素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲かたくり群生地『六万騎山』▲

2015年04月29日 | 春景色

新潟県南魚沼市にある「カタクリ群生地」を訪ねてみた。                こちらには標高の低い山全体にカタクリが自生するところが何か所も有る事に驚きました。

7時に厚木から首都圏中央連絡自動車道(圏央道)に入り、途中休憩をとりながら関越自動車道六日町ICを9時半に降りました。                             2~3時間で新潟に行けるなんてビックリです。

ICを出て直ぐコンビニでお昼のお弁当を購入し、新潟寄りのカタクリ群生地『六万騎山(321m)に向かいました。 素晴らしい天気で朝から暑い。           麓の狭い駐車場に運良く車を止められ、10時に登山開始。

早くも車道脇にカタクリの花が確認でき、心ウキウキの感じで入山。             坂をあがると地蔵尊が眼に入り、お参りを済ませた。

六万騎山は途中の登山道でも春の花々を確認できたが、山頂付近の桜とカタクリの群生には驚きました。

                                                                         群生しているカタクリを見るのは秋田県の西木村以来の事で興奮しました。                   新潟県南魚沼市を眼下に大きく広がる田で、冷たい雪解け水に育まれた美味しいお米が出来るのです。

この山は標高が低く、標準で登り30分、周回コースで下りが多少距離が長く35分。   そこを景色を楽しんだり、花の写真を撮影したりで、11時半に下山しました。

カタクリはユリ科に属し、山地の林の中に生える多年草。                  早春に高さ約15cmの茎を1本出し、紅紫色(ピンク)の花を斜め下向きに1個つける。 花弁は6個あり、上部は強くそり返る。

                                                                              花ことば『初恋』。 山に春の訪れを告げる花として親しまれているようです。

 

 

 

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▲越後の花名山『坂戸山』▲

2015年04月27日 | 春景色

六万騎山を11時半に下山し、坂戸山に近い銭淵公園駐車場へ移動、11時55分着。

この公園は、四季の花々が美しい日本庭園風の公園。

私たちを待って居たかの様に、桜が満開で、まさに花絵巻といった美しさでした。

地元の方々も季節の花「桜」を愛でようと、沢山見えていられました。                          ここで私も越後の武将『直江 兼続』の地に足を踏み入れた事に気付いた。                武将兜の前立てには、「愛」とあり愛染明王を表したものと言われ兼続が着用していました。

花見を兼ねて昼食を取り12時半、坂戸山に向け出発した。

                                                                       坂戸山(634m)への登山路には薬師尾根コースと城坂コースの2本があり、残雪の少ない薬師尾根コースを選択した。

麓の鳥坂神社着、12時40分。                                                                                               参拝後、鎮守の森を抜け明るい桜並木の薬師尾根に取付く。 桜の木の下には歴史を感じる石仏が点在し、私たちを山頂へ道案内してくれました。

尾根の下部は満開の桜並木の中を登り、気分は春真っただ中。                                          カタクリの花は山麓から山頂まで登山道脇で、ちらほらや群落でも見る事ができ、最高の時に訪問できた事に感謝でした。

中盤から上部の登山道は階段状にしっかり整備され歩き易いと言うか、1歩1歩確実に足を上げなくては進まないので、とても良い訓練にはなりましたが、途中ダウンされてしまう方が出てしまいました。

外気温は上昇し、日陰も無く非常に厳しい環境でもありました。

坂戸山山頂の富士権現社着、14時。

                                                                       山頂は上杉 景勝の大規模な山城の居城跡で、城の石垣など歴史を感じる遺構が点在し、国指定の文化財となっているようです。

 

桜やカタクリ以外にもピンクの可愛い「イワウチワ」を見る事も出来ました。

                                                                        そんな花見登山でも登り1時間20分、下り50分で全員無事、銭淵公園駐車場に戻りました。

 

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▲大持山・小持山トレッキング▲

2015年04月25日 | 私の見た山・登った山

秩父のシンボル的な山である「武甲山」(1,304m)を北に見る尾根上の、小持山(1,273m)と大持山(1,294m)を歩いて来ました。

尾根上でアカヤシオが開花したとの事で、夏山に向けての体慣らしトレッキングであります。

秦野中井ICを7時05分に入り、圏央道の入間ICを8時10分に出てR299号を北西方向に進み、秩父市手前の横瀬(よこぜ)町から埼玉県の一大産業であるセメント工場プラント群の中を通り、武甲山御嶽神社一の鳥居までバスで入った。9時40分着。

鳥居の中には広い駐車場が有るのだが、既に一杯でマイクロが入る余地なく、全員が下車した後、手前の広い場所で待機して頂いた。                                                   準備運動終了後、9時50分出発。

マス釣り場の薄暗い林間の山道を登り、武甲山への登山道と分かれ鉄板橋を渡り、持山寺跡・シラジクボ方面への標示板に沿って登る。                     遠くに雷鳴が聞こえラジオを出す。が落ちて来た。

                                                                      直ぐに折り畳み傘を使用したが、本降りになる感じがしたので合羽を着用した。     薄暗い林間の中、雲も厚くなり夕方の様な感じになった。

以後、運が良かったと言うのか雨脚は遠ざかり、空が少しづつ明るくなって来た。「エッ」と思ったが良い方向なので不安を残しながらも汗をかかぬ様、合羽を脱いだ。

武甲山と小持山(こもちやま)の中間点、明るい尾根の『シラジクボ』(1,088m)に到着、11時半。

                                                                       ここから小持山に向け急坂を慎重に高度を稼ぐ。                     山頂は広くないので、途中で昼食(30分)を取った。

小持山着、13時。                                      アカヤシオ(レンゲツツジ類)の群落があったが、ほとんどの蕾はまだ固い。

                                                                     5月の上旬が見頃のようです。                        ただその時期は登山者も増加し、登山道も細い個所が多いので団体が入山すると迷惑にもなり、少し早目の山行となりました。

大持山(おおもちやま)までの尾根は露岩混じりの変化に富んだ突峰で、急坂のアップダウンが連続し皆さんの足元に気を配った。

                                                             ビューポイントの雨乞岩着、13時半。 天気も午前中が嘘のように回復した。

大持山近くではアカヤシオが見られた。山頂着、13時50分。

                                                                      少しでも目的の花が見られ、皆さんとても満足されホッとした山行でした

妻坂峠(839m)までは樹林帯の広く明るい尾根を下り、妻坂峠着、14時55分。

この峠から出発点の一の鳥居までは急坂の下り、疲れも出て事故の起き易い下りであり、ゆっくり慎重に下って頂けるようお願いした。                                                                          林道が見えたので、そろそろ一の鳥居かと思いきや横断して、まだ下山の道は続いた。 林道横断15時半。

標高600m程の新緑の樹林帯内の下山は、黄緑一色の中でとても気持ち良かった。やっと出発点の「一の鳥居」が確認できた。

                                                                  約6時間の行動、全員無事に戻りました。一の鳥居着、15時40分。お疲れ様。

 

 

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▲山桜トレッキング▲

2015年04月19日 | 春景色

今回訪問した場所は信州安曇野の池田町であります。

池田町は高瀬川と犀川に挟まれ、県道51号大町明科線沿いに南北に長く、年間を通して自然に触れ合える素晴らしい町であります。

鉄道は町の中心地から西へ向かい高瀬川を渡り、松川村を走るJR大糸線の信濃松川駅が近いようです。

山桜咲く『陸郷』(りくごう)は、さわやか信州net によりますと「西の吉野、東の陸郷」と呼ばれるまでになった小鳥たちが作った夢の郷(ゆめのさと)と紹介されているとの事です。

私達も、その紹介文にに魅せられ、池田町の東側に位置する陸郷地区の山一帯が桜色に染まる様子を見に出かけました。

地元を7時に出発、R246から東富士五湖道路を経て中央高速で安曇野IC迄、ICは10時45分に出て、県道51号線沿いにある道の駅「池田」で歩く準備を済ませた。

バスで北アルプスの見晴らしの良い地点まで上がってもらい下車、そこから11時15分トレッキングスタート。 好天の上、以前良く歩いた北アルプスの稜線がハッキリと見え、気分もヒートアップ。                                  先日5㎞を走り、筋肉痛を感じていたが何故か? 快調に登れた。

頑張って尾根まで上がり、浸食の進む土柱[継子(ままこ)落とし]を見学し、東側の切れ落ちた断崖に注意しながら八代峠に向かい、そこで昼食(11:50~12:30)とした。

                                                                    ここからは西側に有明山から餓鬼岳、爺が岳、鹿島槍、五竜が望めた。         ただ晴れてはいるが、青空が消え雪の稜線が見にくいのが残念であった。

八代峠からは車道に下り、登波離橋を渡り豊盛(ほうせい)公民館へ。

                                                                     途中いくつかの桜仙峡ビューポイントで撮影しながら進んだ。 公民館前から見下ろす山桜は圧巻であった。

中国、陶淵明の『桃花源記』に書かれた桃の咲き乱れる仙峡「桃源郷」にちなんで、山桜の見事なこの地が『桜仙峡』おうせんきょう)と命名されたようです。

                                                                  陸郷夢の郷には約2,000本の山桜が山腹のアチコチに自生しています。

                                                                    バックに聳えたつ残雪の北アルプスも見逃せませんでした。左:爺が岳、中央:鹿島槍、右:五竜岳

バスはトレッキング終点地「夢農場」で待機。

                                                                         休憩し、ソフトクリームを賞味、回りの山桜を充分に堪能し15時45分夢農場を後にしました。

   

 

 

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❀ 桜・さくら・Sakura ❀

2015年04月06日 | 春景色

ぼくらは きっと待っている 

君とまた会える  日々を 

並木の  みちの上で 

手を振り 叫ぶよ 

どんなに  苦しい時も 

君は  笑っているから 

くじけそうに   なりかけても 

頑張れる  気がしたよ  

かすみゆく  景色の中に 

あの日の歌が  きこえる  

 さくら さくら  今咲き誇る 

刹那に散ゆく  定めと知って 

さらば友よ  旅立ちのとき 

変わらない その想いを  今

                         作詞・作曲 森山 直太朗

                      

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🏯 春の小田原城 🏯

2015年04月02日 | 史跡・名勝探訪

15世紀中頃に大森氏が築いた山城が前身で、その後戦国大名「北条早雲」が乗っ取って以来、関八州に君臨する北条氏の本拠地となっていた。

豊臣秀吉の小田原攻めに備えるために築造された、城下町を囲む延長9kmに及ぶ総構えの出現により城の規模は最大に達しました。

天正18年(1590)豊臣秀吉により北条氏政・氏直父子討滅を策略、大軍にて小田原を包囲、関東各地の支城を次々と攻略された。

                                                                                                                                   その間、石垣山に一夜城を築かれた北条氏は度肝を抜かれ、降伏に至る。

北条氏滅亡後、秀吉から関東を与えられた徳川家康は家臣の大久保忠世を小田原城主とし、城は改修され近世城郭の姿になりました。

                                                  大久保氏改易後に城は破却されますが、寛永年間に稲葉氏が城主となると、再び改修工事が実施され城の姿は一新、貞享3年(1686)に大久保忠朝が父祖の地に再封され、その子孫が明治維新を迎えた。

明治3年、廃城となり、売却された後次々と解体されましたが、昭和35年に市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興され小田原のシンボルとなっています。

天守閣は3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1,822㎡となっています。                    国指定史跡に指定され、今も整備が続けられています。

                                                   標高60mの最上階からは相模湾が一望でき、真鶴半島また良く晴れた日には房総半島まで見渡す事ができます。

平成22年度から史跡整備に伴う発掘調査を行っている、史跡小田原城跡の御用米曲輪(ごようまいくるわ)や23年度には、石垣を伴う障子掘(しょうじぼり)が発見され戦国時代の小田原城でも石垣が使われていたとのことです。

天守閣への正規な登城ルートは、お堀端通りにある正面入口、馬出門土橋を渡り馬出門(うまだしもん)を抜け馬屋曲輪(うまやくるわ)を通り住吉橋へ、銅門(あかがねもん)から階段を登り常盤木門を抜けると左手本丸に堂々とした天守閣が確認できます。

 

 

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