岐阜・愛知の城巡り、最後は清州城。この城は百名城でも続・百名城でもない。名鉄新清州駅から、川沿いに清州城へ。右岸に石碑が建っている。そして清州公園には、信長と濃姫像が建っている。二人には微妙な距離がある。右岸には清州城の石垣が復元されている。
(五条川右岸にある石碑)
(信長と濃姫の像、微妙に離れている)
(右岸には、復元された清州城の石垣)
清州城は、五条川右岸にあったが、現在の清州城は左岸だ。新しい城は、平成になって建てられたが、そもそも建っている場所が違っている。そして天守はあったようだが、どんな天守があったかは分かっていない。これじゃ、続・百名城にもならないはずだ。
(五条川を挟んで清州城)
(近づいて清州城、2枚)
三層四階の天守閣の内部は、博物館だ。ジオラマは、清州城物語。火縄銃の体験もできる。実際にどうやって打つか理解できた。「火蓋を切る」の火蓋も意味が分かった。安全装置を外すという意味だ。展示は清州城下。江戸時代初期、朝鮮通信使の資料で、清州は大賑わいだった、と記録があるそうだ。
信長は楽市楽座、兵農分離など、日本にとって新しい施策を次々に行っていった。天目茶碗も出土している。信長らしい好みだ。
(天目茶碗が、出土している)
新聞風に、関ヶ原の記事が展示されている。以前、フェイスブックで自分の1年間の記事が新聞になってできるソフトがあったが・・
そして、何といっても清州会議。映画も見たし、本も読んだ。
(清須会議のメンバー)
(映画のCM?)
最後は天守からの眺望、実際に天守はここになかったため、ちょい迫力に欠ける。新幹線と名古屋中心部を臨む。
(新幹線、清州城の位置は、新幹線の敷地の下だったという説も)
(名古屋の中心部、清州からは近い)
という訳で、清州城に登城。連休の日曜日、かなりの観光客が入っていた。