素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲秋の袈裟丸山登山▲

2014年10月26日 | 私の見た山・登った山

袈裟丸山は遠くから見ると形の良い双耳峰で、小袈裟・前袈裟・後袈裟・奥袈裟などの総称との事です。                                                                                                        そのうち、一般的には前袈裟を袈裟丸山と言っているようです。

アカヤシオ、シロヤシオ、シャクナゲなどの花々や紅葉の時期は特に美しく、また賽の河原や相輪塔などの奇岩や寝釈迦などの信仰物などが目を楽しませてくれます。

弘法大師や信仰にまつわる伝説も多く語り継がれているミステリアスな山でもあります。

さて、袈裟丸山の場所ですが、群馬県みどり市と栃木県日光市の県境にあります。   わたらせ渓谷鉄道の沢入駅より林道小中西山線を上り、標高1,226mの折場登山口に11時15分到着。

20分で登山準備を済ませ11時35分出発。                         好天の中、落ち葉を踏みながら雑木林の中を登るのは最高の気分である。

また、陽光を浴び燃えるようなモミジには、感動の声が沢山聞かれた。         思わずパチリである。

つつじ平手前の熊笹の斜面から南西方向には日本画の様な赤城山が望め、好天に感謝。本当に素晴らしい山岳風景です。

熊笹の道を青空に向けて高度を稼ぐ。

左手の山肌は、見事な紅葉である。

見晴らしの良い大きな岩に到着。12時15分。                     つつじ平と言う所だろうか?標示板は無かったが景色が良いので昼食とした。     青空の下での昼食も、これまた最高ですね。12時55分出発。

賽の河原 通過、13時10分。                                 袈裟丸山の中腹に当たるこの場所は、木が生えておらず、大小の石ばかりが転がっているので賽の河原と呼ばれています。 

                                                                    その昔、弘法大師が、夜この地を通ると赤鬼・青鬼に責められながら、子供たちが石を積み上げている姿を見て三夜看経(かんきん)して済度(さいど)したといわれています。                                                                           いまでも子供の新仏を出した人が、ここで石を積むと、その子供に会えると伝えられています。

賽の河原から尾根伝いに小丸山(小袈裟丸山)1,678mに向かうのですが、尾根が沢蟹でも出て来そうな小さな川状態になっていました。雨でも降ったら大変です。                                     そんな道をダラダラと登り、14時10分小丸山に到着しました。

この山頂からは、庚申山、男体山、それに前袈裟丸山、後袈裟、奥袈裟の山並みを見る事ができました。

                                                                   予定では、もう1つ先の前袈裟丸山(1,878m)まで登る予定でしたが、帰宅時間を考慮して14時20分下山する事としました。

                                                                       往路を戻るコースですが、逆になると、また違った景色が楽しめました。

昼食を取った「つつじ平」を15時20分通過。バスの待つ折場登山口には16時着。 登山口付近の紅葉・黄葉は最高でした。

 

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▲越後・八海山▲

2014年10月26日 | 私の見た山・登った山

霊峰八海山』(1,778m)は、新潟県南魚沼市の旧六日町と旧大和町の境にそびえ、峰続きの中の岳(2,085m)、越後駒ケ岳(2,003m)と共に越後三山としてその名が知られています。                                 険しい岩峰からなる山頂部の八ッ峰がこの山の象徴と言われています。

今回は明日に主目的の越後駒ケ岳登山が控えているので、足慣らしの意味を込めて軽く行ける所まで入ることにしました。

秦野中井ICを7時に入り関越自動車道の六日町ICを10時20分に出て、八海山ロープウェー山麓駅(標高376m)に10時45分到着した。                                                       ロープウェー山頂駅(標高1,147m)から八海山方面には、重い雲がかかり、降られると食事も出来ないので、早いが昼食を済ませ11時20分発のゴンドラに乗り、標高差771mを7分で上がった。

重い空であり気温も低く、いつ降られるかも判らないので、防雨・防寒対策と泥除け対策も万全にして出発した。

 

                                                                      山頂展望台からは上信越の山々や遠く佐渡島まで見渡せるとありましたが、この日の天気では、直ぐ近くにある避難小屋が確認できただけでした。

登りだして間もなく、雨が来た。                          合羽を着ていても気温が低いので汗をかく事は無く助かった。ただ休憩や何かを食べようとする時は困るが、歩いている分には何の支障も無い。花の時期なら楽しくもある。

四合目半付近を12時20分通過。

漕池(こぎいけ)12時30分。                                   ここはモリアオガエルの生息地とあり、立ち寄る。大きなオタマジャクシが見られた。

八海山方面を望む。紅葉が進み、晴れていたら素晴らしいだろうと感じた。                          また、八海山は古くから山岳信仰の山として多くの信者が登って来た霊山との事であります。

女人堂到着13時10分。ここが六合目に当たる。                   この先の八合目、薬師岳までは岩場のある急登であり、雨で濡れ、滑り易く危険が伴うことから女人堂止まりとし、体力を明日の為に温存すべく下山した。

女人堂を13時25分に出発。                          雨は酷くはならなかったが、登山道は泥沼化していた。             慌てることなく慎重に下山し、八海山ロープウェー山頂駅に14時50分着。     水道があり添えられたブラシで靴を洗い、15時発のゴンドラに乗車し、山麓駅で待機したバスで今日の宿に向かった。

途中、奥只見シルバーラインを通った時、ビックリするほどの長いトンネルには驚きました。                                    そのトンネルを抜け新潟県魚沼市『銀山平温泉』に16時35分到着した。

ここ銀山平は岩魚、サクラマス、ワカサギなどの宝庫で、釣り人の間では聖地と呼ばれているとの事です。宿は『湖山荘』。                       釣り人の集まる宿らしく沢山の岩魚の魚拓が飾られていました。

 

 

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⛰ 錦秋の越後駒ケ岳に登る ⛰

2014年10月19日 | 日本百名山

足が伸ばせて、フカフカ布団で眠れる事の幸せを実感しました。

3時、皆さん懐中電灯を出し出発準備を始め出した。                                                 フロント前に置かれた朝食と昼食のお弁当をザックに詰め、4時出発に合わせた。         バスは3時半に宿の前で待機。                                今日は越後駒ケ岳に向け、往復10時間の尾根歩きである。                                         この案内を見てキャンセルが出たほどですが、18名の精鋭が集まりました。

銀山平温泉の「湖山荘」出発4時。                                                                                   登山口である枝折(しおり)峠に4時半到着。ジッとしていると寒い。                            でも星空の素晴らしさには感動しました。まだ、こんな綺麗な空があるんだ?とビックリしました。

寒いので、直ぐに準備運動を始め、5時に出発。                                                           まだ辺りは暗く、全員ライトを点け、それぞれの間隔も詰めて前進した。                    歩き出して間もなくの所にヤセ尾根があり、後方からライトで知らせた。

20分ほど登り、峠から尾根沿いに出たら、空が白々と明るくなり、太陽が顔お出す方角が黄金色に輝き出した。                                                                                                    雲は山間に沈み、湖の水のように見え一部山間から滝の様に雲が流れ下る様子も見る事ができた。

十合目の大明神小屋を5時35分通過。

                                                                        そこから間もなく登ったら明神峠に着いた。5時40分。                                              長い尾根の始まりである。先には、これから向かおうとする今日の目的の山『越後駒ケ岳』(2,003m)のどっしりとした山容が伺えた。

6時、黄金の日の出である。                                                                                          昨日の雨を忘れさせてくれるような素晴らしい天気になった。

                                                                         標高1,200m付近の登山道脇の木々は、既に葉が枯れていたが、山全体の紅葉、黄葉、緑葉と入り混じった山岳風景が、とても素晴らしかった。

このコースの尾根歩きは確かに長い。                                                                                 だがコース全体の七割方は平坦地や軽い登り下りがあるハイキングコース的な登山道で最初のヤセ尾根を除けば、危険箇所は無く、女性向けである。

道行山(1,298m)の山頂は登山道から外れており、皆は通過して先に進んだが、最後尾の私は1人立ち寄ってみた。                                                                                               ほんのちょっと外れているだけで6時50分登頂。                                                            見晴らしの良い山頂で駒ケ岳が目の前に見えた。写真のみ撮り、直ぐ皆を追い掛けた。

この辺りも、ほぼ平坦路で木道の整備がされ歩き易い。                                                    小倉山(1,378m)に近づくにつれ登り基調になったが、一頑張りで小倉山に立つ。   体調不良者も無く、青空の下、気分最高である。10分休憩し、7時45分駒ケ岳に向け前進開始。

道は、だらだら登りと言った感じで続き、尾根上にある百草ノ池を8時35分に通過。

                                                                        ゆっくりであるが徐々に高度も上がり、遠くの山々が見えて来ると一時停止が増え、ゆっくり眺望を楽しみたいが、時間が気になるのはスタッフのみである。

長居は出来ず前進。7月の焼岳登山の日の様な好天で、正に最高の登山日和である。   駒ケ岳本峰に取付き(9時30分)、岩場も出て来たが、皆さん慣れたもので下から見ていても安心であった。

9時50分駒の小屋到着。                                                                                                        今回は往路を戻るコース取りなので、小休止後、荷は小屋横に置き、空身で目的地「越後駒ケ岳」に10時出発。

                                                                     一気に登り稜線に出る。10時15分。

南側には越後三山の最高峰『中ノ岳』(2,085m)が伺えた。

越後駒ケ岳登頂、10時20分。素晴らしい360度の展望である。                          尾瀬の燧ケ岳や至仏山、荒沢岳が見えた。                                                                           山頂からの山岳風景を楽しみ、10時35分下山開始。

10分で駒の小屋に戻り、

                                                                        長い下りの準備を開始。その時、靴底が剥がれたという方が出て至急、応急処置を取った。迅速な対応ができ時間ロスなし。

                                                                          もう片方にも十分注意をして下さるよう伝え、11時下山を開始した。

今まで自分たちが登って来た尾根が全部見渡せ、その長さに改めてビックリである。  通過して来た百草ノ池が俯瞰出来たり、

                                                                   素晴らしい紅葉に目をやったりで意外と疲れを忘れさせてくれるので良かった。

荒沢岳を正面に紅葉の尾根を道行山に向け前進。道行山通過13時40分。

道行山を下って間もなく、遠く奥只見湖や今朝、出て来た銀山平温泉が俯瞰できた。

それ以後も事故なく順調に進み、明神峠通過14時55分。                  バスの待つ枝折峠には15時半に到着。15分で荷物の整理を行い、15時45分枝折峠を後にした。                                  関越自動車道の小出ICに17時に乗り、途中の嵐山PAで休憩し、秦野駅南口に20時半に無事到着した。                                   今までになく長い尾根歩き、本当にお疲れ様でした。 

 

 

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🐾 歴史ある木屋町通りを歩く 🐾

2014年10月19日 | 史跡・名勝探訪

東西の二条通り、御池通り、三条通り、そして鴨川と同様に南北に通る木屋町通りを歩くようになったのは、1998年(平成10年)第5回京都シティーハーフマラソンに参加してからである。                            ハーフマラソンのスタート、ゴールが平安神宮の赤い大鳥居であったことから、平安神宮に近い宿を取ったのが始まりでした。

折角、京都まで来たのでホテルでの食事で無く、京都が感じられるところで食事をしようと探したのが『がんこ二条苑でした。

                                                            観光雑誌に出てくるような料亭ではなく、お手頃価格で一般人も京都を感じられるお食事処で、以後友人と京都旅行をした時は、必ず寄っています。               目の前には高瀬川の流れも見られます。

京の人々に古くから親しまれ愛されてきた高瀬川の流れは、豪商「角倉 了以」の別邸跡『がんこ高瀬川二条苑』を通り、木屋町通りをくぐって再び姿を現します。

                                                                    おおよそ400年前の慶長16年、角倉了以によってつくられた、がんこの庭園はその後、明治の元勲「山縣 有朋」の別邸『第二無鄰菴』となり、第三代日本銀行総裁「川田 小一郎」の別邸、阿部 市太郎の所有を経て、現在は大岩邸として伝わり、がんこ二条苑 高瀬川源流庭園となっているとの事です。

この付近は、幕末の志士の足跡が残る地域としても知られています。 

                                                                   1867年11月15日、河原町蛸薬師にある醤油屋「近江屋」の2階で、坂本 龍馬と中岡 慎太郎が刺客に襲われ殺害された。                                                                      現在、近江屋はなく、繁華街の一画に記念碑のみが建っているようです。

がんこ二条苑の近くで、松代藩士「佐久間 象山」が元治元年(1864年)7月11日刺客に襲われて死亡し、明治2年(1869年)9月4日には長州藩士「大村 益次郎」が刺客に襲われて死亡した遭難之碑が建っています。

この遭難ノ碑の反対側には、「桂 小五郎」と芸妓「幾松」が住んだ寓居であった料亭『幾松』があります。                                                                                                      もともと長州藩の屋敷であったので、部屋の前の廊下には抜け穴があり、鴨川の河原、木屋町のどちらにも抜けられるようになっているようです。

幾松は現在でも料亭として営業しており、当時の遺品が数多く残されており、食事に訪れれば当時の志士たちの遺品や暮らした跡を見る事ができるそうです。 

 

 

 

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◆妻籠宿◆

2014年10月14日 | 史跡・名勝探訪

秋にはまだ早い時期に京都へ行く事になり、いつも変化の無い高速道路を利用しても眠くなるばかりなので、今回は甲州街道から杖突街道、中山道と普段走らない一般道をノンビリ周りの景色を楽しみながら向かった。

平日で幹線道路を外れて行くと故郷の様な田園風景の中を快適に走れて、車内を流れる風が心地よい。

                                                                       車も少なく、信号も少ない。                                 「快適ドライブはこれだね。」と感じる、そのものでした。

途中でリンゴ狩りをしようと思っていたが、道を間違えたらしくリンゴ農家は1軒も無く、残念ながら失敗した。

江戸と京を結ぶ『中山道』は、山深い木曽路を通ることから「木曽街道」とも呼ばれていました。

                                                                           中山道69宿のうち江戸から数えて42番目となる妻籠宿は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせていたようです。

中山道は 五街道の1つで、江戸日本橋から板橋へ出て、上野(こうずけ)・信濃・美濃などを経て、草津で東海道に合流し、京都に至る街道。

                                                                        五街道(江戸日本橋を起点とした五つの主要街道)東海道・中山道・日光街道・甲州街道・奥州街道の総称。

町並みは、明治になり鉄道や道路が新たに造られ、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりましたが、昭和40年代になり集落保存と景観が修復され、妻籠宿の町並みが見直されました。

妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」を中心とする住民憲章をつくり、ここで生活をしながら、江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えようと努力をされています。  

巨大勢力の台風19号が本州に向かっているという天気予報でもあり、三連休と言へども外出を控えられているのか、観光客はほとんどなく、ほぼ貸切状態の妻籠宿でした。

天気は良いし、時をタイムスリップしたようで、ここも日光江戸村の様にせめてお店の方々だけでも、江戸時代の衣装で顔を見せて下さったら、もっと盛り上がるように感じました。

 

 

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