅人の休泊施設の提供、飛脚の業務などがありました。

街道は幕府によってすべての管轄が定められていました。                 保土ヶ谷宿は、芝生(しぼう)村追分(現在の西区との境)から、境木(さかいぎ)地蔵(現在の戸塚区との境)まで約5Kmで、追分から北は神奈川宿、境木地蔵より南は戸塚宿の管轄となっていました。

                              

相鉄線 天王町駅を9時 20分出発。

天王町駅前公園の帷子(かたびら)橋跡から香象院~問屋場跡~金沢横丁~御所台の井戸~福聚寺~本陣跡~瀬戸ヶ谷八幡社~一里塚~樹源寺~権太坂~境木地蔵尊~品濃一里塚の順に約7.0Kmを歩いて来ました。

                           

帷子(かたびら)橋跡                                                   保土ヶ谷宿に入って、東海道が帷子川と斜めに交差する所に架けられていた橋が「帷子橋」とのことです。

橋の長さは 15間(27.3m)、幅は3間(5.5m)の板橋でした。                    歌川広重は、付近の景観と相まってこれが大変気に入り何枚もの浮世絵を残しているそうです。                                          天王町駅前には当時を偲ぶモニュメントが残されています。

普賢山 香象(こうぞう)                                                 ご本尊は不動明王立像だそうです。                                            保土ヶ谷宿で最大の 寺子屋があり、明治6年(1873)に保土ヶ谷小学校の分校となったとのことです。

仏足石(仏の足裏の形を刻んだ石)や寺名に因んだ象の置物があり、香象とは青色で香気を帯び大海を渡るという象で強力な力を持つといわれています。

旧東海道を歩くと、現在では都市計画により区画整理が行われているので、各所にこの辺りに何々が有りましたという解説板や案内柱で示されています。

金沢横丁の石碑(道標 )                                          東海道と分岐して金沢や鎌倉への分岐点を「金沢横丁」と呼んだようです。                  金沢を経由して鎌倉に至り、更には江の島を巡って藤沢で再び東海道に合流することになる代表的な物見遊山のコースであったようです。                                  曲がり角には道案内の石碑が四基並んでいました。

御所台の井戸                                      この道は旧金沢道(金沢・浦賀往還)、俗称「金沢横丁」と呼ばれる道で古くより鎌倉へ至る道として知られていました。

鎌倉時代、源 頼朝の妻政子が、ここを通りかかった時、この井戸の水を汲んで化粧に使用したと伝えられ「御所台の井戸」と呼ばれています。

無量山 福聚寺 臨済宗建長寺派                                                       開山は南北朝時代(1335年)で、ご本尊は釈迦如来像。

本堂の裏手に十返舎一九の弟子である五返舎半九の供養塔がありました。                    半九は江戸時代後期の戯作者で落語の原作『落噺(おとしばなし)仕立て下ろし』などの作品があるそうです。

本陣跡                                                     保土ヶ谷宿の本陣は苅部本陣一ヶ所だけでした。                                  保土ヶ谷宿が設けられると、苅部清兵衛が幕府より本陣、問屋、名主の役を命ぜられ、以降 明治3年(1870)、本陣の制度が廃止されるまで代々清兵衛を世襲してきました。(現在は軽部姓)

東海道を往来する幕府の役人や参勤交代の大名は、宿場に設置された本陣に宿泊し、本陣が混雑した際は脇本陣に宿泊したようです。                                        保土ヶ谷には藤屋・水屋・大金子屋の3軒の脇本陣があったそうです。

                                 

旅籠 本金子屋跡                                             本金子屋は、江戸時代に旅籠として栄えました。                                     明治2年に建て替えられた現在の建物も東海道沿いに建ち、格子戸など旅籠の面影を残しています。

過去に国道1号線が7mほど拡幅される前は、現在の母屋の前に大名門と前庭がありました。 現在、当時の大名門は建物正面の外壁として使われています。                   ガイドして下さる平岩さん  

復元した一里塚と上方見附モニュメント                                平成 19年2月に一里塚と松並木が復元されました。 

一里塚は行程の目安として一里ごとに小高く盛り土をして榎を植えたものであり、ここは江戸から8番目の一里塚です。                                            見附は宿場の門の役目で、京都に近い方を「京方見附」もしくは「上方見附」と言い、上方見附から江戸方見附までは家屋敷が街道沿いに沿って建ち並び「宿内(しゅくうち)」と呼ばれています。

国号一号線の権太坂。 お正月に 箱根駅伝の選手 はここを走ります。

歴史の道 『権太坂』                                            この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅人が初めて経験するきつい登り坂でした。

日本橋から4番目の宿場であった 保土ヶ谷宿 まではほぼ江戸内湾沿いの平坦地でしたが、宿の西辺りより長く続く険しい登りとなります。

「新編武蔵風土記稿」によれば、保土ヶ谷から登る坂は一番坂、二番坂と二つの坂があったと書かれ、また「その地形十丈(約 30m)余りも高く、屈曲して長き坂なり。故に街道往返の人、この所を難所とす・・・・・」 と書かれるほどに傾斜のきつい大変な急坂で、民家もなく道の左右は鬱蒼として松の老木が立ち並んでいたといいます。

                                                          きつい坂を登り切れば、松並木が続き景色も良く富士が 眺められ、目の下に見える神奈川の海は大変美しかったとあります。                              旅人にとって印象深い場所になり、浮世絵などにも描かれる保土ヶ谷宿の名所となりました。

境木(さかいぎ)地蔵尊                                                 境木地蔵は丁度、武蔵国と相模国の国境にあり、境木地蔵の手前には昔、国境に立てられたという傍示杭が平成 17年(2005)に復元されました。

この辺りは、境木の立場(休憩所)があった所で、保土ヶ谷からは難所の権太坂を登り切った所、また戸塚側からも品濃坂を登り切った所でしたので見晴しも良く、茶店などもあり、旅人は名物の牡丹餅 を食べながら疲れを癒した所の様です。

境木地蔵尊の創建は江戸時代初期(1659年)江戸からの講中や道中の安全を祈る旅人が多く参拝されたようです。

品濃一里塚                                                    江戸日本橋から9番目となる品濃一里塚です。                                      こちらの一里塚は、街道の左右につくられ、直径が6間(約 11m)、高さ3間(約 5.5m)で、塚の上には大きな榎が植えられていました。

現在、神奈川県内でほぼ完全な形で残る唯一の一里塚で、県の指定文化財 になっています。

品濃一里塚を下り、全行程 約 7.0Kmを歩き、JR東戸塚駅に到着しました。

 

 

 

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▲ 深山の路を下る。 ▲

2024年11月09日 | 山梨百名山

1973年(昭和 48年)に奥多摩町と檜原(ひのはら)村を結ぶ 「奥多摩周遊道路」 が開通、また1989年に 『都民の森』 として整備されたことから、マイカー登山者が増加し、また家族連れで楽しめる憩いの場となりました。

こちらの『都民の森』には沢山の周遊コースが用意され、目的に沿った散策路をノンビリ歩けます。

「ブナの路」・「けやきの路」・「ハリモミの路」・「深山の路」・「陽光の路」など 

三頭山西峰 (標高 1524.5m)からの景色を楽しみ 11時 46分、南に進路を取り 「深山の路」 で大沢山に向かう。                                                   西峰を下り初めに見かけた、稲光の様に曲がった面白いブナにビックリ。

途中で見つけたマムシグサ の果実。     

標高 1500m前後の尾根の 紅葉は、少しは見られましたが、もう殆んど御終いでした。

11時 55分、ムシカリ峠通過。                                    ここから三頭大滝へ三頭沢沿いに下ることができる。                              春には三頭山の花とされたハシリドコロが沢山見られるようです。

ムシカリ峠から緩やかな坂を登ったら避難小屋が見えた。                                大きく立派な避難小屋でトイレ が完備、高尾山もそうですが東京の山は素晴らしいです。

12時 09分、大沢山(標高 1482m)到着。                                           ベンチが有り、三頭山西峰の様に混雑が無かったので、お弁当 を広げノンビリした。

目の前には富士山が見えノンビリ眺めていたら、暖かいし朝早かったので 眠くなった。

この尾根道は落ち葉を踏みながらの陽だまりコースで、とても歩き易い。

美味しそうな キノコも見られた。

ムシカリ峠を過ぎてからの道は 『深山の路』 と呼ばれており、東京と言えども奥多摩は山深い所とつくづく感じられた。

写真を撮るのは明るい所だけど、鬱蒼としている所が沢山あるのです。

12時 35分、ハチザス沢ノ頭という分岐点を通過。                                  ここ迄で尾根歩きは終わりで、東に進路を取り三頭大滝に向けて下ります。

この時期は午後になって樹林帯の中に入ると薄暗く寂しい道となり、15時以降となった場合はライトが必要となるので、この時期は常に準備が必要です。

12時 54分、「石山の路」 の標示板を通過。                                  この標示板前後の登山道には露岩が多く見られ、この名が有るようです。

遠くに沢の流れが聞こえていたが、この下りに来たら音だけでなく、白く水の流れが見えてきた。

沢に出て左岸に渡渉、雨後でなかったので楽に通過し、スリップに注意しながら左岸を下る。

13時 18分、野鳥観察小屋への分岐を通過、橋を渡って進む。

下方に大滝休憩小屋が見えた。

休憩小屋に着いたら、目の前に滝見橋と標示があり向かった。

三頭大滝は下から見上げるのではなく、橋の上から眺める様になっていた。                  落差 35mらしいが橋の上から眺めているので、もっと落差があるように見えた。

滝から森林館への道は 『大滝の路』 と標示され、木材チップが敷き詰められた快適な道で、森林セラピーロードと呼ばれています。                                     歩いていてフカフカする気持ち良い道で、新しい木材チップの時は木の香りも良かっただろうと思った。

13時 39分、スタート地点の檜原都民の森駐車場に無事戻りました。

14時前でも低地の樹林帯の中は上の様に薄暗くなってしまうのです。                        今頃の日没時間は 16時 40分頃であり、この時間には家に帰着しているくらいが良いですね。

 

 

 

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▲ 三頭山ハイク ▲

2024年11月08日 | 山梨百名山

ブナ林の美しい奥多摩三山の最高峰を歩いて来ました。                          頂上部が西峰・中央峰・東峰の三つの峰に分かれていることから、その名の付いた❝ 三頭山 ❞は、大岳山・御前山と共に奥多摩三山の一つに数えられています。

                          

檜原都民の森に9時 16分到着。                                          到着が遅れたうえにノンビリ準備を進めていたので、出発が9時 40分。

久し振りの快晴で気分良好。                                          でも、歩くのも久し振りなので支障なく歩けるか❓  今の体力試しである。

緑マップの外郭を反時計回りに歩く。

まずは整備された遊歩道のトンネルを抜け、森林館や木材工芸センターの横を通り、鞘口(さいぐち)峠を目指す。

短いがきつい坂を登ると、古くは甲州道の要衝の峠であった鞘口峠に出る。                    鞘口峠通過、10時 04分。

三頭山へは鞘口峠に出ると左折、西に向け進路を取る。                             最初は落ち葉を踏みながら、緩やかな尾根道を行く。 

檜原都民の森の中には沢山の登山道が設けられており、自由に歩き回れる楽しさがあります。

ブナの木は、土砂崩れや洪水を防いでくれる緑のダムと言われており、また酸素を生産する天然の空気清浄機、そして木の実は野生動物の食料として役立つ、とても素晴らしく優秀な木なのです。

そんなことで折角 山に来たので、ブナの作ってくれた綺麗な空気を吸って歩こうと『ブナの路』へと進路を左に取った。

登山道は傾斜を増し厳しかったが、綺麗な空気のおかげで順調に登れた。

黄葉や紅葉のコラボも見られ、目でも楽しむことができた。

10時 45分、見晴し小屋に到着。 標高 1397m。

見晴し小屋からは東京方面が望めた。

見晴し小屋を過ぎると下り路となり、『探鳥の路』や『コマドリの路』と別れ、更に西へと『ブナの路』の登山道を三頭山目指して登る。

綺麗なブナの黄葉をご覧ください。   

11時 20分、標高 1527.5mの展望台に到着。

三頭山東峰の標高と同じ高さの展望台からは、東京湾が望めるという案内板があったが、霞んでいて良く分からなかった。

ほんの直ぐ隣にある三頭山東峰に到着。 11時 25分。 こちらに三角点あり。

11時半、三頭山の中央峰(標高 1531.0m)を通過。

三頭山の東峰と中央峰は尾根状に立つ峰ですが、西峰は広くなった山頂であります。     中央峰からは少し下って登り返しますが、山頂付近でも秋が感じられました。

西峰山頂の手前にあるムシカリ峠への分岐で、この直ぐ上に西峰の山頂がありました。

11時 38分、三頭山西峰の山頂に到着しました。   

今回は途中で知り合ったグループの方に、沢山撮って頂き有難うございました。

三頭山西峰は下の様に広々としており、風もなくノンビリできる所でした。

好天であり、午後になっても初冠雪は確認できませんでしたが霊峰富士を眺めることができました。 

 

 

 

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