以前も紹介したことのあるが、土木事業に「三方良し」の精神をという活動の第一人者である師匠を遥々高知からお迎えし、新潟を案内する時間があった。僅か半日という時間でどこを案内するかいろいろ考えてみる。
土木屋さんなら「大河津分水」をと思い立ったが、何回も新潟には来ているのですでに行ったことがあるのではと聞いてみると「行ったことがない」とのこと。サクラの時期でもあるし、大河津分水路の改修事業がどこまで進んでいるかを確認するいいチャンスとも思い、燕市分水にクルマを走らせる。
まずは「大河津資料館」に。お天気続きで、県内屈指のサクラの名所でもあることから混んでいることは混んでいた。でも資料館前の駐車スペースにクルマを停めることもでき、館内もゆっくり見学できた。サクラには興味がある方も大河津資料館はスルーするんだな、残念。
それでも客人には、信濃川・阿賀野川の二大大河がもたらす功罪、砂丘地に流れを阻まれて形成されている新潟平野の低湿地帯、もちろん土木技師なら大河津分水路の大きな役割を容易に理解いただける展示内容であることは言うまでもない。
自分自身は、改めて青山士の紹介パネルの前に立つ。荒川放水路や岩淵水門を手掛けた後、同じく小名木川閘門などで青山とタッグを組んでいた宮本武之輔とともに、大水害で自在堰の補修工事にあたったことが事が紹介されている。このブログでこの点が触れられていなかったが、荒川にお邪魔した後に改めて紹介する機会を得た感じだ。
青山士は、荒川放水路建設や鬼怒川の改修を経て、新潟土木出張所長(現・地方整備局長)として赴任。後に内務技監、土木学会長を務める。宮本武之輔は、荒川から新潟土木出張所の大河津分水の現場責任者として活躍。後に工学博士号を受けている。素晴らしい土木技術者が新潟を支えていたのである。
ところで、この大河津分水路は、前述のとおりサクラの名所でもあり、公園や駐車場も整備されている。資料館から堤防沿いに約2600本のサクラが植えられていて、「日本さくら名所100選」にも選ばれている。新潟の人気観光地としてもトップ10に入っている。
これは大河津分水の建設に私財を投げ打って必要性を唱えた当時の地元の庄屋でもある田沢実入(みのり)を称え、これまた私財を投げ打ってサクラ植えた山宮半四郎(燕市名誉市民)の両者の分水路建設にかかる思いが込められているサクラ並木でもある。毎年4月の第3日曜日には「分水おいらん道中」なる華麗なイベントが開催され話題になるが、さてサクラの開花が例年になく早かった今年、おいらんは慌てて化粧をしているに違いない。
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