素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 各務原アルプスと岐阜城 🏯

2017年01月21日 | 私の見た山・登った山

東海環状自動車道の可児御嵩(かにみたけ)IC を 10時 35分に降り、国道 21号線を西に進み可児市内で早めの昼食を済ませ、各務原(かかみがはら)アルプスの猿啄(さるばみ)城登山口に 12時 10分到着。                                                     関東以北でも午後からヒョットしたら降雪ありとの予報で、現地着も曇天であり雨もしくは雪の覚悟で登山開始 12時15分。

各務原アルプスとは、岐阜県各務原市の各務原台地北端に位置している山々の通称であります。 稜線は関市、岐阜市との境界でもあります。                                           東西に延びる標高 350m級の丘陵地帯で、名古屋方面からもアクセスしやすく日帰りで気軽に楽しめる山として初心者の方々にも人気の山です。

歩き始めから九十九折りの急登が続き、後ろを気にしながら先頭を引っ張る。

30分ほど登ったら視界が開け、愛知県との境界である木曽川を眼下に望むことができた。

そこからひと踏ん張り頑張ったら、猿啄(さるばみ)城址に到着、12時50分。

そこは展望台にもなっており 360度の展望を楽しむことができた。

各務原アルプスは登山道が雑木林を抜けると、南北の展望が良く歩いていても気持ち良く、通過して来た猿啄城址が遠望できた。   

明王山山頂(標高 380m)着、13時 50分。   この山頂も展望は最高であった。         14時 05分出発。

10分ほど進んだら金毘羅神社があり、

                                                参拝してから多賀坂林道のふどうの森登山口に 14時 50分おり、待機の車で次の目的地「岐阜城」へ向かった。

岐阜城は市内から見ると独立峰の金華山山頂に築城されており、ぎふ金華山ロープウェー乗り場に向かい、15時 40分到着。                                                                            このロープウェーは高低差 255mを約 4分で山頂駅に運んでくれる。

岐阜城は、かつて稲葉山城と称していました。                                                             金華山山頂に初めて砦を築いたのは、鎌倉幕府の執事「二階堂山城守行政」と伝えられています。

                                               戦国時代には、斎藤道三の居城でもあった所です。                                  特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄 10年(1567)8月、不世出の英傑「織田 信長」が この城を攻略し、この地方一帯を平定すると共に天下統一の足場としました。

                                                  しかし、慶長 5年(1600)8月、関ヶ原合戦の前哨戦で落城し、翌慶長 6年に廃城となり、現在の城は昭和 31年 7月に復興されたものだそうです。

鉄筋コンクリート造り、三層四階構造で延べ 461.77㎡、棟高 17.7mの威容を誇り、1階は「武具の間」、2階は「城主の間」、3階は「信長公の間」で最上階の「望楼の間」は展望台となっております。

城郭は標高 329mにあり展望最高、天下を取った気分に浸れます。   

 

 

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▲ 百々ヶ峰登山と岐阜市内散策 🐾

2017年01月21日 | 私の見た山・登った山

今日は岐阜市で一番高い山『百々ヶ峰』(どどがみね) 標高 417.9mに登るため宿を 8時 10分に出発。                                                                                                               昨日の岐阜城から宿へ戻る時の雨は、夜に雪に変わり道路は薄っすらと白くなっていた。                                                                                                       登山口である四季の森センター駐車場には、8時 40分に到着。

 8時 45分出発。                                                                                                                 雪でなければ東海自然歩道の散策路であり、歩き慣れた皆さんには何の支障もなかったのですが、夜間に降雪があったため滑り止めは用意して出た。

下から山々を見上げると木々に霧氷が付きキラキラと、とても綺麗に見えたが雲一つない好天であり、登って行くと溶け始めた雪の滴や雪そのものがドサリと落下し、首の隙間から入ると冷たくて飛び上がる。

                                                         カメラも濡らさないように注意しながら歩いた。

尾根上の東屋に 9時 10分 到着。5分の休憩。

東屋からはアップダウンを繰り返し、周りの雪景色を堪能しながら進む。

尾根上の分岐点に到着、10時。

木々の合い間からは南方向に高い山が見え、どうやら最高峰の「百々ヶ峰」のようであった。                                   分岐点から急な階段状の雪道を慎重に下り、綺麗なトイレのある林道に出た。                 10時 15分。トイレ休憩。

下った分、岐阜市の最高標高地点である百々ヶ峰(どどがみね)に向けて、登り返すのである。                                          黙々と頑張り、10時 35分最高峰に出た。展望は最高である。                                                     木曽川や金華山の岐阜城も望むことができた。

展望台があり、陽だまりで暖かいのでノンビリ 20分の休憩を取った。

ここからは駐車場に向けて下るのみであるが、北側斜面となり雪が多くスリップに注意しながら慎重に下った。

三田洞キャンプ場着、11時 50分。 ここから 5分で駐車場に到着した。

                                                      山歩きは午前中で終了し、午後は市内観光に向かった。                               まずは織田家の菩提寺である臨済宗妙心寺派神護山「崇福寺(そうふくじ)を参拝。         12時半。

快川紹喜(かいせんじょうき)など数々の名僧を輩出した古刹。                                 信長公・信忠公の父子廟(ふしびょう)が残されていました。                                               また、本堂の天井には岐阜城が落城した際、戦死した将兵 38名の霊を弔うため城の床板を天井に張り、今でも血痕が確認できる「血天井」が見られます。

次に長良橋の南詰から西へ続く、古い町並み「川原町界隈」を散策しました。             13時 05分。

                                                   かつて川湊として繁栄した時代の面影を残しています。                                                    格子戸の日本家屋が軒を連ねる町並みには「岐阜うちわ」を作る商店や老舗の和菓子屋、ギャラリー、飲食店などが並びます。

                                                       遅い昼食を取ろうと古民家風の飲食店に入ったら、蔵の部屋に案内され立派な箪笥や梁の上には火縄銃のようなものが飾られたりと時代をタイムスリップしたような所で美味しい食事を取る事ができました。

お腹を満たしたところで、次は歩いて岐阜大仏様を見に行きました。14時40分。                          大仏殿のある正法寺は黄檗宗で宇治 万福寺の末寺に当たるとのことです。

                                                     災いから庶民を守るために建てられた高さ 13.63mの大仏像。                                       日本三大仏の一つに数えられる この大仏は乾漆仏としては日本一の大きさを誇り、天保 3年(1832)に、実に 38年の歳月を費やして完成したとのことです。

                                                    耳の長さ 2.1m、鼻の高さ 0.4m。                                                                                            私たちに微笑みかけられているような、その優しい表情と荘厳さに驚き、見入ってしまいました。                                                                                                                        特にしなやかに伸びた長い指 が印象的でした。

                                                  大イチョウを直柱として、骨格は木材で組み外部は良質の竹材と粘土で造られ、その上を一切経で糊張りし漆を塗り金箔を置き、胎内には薬師如来が祀られているとのことです。

最後に 1900年以上の歴史を持ち、岐阜の総産土神(うぶすながみ)として親しまれている神社『伊奈波神社』を参拝しました。15時。

                                                参道左手には織田 信長公が信州善光寺の御本尊を迎えた寺である「岐阜善光寺」も参拝しました。                                                                                                                現在は、その御分身を本尊として祀っているようです。

                                                     右手の参道を更に奥へ進むと、立派な鳥居が建ち社が目に入ってきます。                           斎藤 道三公が稲葉山(金華山)山中から現在地に移したとされています。 

                                                     20分で参拝を済ませ、15時半に出発。                                                                                 岐阜各務原 ICに 15時 40分乗り、帰途に着きました。

 

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🐾 井伊直虎ゆかりの地を歩く 🐾

2017年01月18日 | 日本の歴史

新東名高速道路を走り浜松いなさ ICを出て、遠州の古刹であり井伊 直虎が眠る寺『龍潭寺(りょうたんじ)』駐車場に 10時 15分到着。                                                     そこは浜松市北区引佐町井伊谷(いいのや)地区であり、井伊家ゆかりの地を仲間の皆さんと共に直虎が生きた時代に思いを馳せながらノンビリ歩いて来ました。                                    激動の時代の中、幾多の苦難に翻弄されながらも、その名を全国に轟かせていった名門・井伊氏。                                                                                                          遠江(とおとうみ)600年、近江(おうみ)400年にわたる“なりたち”の一片を紐解く。

 

井伊氏が治めた井伊谷の田園風景の中から、井伊氏の初代「共保(ともやす)」公が寛弘 7年(1010)に誕生したと伝えられております。

                                               その井戸は龍潭寺山門の南、田園に囲まれたのどかな場所にある。                               白壁に囲まれた大きな石組みの井戸で、傍らには「井伊氏祖備中守 藤原 共保出生之井」の碑が建っている。

次に直虎の菩提寺「妙雲寺(旧:自耕庵)を参拝。 11時半。

                                                直虎の死後、自耕庵へ葬られたと伝わる。

                                                このお寺には、ご住職がいないということで、檀家の皆さんが寺の管理に当たり交替でお寺の説明をして下さいました。   

                                                 NHKの大河ドラマで取り上げられ、寺の整理をしていたら直虎の位牌や南渓和尚の肖像画など貴重な資料が発見され、後に自耕庵は直虎の院号「妙雲院殿月泉祐圓禅定尼」をもって妙雲寺と改められたそうです。

次に渭伊(いい)神社参拝 

                                               こちらは井戸や井水を祭祀対象とした神社で、井伊氏の発祥と共に氏神になった。

本殿背後の丘には古墳時代の巨石祭祀の遺跡、天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡があります。

次は直虎ゆかりの地おススメルートを歩き、井伊谷城跡(城山公園)に向かいました。

                                                地域遺産センターを過ぎてから城址まで結構きつい登り坂で、降りてくる方から「あと少しですよ。」と励まされながら皆さん頑張りました。  13時到着。

城址はとても広く丘陵に築かれた井伊氏の城館跡。 土塁などの遺構が見学でき井伊谷を一望できます。

戻りながら「足切観音堂」を参拝。13時半。

                                               南北朝時代、後醍醐天皇の皇子「宗良(むねなが)親王」が、戦のさなか足を負傷し落馬したが怪我はなく、代わりに護持仏の片足が鮮血に染まったという伝説が残り、親王の御念持仏、足切観音が祀られています。

次に立ち寄ったのが「井殿の塚」 13時35分。

                                               こちらは天文 13年(1544)、家老の小野 道高の讒言(ざんげん)により謀反の疑いをかけられ、駿河で今川 義元に殺された直満(直親=亀之丞の父)と弟 直義の墓があります。

駐車場に戻る途中の「地域遺産センター」にも立ち寄り、亀之丞が吹いた『青葉の笛』のレプリカに触れたり、再現された音色に聞きほれました。                                   また、井伊 直虎の生涯や井伊谷周辺の戦国時代の様子をジオラマへのプロジェクションマッピングで物語風に紹介され、とても判り易く皆さん興味津々でした。

                                             そこで井伊 直虎(次郎法師)が書かれた『龍潭寺寄進状』という書状を見ましたが、流石というか流れるような筆字に釘付けとなりました。                   次郎法師の署名と黒印

最後に浜松市北区引佐町にある神秘の大鍾乳洞『竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)』を見学して来ました。

                                                    東海地方最大規模の竜ヶ岩洞は、2憶 5千万年前の地層といわれる秩父古生層の石灰岩地帯にあり、

                                                  総延長約 1000mで、一般公開部分は 400mだそうです。

                                                  標高 359mの竜ヶ石山の南麓に開口されたものであります。

                                                  洞内温度は年間約 18度と平均しているので、この時期では洞内の方が快適で、探検気分で地底を歩いて来ました。

 

 

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◎ 龍潭寺(りょうたんじ)◎

2017年01月15日 | 古寺巡礼

井伊直虎が眠る寺「龍潭寺」の歴史は古く、奈良時代行基菩薩開創と寺伝にあるとのことです。

                                                       龍潭寺のある井伊谷(いいのや)は古く「井の国」と言われ「井の国の大王」が治めた土地である。                                                                                                                  平安時代井伊氏の元祖 井伊 共保(ともやす)が生まれ、井伊氏は遠江(とおとうみ)の有力武士として、既に保元物語にその名を連ねている。

                                                     鎌倉時代 源 頼朝に仕え、南北朝時代には後醍醐天皇皇子「宗良(むねなが)親王」を井伊城に迎え北朝軍と戦った名門である。                                                        室町時代 20代井伊 直平(直虎の曽祖父)に帰依された黙宗瑞淵(もくじゅうずいえん)禅師が新たに龍潭寺の開山となり、遠州地方に京都 妙心寺の流れをくむ臨済宗を広め、臨済宗 妙心寺派の法灯を伝えている。                                                                                                24代井伊 直政(幼少時は虎松)は徳川 家康に仕え、井伊の赤鬼と恐れられる活躍をした。

                                               この直政の後見人として養育 をしたのが、22代井伊 直盛の 1人娘『井伊 直虎』(幼少名 おとわ:出家後 次郎法師)である。

                                               龍潭寺二世住職 南渓和尚の計らいで女城主として井伊家を支え、お家断絶の危機から救った。                                                                                                               後に直政は徳川四天王の筆頭に出世、関ヶ原合戦の後、彦根城に移る。 幕末「井伊大老直弼」が開国の偉業を成し遂げる。

                                               龍潭寺はその千年余り、40代の祖霊を祀る井伊氏の菩提寺として、彦根 龍潭寺と共に、その歴史を今日に伝えている。

緑深い一万余坪の境内には、本堂を始め庫裏、開山堂、総門、井伊家霊屋等の建物が江戸時代そのままのたたずまいと歴史を残し、点在している。

龍潭寺庭園は江戸時代初期に造られた小堀 遠州作の池泉鑑賞式庭園とのことであります。

                                                   昭和 11年に国の名勝記念物に指定された東海の名園である。

また、井伊家の菩提寺であり、墓所には右手の大きな自然石墓石は22代「直盛」(おとわの父)公の墓、そして左手に並んだ小さな五輪塔の番奥が直盛室(千賀:おとわの母)奥から番目は直虎(おとわ)番目は23代直親(幼少名 亀之丞:おとわの許婚)、番目は直親室(しの:直親の妻)番目は24代直政(幼少名 虎松:井伊の赤鬼)と今年の大河ドラマで大活躍する井伊家の苦悩の末、菩提寺で一家団らんの様子が伺えるようでした。

許婚から引き離された悲しみにくれる直虎は、菩提寺である龍潭寺で出家を決意。第二世住職「南渓和尚」より井伊家跡継ぎの証である「次郎」を冠した『次郎法師』の名を与えられた。

                                                  永禄 5年(1562)には、井伊家は一族の主立った男性をすべて失い、男子はわずか 4歳の虎松のみとなった。                                                                                                         逆らえぬ運命の虎松を次郎法師が立派に養育したのである。

自分の幸せを考えず井伊家の存続に一生を掛けた女城主「井伊 直虎」。                     井伊家 歴代当主の中にこの名はないが、戦国時代を語る上で欠かすことのできない注目の人物であります。

                                                       今、井伊家墓所を参拝すると許婚である「亀之丞」と「おとわ」のお墓が並んでいるのは涙をそそります。

 

 

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🌋 2017 正月の大涌谷 🌋

2017年01月13日 | ジオパーク

 現在は落ち着きを見せている箱根の大涌谷(おおわくだに)ですが、2015年 5~6月に小規模な噴火が発生したことは、皆様の御記憶にもあるかと思います。                                       この噴火は、箱根では観測史上初めてのことで約 800年ぶりの噴火と考えられています。

そんな事で箱根火山の現状についてのタイトルで箱根ビジターセンターにて、箱根ジオパークガイド講座が開催され、仲間の方々と共に参加して来ました。

神奈川県温泉地学研究所の道家講師により、箱根火山の地形・成り立ち そして最近の活動・現状についてのお話をして頂きました。                                                   我が国の活火山は 110ヶ所あるとのことです。                                     それに富士箱根伊豆国立公園はフィリピン海プレートと北米プレート、ユーラシアプレートの 3つがぶつかり合う世界的にも珍しい場所とのことです。

大涌谷は、およそ 3000年前の噴火によって神山(標高1438m)が崩壊してできたようです。                                                                                                                      現在でもアチコチから硫化水素を含む噴気が上がっています。                                          そのため、樹木は立ち枯れ、岩石は粘土化して赤茶けた山肌が見えています。              沸き立つ湯釜、白煙を吹き上げる噴気孔など、火山のダイナミックな活動の様子を見てきました。

座学の後、外に出て センター近くの地震・傾斜観測点を見学し、桃源台駅から箱根ロープウェイで大涌谷駅へ移動。

                                                       大涌谷では周辺の観察を箱根ジオミュージアムの山口講師に解説して頂きました。

現地での遊歩道は規制があり歩き回ることはできませんが、ミュージアム前の広場からは2015年の噴火でできたばかりの火口と噴気孔、そして勢いのある蒸気井(じょうきせい=温泉のための施設)を見ることができます。

まだまだ勢いのある噴煙を吹き上げているので近寄れませんが、噴気には硫化水素や二酸化硫黄等の硫黄の成分が含まれており、噴気孔の回りには硫黄で黄色くなっている様子が伺えます。

温泉の施設である「蒸気井」 は大涌谷の豊富な蒸気と仙石原の水を利用して温泉を供給しているとのことです。                                                                                                   2015年5月以降、蒸気井の蒸気の勢いが増しています。

                                                   しかし、これもまた生きている地球の姿。 地球の息吹を感じてきました。

 

 

 

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🐓 2017年 初詣 🐓

2017年01月01日 | 伝統行事

新年、おめでとうございます。 2017年 酉年であります。                                            地元では「道了尊」とか「道了さん」と呼ばれ親しまれている『大雄山最乗寺』へ初詣に出かけました。

NHKの紅白 歌合戦は見ませんでしたが、その後の番組「行く年来る年」で、全国の寺社の様子を見て「除夜の鐘」を聞きながら出発の準備をし向かいました。

 

山号を大雄山、曹洞宗大本山総持寺(横浜市鶴見区)の御直末のお寺で、応永元年(1394)3月 10日 了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師により開山され、全国に四千余りの門流を持つ修行専門道場であり道了大薩埵(だいさった)の信仰のお寺です。

                                               御本尊は、釈迦牟尼仏・脇侍仏として文殊・普賢両菩薩を安置しています。

箱根外輪山 明神岳の中腹標高 400mの所にあり、境内の山林は 130町歩、全山に老杉生い茂り、堂塔は 30余棟に及びます。

私が当地に移り住み 40年を越えますが、当時の初詣は大雄山駅や指定のバス乗場でバスに乗るのに大行列。                                                                                                          最乗寺のバス駐車場に着き、降りたら人がごった返しており、足元は暗いので子供達の手を放したら新年早々大変な事でした。

                                                    参拝者の流れに沿って屋台夜店の出ている参道を登り、瑠璃門から本堂前の池のある広場に進む。                                                                                                                         その広場も参拝者があふれ、総受付で新年の「お札」を申込むのにも大行列。

やっとの思いで申込みを済ませ、境内の堂宇を参拝しながら回り、昨年お世話になった「古いお札」を納札堂に納めさせて頂き、ゆっくりと奥の院から御真殿へと参拝して総受付に戻って来ても、まだ「新年のお札」は出来ていませんでした。

ところが最近は最乗寺に向かうバス乗場に行けば直ぐに乗車できるし、降りても混雑していることもなく参道も歩き易い。

                                                   多分参拝者の皆さんは高齢化社会と言うこともあり、寒い夜中に参拝せず昼間の参拝に切り替えてきているように感じ、またそれが時代を反映しているようです。                今年も良い年でありますように

 

 

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