LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
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テレビ放送とアマチュア無線・・・

2018年01月03日 18時21分05秒 | アマチュア無線

 私自身は殆どテレビを観ないのですが、病院を退院してから世の中の動向を知るには必要なのかと考えて、一日20~30分眺めていました。

 遡ってみると、確か高校受験のあたりからテレビを見ることを止めてしまったように思います。
その後も、地方の工業高校に進学してから、もう少し勉強がしたくなり、大学に向けての受験勉強をするはめになりました。

 一日は24時間もありますが、工業高校でしたから実験実習のレポートや勉強していない受験科目の勉強のために明け方まで勉強する時間を作らなくてはならないので、結局はテレビを観る時間なんてありませんでした。

通算してみると半世紀近くもテレビを見ていないことになります。
でも、必要なニュースであるとか、関心のある番組は選択して視聴はしていますが、ほとんどがラジオ生活でした。
最も、趣味がアマチュア無線でしたから、その前のSWL(短波放送受信)も含めるとラジオ聴取が中心の生活でした。

今回、久々に師走の平日に自宅静養で休んでいたため、地上波放送から衛星放送までリモートコントローラーをスキャンしていたのですが、放送内容がなんだか悲しくなってしまいました・・・

 もう30年も昔々の話なのですが、21MHzのSSBでロールコールをしていたことがあります。
そして年に2回ほど暑気払いとか忘年会と称してアイボールをしていました。

 どういう訳か、年配のJA1のコールサインの方が多いうえに、外国からアイボールにくる方も飛入り参加していました。
当時、私の様な若造に、OMの皆さんに失礼があったと思うのですが、技術的な面も含めていろいろな事を教えていただきました。

 その中には戦前のアマチュア無線家のJ2OMのコールサインをお持ちだったYさんがご高齢でしたが毎回参加していただいていました。
Yさんは戦前の浜松高等工業で高柳健次郎氏の門下でテレビジョンの開発をしていたお話をよく拝聴させていただきました。

 「高柳健次郎」なんて初めて聞くという人がほとんどでしょうが、日本でテレビを初めて作った方でした。
戦前にYさんはアマチュア局を開局して、J2OMというコールサインが下りて、「若いのにOM・・・」とよく言われたと飲みながら話していました。

確か最初に「イ」という文字を走査線40本でブラウン管に写し出したとよく話していました。
今の時代の有機ELに4K・8Kなんてことは想像もし得なかったと思います。
戦前の電子技術者たちは、もっと違う夢を追いかけていたのではないのかなと考えることしきりでした。

今回、師走の平日の地上波と衛星放送を見ていると何だか勝手にもの悲しくなってしまうのは私だけでしょうか・・・
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