2008-06-13 21:10:40
「新しい酒と古い皮袋」のたとえ話。では、ルカの福音書ではどうなっているのでしょうか。先ずテキストを引用しましょう。
「まただれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れなければならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」
( ルカ5章37-39節)
このルカの福音書の平行箇所には、マルコにもマタイにもなかった新しい表現が見られます。
「また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」
と言うのがそれです。
私にとって、この箇所は長年理解できない謎でした。なぜならば、このことばは、たとえばなし全体のトーンから浮き上がってしまうように、私には思え、読む度に頭がこんがらがってしまうからです。
私は、長年の国際金融マンの生活を通して、日本でも海外でも、一本何万円もする「よい酒」を飲む機会に多く恵まれました。フランスワインの赤の場合が特にそうですが、「よい酒」はただ値段が高いだけではなく、みな古い酒だったと記憶します。
この経験が、私の頭の中でキリストの「新しい酒と古い皮袋」のたとえ話の理解を妨げてきました。「新しい酒は」その脈絡では、なんとも味の物足りない安物の酒、ということになってしまうからです。
ところが、聖書のたとえ話では、イエスは「新しい酒」と「新しい皮袋」に結ばれており、ファリサイ人と「古い酒」と「古い皮袋」がセットメニュー、と言う設定になっています。善玉と悪玉の単純な区別で言えば、何で悪玉のファリサイ人が「高価な希少なよい酒」で、イエスが「安物の悪い酒」になるの?なぜそうなるの?と考えれば考えるほど頭がこんがらがってしまうのでした。昨今のねじれ国会ではないが、なんとも訳が分からなくてお手上げでした。
それが、目の前の教会の現状を鍵に、このたとえ話を解き明かしていく内に、アッ!なるほど、目から鱗、と納得がいったのです。
そもそも、イエスがこのたとえ話をした時代の状況を考えると、ぶどう酒をビンに詰めコルクできっちり栓をして、温度管理の効いた薄暗い低温倉庫に金をかけて高値がつくまで何年でもじっくり寝かせておけるわけがありません。皮袋に入れて、常温、それもかなりの高温に晒されていたのでしょう。当時「古い酒」と「よい酒」は同義で無かった可能性があると思いませんか。それを頭に入れて考える必要もあったのです。
今風に言えば、イエスとその教えは、確かに「新しい酒」ではありますが、スーパーの「酒売り場」の入り口に無造作に積み上げられた、大量生産のつまらない安物のぶどう酒のことではありません。選りすぐれた極上のボジョレヌーボーのように、香りも味も最高の力強い酒のことでなければなりません。それに対して、ファリサイ人達は「古い酒」ですが、それは、エチケットのブランド名と古い年代の数字だけが自慢の、味がとっくに峠を越した、ほとんど酢になりかけの赤黒い液体に過ぎないなのです。彼らも、遠い昔には、「優れた新しい酒」であったのでしょう。それまで否定するつもりはありません。
こう読めば、イエスのことばが、いかに強烈な皮肉を込めたものであるかがわかってくるというものです。
「また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」
これは、古いぶどう酒に酔い痴れ、自分の酒がいつまでも最高と自己満足に膨れ上がってしまった者は、当然「新しいものを欲しがらない」、ということではないでしょうか。そんな彼らには、新しいもののよさを認める包容力などあるはずもありません。受け入れる力もないでしょう。何しろ、彼らの皮袋はすっかりしなやかさを失い、固くなり、脆くなってしまっているからです。
「まただれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。」
(この「酒」談義、まだ続きますが、今回はここまで。)
2008-06-11 07:13:18
懐かしの三本松教会のマリアさま
話はちょっと横道に逸れますが、高松の神学校は必ず復活します。それも、キリストのように一旦死んで三日目に、などというものではではないと思います。
マリア様は、眠りに就かれたが、その瞬間、彼女の魂も肉体も、直ちに天に引き上げられた、と言うのが、2000年のあいだ変わることのないキリスト教の信仰でした。高松の神学校の名前は奇しくも「レデンプトーリス・マーテル」です。つまり、「贖い主のみ母」マリア様に因んだものです。だから、この神学校が高松の現司教の手を離れるときは、直ちにバチカンの腕の中に抱き入れられる時に違いないと信じています。
いずれにしても、6月30日付けをもって閉鎖という司教の決定は撤回され、緊迫した事態は取り敢えず白紙にもどったのは確かです。朝令暮改とはまさにこのことです。後のことは、ベネディクト16世にお任せすればいいことです。お声がかかれば、私はその移行作業のために微力を尽くして働きたいと思っています。
さて、話を元に戻しましょう。前回の「新しい酒と古い皮袋」のたとえ話は、マルコによる福音をベースに黙想しました。そして、その理解を助けるためにルカの福音書の別の話を挿入しました。それは:
わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。あなた方は、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。
(ルカ12章49-51節)
でした。
この分裂の話は、新しいぶどう酒と古い皮袋のテーマと深く結ばれているように思います。
前回の「イエスのたとえ話」のブログは、「イエスは聖霊による分裂をこの世にもたらすために来たのでしょうか?彼は、本当は平和をもたらすために来たのではなかったのでしょうか?」という設問で終わっています。
答えを先取りすれば、イエスは「分裂」と「平和」の両方をもたらすために来たのだと思います。
この答えが正解かどうかを確かめるために、もう暫らく同じ「ぶどう酒と皮袋」のたとえ話を、ニュアンスの違う別のバージョンから見ていきたいと思います。
新しいぶどう酒を古い皮袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、皮袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、皮袋も駄目になる。新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。(マタイ9章17節)
前に見たマルコのたとえになかったのは、最後の「そうすれば、両方とも長持ちする」です。なんだ、ここにイエスはちゃんと両方とも長もちする方法を提示しているではありませんか。考えてみれば、極めて当たり前のこと、つまり「平和共存」の道だったのです。 ルカの聖霊の火の剣による分裂は、新しい酒と古い酒の境い目を鋭く切り裂いて分裂させ、それぞれを新しい皮袋と古い皮袋に分けた上、平和に共存させようと言うものではないでしょうか。ちょうど、現代世界において、ユダヤ教とキリスト教が、同じアブラハム、イザーク、ヤコブの神を信じながら、それぞれの皮袋におさまって、少なくとも表面上は平和に共存しているように。
例の善意の「正義の味方」がスローガンの「平和と一致」を本気で達成しようと思ったのなら、彼も、平和共存を模索すべきはずでした。
アプリオーリに、皮袋は一つだけしか認められない。その唯一の皮袋は「古い皮袋」でなければならない、という硬直した排他的な思考からは、真の平和は生まれません。卑近な例としては、パレスチナ問題がまさにそれです。
問題は、古い皮袋が、もし新しい酒が入ってきたら、自分は裂け、今までの古い酒も新しい酒とともに流れて滅んでしまうのを本能的に察知して怯えているということです。そのことを予感した古い酒は、自分と古い皮袋を守るためには、新しい酒を拒み、殺してでも、何がなんでもそれを地に捨ててしまおうと固く決意してるところに問題があります。
繰り返しになりますが、キリストがこのたとえ話を語ったときは、古い酒と古い皮袋はファリサイ派と律法主義でした。新しい酒と新しい皮袋は、もちろんナザレのイエスとその教えです。それを今の時代に置き換えるとどうなるでしょうか。
前に、このブログで「コンスタンチン体制とインカルチュレーション(宗教の文化への受肉)」のテーマを取り上げました(これもまだ途中までで未完結のままです、ごめんなさい必ずその問題にもどります)が、そこで言うコンスタンチン体制こそが、今日の教会にとっては、まさに古い酒と古い皮袋だということが出来ます。
それに対して、1965年に幕を閉じた第二バチカン公会議とその精神を生きる新しいカリスマが、新しい酒と新しい皮袋であると言えましょう。
キリストを新しい酒とし、ファリサイ人たちを古い酒とする厳しい対立の構図は、平行移動的にコンスタンチン体制にしがみつく人たちと、ポスト公会議の精神に生きようとする人たちの対立にそのまま当てはまります。ただし、ここで誤解のないようにあえて申し添えますが、ここで言うファリサイ人達とは、イエスの時代にも、現代においても、同時代人からは、正しい、立派なひと、社会から尊敬されている模範的な上流階級のひとたちのことを指し、彼らは正当な手続きを経て指導者の地位に着き、大勢の人たちに一目置かれ、かしずかれているのです。彼らにとって、それは当然のことであり、イエスのような物の言い方をするものは、その声を聴くに値しない非礼なやから以外のなに者でもありません。
ファリサイ派=コンスタンチン体制=旧い教会指導者=伝統的神学校
対
キリスト=第二バチカン公会議=新しい共同体=新しい神学校
これが、わたしたちが今直面している対立の構図です。どちらが古い酒と古い皮袋で、どちらが新しい酒と新しい皮袋かは、今までの考察から明らかでしょう。新しい酒が古い皮袋に入ったら、古い皮袋が裂けてしまうのは、新しい酒の所為でしょうか。そうではありません。古い皮袋が年月を経る中で劣化し、弾力性を失い、脆くなっているからに他なりません。古い皮袋が新しい酒を忌避するのは、生き残りをかけた自己防衛本能で、それ自体、別に咎められるべきことでもありません。
いけないのは、古い酒が古い皮袋だけが唯一の皮袋であるべきで、新しい酒が新しい皮袋に入って栄えるのはプライドにかけても絶対に許せないとするところにあります。プライドという輸入日本語には、語源的に傲慢と言う意味があります。次の聖書のことばは、そのような人に向けられたものではないでしょうか。
そうだ、言っておくが、今の時代のものたちはその責任を問われる。あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。(ルカ11章51b-52節)
今日の「新しい酒」のたとえ話のマテオバージョンは、この断罪を避ける為の救済の助言と受け止められます。新しい酒は新しい皮袋に、古い酒は古い皮袋に、そしてどちらも相手の存在を認めて平和に共存するように、と。
ボジョレー・ヌーボーのように、味のまろやかさはまだ今一つでも、生き生きと力強い活力に満ちた「新しい酒」と、古いラベルとヴィンテージだけが自慢の、酢に変わりかけた「古い酒」、どちらもそれぞれに「新しい皮袋」と「古い皮袋」に上手に棲み分けてこそ、イエスのみことば通り「両方とも長もちする」ことが出来るのではないでしょうか。
わたしは、日本の教会の指導者の中に、使徒言行録5章に出てくるガマリエルのような人は一人もいないのか、と問いたい。
これを聞いた者達は激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルと言う人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、それから議員たちにこういった。「イスラエルの人たち。あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉いもののように言って立ち上がり、その数四百人ぐらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、したがっていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、付き従った者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」一同はこの意見に従い、使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。
(使徒言行録5章33-42節)
今の日本の教会の中には、ガマリエルのような気骨のある指導者は一人もいないのか。かれは、ファリサイ派に属するあの時代の「古い酒」の一員ではなかったか。
この「酒と皮袋」シリーズには(その-3)を予定しています。明快に、ばっちりと決めたいと思います。請う、ご期待!
(写真は、わたしが3年間の教区外追放生活を強いられ、孤立無援の状態にに追いやられるまで、主任司祭をしていた三本松教会の庭の花とルルドの聖母像)
〔エゾ鹿〕 前回までの話で、良心の声の強さが何故相対的に大きく異なるかが分かっただろう?
〔ウサギ〕 いいえ、ちっとも。
〔エゾ鹿〕 そいつは弱ったな!では、初めから筋道をつけて説明するから、しっかり付いてきてくださいよ。
〔ウサギ〕 さあ、どうですかね。あんまり難しい話になると、誰も付いてきてくれないんじゃないですか。
〔エゾ鹿〕 それは分かっているさ。しかし、何しろ、ローマの教皇庁立グレゴリアーナ大学大学院ゼミ1学期分ほどの内容と格闘しているのだからね。なるべく平易な言葉で纏めるように努力するから、少しは辛抱して欲しいな。
さて、人間が物心付いて、初めて重要な良心的選択に直面したとき、誰でも、自分の心の最も奥深ところに「それは良いことだからしなさい!」とか「それは悪いことだから絶対にしてはいけない!」という形ではっきりと響く他者の声、良心の声を聞くはずだと思う。良心の声と自分の願望の対立が深いほど、また誘惑が大きいほど、良心の葛藤は激しいものになるだろう。もし、幸い、最初の良心的戦いに勝利し、誘惑を退けて善を選び取るなら、良心の声は「よくやった、あなたは正しい選択をした」と言って褒めてくれるし、本人も深い心の平和と喜びを味わうに違いない。
〔ウサギ〕 それはまあそうでしょうな。 だから?
〔エゾ鹿〕 人生で最初の重大な選択において、幸い善を選び取り、悪を退けた魂は、次に同じような誘惑を前にしたとき、前と同じように明白な良心の声を聞くだろう。そして、良心の葛藤に勝利して善を選んだときの心の平和と喜びの記憶が助けてくれるから、最初のときよりも少ない良心の葛藤の後、よりたやすく善を選ぶことが出来るに違いない。そして、3度目以降はますます容易に、ほとんど第二の本性のように、常に善に傾く魂の習性が生まれることになる。
〔ウサギ〕 では、もし最初の良心の戦いに敗れて、誘惑に負けて悪を選んだ者はその後どうなるんですか?
〔エゾ鹿〕 それが実はカカオアレルギーの坊やの話さ。もちろん現実世界にはカカオアレルギーなんて存在しないかもしれない。一つの寓話として、エイズやC型肝炎などよりもっと厄介な魂の病、決定的な治療薬が見つからない、緩やかな死に至る難病のようなものだと考えていただきたい。
悪餓鬼の家で初めてチョコレートの誘惑に直面したときの坊やの良心との葛藤は、傍目にも痛ましいほど激しいものだった。坊やは優しいお父さんを愛していたし、チョコレートが自分の場合は食べてはいけない有害なものだと言うことはよく分かっていた。しかし、可愛い女の子の誘惑の前に、彼の最後の抵抗線が崩れ去った。その後の良心の呵責は激しかった。後悔した坊やは、二度目も果敢に戦った。しかし、もう一歩のところで、また彼は負けてしまった。そうなると、良心の声は弱くなり、戦う力も衰える。勝手な言い訳や嘘で自分を弁明し、良心の声は無視、黙殺されていった。
「ファンダメンタルオプション」とは、人生における最初の重大な善悪の選択の岐路に際して、良心の声を前にして何を選んだかが、その後の人生に決定的、基本的な意味を持つと言うことだ、と言っていいだろう。善を選んだものが、その後の人生においてますます容易に善を選ぶ習性を身につけ、不幸にも悪を選んだものは、どんどん良心が麻痺して、仕舞いにはほとんど自動的に、習慣的に悪の側に滑り落ちてしまうことになる。
この辺の事情が分かると、良心の声が、人によって、また同じ人でも魂のありようによって、大きく強く働いたり、弱々しく、或いはほとんど聞こえないぐらいになる理由が分かると言うものさ。
大きな罪人が回心して善に立ち返ったり、天使のように清く善良な魂が、或る日突重大な罪に陥るなどのことは、よほど大きなエネルギーが第二の本性を破壊したことを意味する。
さらに、個人についてファンダメンタルオプションを語りうるとすれば、小さなグループについても、或いは、ある地域社会においても、国レベルでも、イデオロギー集団においても、類比的に(アナロジーとして)ファンダメンタルオプションを当てはめることが出来るはずだと思う。つまり、集団的な高いモラルや、その反対の良心の麻痺がそれだ。ナチスの強制収容所で、ゲシュタポも看守も医者も看護婦も、ユダヤ人に対する非人道的なひどい扱いを、全く罪悪意識無しにやったかのごとくに抗弁するのがいい例だ。
ユダヤ教やキリスト教が言う、人祖のアダムとエヴァの失楽園の物語は、進化の長い歴史の最先端で、初めて理性と自由意志が円満に開花した最初の人間の最初の良心的選択の物語として、人類規模のファンダメンタルオプションの決定的出来事だったに違いない。その結果、その子孫(現代まで生き延びている全人類)の一人ひとりのDNAには、きっちりと「男」、又は「女」、そして「罪」と極印されることになった。これをキリスト教的には「原罪」(Original sin)と呼んでいるのさ。たくさんの補足説明、付帯考察を全部省略して、骨だけを言うと大体こんな話になる。これで、良心の声の内容の絶対性と現れ方の相対性、ならびに良心と罪の関連の話を終えてもいいかな?
残る問題は、「悪の根源」と人間の「罪」との関係だが、それはまた結構しんどい話になるから、次に譲ることにしよう。
2008-06-08 22:39:47
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禁じられた遊び
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ここでギターの繊細なメロディー「禁じられた遊び」をBGMとして流せれば最高なのですが、ブログ編集の技術が未熟で残念です。どうか、想像力を駆使して、このブログを開けているあいだ、心の耳であのメロディーを聴いてください。
まず、この最初のなんだかわけのわからない写真の説明から入りましょう。
右側の黒っぽい塊は、何年か前に私が切り倒したミモザの古木の切り株です。腰掛けて野尻湖を見下ろすためにちょうどいい高さに残してあります。その前にホームセンターで買ってきた芝生が一枚。その四隅にラベンダーの苗。お線香がもえていて、よくみると赤いカップローソクも・・・・。さて、真ん中の変わった物体が曲者です。
サルバドール・ダリが晩年に創ったキリストの架刑像ですが、十字架の縦木も横木もないところがミソです。銀製のオリジナル。時価ウン十万円を言ってしまっては品がなくなりますね。四国の公園の芝生に、三町合併による「東かがわ市」誕生を記念して、二年間に亘りダリの野外彫刻展を誘致したときに、記念にコレクションのオーナーから個人的に贈られたものです。19体の大きな彫刻のうち一体は、今もその公園に永久保存されています。
もうお分かりでしょう?!これ、動物のお墓ごっこです。誰、いや、何が葬られているか、ですか?それが今日の話題です。
窓辺の机の前で、パソコンに向かってブログを書いていたら、突然カーテンの向こうのガラス窓に「コツン」と「ドン」の中間ぐらいの音がしました。不審に思ってカーテンを開けると、窓の高さまで積んだ暖炉用の薪の上に、黒と橙と白の鮮やかな色の野鳥がちょこんととまり、首をかしげてわたしを見上げているではありませんか。ガラス越しとは言え、野鳥が人の気配にも逃げて飛び去らないなどと言うことがあり得ましょうか?ところが、その小鳥は逃げるどころか、こちらに何かを訴えかけるように見上げ、動こうとしません。
もう一度よくみると、なんと、その小鳥の足元の薪の上に、もう一羽の野鳥が、瀕死で横たわっているではありませんか。羽の色は全く違うが、つがいの雌が、ガラスに激突して首の骨を折ってしまったのでしょうか。ツバメだって夜の蝙蝠だって、普通は別荘の窓に自爆するなんてとんまなことはしないものです。まして白昼堂々。きっと、恋の飛翔に夢中になって、前後の見境もなく二羽もつれ合って舞っていたのでしょう。
そして、愛する彼女が傷ついて、突然恋の終わりに見舞われて、すっかり途方にくれた小鳥が、必死でわたしに救いを求めているのでしょうか。
台所の流しの下から、茹でたスパゲッティーのお湯を切るために使うステンレスの半球形のざるを取り出し、庭履きのサンダルを突っかけて、ゆっくり偲び足で近寄りました。エサに釣られた雀でも、ここまで距離を詰められたら絶対に逃げるはずなのに、雀よりはるかに警戒心の強い森の野鳥が、じっとして動きません。愛するもののそばを、死んでも離れたくないかのようでした。その上に、無慈悲にもステンのざるがサッと被せられました。ヤッター!
かごの鳥、ならぬ、プラスティック製の整理箱の中のオスの野鳥。図鑑がないので名前不詳。
(mari さん、有難う!あなたのコメントのお陰で分かりました。間違いなくキビタキのつがいでしたね。 www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta.html をお借りします。そこでは生き生きとしたキビタキの姿と鳴き声が見られますネ。)
アジサイの花の上に移されたメス。まるで眠っているよう。鴛鴦や鴨の仲間はそうだけど、小さい野鳥にも雌雄でこんなに羽の違うのがいたんだ。
ここから、禁じられた遊びの始まり、ハジマーリ!
注意深く墓穴を掘る。
そっとムクロを入れ、・・・・
静かに横たえる。お祈りをして、・・・・
あとは、土をかけ、芝生を張り、十字架を置き、蝋燭とお線香に火をつけると、無事「禁じられた遊び」はお仕舞い!葬儀に神妙に参列した彼は、ふたを開けるや否や、天に向かって矢のように飛び去っていきました。彼女の魂を追うかのように。
それにしても、よくおあつらえ向きの芝生が一枚手元にあったものだ。それに、4株のラヴェンダーの苗はどうしたの?誰も不思議に思いませんか?
実は、この禁じられた遊び、この日が初めてではなかったのです。
ほんの数日前、国道18号線の白いガードレールの側に、瀕死の雀が横たわっていました。拾い上げられ、見取られて、ここに運ばれ、手厚く葬られました。
墓穴を掘る手が馬鹿に慎重だったのは、先に入っている小鳥の眠を邪魔しないためでした。ミモザの切り株の上に敷きつめられた小鳥のえさを布団にして、静かに埋葬を待つ在りし日の雀ちゃん。
居直って凄んだら、上智大学の外国人神父・教授たちも震え上がったあの元全共闘ゲバ学生。すっかり白髪になって気が弱くなったけど、もともとはこんなおセンチな孤独な男なのです。
もう40年も前のことか・・・・、そう、わたしがまだドイツのコメルツバンク本店に勤務していた頃のことです。ミュンヘンの南にキムゼーと言う湖水があります。その岸辺の凍てつく冬の寒さの中で、コートの襟を立てて森を散歩していたとき、わたしは一羽の瀕死の小鳥と出会ったことがあります。手袋を脱いで両手のひらに包み込んで暖めてやるほかになすすべはありませんでした。最後に手の中でブルブルッと身を震わして息を引き取りました。あの掌の感触、まるで昨日の出来事のように、決して忘れることが出来ません。たまらなく悲しかった。大きな樫の木の根元に、ゆっくり時間をかけて埋葬の儀式をしました。木の枝をくくり合わせて小さな十字架を立てて祈りました。お金の神様の後を追って目の色変えて走っていた国際金融マンの素顔の一面でした。遠くの森にシカの姿がありました。
+ + + + + + + + +
復活するのは人間だけですか?あるペット好きが聞きました。スコラ神学でがっちり頭を固められたわたしは、無慈悲にも答えました。理性と自由意志を供えた人間の魂は、復活のとき肉体を返していただいて永遠に生きるが、個々の動物は個体としては復活しない、と。(だから上の話の中の小鳥たちも土に帰ったままになる。)
わたしをどの人間よりもイッパイ慰めてくれたネコちゃんだけは復活させて返していただきたいわ、神様、それって駄目なんですか?と訊ねた人がいる。
人間が復活するとき、肉体をもって復活する。復活する肉体との関連で、今の物理的世界も(もちろん高められ霊化されてではあるが)天と地の再生として永遠の復活に参与する。だけど、ネコのクララちゃんはねー?ちょっと、分からないなー!まあ、神様に聞いておきましょう。。
2008-06-06 11:19:27
深堀司教様が帰ってくる。司教を辞して4年間、一度もその土を踏むことのなかった四国に。
いま、なにを祈っておられるのか・・・・・
わたしは、彼に拾われ、首輪をつけてもらった野良犬だった。そして、彼にとってのわたしは、恩のある飼い主の手を噛むような、疫病神だった。そんな私を、彼は無条件に赦している。
ノーマルな状態では、引退司教は、教区内に留まり、自分の息のかかった後任司教と、彼を慕う教区民に囲まれて、幸せな老後を過ごすはずだった。それが、司教としての最後の日々を、世俗の法廷で被告の汚名を着せられて過ごし、引退後は熊本の繁華街の真ん中の教会で一司祭として黙々と激務に耐え、孤独に耐え、不本意な日々を過ごしてこられた。
高松の緑に縁取られた小川のほとりを散歩するのが、長年の日課だった司教さまにとって、市の中心の排気ガスにむせ返る繁華街での生活は、いかに耐え難いものか。
何もかも、この疫病神が招いたことだった。彼の中に受難のキリストが透けて見える。
それが、6月30日に閉鎖と決まった神学校の最後の行事を執り行うために、4年たって初めて現司教から四国の土を踏むことを赦された。自分の創った神学校の最期を自分の目でしっかり見届けなさい、という有り難い配慮なのだろうか。
行事と言うのは、次の写真の4人神学生の、二人は朗読奉仕者、二人は祭壇奉仕者への選任式だった。
自分が翼の下のひな鳥のように慈しみ、目の瞳のように大切にして来た神学生たちの成長ぶりに目を細め、4年の間になめた孤独と苦しみを振り返りながら、司教の声は振るえ、目には涙が浮かんだ。日本での福音宣教の熱意に燃える彼らは、司祭に叙階されることもなく、間もなく散り散りに故郷に帰っていくのだろうか。それなのに、彼らの底抜けの明るさは、一体何なのだ?
聖霊の息吹が充満した聖堂での式とミサが終わって、香部屋で撮った写真には、彼によって司祭に叙階された群れの一部が納まった。本当は全部で約この3倍はいる筈だ・・・・
わたしは、司教様の二人目の子供。並んでみると、彼はあの頃より一回り小さく、心なしかやつれておられた。
お祝いのパーティーが食堂で開かれた。乾杯!カンパーイ!司教様の左がグレゴリオ神父。右は院長と副院長。(司教様のすぐ後ろは給仕の神学生。)
苦しみを知っている人、苦しみになれた人の微笑み。
グレゴリオ神父の日本の歌の甘いメロディーに、司教様のお茶目な一面が覘く。
食事もたけなわ。
歌って、
踊って、
画面の左右にそれぞれまだほぼ同数があふれているのだが・・・
深夜を待たずに、みんな潮が引くように消えていった。もらった部屋に入っても、色々思うことがあって寝付けなかった。やがて、朝日が田んぼに映り始めた。朝5時、寝静まっている神学院を後にして、司教館にもどった。司教館に来て初めてのミサを一人で立てた。年内にあの神学院は無人の館になる?そんなことありえない。
朝日の中の神学院の玄関。
坂下の目印、キリシタン織部灯篭 (復刻)
わたしが学んだローマのレデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院の中庭から持ち帰った松の実から生えた地中海松も、太さ10センチあまりに育っていた。レスピーギの音楽が聞こえる。
イタリアの白大理石のマリア様。水主(みずし)は神学院のある土地の名前。
オット!出番を間違えた!(イスラエルの駱駝の独り言)
〔ウサギ〕 それからどうなったの。
〔エゾ鹿〕 お父さんが叱らなかったこと、罰しなかったことは、坊やにはショックだった。その優しさと赦しの寛大さは、身に応えた。だから、もう二度と言いつけにはそむくまいと固く心に誓ったのさ。
〔ウサギ〕ふーん?結構いい子なんだ!それから?
〔エゾ鹿〕 それからまた暫らくして、坊やはまたあの悪餓鬼の家に遊びに行った。楽しく遊んでいるうちにまたおやつの時間になった。そしたら、その家のお母さんはまたチョコレートを器に一杯載せてもってきた。坊やは内心、果物かケーキなら良かったのにな、と思った。そして、心の中で自分に言い聞かせた。今日は食べないぞ。お父さんに悪いもの・・・、と。
良心の声は、「そうだよ、ぼうや!いい子だね」と言った。
〔ウサギ〕 でも、悪餓鬼は食べたんでしょう?
〔エゾ鹿〕 ああ、食べたよ。そして坊やにも勧めたけれど、坊やは意志強固に我慢した。坊やは内心、誇らしく良心の褒める言葉を聴いていた。
〔ウサギ〕 いい話だね。
〔エゾ鹿〕 ところが、だね。
〔ウサギ〕 えっ!ところがどうしたの?
〔エゾ鹿〕 ところがそこへ、あの例の女の子が帰ってきたのさ。そしておやつを見ると、一目散にそのチョコレートを取って食べた。そして、あどけない無邪気な顔で坊やに一つさし出しだして、「どうじょ!」といった。坊やが、「要らない」ときっぱり言うと、良心の声は「そうだよ、それでいいんだよ」と褒めてくれた。そのとき、女の子は、「この間は食べたじゃない!どうして今度は食べないの?美味しかったでしょう?一緒に食べないのなら、一緒に遊んであげない!」と言った。良心が「坊や、駄目!」と鋭く叫んで、止めようとしたが、間に合わなかった。すでに坊やは、女の子の差し出すチョコレートを指でつまんで口に入れてしまっていた。一回目より心の葛藤は小さく、良心の声は前より力がなかった。チョコレートのとろける味は、少しずつ心を麻痺させていった。楽しく遊んで家に帰ると、また部屋にこもった。しかし、夕食には進んでテーブルに着いた。お父さんの目を見るのを避けてはいたが、なるべく普段と変わらないように振舞った。お友達のうちで何して遊んだの?の質問には、お友達と、その妹と三人で、これして、あれして、と雄弁に説明した。おやつは何だったの?の質問に、一瞬ぎくりとしたけれど、美味しいお菓子が出たよ、とぼかした。詳しく追求されずに、ほっとした。
良心が、遠くから小さな声で、「坊や、正直に言わなければ、それは嘘をついたのと同じだよ」、と注意したが、坊やはそれを無視した。お父さんは、お風呂にいっしょに入ろうとは言わなかった。坊やは、ほっと胸をなでおろした。お父さんは、全てを察し、見抜いていたが、あえて厳しくとがめだてはしなかった。ただ、ひどく失望し、子どもの健康を案じていた。その次からは、もう大きな良心の葛藤もなく、毎度チョコレートを女の子の手から受け取って、その甘さに中毒のように惹かれるようになった。初めのうちこそ、良心との葛藤に苦しむこともあったが、そのうち、それもだんだん麻痺していった。お父さんに対しても、いつもうまく嘘をついてその場をつくろうことに慣れていった。・・・・・・・もちろん、お父さんは全てを察していた。
〔ウサギ〕 似たようなことを、子どものころ、みんな体験したんじゃないかなあ。
〔エゾ鹿〕 これはあくまで喩えとしての寓話だけど、これで「ファンダメンタルオプション」を説明する材料としては十分かな、と思う。それはまたこの次に。
2008-06-05 13:12:18
「新しい酒と古い皮袋」 = キリストのたとえ話 =
私は新約聖書の中のたとえ話が好きです。私の本 『バンカー、そして神父』 〔ウオールストリートからバチカンへ〕のサブタイトルは、『放蕩息子の帰還』であって、いわば本全体が同じ題のイエスのたとえ話の解説のようなものです。
「一粒の麦」のたとえ話 (ヨハネ12章24-26節) はブログ (5月29日) にちょっと引用しました。
今日は、 「ぶどう酒と皮袋」 のたとえ話について黙想したいと思います。一番短い (少なくとも日本語訳では) のから入りましょう。
「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を破り、ぶどう酒も皮袋も駄目になる。新しいぶどう酒は、新しい皮袋にいれるものだ。」
(マルコ2章22節)
たった一節で完結。なんと短い話でしょう。このたとえ話は、ファリサイ人とイエスの厳しい対立の図式の中で、イエスが人々に話されたものです。 「新しいぶどう酒」 は 「イエス自身」 を指すものでしょう。 「古い皮袋」 は、 「ファリサイ主義」 を指すと思われます。
イエスとファリサイ人との間には、一致も、平和も絶対にありえないのです。ファリサイ派が回心してイエスの教えを受け入れるか、さもなくば、ファリサイ派がイエスを殺すか、二つに一つ。その中間には一ミリの妥協の余地もありません。イエスは前者の解決に人々を招いた。しかし、ファリサイ派は後者の解決を選んだ。歴史において、同じ状況は繰り返し生まれてきました。
この図式の中に、もし楽天的な善意の 「正義の味方」 が、自信満々平和と一致をスローガンに乗り込んできたとしても、彼は虚の平和、偽りの一致すらも達成することなく、ただ事態を悪化させるだけで早晩自滅するしかないのではないかと思います。
何故そう思うか?聖書には、次のような箇所もあります。
わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。あなた方は、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
(ルカ12章49-52節)
この分裂の話は、新しいぶどう酒と古い皮袋のテーマと深く結ばれているように思います。この火はもちろん神の霊、つまり聖霊のことでしょう。イエスは聖霊による分裂をこの世にもたらすために来たのでしょうか?彼は、本当は平和をもたらすために来たのではなかったのでしょうか?
この疑問に答えるために、同じ 「ぶどう酒と皮袋」 のたとえ話を、ニュアンスの違う別のバージョンから見ていきたいと思います。 (次回をお楽しみに)
2008-06-04 00:25:23
爆弾宣言
司教総会初日のバチカン大使の発言に唖然。カトリック新聞の一面トップを飾った高松神学校問題。今後一切の言動まかりならん。バチカンからのきついお達し。 一体何があったのか。
神学校の問題と運動そのものの問題とはまったく別の問題なのに。同じ信仰の世界とは言え、なんだか悲しくなった。共存共栄こそカトリックなのに。
(中略)
これも日本司教団にはきっと意味のあることに違いない。とは言え、明日の会議は荒れそう。
これ誰の文章だと思います?
鹿児島教区の郡山司教の6月2日のブログからの抜粋です。全文は:
http://sdemo.net/pken/Blog/72065f3e5ba38a00
で閲覧できますよ!(6月10日のマリアさんのコメントによれば、上のブログの該当するページは、その後削除されたそうです。自由な言論を封じる圧力に屈したのでしょうか。それにしてもよかった。一瞬でも真実の光が外に漏れた。聖霊に感謝!)
一昨日、3年ぶりに司教館に帰着して最初に直面した現実は、高松司教の教区内のすべての聖職者、修道者、信徒に当てた、たった4行と3文字の短い手紙だった。日付は5月31日。内容は、5月29日付で出した、『高松教区立国際宣教神学院閉鎖の件について』の司教書簡に関する一切の公表を停止し、文書は、すべて焼却破棄すること、を求めるものだった。
現実には、司教の求めとは裏腹に、同書簡は私の知る限りでも、2日の時点で、司教館周辺の複数の人がそのコピーを焼却せずに所持しており、着いたばかりの私にもその内容を垣間見ることが可能であった。
時系列から言えば、焼却破棄の依頼の手紙は、司教協議会初日のバチカン大使の爆弾発言よりも先であるが、そこに何らかの因果関係が臭う。
全て焼却破棄してくださいという司教の文字は空しく、うがったものの見方をする人は、司教は最後のぎりぎりの時点で、あの文書の発送を指示し、二日後に焼却破棄依頼の文書をかぶせることを通じて、自分の執念の構図を確実に永久に歴史に止めることを意図した、と考えている。私は単純な人間だから、司教にとって何か予想外の事態が司教総会前日に発生し、慌ててもみ消しにかかったとみる方が自然に思える。もちろん、真実は永久に闇の中である。いずれにしても、司教は5月29日以前にも、神学校を6月30日付で閉鎖する決定に関して、複数のチャンネルで周知しており、私も直接書いた形で知らされていた。そして、それに関しては、特に公表禁止命令は今もって付されていない。
それにしても、郡山鹿児島司教のブログの中の一言、「明日(3日)の会議は荒れそう」が気になるところだ。
念のために、3日付けの郡山司教のブログを開いてみたが、会議の内容には一言も触れられていなかった。また、何も書かないように圧力がかかったのかもしれないが・・・。あるいは、余りひどくて書き様がなかったか?
2008-06-03 02:50:36
写真も何もないまま、緊急報告します。
昨日、3年間の追放生活に終止符を打ち、高松司教館に無事帰還を果たしました。
懐かしいですね、やはり。前の司教様の頃と、何も変わっていないと言えばいないし、しかし、前よりきれいになったことも否めません。教区には前よりもお金があるな、と感じました。
一昨日、当分帰ることはないかもしれないと思い、念入りに戸締りをし、司教様の言うとおり必要最小限に止めた荷物も、長期に亘るかもしれない新生活に備えてとなると、両手で持ってJR持ち込める範囲には収まらなかったので、普段は、山荘の上の広場に駐めてある車をま近かまで持ってきて、積み込みを終えていざ出発。ところがどっこい、濡れた落葉にスリップして、100メートルの細い急な上り坂で立ち往生。大汗かいて、悪戦苦闘の末、やっと公道まで出すのに、2時間もかかってしまいました。やっぱり四輪駆動でなきゃ駄目だな!
一旦、日本海に出て、親知らず、糸魚川、富山、金沢を経て一路高松へ。しかし、陽も傾くと、70近い老人のことでもあり、夜間の長距離運転は無理と判断。彦根で高速を下り、ビジネスホテルに泊まりました。
次の朝、宿のフロントから司教館に、「今日の夕食までに着くから食事をお願い」といというファックスを入れ、一路高松に向けて発進。すると、京都の手前で携帯が鳴って、今日ではなく、あと10日ほど後に来るように、との指示でした。
「そんなことなら、野尻を出発する前に言ってもらわなければ・・・。ひと晩がかりでもう目と鼻の先まで来ている人間に、いまさら野尻に帰って10日後に出直して来いとはご挨拶な、それが3年ぶりに帰ってくる人間への言葉か?」と言うと、「私ではなく、司教様が・・・」と歯切れが悪い。結局、司教様は出張で不在だが、とにかく会って話しましょうということで、一応何とかその場は治まった。
夕食のテーブルでは、十数年ぶりに会ったK神父様と話が弾んだ。食後は、早速、教区事務局のお友達から「焼き鳥でイッパイ!」のお誘いがあった。午前様まで気持ちよく呑んだ。一夜明けての第一印象は、「司教館の空気は悪くないな!」だった。
さあ、ここでしっかり働こう!
〔エゾ鹿〕 善なる神と悪なる神の二元論が成り立たないとすれば、この被造物の世界は、全て善なる神に由来することになる。善なる神は被造物の世界をご自分の本性に似せて、善なるものとして創ったと考えるのが自然だろう。
〔ウサギ〕そんなこと、僕にだって分かるさ。問題なのは、それなのに被造物の世界、とりわけ人間の世界に悪があると言う、この疑う余地のない現実をどう理解するかでしょう。その悪が善なる神にまで遡らないとすれば、その悪は一体何処からか降って湧いたのですかね?これが、問題のそもそもの出発点だったでしょう。さあ、早く分かりやすく答えてくださいよ。
〔エゾ鹿〕 私の考えによれば、悪は人間の罪の結果ではないか、という想定が成り立つと思う。
〔ウサギ〕 罪、罪って、そう簡単に言いますけどね、罪って一体何ですか?先ず罪を正しく定義することが必要じゃないですか?
〔エゾ鹿〕 罪とは、人間の内に聞こえる良心の声にそむくことだと言うことは、このシリーズの10,11,12あたりで既に詳しく取り上げたけど、そのことはまだ覚えているかい?
〔ウサギ〕 良心の中身は時代や文化や個人の生い立ちで微妙に違うことはあっても、善を勧め、悪を避けよと言う原則は絶対的なものだということ。そして、その声は自分の魂の最も奥深いところに響くもの、しかも、誰か自分以外の他者の声だということ、ですか?
〔エゾ鹿〕 その通り。よく覚えていてくれたね。
〔ウサギ〕 そういえば、良心はいつも必ず「善をなせ。悪を避けよ」と言う点において絶対的だと言われましたよね。そこまでは僕にもそんなに難しい話ではなかった。しかし、良心の声は、人によって強くて疑いの余地がないほどはっきりしていることもあるが、聞き取れないほど弱く曖昧な場合もあって、その個人差には非常に大きなものがある。良心の声の強さは人によってずいぶん開きのある相対的なもののように思われるけど、それはどうしてなんですか。
〔エゾ鹿〕それが、あのファンダメンタルオプションの問題なのさ。この「知床日記」の11と12のテーマで取り扱い始めただろう?
〔ウサギ〕ファンダメンタルオプションねえ!?あのカカオアレルギーの少年の話のことですか?あの少年は女の子の手からチョコレートを取って食べて、そのあとどうなったのでしょうね。
〔エゾ鹿〕 その続きには、いろんな展開の仕方が考えられるが、ここでは、その後、その子の心の中でどんな葛藤が始まり、優しいお父さんとの関係がどう変化していったかという点をを中心に見ようと思う。
〔ウサギ〕 生まれて初めて食べたチョコレートは、ほっぺたが落ちるほど美味しくて、嬉しくなって、その可愛い女の子と、そのおにいちゃんの悪餓鬼と日暮れまで楽しく遊んで、そして、家に帰ったのでしょう?
〔エゾ鹿〕 それはそうなんだけど・・・
〔ウサギ〕 えっ?どうかしたんですか?何かあったんですか?
〔エゾ鹿〕 実は、遊び呆けている間は全く気がつかなかったんだけど、独りになった途端、坊やは心の奥底に響くはっきりした強い口調の良心の声を聞いたんだよ。「坊や、あなたのやったことは良くなかった。あなたを愛している優しいお父さんを悲しませるようなことをしたのだよ。帰ったらすぐにお父さんに謝りなさい。」その声は強く執拗に付き纏って坊やの心から離れなかった。耳を押さえて走ってみたけど、ますます心の中を広く占領していった。その声は、あたかも、坊やの魂の一番奥まったところから聞こえてくるようだった。それはお父さんの声ではなかった。もちろん自分の声でもなかった。それは、明らかに誰か分からぬ第三者のものだった。その声は「坊や、あなたは罪を犯した。あなたは悪を行った」と断罪していた。
〔ウサギ〕 ふーん(?)それで?坊やはお家に帰ってどうしたの?お父さんに正直に本当のことを話して謝ったの?
〔エゾ鹿〕 そうだったらよかったんだけどね!玄関を入ると靴がないのでお父さんがまだ帰っていないことを知ると、坊やは真直ぐ2階の勉強部屋に入って、電気もつけず、真っ暗な部屋の机に向かってすわり、一生懸命良心の声と戦っていた。お父さんの帰ってきた気配がしたけれど、いつものように階段を走り降りてお父さんに飛びつき、お父さんの周りを子犬のようにころころ付きまとうことをしなかった。夕飯の時間になっても暗い部屋から出てこなかった。お母さんが心配して迎えに行くと、空腹に耐えかねてしぶしぶ降りてきたけれど、食卓についてもうつむいてお父さんの顔を見ようとしなかった。坊やの態度がいつもと違うことを見て取ったお父さんは、すぐ坊やが何処かでチョコレートを食べてきたことを見抜いた。しかし、お父さんは坊やの方から話し出して謝るのを忍耐強く待った。それでも、坊やはそのことには触れようとしなかった。そこで、お父さんは、「坊や、今晩は久しぶりにお父さんと一緒にお風呂に入ろう」と誘った。その言葉には、思いつきの言い訳では断れないような重い響きがあった。坊やは黙って無抵抗にお父さんの後に続いてお風呂に入った。お父さんは、坊やの体を流しながらその小さな体を眺めた。そして、お腹とお尻のところにかすかな赤い斑点があるのを見落とさなかった。それは「カカオアレルギー」の明らかな兆候だった。お風呂から上がった坊やを、お父さんは優しく呼び寄せて、「坊や、今日チョコレート食べたでしょう?怒らないから正直に言ってご覧。坊やのお腹とお尻の赤い斑点はチョコレートアレルギーの反応だよ」と言った。自分ではそれに気付いていなかった坊やは、虚を衝かれて取り乱し、とっさに自分でも何を言っているのかよく分からないまま「だってあの女の子が食べろって言ったから」と答えた。お父さんは悲しそうな顔をして、「お前はよくないことをしたんだよ」と優しく諭した。しかし、決して叱ったり罰したりしなかった。それで坊やは、ハッと我に帰り、素直に「父さん、ごめんなさい」と言った。お父さんは、全てを許した。しかし、お父さんは知っていた。坊やの体に免疫力低下の抗体がうまれ、エイズや肝炎より遥かに厄介な緩やかな死に向かう不可逆的な過程がすでに始まっていることを。
〔ウサギ〕 ちょーっと待ったー、エゾ鹿さん。長い話はいいけれど、それと、あのー、何とか言ったっけかなー、ああ、あの「ファンダメンタルオプション」とやらや、そして、人によって良心の声の大きさが違うあの「良心の相対性」との関連はどうなってしまったの?
〔エゾ鹿〕 関連は大有りさ。だけど、今日はここまでにしよう。きっと読む人の頭疲れちゃったと思うよ。その話は、多分次の回で決着がつくはずだから。(つづく)