kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

心の持ち方で全ては変わる

2013-12-08 | 陸上競技
さっき車に乗っていて思った事を少し書いておきます。これは完全に個人的な部分ですし陸上とはあまり関係ないかもしれませんが。なかなかこういう気持ちになる事はないので自分の中の心の変化を書き留めておく事はすごく大切なんじゃないかと思います。

車に乗っていてある曲が流れている事に気づきました。Mr.Childrenの「旅立ちの唄」です。私は基本的に車の中ではMr.Childrenしか聞いていません。それも同じCDを繰り返し聞いています。飽きないのか?と言われますが全くない(笑)。2ヶ月くらい前でしょうか、久々にCDを換えました。もちろんMr.Childrenです(笑)。

この曲は私自身すごく好きな曲です。想い入れもある。その曲がふと気がついたら流れていたのです。え?!って感じでしたね。ずっと車で流れていたのにその曲に気づく事もできなかった。何なんでしょうか。そこから帰宅するまで何度も同じ曲を聞きました(笑)。

この曲に関するエピソードを書くとすごく長くなるので端折って書いておきます。詳しく知りたい方はブログ内の検索で「旅立ちの唄」で調べると出てきます。今年の2月28日に卒業生を想いながら一人一人にメッセージを書き込みながら「旅立ちの唄」を聞いていました。翌日、卒業生から私の卒業式をしてもらいました。その際、私のためだけに作ってくれたDVDの中に挿入歌として入っていたのがこの「旅立ちの唄」でした。共有できる感覚があったのだと思います。涙が止まらなかった。

そんな曲が流れている事に数ヶ月気づかないなんて。あり得ません。この時点で私の心に全く余裕がなかったんだなと改めて気づきました。情けない話です。とにかくあれこれあり過ぎて目の前の事だけしか見えなくなっていたのだと思います。こういう積み重ねが自分の視野を狭くしていたのだろうなと。自分にとって大切なものさえも見えなくなっていた。

『旅立ちの唄』 Mr.Children

『怖がらないで
手当たり次第に灯り点けなくても
いつか 一人ぼっちの夜は明けていくよ
転んだ日は はるか遠くに感じていた景色も
起き上がってよく見ると なんか辿り着けそうじゃん

君の大好きだった歌 街に流れる
それは偶然が僕にくれた さりげない贈り物

Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か分からなくなるとき君に語りかけるよ
でも もし聞こえていたって返事はいらないから・・・

大切なものを失くして また手に入れて
そんな繰り返しのようで その度新しくて
「もうこれ以上 涙流したり笑いあったりできない」と言ってたって
やっぱり人恋しくて

今が大好きだって躊躇などしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいてもしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいても

Ah はじまりを祝い歌う最後の唄
僕は今手を振るよ Ah
悲しみにさようなら
疲れ果てて足が止まるとき 少しだけ振り返ってよ
手の届かない場所で背中を押してるから

Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か忘れそうなとき
ぼんやり想い出してよ
ほら 僕の体中 笑顔の君がいるから
背中を押してるから
でも返事はいらないから』


この唄のおかげで自分の事を冷静に見つめ直す事が出来ました。

『大切なものを失くして また手に入れて
そんな繰り返しのようで その度新しくて』

大切なモノに対しての想いがあるから新しいモノに対しても愛おしく思える。人はその場に止まっておく事はできないからこそ、過去との比較で終わらず前を向かないといかない。そこを忘れてしまったらずっとその場で止まり続ける。

『今が大好きだって躊躇などしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいても』

人にとって「過去」も「未来」も存在しない。常に「今」の連続でしかない。だから「今」できる事を最大限にやっていく。そこの意識が私自身弱くなっていたのだと思います。

通常であればなんでもない事であっても「何なんだ」と感じる。もちろん不足しているという事実はあるのですが、実際の不足部分以上に私が「物足りなさ」を感じていたのではないかと。私の余裕のなさから生まれていたのではないかと思います。競技に対する意欲が激減しつつあったのもこの部分に重なるのかなと。無力感が半端なかったですからね。無気力ではなく無力感。やってもやっても前に進んでいる気がしない。そんな中で本当に指導をする意味があるのか?という想いが自分の中で回っていました。

心に余裕を持てたらと思います。簡単な事ではないですがそのために本を読んだり自分の時間を作れるようにしてきました。こういう部分が出来てくると私自身もっと成長できると思いますし、人として視野を広く持てるはずです。

この時期になってもまだまだ私自身が未熟だなと感じさせる出来事でした。何度も何度も原点に帰りながら進んでいきたいと思います。


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blogを書く

2013-12-08 | 陸上競技
何度目になるのかは全くわかりませんがblogについて書いておきたいと思います。なんだか分かりませんがアクセス数が増えました。正直戸惑いがあります。可能ならこっそり続けていきたいと考えているのですが。あまり大きなことになると面倒なことが増える確率が増えるからです。

blogを始めた当初、ほとんどアクセスもなく良い感じで書いていました。100人くらいだったでしょうか。知り合いと選手くらいだったはずです。基本的にリンクもしていないので世間一般に知られるはずがないと思っていました。かなり前だったので忘れてしまいましたが最初はクラスの生徒に対してのメッセージ板のようなものでした。掲示板のような形式でやっていました。今のような形のblogは当時まだ全く利用されていませんでした。これは全国的にです。管理が楽なのでblogへ移行しました。昔書いた記事はほぼなくなってしまっています。

携帯電話を利用してのプロフや日記のようなものが高校生の間で流行り始めたのもこの頃だったと思います。「ムカつく」とか「怒られた、あいつなんなんだ」というような一時的な感情を吐き出す場所のようになっている様子を見て書いて何か意味があるのだろうかと感じていました。その内容を数年後に見ることになったらどう思うのだろうか。高校生がblogを更新することの意味は全くないと思っていました。

私自身、当時からかなり書くことに葛藤がありました。選手に対して厳しいことを書くとそれに対して批判を受けることもありました。保護者からすれば納得いかない部分も多くあったでしょう。これは今も変わらない気はしていますが。肯定的なこともあれば否定的なこともある。面倒になってきたので閉鎖的にするか(パスワードをかける)か辞めるか本気で悩んでいました。書くことでストレスを感じるのであれば意味がなくなりますからね。

これに対しては多くの意見があると思います。書いて良い内容と良くない内容を判断できていないのではないか。一方的な意見を相手の立場を考えずに勝手に公開するというのはどうなのか?私が感じた事実であってもそれを一方的にblog上で批判されるというのは良い気はいないでしょうから。何度あったか分かりません。

「部活動の在り方」について書いた時にはコメントで意見をもらいました。「お前が辞めろ」と書かれたこともあります。関係者からすれば「顧問の考え方についていけないのだから顧問が変われ」という部分なのでしょう。「教育行為は他の場所でやればいい」「クラブチームでも作ってやればいい」といったコメントもあったと思います。視点としてはそうなのかもしれません。放課後に身体を動かしたいのに顧問が「教育」と「部活動」を結びつけるからやりたいことができないという経験があるのでしょう。

やりたいこととは何でしょうか?楽しく練習をやる。彼氏や彼女と遊びたい時にはそちらを優先する。アルバイトをしたいので練習時間を短くしてもらいたい。このような状態に合わせなければいけないとすれば私のような顧問は存在しない方が「部活動をやりたい」という生徒にとってやりやすいのでしょうね。100人blogを見て2人不快と感じてそのことをコメントに書くとその影響力は大きい。物言わぬ読者(書き方が悪いかもしれません。申し訳ありません。)の意見は反映されず、攻撃的な反対をする読者の意見は大きく出てきます。世の中というのはそういうものだと思っています。ここに難しさがある。

批判されることをある程度想定しておかなければいけない。そこに対する耐性がないのであれば公に考えを公開するというのはそこまで考えておかないといけない。忘れてはいけないことです。高校生がTwitterやLINEをしています。この部分は頭にはないでしょう。不平不満を書き続ける、後からみたらとても恥ずかしい内容を書き込んでいる。昔のプロフや日記、リアルなどは完全にTwitterやLINEに変わっています。便利なツールなのかもしれませんが、人から見られているという感覚が欠落しているのであれば書くべきではないと思いますね。結婚して子供が出来た時にその書き込みが見られた時、自信を持って話すことができるかどうかは大きいと思います。ネット上に書いたことは残り続けますからね。

そういう私の娘も中学生となりました。blogを書いていることは何となく知っているようです。携帯は与えていませんから見てはいないと思いますが(笑)。便利なツールが増えれば増えるほど何も意味のない、生産性のない書き込みが公開されるようになります。私自身のblogも同様ですね。こう考えていくと続けていく意味が本当にあるのかも考えものです。

こういう小難しい内容を書き続けるとそのうちアクセス数も通常通りに戻るでしょう(笑)。まーどちらにしてもあまり気にはしたくないのですが。そういえば同僚にGoogleなどのポータルサイトで学校名を入力すると検索候補に私の名前が上がるみたいです。すごく嫌ですね(笑)。細々とやっていきます。
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