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神通川「馳越線工事」でできた「松川」周辺の見どころを探る

2024年12月03日 | 旅行記・まち歩き


先に紹介した常願寺川が流れる富山市。ただ、富山の市街地にはもう一つの暴れ川・神通川がある。北アルプスの西側、飛騨高地の東側の雨水や雪解け水を集めて富山湾にそそぐ一級河川。古から地域を潤してきた川であるが、急流上に富山市や沿川各地では洪水の被害にも悩まされてきた。
以前神通川は、富山市内で大きく蛇行していた。市内の富山城のすぐ北を流れて、現在の富山駅の東側(現在は西側)を流れて環水公園付近で現在の神通川となっていた。この大きく蛇行することにより洪水が多発するため、明治期に河川を直線化を図るため「馳越線(はせこしせん)工事」が行われたのである。馳越線?実は初めて聞いた言葉であった。
この神通川の馳越とは、直線化する場所に小さな水路を築き、その上流部の本川堤防が洪水時にわざと越水する場所を設けておいて、徐々に馳越線の川幅を広げて直線化を図るというもので、実はデ・レーケが提案した方法。1903年に馳越線が完成、その後1914年に起こった洪水により現在の河道となった。(写真上:神通川の流れの変遷を紹介する富岩運河の看板と富山県土木部資料、富山駅周辺市街地の国土地理院地図・空中写真)



馳越線工事により、蛇行していた旧神通川(現松川)にはほとんど水が流れなくなった。市街地のど真ん中にしばらく廃川地として放置される状態が続いたが、富岩運河建設時に出る掘削土を旧神通川跡地の埋め立てに利用することにしたのだ。これも赤司貫一の都市計画構想に含まれていたもの。
現在、その埋立地には県庁(写真上)や市役所(写真上)、NHK富山放送局、教育会館など公共施設が立ち並んでいて、下流側には環水公園や市総合体育館、県美術館がある。まさに市街中心地に都市の中心施設を配置している。ここでもコンパクトシティを目指す富山市の「とやま都市MIRAI地区事業」と位置付けることができる。
また、松川は桜の名所として変身。「日本さくら名所100選」にも選定されているほか、両岸には遊歩道も整備されていて、隣接する富山城(写真上)・富山城址公園とともに市民の憩いの場、観光客の人気スポットにもなっている。市役所には展望塔があって、立山連峰や富山湾を一望できるそうだ。



松川沿川には見どころホントに多いんですよ!富山城(国指定史跡)や県庁本館(登録有形文化財)をはじめ、富山の文化遺産が集結している。「桜橋(写真上)」は国の登録有形文化財。1935年完成。鋼製2ヒンジのアーチ橋。都市計画事業の一環により川に対して斜めにかけられていて、橋の長さより幅のほうが長い。
船を連ねて作る橋「舟橋(ふなはし)」で、かつて神通川に架けられたものは日本一と言われていた。馳越線工事により「神通橋(現・神通大橋)」が完成し、現在松川に架かるものは1989年(平成元年)に完成したものだが、橋中央部に舟形のバルコニーが設けられていて、以前の舟橋が再現されている(写真上)。
松川には遊覧船も就航しているが、鉄道好きは市電で松川の橋を渡るというのはどうだろうか?前回紹介した富山地方鉄道軌道線(市電)区間には松川を渡る橋が3か所(路線)、富山港線もにも1か所ある。フリー切符を手にして3か所は走破しておきながら、目の前を走る電車を確認しながらも桜橋を渡る路線に乗ることを失念しておりました。あとで気づいた話。(写真下:安住橋を渡る軌道線T100形市電)




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