「……すぎてみえない手」
例えばそれは素朴すぎてみえない。当たり前すぎてみえない。間近にあるけれど、みることができない。みえない手を読むことはできない。
そういう時には一定期間、目を離してみることだ。
穴があくほどに睨みつけたからといって詰み筋は湧いてこない。時には振り出しに戻る勇気を持ちたい。
(問題が間違っているのでは?)
一見単純な図形で行き詰まったら、問題を疑う場面も出てくるだろう。そんなケースがないとは言えない。しかし、確率的には低い。
調子の悪い時には、単純な一手がみえないのだ。
「詰将棋慣れした人の死角」
・取る、取り返す、俗手
詰将棋が上達するにつれて捨て駒の手筋をたくさん吸収する。鮮やかな捨て駒の醍醐味! それにばかり慣れすぎると、逆に普通の手がみえなくなってしまうことがある。
(詰将棋は捨て駒ばかりではない)
それを理解しておかないと読者の心理を逆手に取った問題に苦しんだり、実戦でも無駄に捨て駒をしすぎて寄せを誤ることがある。
~正確な寄せとは、捨て駒(軽手)と取る手(俗手)との正しい組み合わせである。~
・合駒請求(合駒を打たせて取る手)
実戦では当たり前に現れる合駒請求。大駒や香で王手をかけて「さあ、合駒はどうしますか」という手だが、詰将棋となると妙に泥臭く感じられる。(あるいは面倒くさい)特に実戦型の場合、意外にみえにくくなるのではないだろうか。しかし、これも詰将棋を攻略していく上で、決して避けて通れない筋である。
~合駒請求の効果…持ち駒を変える、増やす、玉位置を変える~
合駒請求ができるのは大駒と香のみ。それが持ち駒にある場合は、視野に置こう。「もしももう1枚何かがあったら、持ち駒がある駒に変わったら……」そうしたIFを描くことも大切な姿勢となる。
~狙え! 伸びた歩の背後~
これは実戦での応用範囲も広いが、一番安い歩の合駒が使えないということは、守備側にとって致命的弱点になる場合も多い。
守備の歩の後ろのスペース、または底歩が打ってある筋などは特に狙い目なので常に意識しておきたい。
「手順の死角」 人間的思考の癖・弱点
人間の思考(感覚)には癖がある。(これは個人差も大きい)
感覚を磨くことによって、あらゆる手の中から考えなくていい手を最初から除外することができる。その働きのおかげで時間や体力を節約できるし、上級者ならばその感覚は80%以上正しい。
しかし問題は残りの20%だ。
基本を超えたところに正解がある場合、普段の効率的な思考にストップをかけなければならない。一連の流れの中に疑問を挟まなければならない。(優れた感覚は、厄介な先入観になり得る)
~実は一手前に好手があった~
1つのブロックを必然の手順として、その局面が不詰めだったとする。通常はそれで読みを打ち切ってしまう。しかし、その一手前に好手があって詰むとしたら……。必然を壊す発想がないと、その一手にたどり着くことは難しい。それには「ひょっとしたら……」というIFの閃きも必要かもしれない。
~捨てた次は取り返したい、捨てた次は押さえたい~
捨て駒は寄せを絞る手段/手筋である。しかし、駒を捨てるというのは、拠点を失うという側面がある。有効だと知っているからできるものの、捨てることに不安はつきまとう。捨てることは、どこかで取り返すこととセットになっている。拠点を手放した次には押さえたくなるのが自然な感覚(心の働き)ではないだろうか。
捨てて、捨てて、(ここも捨てるのか!)
捨てて、捨てて、取り返さず、(逆サイドから王手か!)
常識的なリズム、(自分の中の)スタンダードなリズムからちょっとずれたところにある好手/妙手順というのは、なかなか発見しにくい。
そうした意外性のある筋にも対応できるようになってくると、詰将棋のレベルは数段アップする。変化のなさそうなところにIFの目を光らせることも大事である。
「親しい仲にも礼儀あり」
上達することは慣れることだ。
慣れることは色々なことを飛ばすこと。一つ一つ考えていたこと、まっさらな気持ちで当たっていたことを、無意識の内にやってのけることだ。しかし、自然にできることと疎かにすることを混同してはならない。
初めて駒に触れた時はどんなだった?
(はじめの道はどんな風に歩いた)
どんな時も初心者の心を忘れたくないものだ。
そして、謙虚な姿勢で盤面をみつめてはみませんか。
「お願いします」