素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 槍ヶ岳山頂に御招待!▲

2009年07月26日 | 日本百名山

皆さん槍ヶ岳(3,180m)山頂に立たれた事がありますか             槍ヶ岳は本邦第五位の高峰であります。                          富士山はどこから見ても判ると思いますが、北アルプスの槍ヶ岳も円錐形でピラミッド型、興味のない方でも、この山だけは判る山だと思います。             中部山岳のどの山からも望め一度はその頂に立ってみたいと思う登山者の憧れの山でもあります。 

5時からの朝食を済ませ、早朝からひどい雨と濃霧であったが目的の山頂を目指す事にした。                                                 こんな状況下であり山頂を目指す登山者は少なく順調に山頂に立てた。                手前が下り用の鉄梯子で奥側が登り用の鉄梯子です。

 

上の写真は山頂に掛けられた鉄梯子です。やはり奥が登り用で手前に有るのが下り用です。                                      登山中は濃霧と風の中であり、岩や鉄はしごの滑りに細心の注意をはらった。     私はメガネをかけており、風で付いた水滴がレンズの様になり岩を登る三点確保のポイントが良く見えずに疲れた。

この山は名前の通り槍の穂先の様な独特な山姿であり、天空を突き刺すかのごとくそびえている。なので好天であれば360度の絶景が楽しめるが今回は突風と濃霧で飛ばされない様に中腰で踏ん張り、見えたのは山頂に静かにたたずむ小祠のみでした。

この祠は、雷を避けるため釘は一本も使用して無いとの事です。           山頂の広さは概算ですが縦幅10m横幅5m位で瓢箪型をしています。        晴れていると山頂からの見学も順番制なのであまりノンビリは出来ませんが今日は突風が怖くて写真のみ撮り直ぐに下山しました。

 

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『涼』を贈ります。

2009年07月26日 | 北アルプス

早朝の山岳地帯は荘厳な風景が味わえます。

日常の雑踏を避け、たまにはこんな涼しげな風景はいかがですか

今年は北アルプスきっての鋭鋒、天空にそびえる「槍ヶ岳」(3,180m)を訪ねてみました。                                              この頂を目指して6本のルートが集結しています。                    今回は槍沢ルート計画しましたが、毎回同じでは?と思い、大曲から東鎌尾根の水俣乗越へと抜ける、ヒュッテ西岳の歩荷道(ぼっかみち)であり、東鎌尾根へのエスケープルートとして利用されているコース取りで槍ヶ岳を目指しました。 

                                              一気に尾根に上がるひどくきついコースでしたが槍から穂高へ続く稜線がハッキリみえ、ニッコウキスゲも出迎えてくれました。                      初日の天候はまずまずで合羽無しで槍ヶ岳山荘に無事到着。             上高地より11時間歩行のハードコース、やせ尾根ではふらつく事も有り、お互いに声を掛け合い慎重に歩を進めました。

2日目は水俣乗越から見えた穂高への稜線を大喰岳(おおばみだけ・3,101m)・中岳(3,084m)そして南岳手前の分岐より天狗原へのコースを進みました。                                         このコースを選んだ目的は天狗原の別名「氷河公園」にある天狗池に写る逆さ槍の絵を撮ることがあったのです。                             ところが雪の多さで池のカケラも見る事は出来ませんでした。            当初よりコーヒータイムを予定していましたが、雨でもあり、そのまま槍沢へ下りました。

                                              雪渓は大小幾つも有り、縦横斜めとトラバースしなくてはならず、キックステップ、サイドステップ、バックステップと靴の中で足が縁に当たり、足の指や甲、かかとが痛み、上高地までまだ5時間ほどの歩行に耐えられるか不安になりました。

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信州「上高地散策」

2009年07月21日 | 北アルプス

英国人宣教師ウォルター・ウエストンが見いだした国際的山岳リゾート『上高地』。  ここから日本近代登山の歴史が始まりました。

いつもは登山の単なる通過点であったが、今回はじっくり時間をかけて気が置けない仲間と泊り掛けで出かけてみた。

歩き慣れない人も居たので1日目は大正池ホテル前で下車し、大正池、田代池、田代橋へと木道のある自然研究路を散策した。

                                              最初は穂高の稜線は霧で見えなかったが、久し振りに来た仲間のために、天候の回復と共に少しずつ穂高連峰の全容を見せてくれた。

タクシーの運転手さんの話では、昨日まで雨がひどく、自然研究路は通行禁止となっていたとの事でした。                                        そんな事を聞くと、みなそれぞれに「やはり、普段から良い事をしているからこうなるんだ。」なんて勝手に良い方に解釈していた。                                   確かに昨日までの雨はひどかったと思わせたのは、大正池ではなくて大正川になっていた

穂高連峰の裾野、清流梓川の岸辺を歩けば、次々に展開する美しい風景に感動しきりです。

大雨の翌日でも梓川は濁らないのが素晴らしい。                          そして新緑、水の中の水草、原生林の中で聴く小鳥の声、森林浴、歩いているだけで元気になります。

2日目は朝食後、8時からカメラだけ持ち梓川右岸の自然研究路を通り明神まで散策した。                                      右岸にとても立派な木道の研究路があったのにはビックリしました。発見であった。  朝のカッコウの鳴き声は本当に爽やかで良いですね。

「カッコウ」  「カッコウ」 

 

 

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嘉門次小屋

2009年07月19日 | 北アルプス

英国人宣教師「ウォルター・ウエストン」の北アルプス案内役を務めた明治時代の名ガイド上條嘉門次ゆかりの小屋を訪ねた。

明神池の入口に建つ嘉門次小屋は、囲炉裏の間があり、明治13年(1880)に建てられた時のままの雰囲気を保っています。

明神池は河童橋より約1時間。明神岳の麓、原生林に囲まれた荘厳なムードの池である。

囲炉裏のそばには、ウエストン氏より寄贈されたピッケルや嘉門次が利用していた銃が展示されていました。

小屋のシンボルである囲炉裏は、今も薪を焚いて昼間は岩魚を焼き、夜は宿泊客の団欒の場として利用されています。                             私たちも、ここまで来たら岩魚の塩焼きを賞味せずには帰れないと全員一致の意見でお願いした。

元気の良い岩魚の頭をコツンと一発、綺麗に串刺しして絶妙の塩加減に焼き具合。   頭から全部食べれちゃうんですよね。

                                              20センチほどの大きな岩魚なので骨が残るのかと思ったが、なんの骨の事など感じさせずに綺麗に食べることが出来た。                                   今泳いでいた岩魚が、塩一つで、こんなにも美味しく頂けるのかと不思議に感じた。

                                              焼いてくれているお兄ちゃんは口数が少なく、尋ねる事に「頭から全部食べれます。」・「普通の塩です。」と飾り気なく答えてくれた。

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木曽「奈良井宿」を訪ねる。

2009年07月17日 | 日本の歴史

江戸時代、江戸と京の都を結ぶもっとも重要な街道であった❝中山道❞          その69の宿場のうち木曽には11の宿場があったようです。

その中の、中山道十一宿のうち北から2番目の難所、鳥居峠(1,197m)を控えた宿場町、奈良井宿を訪ねてみた。

かつては街道を行き交う旅人で栄え、その様は「奈良井千軒」と謳われ木曽路一番の賑わいを見せたようです。

奈良井宿は鳥居峠の上り口の鎮神社を京都側の入口とし、奈良井川に沿って約1Kmの中山道沿いに町並みが形成されています。

旅籠の軒灯、千本格子など江戸時代の面影を色濃く残しており、時代を超えた風格が感じられ、まるで江戸時代にタイムスリップしたような錯覚におちいります。

通り掛かりの旅人に松坂屋さんの御主人は、体の具合が悪いのにも係わらず、声を掛けて下さり、一所懸命に筆をとられ色紙に「風薫る 信濃の国の 水のよろしさ」とすばやく書いてくださいました。                                      桜茶を御馳走になったり、色紙を頂いたり最高に感激しました。

                                              皆さん奈良井宿は素晴らしい宿場ですよ。是非一度、足を運んでみて下さい。          旅籠もあるし、1泊されると心が洗われます。 

 

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*七夕祭り*

2009年07月04日 | 郷土の催事

  ささの葉さらさら                                             

     のきばにゆれる      お星さまキラキラ   

            きんぎん砂子(すなご)

                     

  五しきのたんざく                                      

     わたしがかいた     お星さまキラキラ   

            空からみてる 

                                           

   作詞:権藤はなよ ・ 補作詩:林柳波 ・ 作曲:下総皖一

                      

       笹の葉サラサラ軒端に揺れる・・・・・

                 星々に届けあまたの願い    

童謡「たなばたさま」は、昭和16年3月に文部省発行の『うたのほん・下』に掲載された曲だそうです。   

中国を起源とする日本の伝統行事「七夕祭り」では、短冊に願い事を書き葉竹に飾る行事が一般的に行われています。                            短冊などを笹に飾る風習は江戸時代から始まり、日本以外では見られないそうです。

「たなばたさま」の歌詞にある「五色(ごしき)の短冊」の五色とは、中国の五行説にあてはまる五色で緑・紅・黄・白・黒を言い、中国では短冊ではなく五色の糸をつるし、芸事の上達を願ったようです。 

           

湘南ひらつか七夕まつりは昭和26年7月にスタートし、今年で第59回を迎えました。 

                                        平塚は海軍火薬廠があったことから昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け、中心市街地の約70%が焼け野原と化したとの事です。                   しかし復興は早く、「戦災復興五ヵ年計画」も一段落した昭和25年7月『復興まつり』が開催され、ちょうどこの時期が近隣農家の野上がりの時期とも重なり非常に多くの人出を見たようです。                                そこで、平塚商工会議所、平塚市商店街連合会が中心となって昭和26年7月に仙台の七夕祭りを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行ったとの事です。

ちなみに第1回の人出は10万人だったそうです。                        そしてピークは平成5年7月の第43回が361万人。以降下り坂で平成19年7月の第57回では280万人。                                  さて今年はどうでしょう?7月3日(金)の夕方小雨がありましたが以後好天に恵まれ、たくさんの人が出られたのではと思います。   

 

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