東海環状自動車道の可児御嵩(かにみたけ)IC を 10時 35分に降り、国道 21号線を西に進み可児市内で早めの昼食を済ませ、各務原(かかみがはら)アルプスの猿啄(さるばみ)城登山口に 12時 10分到着。 関東以北でも午後からヒョットしたら降雪ありとの予報で、現地着も曇天であり雨もしくは雪の覚悟で登山開始 12時15分。
各務原アルプスとは、岐阜県各務原市の各務原台地北端に位置している山々の通称であります。 稜線は関市、岐阜市との境界でもあります。 東西に延びる標高 350m級の丘陵地帯で、名古屋方面からもアクセスしやすく日帰りで気軽に楽しめる山として初心者の方々にも人気の山です。
歩き始めから九十九折りの急登が続き、後ろを気にしながら先頭を引っ張る。
30分ほど登ったら視界が開け、愛知県との境界である木曽川を眼下に望むことができた。
そこからひと踏ん張り頑張ったら、猿啄(さるばみ)城址に到着、12時50分。
そこは展望台にもなっており 360度の展望を楽しむことができた。
各務原アルプスは登山道が雑木林を抜けると、南北の展望が良く歩いていても気持ち良く、通過して来た猿啄城址が遠望できた。
明王山山頂(標高 380m)着、13時 50分。 この山頂も展望は最高であった。 14時 05分出発。
10分ほど進んだら金毘羅神社があり、
参拝してから多賀坂林道のふどうの森登山口に 14時 50分おり、待機の車で次の目的地「岐阜城」へ向かった。
岐阜城は市内から見ると独立峰の金華山山頂に築城されており、ぎふ金華山ロープウェー乗り場に向かい、15時 40分到着。 このロープウェーは高低差 255mを約 4分で山頂駅に運んでくれる。
岐阜城は、かつて稲葉山城と称していました。 金華山山頂に初めて砦を築いたのは、鎌倉幕府の執事「二階堂山城守行政」と伝えられています。
戦国時代には、斎藤道三の居城でもあった所です。 特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄 10年(1567)8月、不世出の英傑「織田 信長」が この城を攻略し、この地方一帯を平定すると共に天下統一の足場としました。
しかし、慶長 5年(1600)8月、関ヶ原合戦の前哨戦で落城し、翌慶長 6年に廃城となり、現在の城は昭和 31年 7月に復興されたものだそうです。
鉄筋コンクリート造り、三層四階構造で延べ 461.77㎡、棟高 17.7mの威容を誇り、1階は「武具の間」、2階は「城主の間」、3階は「信長公の間」で最上階の「望楼の間」は展望台となっております。
城郭は標高 329mにあり展望最高、天下を取った気分に浸れます。