日曜日の練習納め、午後からはトレーニングとしました。正直、ほぼ不可能なレベルの疲労感かなと思います。それは当然分っていますが休みを数日間与える予定としていましたから年内の2日間は筋肉痛で身体が動かないくらいの負荷をかけておかなければいけないと考えていました。その考えが選手に伝わっているかどうかは良く分りませんが・・・。
少し長めに昼休憩を取ってからウエイト。先週の土曜日にシャフトをやらずに他のトレーニングを入れましたが今回は「追い込み」という位置づけですからシャフト補強で。間違いなくテンション激下がりです。繰り返しになりますが当然予想される出来事です。正直今年度に入って「追い込む」という練習はしていませんでした。合宿時には他校の先生に追い込んでもらっていましたが自分のところでの追い込みはしていません。理由は「そこまでの負荷に耐えられないから」です。これは身体的に耐えられないのではなく「心」の部分が耐えられない。集中が切れるというレベルではなく「嫌で嫌で仕方ない」という雰囲気があったからです。そんなにやる必要はないと考えている選手もいるのではないかと思います。
そんなことはないと思われるかもしれません。しかし、私は毎日練習を見ているのです。今シーズンは「やりたくない」という雰囲気があって100歩譲ってこちらが大きな妥協をして「最低限のことをやる」というレベルで我慢してました。その姿を見るのが私自身嫌だったからです。だから「追い込む」ことをしませんでした。高校生の多くは「努力」をする、「全力で頑張る」というのが苦手だったりします。それを「個性」だと思って妥協するのか、今後のために変えていくのか。私自身これまでに経験したことのない「大きな壁」だと感じていました。
そこで最終練習のこの日に「徹底的に追い込む」ことをしようと考えました。私自身「甘さ」があった。ここを打破するためには私も自分の「甘さ」をコントロールする必要があるかなと感じました。繰り返しになりますが「きつい練習をさせる」というのは大きなエネルギーを必要とします。嫌そうな雰囲気がある中でそこまでして練習をさせなくてもいいんじゃないかと思うので、そこに「ここで頑張れ」や「最後までやりぬけ」と言い続けるのは想像を越えるくらいのエネルギーを必要とするのです。指導場面でそのような現実を目の当たりにしたことがない人にはなかなか分らないと思います。「記録を出させるため」だけに厳しい指導をするのではない。「頑張らなければいけないときに頑張る」「最後までやりぬく」という経験があってこそ本当に苦しい場面で力が出せると思います。
見ていて明らかに雰囲気が重い。通常ならこれをみて「それならやらなくていいや」と思っていました。無理やりやらされている練習を見るほど面白くなくストレスを感じるものはありませんから。そう感じたくないので私も「きつい練習させて嫌な思いをするならやらせないほうがいい」というこれまで経験したことのない「モチベーションの低下」を感じていたのです。自分自身を正当化するつもりはありません。実際に1か月前は「もう指導するのを辞めたい」と本気で思っていました。こちらがやりたいことを全て捨てて「選手のやりたいような練習」をする。これで何かを生み出すのか?それなら勝手に自分たちの好きなことをやればいい。指導するのが私以外でも「結果」は同じようなものでしょうから。
が、この日は私も我慢。「絶対に止めさせない」という強い気持ちで練習をさせました。選手はやるだけで精一杯。やるだけの練習になりつつあります。それでも絶対に続けさせる。妥協しないで練習をさせる日としました。見ていて面白いものではありません。分り切っていることですがこれまで自分自身が「逃げていた現実」と向き合うというのはこういうことだと思います。「選手に合わせていた情けない自分」と決別しないといけません。100日あって100日厳しい練習をしようというのではない。時として「やらなければいけない時がある」という部分です。
そういえばシーズン中一度だけ「心を鬼にする」場面がありました。2学期の中間テスト時、田島記念の前です。甘さが目立つ部分がありましたし、「気持ちを出す」練習が必要だと思ったので「折り返し走」を行いました。これも一切の妥協をしないで走らせました。1年生はヘロヘロになっていました。これを機にシーズン後半の2試合は「大きな伸び」を示したのです。偶然なのかもしれません。しかし、こちらも「覚悟」を持ったのです。大きく練習を変えるわけではなかったのですが「やらなければいけない時」を逃さずに練習をすることが必要なのです。
まー選手は絶対に嫌でしょうね。顧問に対する反感は持つでしょう。「なんでこんなにきついことをしなければいけないのか」と。それがストレートに見えていたので避けていました。これまでこのような経験はなかったのですがさすがにもう限界かなと。反抗するならそれもよし。やってもらう必要はありません。誰のための練習なのかです。「頑張るのが嫌なら頑張らなくて済む時人生を送ればいい」と思います。厳しいでしょうか?何度も言いますが「頑張らなければいけない時がある」のです。そこを逃したらこれから先も頑張れない。チームとしての弱点を克服するためには私自身が「厳しく」なる必要があるのだと思います。
最後までやらせました。集中が切れていたのは見ていてわかります。それでも最終日にやりぬくということは必要だと思いました。
長くなりました。かなり追い込んだのだけは分ってもらえるでしょうか。このことに関してまだ書きたいことがあります。今のチームには可能性があるのです。そこをどうやって引き出すか。そこに関してまた別に書けたらと思います。
少し長めに昼休憩を取ってからウエイト。先週の土曜日にシャフトをやらずに他のトレーニングを入れましたが今回は「追い込み」という位置づけですからシャフト補強で。間違いなくテンション激下がりです。繰り返しになりますが当然予想される出来事です。正直今年度に入って「追い込む」という練習はしていませんでした。合宿時には他校の先生に追い込んでもらっていましたが自分のところでの追い込みはしていません。理由は「そこまでの負荷に耐えられないから」です。これは身体的に耐えられないのではなく「心」の部分が耐えられない。集中が切れるというレベルではなく「嫌で嫌で仕方ない」という雰囲気があったからです。そんなにやる必要はないと考えている選手もいるのではないかと思います。
そんなことはないと思われるかもしれません。しかし、私は毎日練習を見ているのです。今シーズンは「やりたくない」という雰囲気があって100歩譲ってこちらが大きな妥協をして「最低限のことをやる」というレベルで我慢してました。その姿を見るのが私自身嫌だったからです。だから「追い込む」ことをしませんでした。高校生の多くは「努力」をする、「全力で頑張る」というのが苦手だったりします。それを「個性」だと思って妥協するのか、今後のために変えていくのか。私自身これまでに経験したことのない「大きな壁」だと感じていました。
そこで最終練習のこの日に「徹底的に追い込む」ことをしようと考えました。私自身「甘さ」があった。ここを打破するためには私も自分の「甘さ」をコントロールする必要があるかなと感じました。繰り返しになりますが「きつい練習をさせる」というのは大きなエネルギーを必要とします。嫌そうな雰囲気がある中でそこまでして練習をさせなくてもいいんじゃないかと思うので、そこに「ここで頑張れ」や「最後までやりぬけ」と言い続けるのは想像を越えるくらいのエネルギーを必要とするのです。指導場面でそのような現実を目の当たりにしたことがない人にはなかなか分らないと思います。「記録を出させるため」だけに厳しい指導をするのではない。「頑張らなければいけないときに頑張る」「最後までやりぬく」という経験があってこそ本当に苦しい場面で力が出せると思います。
見ていて明らかに雰囲気が重い。通常ならこれをみて「それならやらなくていいや」と思っていました。無理やりやらされている練習を見るほど面白くなくストレスを感じるものはありませんから。そう感じたくないので私も「きつい練習させて嫌な思いをするならやらせないほうがいい」というこれまで経験したことのない「モチベーションの低下」を感じていたのです。自分自身を正当化するつもりはありません。実際に1か月前は「もう指導するのを辞めたい」と本気で思っていました。こちらがやりたいことを全て捨てて「選手のやりたいような練習」をする。これで何かを生み出すのか?それなら勝手に自分たちの好きなことをやればいい。指導するのが私以外でも「結果」は同じようなものでしょうから。
が、この日は私も我慢。「絶対に止めさせない」という強い気持ちで練習をさせました。選手はやるだけで精一杯。やるだけの練習になりつつあります。それでも絶対に続けさせる。妥協しないで練習をさせる日としました。見ていて面白いものではありません。分り切っていることですがこれまで自分自身が「逃げていた現実」と向き合うというのはこういうことだと思います。「選手に合わせていた情けない自分」と決別しないといけません。100日あって100日厳しい練習をしようというのではない。時として「やらなければいけない時がある」という部分です。
そういえばシーズン中一度だけ「心を鬼にする」場面がありました。2学期の中間テスト時、田島記念の前です。甘さが目立つ部分がありましたし、「気持ちを出す」練習が必要だと思ったので「折り返し走」を行いました。これも一切の妥協をしないで走らせました。1年生はヘロヘロになっていました。これを機にシーズン後半の2試合は「大きな伸び」を示したのです。偶然なのかもしれません。しかし、こちらも「覚悟」を持ったのです。大きく練習を変えるわけではなかったのですが「やらなければいけない時」を逃さずに練習をすることが必要なのです。
まー選手は絶対に嫌でしょうね。顧問に対する反感は持つでしょう。「なんでこんなにきついことをしなければいけないのか」と。それがストレートに見えていたので避けていました。これまでこのような経験はなかったのですがさすがにもう限界かなと。反抗するならそれもよし。やってもらう必要はありません。誰のための練習なのかです。「頑張るのが嫌なら頑張らなくて済む時人生を送ればいい」と思います。厳しいでしょうか?何度も言いますが「頑張らなければいけない時がある」のです。そこを逃したらこれから先も頑張れない。チームとしての弱点を克服するためには私自身が「厳しく」なる必要があるのだと思います。
最後までやらせました。集中が切れていたのは見ていてわかります。それでも最終日にやりぬくということは必要だと思いました。
長くなりました。かなり追い込んだのだけは分ってもらえるでしょうか。このことに関してまだ書きたいことがあります。今のチームには可能性があるのです。そこをどうやって引き出すか。そこに関してまた別に書けたらと思います。