さて、北上川5大ダム、今回は「湯田(ゆだ)ダム」と「田瀬(たせ)ダム」を紹介したい。
湯田ダムは、北上川支川の和賀川にあるダムで、堤高89.5メートル、堤頂長265メートル、形式は全国でも十数例しかない重力式アーチダムで、東日本では荒川の二瀬ダム、憧れの只見川の大鳥ダムと三か所だけのもの。1965年、石淵ダムから数えて3番目に完成した。ダムの利用目的としては、もちろん洪水調整のほか、不特定利水、発電がある。(写真上:両側の岩盤の重力式コンクリート部でアーチダムを支える湯田ダムの堤体、きんしゅうこものしり館内には非常用洪水吐から豪快に放流する写真なども展示されていた。)
国道107号は走りやすい道路だが、ダム左岸の管理事務所などは急峻な山肌に張り付くようにして建設されていて、国道からの出入口は2か所ともトンネル内というところ。出るときには信号機があるが、誘導員も配置されていた。
また、2021年に発生した地震により国道107号で地滑りの可能性があるため、錦秋湖に仮橋を設置。復路に利用したが、大型車の後ろについて走行するとかなりのスリルを味わえる橋であった(写真下)。現在、迂回用のトンネル工事が行われている。
湯田ダムは、ダム湖である錦秋湖に水没する住民の移転補償が大きな問題(622世帯が水没、東京都の小河内ダムに次ぐ規模)となったほか、国道107号や国鉄・横黒線(現・北上線)の付け替え、発電用ダムの水没対応にも時間と費用を要したダムである。
ただ、その反面、多くの関係者の協力を結集した形にもなり、「地域に開かれたダム」として錦秋湖を中心とした観光地としての取り組みやスポーツエリアとして整備・利用されているのも特徴。「ほっとゆだ」駅には温泉もあって、地域住民や観光客にも人気だという。
さらに、注目したいのは錦秋湖の最上流部(ほっとゆだ駅に近いところ)に「湯田貯砂ダム」がある(2002年完成、写真上)。湯田ダムへの堆砂を防ぐためのダムだが、この堤体は通路にもなっていて流れ落ちる水の中を歩くことができる。下流部の橋からの眺めも「ほっと」するほど美しい。
田瀬ダムは、猿ヶ石川にある重力式コンクリートダムだ(写真上)。堤高89.5メートル、堤頂長265メートル、ダム湖は「田瀬湖」と命名されているが、ここの総貯水量は5大ダムでは最大の1億4650万㎥。
当初は猿ヶ石堰堤として計画されたいたが、当時の内務省土木試験所長・物部長穂の論文や技監の青山士が議長を務める土木会議などにおいて、多目的ダムの田瀬ダムが誕生することになる。用途は洪水調整・かんがい・発電、発電は電源開発(JPOWER)が事業者となっている。
というのも、戦時下、直轄ダムとしては石淵ダムより先に着工しているが、途中中断。その時点での再補償などの問題があったり、戦後の混乱の中で電気事業者も再編されたこともあり石淵ダム同様電源開発が担当することに。完成も1954年と石淵ダムより1年遅くなった。
田瀬ダムのパンフレットには、ダムの放流設備に上部のクレストゲート6門のほかにコンジットゲート4門とあって、これが国内初の高圧スライドゲートでアメリカの技術を導入したとある。以降の多目的ダム建設にも寄与したものとして、「機械遺産」に認定されている。(写真上:「田瀬ダムものしり館」内のコンジットゲートを説明する模型)その後、放流水制御のため施設改良事業を実施)
時短のために山越えルートを選択して険しい道で田瀬ダムにたどり着いたが、管理事務所やものしり館のある左岸見学後、県道にもなっている天端の道路(写真上)で右岸に渡って帰路に就く。すると見たことのある場所に出くわした!
なんとまあ、「道の駅・みやもり」だ。そう、以前釜石の帰りにわざわざ立ち寄った釜石線「宮守川橋梁」のある場所だ。そこからクルマで10分とかからない場所に田瀬ダムはあった。めったに来れる場所じゃないのにまた忘れ物をしていたか!(当時、北上川5大ダムはまだ土木遺産に認定(選奨)されておらず、ノーマークだったと思われる。)
湯田ダムは、北上川支川の和賀川にあるダムで、堤高89.5メートル、堤頂長265メートル、形式は全国でも十数例しかない重力式アーチダムで、東日本では荒川の二瀬ダム、憧れの只見川の大鳥ダムと三か所だけのもの。1965年、石淵ダムから数えて3番目に完成した。ダムの利用目的としては、もちろん洪水調整のほか、不特定利水、発電がある。(写真上:両側の岩盤の重力式コンクリート部でアーチダムを支える湯田ダムの堤体、きんしゅうこものしり館内には非常用洪水吐から豪快に放流する写真なども展示されていた。)
国道107号は走りやすい道路だが、ダム左岸の管理事務所などは急峻な山肌に張り付くようにして建設されていて、国道からの出入口は2か所ともトンネル内というところ。出るときには信号機があるが、誘導員も配置されていた。
また、2021年に発生した地震により国道107号で地滑りの可能性があるため、錦秋湖に仮橋を設置。復路に利用したが、大型車の後ろについて走行するとかなりのスリルを味わえる橋であった(写真下)。現在、迂回用のトンネル工事が行われている。
湯田ダムは、ダム湖である錦秋湖に水没する住民の移転補償が大きな問題(622世帯が水没、東京都の小河内ダムに次ぐ規模)となったほか、国道107号や国鉄・横黒線(現・北上線)の付け替え、発電用ダムの水没対応にも時間と費用を要したダムである。
ただ、その反面、多くの関係者の協力を結集した形にもなり、「地域に開かれたダム」として錦秋湖を中心とした観光地としての取り組みやスポーツエリアとして整備・利用されているのも特徴。「ほっとゆだ」駅には温泉もあって、地域住民や観光客にも人気だという。
さらに、注目したいのは錦秋湖の最上流部(ほっとゆだ駅に近いところ)に「湯田貯砂ダム」がある(2002年完成、写真上)。湯田ダムへの堆砂を防ぐためのダムだが、この堤体は通路にもなっていて流れ落ちる水の中を歩くことができる。下流部の橋からの眺めも「ほっと」するほど美しい。
田瀬ダムは、猿ヶ石川にある重力式コンクリートダムだ(写真上)。堤高89.5メートル、堤頂長265メートル、ダム湖は「田瀬湖」と命名されているが、ここの総貯水量は5大ダムでは最大の1億4650万㎥。
当初は猿ヶ石堰堤として計画されたいたが、当時の内務省土木試験所長・物部長穂の論文や技監の青山士が議長を務める土木会議などにおいて、多目的ダムの田瀬ダムが誕生することになる。用途は洪水調整・かんがい・発電、発電は電源開発(JPOWER)が事業者となっている。
というのも、戦時下、直轄ダムとしては石淵ダムより先に着工しているが、途中中断。その時点での再補償などの問題があったり、戦後の混乱の中で電気事業者も再編されたこともあり石淵ダム同様電源開発が担当することに。完成も1954年と石淵ダムより1年遅くなった。
田瀬ダムのパンフレットには、ダムの放流設備に上部のクレストゲート6門のほかにコンジットゲート4門とあって、これが国内初の高圧スライドゲートでアメリカの技術を導入したとある。以降の多目的ダム建設にも寄与したものとして、「機械遺産」に認定されている。(写真上:「田瀬ダムものしり館」内のコンジットゲートを説明する模型)その後、放流水制御のため施設改良事業を実施)
時短のために山越えルートを選択して険しい道で田瀬ダムにたどり着いたが、管理事務所やものしり館のある左岸見学後、県道にもなっている天端の道路(写真上)で右岸に渡って帰路に就く。すると見たことのある場所に出くわした!
なんとまあ、「道の駅・みやもり」だ。そう、以前釜石の帰りにわざわざ立ち寄った釜石線「宮守川橋梁」のある場所だ。そこからクルマで10分とかからない場所に田瀬ダムはあった。めったに来れる場所じゃないのにまた忘れ物をしていたか!(当時、北上川5大ダムはまだ土木遺産に認定(選奨)されておらず、ノーマークだったと思われる。)
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