さっき車に乗っていて思った事を少し書いておきます。これは完全に個人的な部分ですし陸上とはあまり関係ないかもしれませんが。なかなかこういう気持ちになる事はないので自分の中の心の変化を書き留めておく事はすごく大切なんじゃないかと思います。
車に乗っていてある曲が流れている事に気づきました。Mr.Childrenの「旅立ちの唄」です。私は基本的に車の中ではMr.Childrenしか聞いていません。それも同じCDを繰り返し聞いています。飽きないのか?と言われますが全くない(笑)。2ヶ月くらい前でしょうか、久々にCDを換えました。もちろんMr.Childrenです(笑)。
この曲は私自身すごく好きな曲です。想い入れもある。その曲がふと気がついたら流れていたのです。え?!って感じでしたね。ずっと車で流れていたのにその曲に気づく事もできなかった。何なんでしょうか。そこから帰宅するまで何度も同じ曲を聞きました(笑)。
この曲に関するエピソードを書くとすごく長くなるので端折って書いておきます。詳しく知りたい方はブログ内の検索で「旅立ちの唄」で調べると出てきます。今年の2月28日に卒業生を想いながら一人一人にメッセージを書き込みながら「旅立ちの唄」を聞いていました。翌日、卒業生から私の卒業式をしてもらいました。その際、私のためだけに作ってくれたDVDの中に挿入歌として入っていたのがこの「旅立ちの唄」でした。共有できる感覚があったのだと思います。涙が止まらなかった。
そんな曲が流れている事に数ヶ月気づかないなんて。あり得ません。この時点で私の心に全く余裕がなかったんだなと改めて気づきました。情けない話です。とにかくあれこれあり過ぎて目の前の事だけしか見えなくなっていたのだと思います。こういう積み重ねが自分の視野を狭くしていたのだろうなと。自分にとって大切なものさえも見えなくなっていた。
『旅立ちの唄』 Mr.Children
『怖がらないで
手当たり次第に灯り点けなくても
いつか 一人ぼっちの夜は明けていくよ
転んだ日は はるか遠くに感じていた景色も
起き上がってよく見ると なんか辿り着けそうじゃん
君の大好きだった歌 街に流れる
それは偶然が僕にくれた さりげない贈り物
Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か分からなくなるとき君に語りかけるよ
でも もし聞こえていたって返事はいらないから・・・
大切なものを失くして また手に入れて
そんな繰り返しのようで その度新しくて
「もうこれ以上 涙流したり笑いあったりできない」と言ってたって
やっぱり人恋しくて
今が大好きだって躊躇などしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいてもしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいても
Ah はじまりを祝い歌う最後の唄
僕は今手を振るよ Ah
悲しみにさようなら
疲れ果てて足が止まるとき 少しだけ振り返ってよ
手の届かない場所で背中を押してるから
Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か忘れそうなとき
ぼんやり想い出してよ
ほら 僕の体中 笑顔の君がいるから
背中を押してるから
でも返事はいらないから』
この唄のおかげで自分の事を冷静に見つめ直す事が出来ました。
『大切なものを失くして また手に入れて
そんな繰り返しのようで その度新しくて』
大切なモノに対しての想いがあるから新しいモノに対しても愛おしく思える。人はその場に止まっておく事はできないからこそ、過去との比較で終わらず前を向かないといかない。そこを忘れてしまったらずっとその場で止まり続ける。
『今が大好きだって躊躇などしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいても』
人にとって「過去」も「未来」も存在しない。常に「今」の連続でしかない。だから「今」できる事を最大限にやっていく。そこの意識が私自身弱くなっていたのだと思います。
通常であればなんでもない事であっても「何なんだ」と感じる。もちろん不足しているという事実はあるのですが、実際の不足部分以上に私が「物足りなさ」を感じていたのではないかと。私の余裕のなさから生まれていたのではないかと思います。競技に対する意欲が激減しつつあったのもこの部分に重なるのかなと。無力感が半端なかったですからね。無気力ではなく無力感。やってもやっても前に進んでいる気がしない。そんな中で本当に指導をする意味があるのか?という想いが自分の中で回っていました。
心に余裕を持てたらと思います。簡単な事ではないですがそのために本を読んだり自分の時間を作れるようにしてきました。こういう部分が出来てくると私自身もっと成長できると思いますし、人として視野を広く持てるはずです。
この時期になってもまだまだ私自身が未熟だなと感じさせる出来事でした。何度も何度も原点に帰りながら進んでいきたいと思います。
車に乗っていてある曲が流れている事に気づきました。Mr.Childrenの「旅立ちの唄」です。私は基本的に車の中ではMr.Childrenしか聞いていません。それも同じCDを繰り返し聞いています。飽きないのか?と言われますが全くない(笑)。2ヶ月くらい前でしょうか、久々にCDを換えました。もちろんMr.Childrenです(笑)。
この曲は私自身すごく好きな曲です。想い入れもある。その曲がふと気がついたら流れていたのです。え?!って感じでしたね。ずっと車で流れていたのにその曲に気づく事もできなかった。何なんでしょうか。そこから帰宅するまで何度も同じ曲を聞きました(笑)。
この曲に関するエピソードを書くとすごく長くなるので端折って書いておきます。詳しく知りたい方はブログ内の検索で「旅立ちの唄」で調べると出てきます。今年の2月28日に卒業生を想いながら一人一人にメッセージを書き込みながら「旅立ちの唄」を聞いていました。翌日、卒業生から私の卒業式をしてもらいました。その際、私のためだけに作ってくれたDVDの中に挿入歌として入っていたのがこの「旅立ちの唄」でした。共有できる感覚があったのだと思います。涙が止まらなかった。
そんな曲が流れている事に数ヶ月気づかないなんて。あり得ません。この時点で私の心に全く余裕がなかったんだなと改めて気づきました。情けない話です。とにかくあれこれあり過ぎて目の前の事だけしか見えなくなっていたのだと思います。こういう積み重ねが自分の視野を狭くしていたのだろうなと。自分にとって大切なものさえも見えなくなっていた。
『旅立ちの唄』 Mr.Children
『怖がらないで
手当たり次第に灯り点けなくても
いつか 一人ぼっちの夜は明けていくよ
転んだ日は はるか遠くに感じていた景色も
起き上がってよく見ると なんか辿り着けそうじゃん
君の大好きだった歌 街に流れる
それは偶然が僕にくれた さりげない贈り物
Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か分からなくなるとき君に語りかけるよ
でも もし聞こえていたって返事はいらないから・・・
大切なものを失くして また手に入れて
そんな繰り返しのようで その度新しくて
「もうこれ以上 涙流したり笑いあったりできない」と言ってたって
やっぱり人恋しくて
今が大好きだって躊躇などしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいてもしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいても
Ah はじまりを祝い歌う最後の唄
僕は今手を振るよ Ah
悲しみにさようなら
疲れ果てて足が止まるとき 少しだけ振り返ってよ
手の届かない場所で背中を押してるから
Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か忘れそうなとき
ぼんやり想い出してよ
ほら 僕の体中 笑顔の君がいるから
背中を押してるから
でも返事はいらないから』
この唄のおかげで自分の事を冷静に見つめ直す事が出来ました。
『大切なものを失くして また手に入れて
そんな繰り返しのようで その度新しくて』
大切なモノに対しての想いがあるから新しいモノに対しても愛おしく思える。人はその場に止まっておく事はできないからこそ、過去との比較で終わらず前を向かないといかない。そこを忘れてしまったらずっとその場で止まり続ける。
『今が大好きだって躊躇などしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいても』
人にとって「過去」も「未来」も存在しない。常に「今」の連続でしかない。だから「今」できる事を最大限にやっていく。そこの意識が私自身弱くなっていたのだと思います。
通常であればなんでもない事であっても「何なんだ」と感じる。もちろん不足しているという事実はあるのですが、実際の不足部分以上に私が「物足りなさ」を感じていたのではないかと。私の余裕のなさから生まれていたのではないかと思います。競技に対する意欲が激減しつつあったのもこの部分に重なるのかなと。無力感が半端なかったですからね。無気力ではなく無力感。やってもやっても前に進んでいる気がしない。そんな中で本当に指導をする意味があるのか?という想いが自分の中で回っていました。
心に余裕を持てたらと思います。簡単な事ではないですがそのために本を読んだり自分の時間を作れるようにしてきました。こういう部分が出来てくると私自身もっと成長できると思いますし、人として視野を広く持てるはずです。
この時期になってもまだまだ私自身が未熟だなと感じさせる出来事でした。何度も何度も原点に帰りながら進んでいきたいと思います。