kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

夢…

2008-08-31 | 陸上競技
タイムリーかもしれませんが…。基本的に作られた「感動」は好きではありません。しかし、「走る」姿を見せる事で何かしらのメッセージを伝える事が出来るのは確かです…。冷たいようですが、純粋に「感動」できない冷めた部分が自分の中にあります。走っている人のひたむきな気持ちとは少し違う部分があるのに違和感を感じるんでしょうか…。

TVを見ていて感じた事は「夢」を持ち続ける事の大切さを訴えかけていた部分は共感できるということです。「夢」は叶うかどうか分からないものです。全力で頑張っても全員が叶うかどうかは分からないものです。だから全ての人が「夢」を持ち続ける事に難しさがあるのだと思います。「本当に出来るのだろうか?」と絶えず疑問を持ち、途中で「無理だ」と諦めてしまう。

私は「夢」を叶えるというのは本当に少しの可能性でしかないと思います。「夢」は叶うといいな~と希望するものであり、「目標」は達成できる可能性が70%以上ある「最大限の努力をすればなんとかなる」ものだと思っています。この2つには大きな違いがあります。
「夢」は努力を続けていく事で「目標」に変わります。遥か遠くにあるモノから手を伸ばせば届くかもしれないものに変わっていきます。そのためには「夢」を持ち続ける事が必要です。「無理だ」と思わず、ただひたすら「できるんだ」と思って追い求めることで「可能性」が生まれます。「無理だから」なんて言っていたらその「可能性」すら生まれません。最初から限界を決めて取り組むなんて、面白くないから持てる力も伸びません。「夢」を持って一生懸命に取り組んでいく事で「可能性」が生まれます。ここを体験させるために競技指導をしているといっても過言ではない気がします。人を動かす原動力は「夢」であり「目標」です。

そのために「誓い」をたてる。「これだけは絶対にやるんだ」とか「強くなるためには○○に取り組む」という「誓い」を立てて全力を尽くす。ここに物事の「本質」があると考えています。だから様々な話をしていき、「心」を育てていくのです。技術も大切かもしれませんが、競技を通じてしか分からないものを身につけさせていきたいと思っています。

ここ最近で「感動した」と思ったのは、やはり初めて中国にリレーで行った時です。リレーで中国に行っただけではなく、届きそうで届かなかったリレーも同時にあったので記憶が薄れる事はありません。それ以後大きな「感動」はしていない気がします…。作られたドラマではない「現実」から感じた「感動」は忘れられません。純粋に競技に向かい合う選手から受け取る「感動」は大きい。

この秋、ドラマがあるでしょうか?私自身期待するモノはあります。今までで一番きちんとチームとして活動が出来ています。「夢」に向かって階段を登っていきたいですね。「夢」を追い続けたいと思います。
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意識する事の意味は…

2008-08-31 | 陸上競技
昨日は力尽きてものすごく中途半端な内容で終わっていました。すみません…。

最近、練習で技術的な事を繰り返しました。何度も書いていますが、相手が言っていることを理解しようとして意識する事でかなり変わってくると思います。聞いたふりをする、分かったふりをする選手はほとんど変化が見られません。周りに合わせてやるだけですから…。1本1本の積み重ねが重要ですが、その中身も重要だと思います。

「脚を動かす」という「現象」は同じですが、「意識する部分」は違うと思います。もちろん何も考えなくても速く走れる選手もいます。地道に補強をしなくても速い奴は速い。それがこの世界だと思います。本当に努力した者だけが感じれる「喜び」は分からないまま終わってしまうでしょう。
「考える」「意識する」は本来誰にでも出来る事です。それをやらない者が多すぎる。だからこちらからのメッセージは届かない。最後まで変わらない。最も大切な部分が理解できない者をどうするのか?というのが今の私の大きな課題です。

同じ「意識する」事でも、選手によって若干違いがあると思います。「基本的な部分」は同じですが、各自動きや体格、筋肉等が違うのでそれに合わせて対応しなければいけません。「膝の使い方」であっても「A」という言葉で伝わる事もあれば、「B」という言葉で分かる選手もいます。様々な言葉を使いながら伝えていくことが大切だと再認識しました。「考える」「意識する」事で動きが崩れてしまう選手もいます。時間はかかるかもしれませんが、最終的には必ず効果が出て来ると思います。悩んだ時間は絶対に無駄にはなりません。自分が何のためにやっているかをしっかりと考えていく「力」を身につけて欲しいですね。「やったふり」「聞いたふり」をする人間にはなって欲しくないと強く願います。

「何とかしたい」と思う選手が増えて来ているのは確かです。まだその「想い」には温度差があるかもしれません。相手の伝えたいメッセージが何かを理解できる人間に成長して欲しいですね。

何も意識しなくてもできるかもしれません。そこに意味はないと思います。人間は「意図的」に物事に取り組める生き物です。「本質」が分からないものは部活を離れた場面でも、まともな行動がとれません。自分がやる行為に周りがどう感じるかが分からないからです。恥ずかしいですが、やはり私には「力」が足りなかったなと感じる事がいくつもあります。情けないですが、繰り返していくわけにはいきません。きちんと自分の目指す方向に進んでいける「強さ」を身につけていかなければ…。

そう思う今日この頃です…。
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