素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

甲斐路の秋

2009年11月29日 | 史跡・名勝探訪

富士の国やまなし観光ネット』が毎回配信されて来るのを見て、出かけてみた。                                             中央高速の須玉インターを出て、みずがき湖へ向かった。                                                    県道増富若神子線を増富ラジウム温泉郷に向け入ると、辺りの山々の紅葉が目に飛び込んでくる。雪をかぶった八ヶ岳が青空の中にくっきりと浮かび上がって見えた。

高度を上げるに連れて、落葉が目に付いた。みずがき湖ビジターセンターで休憩。         近辺の地図を頂いたり、今年の紅葉の状況を伺ったら、10月の下旬くらいが良かったと聞き、ガックリ。

 

鹿鳴橋を渡り、みずがき山自然公園に向かった。                                                                   この時期の瑞牆山はどんなだろう?と思った。岩が切り立つ奇峰で知られる瑞牆山は,四季折々の変化を見せ、いつ見ても素晴らしい。

 

クリスタルライン経由で甲府に戻ろうと思ったら通行止の表示があり、仕方なく増富から明野を通り、左手に「茅ヶ岳」・右手に「甲斐駒」、「鳳凰三山」を眺めながら塩山の恵林寺に向かった。

乾徳山「恵林寺」は1330年、夢窓国師によって開かれ、戦国武将『武田信玄』が菩提寺と定めた臨済宗妙心寺派の古刹だそうです。

恵林寺庭園は夢窓国師築庭の地泉回遊式庭園で上段に枯山水、下段には心字池を配した雄大な規模を誇る名園であり、昭和17年に国指定の名勝となったようです。                    夢窓国師は恵林寺庭園作庭後に、西芳寺(苔寺)、天龍寺 の庭も手掛けたようです

                                                                                恵林寺見学の後は近辺の松里地区を歩いてみた。                                                                   この時期には甲州を代表する風物詩の「ころ柿のすだれ」が見られるのです。                           山梨でも、この地区の気象条件がころ柿作りに適しているとの事です。                           柿も、この地区で作られたものでないと色合いが良くない。今干している柿も、ある程度乾燥すると、次は板の上に並べ更に乾燥、陽がまんべんなく当たる様にコロコロ位置を変える作業をすることから、ころ柿(枯露柿)と言われるようです。

 

 

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*二宮 金次郎*

2009年11月16日 | 偉人

本を片手に薪を背負った少年“二宮 金次郎”小学校の頃の記憶にあります。                                             戦後の貧しい時代に子供と言えども、家のために薪を集め、その傍ら勉学にも勤しむ。  これは戦後、子供の在るべき姿であったように思います。

薪を背負った少年像を、小学校で良く見かけるのは1928年、昭和天皇即位に祝賀の意を表したいと、兵庫県の県会議員「中村 直吉」氏が各地の報徳神社や小学校に寄付をされたのだそうです。

二宮 金次郎は天明7年(1787年)現在の小田原市栢山の裕福な農家に生まれ、安政3年(1856年)栃木県今市市にて70歳で他界されたとの事です。

生まれた頃は裕福でしたが、川の氾濫で田畑を失い、病の父の代わりに酒匂川の堤防工事に、非力な自分にも出来る事とワラジを作り工事の人々に差し出されたようです。

                                              その後、父は14歳の時に死去。                                                                                           母を助けて良く働き、勉学にも励んだ。がその母も16歳の時に死去。                              酒匂川が氾濫し、一家離散。金次郎は伯父「万兵衛」方に身を寄せたようです。

ある夜、明かりを灯して本を読んでいると伯父に怒られたのでした「お前は誰のおかげで、飯を食っているのだ。油がもったいない。」と。                               金次郎は空き地に菜種を植え、できた菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られました。「百姓に学問はいらない」と。                                   それから始まったのが、薪を背負い歩きながら本を読む姿のようです。

25歳になって、伯父の家から独立し、実家の再興に取り掛かり、勤勉と倹約に努め以前のような裕福な家に再興しました。                                                                                     それを知った小田原藩士「服部家」に財政の建て直しを依頼され着手、これに成功を治めました。                                                                                                                              31歳では藩主「大久保 忠真」より、その功績を表彰され、さらに世の人のために尽くそうと決意をしたようです。

35歳の時には、服部家での手腕を見込まれ小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の復興のため、栢山の資産を処分し栃木に移転。

この桜町領を再興する時に、武士の位を授けられ二宮尊徳となりました。

二宮尊徳翁は、ものの見方・考え方として勤労、分度、推譲を多くの人々に勧めました。                                         勤労とは、徳に報いるために働く。                            分度とは、収入の範囲内で支出を定めること。                    推譲とは、勤労、分度をして貯めた物を将来のために残したり、人に及ぼしたりすること。

また、『積小為大』・『五常講』を人々に説かれたそうです。                                          積小為大とは、小を積んで大と為すと言うこと。                          そして五常講とは、お金の貸し借りの旋回の過程で「」の心をもってそれぞれの分度を守り、多少余裕の有る人から困っている人にお金を推譲し、借りた人は「」の心を持って正しく返済し、「」の心を持って恩に報いるために冥加金を差し出すなど心を配って人に接し、「」の心を持って借りたお金を運転し、「」の心を持って約束を守る。

すなわち『仁義礼智信』の「人倫五常の道」を守ろうと教えられたようです。

 

 

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▲ 暮秋の黒四 ▲

2009年11月02日 | 北アルプス

立山黒部アルペンルートは11月30日で営業が終了します。            まだ1ヶ月ほどあり、慌てる事も無かったのですが、雪が気になったので10月24~25日(日)に入山してみた。

                                       24日(土)の4時に扇沢駐車場に到着。                     車とは言え夜中に山道を走るのは非常に気味の悪いものですが、今回は仲間がいたのでおしゃべりしながらで気にならなかった。                                     扇沢始発が7時30分であり、それまで持参のシュラフにもぐった。

携帯目覚ましで6時起床、すぐに登山準備を開始。                  始発まで充分時間があったので駐車場付近を散歩、思ったほど寒くないのに驚いた。  扇沢は標高1,433mと丹沢山並みなのに暖冬?雪が緩むとまずいな~ッと思った。

扇沢は鹿島槍や爺が岳方面、針ノ木岳方面、黒四ダムからは黒部下の廊下へ、室堂からは立山や大日岳へと名峰への登山基地である。                     今回はその中から室堂平より立山、大日岳を選んでみた。

7時扇沢駅に入り始発に乗車。                             室堂(標高2,450m)までの標高差約1,000m(距離にして13.5km)を黒部ダムの徒歩15分を含めても53分で運んでくれる。山屋にとっては夢見たいな話である。

                                               黒部ダムを展望台から見学したり、ノンビリ散策し秋撮りをした。           また、ダムの放水も見られ凄い迫力だった。

ダム上からは下流に架かる丸太橋に、黒部下の廊下へ向かう登山者が見えた。     ダムの放水中に丸太橋を渡る時、雨風の強い台風みたいで怖い思いをした事を思い出した。でも、上から見てると皆さん平気そうに渡っていた。 

黒部湖駅からケーブルカーで黒部平へ行きロープウェイに乗り換え。          黒部平はナナカマドの紅葉が見られた。とても綺麗な赤だった。             ロープウェイからの景色はダケカンバが沢山見えたが上部の紅葉は遅かった。

室堂到着10時。標高2,450mでも風も無く、寒くも無い。午前中でもあり観光客の方も沢山見えていられた。

 

 

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