kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

なにを優先し、なにを後回しにすべきか

2013-12-01 | 陸上競技
なにを優先し、
なにを後回しにすべきか


「自分たちが描いたゴールに向かって、仲間と気持ちがひとつになる。その空気ができ上がって、はじめて、 自分たちがすでに持っている能力や武器のすべてが、どれも貴重なものだということに気づくことができます。ですから、仕事をする上で大切なのは、なによりも人間関係を作ることなんです。 他のことは緩やかでもいいんです。」

「覚悟の磨き方 超訳で吉田松陰」編訳池田貴将 P78より引用

この事はこれまでもずっと話をして来たことです。私が設定した目標では人は動かない。自分達で本当にやるんだと決めた時から前に向かって進んでいく。与えられた目標では人は本気にはなれない。これはずっと感じて来た事でした。

チームとして目標を共有することで持っている力が初めて引き出されるのではないか。そう考えて常々話をしています。これまで話を聞いて来た何十人という選手達がどのように感じ取っていたか。これは分かりません。どんな状況であれ私からのメッセージは変わらないと思っています。

チームというのは一人ではできない。多くの人が集まって初めてチームができるのです。それぞれが勝手な事をしていたら持っている力も武器も発揮できなくなるのです。

だから目標を共有する。みんなで同じ方向を向いて進んで行くから持っている力が発揮できるのだと私は信じています。練習さえすればそれでいいという集団ではどこかで必ず崩れてしまう。集団を作る上で最優先するべきは「どんな練習をするか」ではなく、どのような考えを共有して物事に取り組むかなのだと思います。考え方や目標が共有できていれば集団は自ずと成長していくと思います。私の役目はその「基本的な目標の共有」という「場の設定」であったり、「意識統一」のためのリーダーシップだと考えています。やるのは選手自身でなければいけない。

私がそう思うだけではない。これは本当に心強いですね。私の価値観だけの押し付けではない。そう思えて私自身前に進める気がしています。

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本を読む

2013-12-01 | 陸上競技
先日購入した本を読み終えました。本を読むモードに突入したので様々な本を読もうと思います。前から経営者の考え方や昔から語り継がれている「普遍的なモノ」に目を通すようにしています。かなり読んでいると思いますがまだまだ私自身磨かれていないなと感じます。

今回は「覚悟の磨き方 超訳で吉田松陰」を読むことに。この手の意訳されている本もかなり読んでいます。これは読書とは言わないかもしれないですが、自分を磨くためや価値観を磨くためには必要な要素だと思います。



読んでいてすごく納得できるというか、自分の中にスーッと入ってくるものがあります。紹介したい内容がかなりあるのですが著作権などの部分を調べてからでないと色々と問題があるのかなと考えています。

自分自身の考えを補完するための引用であれば問題はないとネット上では書かれています。単に言葉の紹介というのは難しいのかなという気はしています。ちょっと書いてみたいと思います。
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走り込み2

2013-12-01 | 陸上競技
続き。というか、前の記事には練習のことが一切書かれていない(笑)。続いていません。

日程的なこともありどのような形で練習を組もうか前日から考えていました。選手には「折返走」か「ソリッド」と伝えていましたがどのような内容にするのかを決めてかねていました。「精神的・肉体的にしんどい練習」が良いのか、「技術的にしんどい練習」が良いのか。非常に悩みました。「折返走」はかなり短時間で追い込めるので練習の最後や「ここ一番」というときには行っています。田島記念の前、考査期間中だったので30分程度で終わらせることを考えて行いました。田島で大会記録で優勝したうちの選手がインタビューで「これまでで一番きつかった練習は何ですか?」と聞かれて「折返走です!!」と即座に答えたと言っていました。周囲は爆笑でしたが(笑)。

時として「絶対に追い込まなければいけない」という時期があると考えています。「根性論」と言われるかもしれませんが長い目で見たときに「しんどいけど走り続けた」というのは大事なことです。技術的には全く意識できませんし、「ひたすら走るだけ」になってしまう部分も否めませんが確実に必要な練習だと感じています。もちろん、「可哀想に」という気持ちはありますが、「絶対にやらなけれいけない」「気持ちで走り続ける」という部分、「動かない身体を自分の意志で動かす」という必要な練習であることは間違いないと思っています。否定されるかもしれませんが。

色々と考えた結果、「ソリッド走」にしました。時間も少し取れますし、「動きの改善」に意識を置いて取り組んでいきたいと考えていました。「ソリッド走」というのは普通のタイヤ引きです(笑)。先日、練習用のソリを購入したので「タイヤ引き」と書かないだけです。タイヤではありませんから(笑)。狙いとしては今まで通りですが、重量が多少軽くなったのではないかと思っています。疲れた中でも動きの意識をする。パワーで走るのではなく足を前に前にと運ぶことで進んでいくための練習です。重心移動が生まれにくいのでその中でどうやって走りを作っていくかを工夫していかなければいけない。

メニューを「ソリッド走」にしたのは、今の私では「そこまで追い込める」という自信がなかったのもあります。何度も書いていますが「追込み練習をする」というのは選手もですが指導する側にもエネルギーが必要です。現時点でエネルギー切れではないと思っていますが、苦しそうに走っている姿を見ると「止めよう」と言ってしまいそうな気がしたので・・・。他の練習を見て「必死になれる」と感じなければやはり強い負荷をかけるのは難しい。「やるだけの練習」になるのであればやはり私としても辛いものがありますからね

この日の練習は「折返走」でも良かったかなと思うくらい意欲的に走れていたと思います。最後まで何とかしてピッチを維持しようとする姿勢が見られました。体重によってこの練習の負荷も変わってくるのですが全体的にしっかりと目的意識を持って走れていたと感じています。最後ジョグのようになる練習ですが120mでも最後まで何とかしようという雰囲気がありました。意識レベルが低いと「走るだけ」となってしまい、最後の動きは適当になってしまう。練習の目的は果たせません。この日の練習に対する姿勢が最低レベルになると面白いかなとは思います。

声を出したりする部分はまだ物足りないものがありますが「競技に対する姿勢」は大きく成長しているのではないかと思います。「強くなりたい」という部分は感じられます。全員が全員感情を表に出せるタイプではない。それでも取り組みの様子を見ていると「成長」を感じる部分はあります。全体がもっと雰囲気を明るくしていければもうワンランク上の練習ができるようになるのではないかと思っています。今のままではまだ合宿等で「後ろについて行くだけ」で終わってしまう可能性がある。県合宿、中四国合宿、プライベート合宿と続いていきますが「常に先頭で動く」という意識レベルになると全てが大きく変わると思っています。まだ「受け身」の部分があるのが気がかりです。

午前中の残りの時間は面接練習、午後からは勉強会。時間が過ぎるのは早いですね・・・。もっとアクティブに動かないといけません。
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走り込み

2013-12-01 | 陸上競技
日曜日、この日も前日と同様朝から練習をして昼前から勉強としていました。勉強時間の確保というのが最大目標です。規則正しい生活を続けていくことで自分自身の生活を安定させることができます。テスト週間だから・・・、時間があるから・・・というのではなくどのような日でも変わらず生活をしていく。自分自身のためだと考えています。私は休日であっても7時には出かけるようにしています。練習が8時半からであっても関係なくです。自分の生活のリズムを作っていく。これが「心の余裕」につながると最近読んだ本にも書いてありました。意識はしていなかったので「心の余裕」は生まれていなかったと思いますが、ある程度意識して行動しているのだなと自分自身で感じることができました。

天気予報では午後から雨が降るかもしれないという予報。朝の時点での天気は前日とは違い雲が多少出ていました。少し曇った感じはありましたが「寒い」というレベルではありません。それなのに吐く息は白い。季節の変化を感じながら練習をすることが私の「心の余裕」につながるのではないかと感じているので空を見たり、肌で温度を感じるようにしています。「何が何でもやってやる」という気持ちを持つ反面、「なるようになる」という感覚を持たなければ私の視野が狭くなってしまう。自分で自分をコントロールしたいですね。




練習は走ることにしていました。「負荷をかける」というのは指導する側としても精神的に辛いものがあります。私が鬼のように選手を追い込むことを楽しんでいると思っている方もいるかもしれませんが、実際の所かなりのエネルギーを使っています。「可哀想に」と思う部分が多々あるのです。肉体的にも精神的にもきつい練習をするというのが「辛い」というのは客観的に見れば分かります。それでも練習をしなければ強くはならない。「それなりにやる」のであれば面白おかしく練習をしておけばいい。指導する側も「お友達」としてワイワイやっておけば誰も辛い思いをしなくて済むのです。

しかし、大きな目標を掲げるのであればやはりそれに見合う練習を必要とします。時にはきつい練習も必要。そのきつい練習を「やるだけ」になっていたり、「嫌々やる」のであればこちらも「可哀想」と思ってしまうので「やらなくてもいいのではないか」と感じます。頑張りたいけど頑張れない部分で背中を押すのと「やりたくないものをやらせる」というのでは全く違うのです。どれだけ「強くなりたい」と思っている選手でも「苦しい練習が大好き」という人はいないと思います。多分(笑)。強くなりたいと願う選手がくじけそうになった時に後押しをするのが指導者の役目。やりたくない者に無理やりやらせるのは違うのではないかと感じています。

とはいえ、うちのチームも初期のころは「無理矢理走らせる」という部分が大部分を占めていました。「頑張る」「我慢する」ということ自体ができていませんでした。何を目的にやっているのか分からない状況の中で取り組んでいましたから「指導者からの一方的な指導」になっていた部分は否めません。そういう意味で私自身も「強くなりたい選手のサポートをする指導」という観点で物事を見たいと感じています。チームの成長に伴って私自身の求めるモノも高くなっている。だから「矛盾が生じる」のですが。

この部分を自分の中で調整していきたいと思っています。この2週間でなんとか自分自身の方向性や選手の求める方向性、温度差を調整できるようになってきているのではないかと感じています。正直すごく難しいことです。そこまで考えて指導する必要があるのか。そこまで考えて指導している指導者というのがどれだけ存在するのか。私には分かりません。ここは他者と比較するのではなく自分自身の中で考えていくことだと思っているからです。

何だか練習について触れる前の文章がすでに長くなっていますね(笑)。長くなると読みにくいので記事を変えます。お許しを。
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