『六千人の命のビザ』はリトアニア大使館に勤務していた外交官「杉原千畝」氏の夫人が書かれた本のタイトルであります。
「命のビザ」は第二次世界大戦下でリトアニアにいた外交官『杉原千畝(ちうね)』に助けを求めて領事館を囲んだユダヤ人難民に、日本通過ビザを杉原氏は独断で出国ビザを発給し続けた。
妻『幸子(ゆきこ)』氏の書かれた「六千人の命のビザ」の中に杉原氏の言葉が有ります。
【私を頼ってくる人々を見捨てる訳にはいかない。でなければ私は神に背く。】
杉原氏の行為が心を打つのは、人としての倫理観がそこにあるからであります。
米国がアフガニスタンから撤退して、僅か一週間ほどでイスラム主義勢力タリバンによって制圧されてしまいました。
アフガニスタンの首都カブールの空港から一刻も早く脱出しようと、我先にと飛行機にしがみつく人々の姿をテレビで見ました。地獄絵の様な光景でした。
アフガニスタン駐在の英国大使ブリストウ氏は、部下の大使館員たちが出国した後もカブールに残り、通訳など英国に協力してきたアフガニスタン人らに出国ビザを発給し続けたそうです。 そして英国軍と共に最後に帰国したとのことです。
日本政府はカブール陥落から8日後の8月23日、輸送機や自衛隊員の派遣を決定した。 実際に国外へ移送できたのは、米国から依頼された旧政権の政府関係者ら14人のアフガニスタン人と、退避対象者1人だけだったようです。 自衛隊機もカブールに向かったが、現地スタッフやその家族ら500人の退避は出来なかった。
また別の英国軍機で、日本人大使館員12人は早々にアラブ首長国連邦に退避していた。 まだアフガ二スタン国内に邦人や関係者が多数残っているにもかかわらずである。
残されている、日本のために活動されていた皆様を早期に確実なる退避ができるよう日本国政府は外交を通じて全員救出の努力を続けて欲しい。
外交官杉原千畝氏の業務遂行は大使館員の鏡であります。 今回の大使館員の行動は日本国民の安全を守るほか大きな災害が発生した場合は、その国の支援を行うことも含まれるようで、その辺が果たされなかったように思います。
戦後、杉原氏はイスラエル政府より受勲されています。
ただ、今の日本政府は衆議院選挙や自民党総裁選などを最優先とし、有事のコロナやワクチン接種の遅れ、医療崩壊などガタガタであり、わが身大切な政治家集団では、救出は非常に厳しい。
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