kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

成長を感じる

2013-12-06 | 陸上競技
全ての面でこちらがイメージする姿に成長をするというのは難しいというのはわかっています。当然ですね。完璧に求める水準まで届くなんて事は夢物語ですから(笑)。少しずつ成長をしていくという姿を見る事ができるかどうかですね。

今回、まだまだ甘いなと思う事がありました。鍵の返却を特定の人物に任せっぱなしになっているというところです。誰かがやってくれるだろうという感覚、自分がやらなくでもいいだろうという受け身の姿勢。これは間違いなく競技場面でも出てきます。普段の物事に対する考え方が練習に大きく影響しますし、強いては大会に影響します。最終的には自分達で判断をして行動しなければいけなくなる。バトン練習をどれだけやってもグランドで走るのは選手です。風の条件などを判断してコミュニケーションを取って調整をする。私がいつもそれをするわけではない。鍵を返却する、借りに来るという何気ない事であっても場面場面の判断や自主的な行動が求められます。

それができていないと上級生が判断したようです。これは私が指摘する前の話しだと思います。まー私に鍵を返しに行かせる事は指摘しましたが。これは上級生の指示不足かもしれません。もっと前持って考えておけば下級生の行動を指示できたかもしれない。ここはかなり高いレベルの水準で求めているのはかっています。高校生でそこまで考えるのは難しいですから。しかし、今回は下級生が特定の者に負担をさせているのが目に見えたのであえて他の者が鍵を返すような状況を作り出したとのことでした。すごい成長だと思います。直接話をするというのも大切な指導ですが、気づかせてやるというのも重要です。

結局、気づかずにその場に残った上級生が片付けに来たようです。ここはそこに残った者が甘い。「気づいていたけど言えなかった」という表現をしていましたがこれは逃げている部分ですね。最終的に指導をする場面に残ったのであればその役割を果たすべきです。できないというのは責任の放棄。せっかく下級生に指導できるチャンスだったのですがそれを逃しました。で、最終的に翌日私が指導をすることに。もったいない。

これとは別に「特定の者が負担をする」というのが分かってたようで上級生から下級生に指示が出されていたようです。9月の二年生不在時、特定の者が練習メニューを聞きに来る、日誌を提出しにくるという状況がありました。普段であれば練習メニューを聞きに来るのはキャプテンの仕事、日誌提出は上級生の持ち回り。その二年生が不在であればどう動かないといけないか?これに関して9月の時点で指導をしていました。今回は私はノータッチ。

鍵の件などで「人任せ」になっていた部分があり、練習中に負担をしている者が練習に集中しきれない様子がありました。そのことをキャプテンに連絡をするとその時に「修学旅行中はそうならないように役割を決めて行動するように話しています」という報告を受けました。うーん、これまでのことから考えるとこの成長は素晴らしいと思います。わかってもらえないかもしれませんが、私個人としては涙が出るほど嬉しかったですね。こちらが求める水準が高くなっているのは自覚しています。しかし、それに近いことが実際にできた。こちらが指示を出さなくても先を見越した行動をしているというのが大きな成長だと思います。

自分のことだけしか考えられない状態であれば、不在時の指示まで出しません。居ない時の指示を上級生が出しておくのは当然のことだと思われる方もいるのかもしれません。しかし、現場でそのような事ができるというのはほとんどないのです。そこができるようになったというのは大きな喜びです。成長を素直に認めたいと思います。

この事が他の部分につながっていくと更なる成長をするのではないかと考えています。修学旅行中は油断する部分があるのですが、自らマスクを着用して過ごす事を決めていたようです。旅行中に体調を崩すと楽しめないというのもあるとは思いますが、こういう部分にまで配慮できるようになっているというのは確実な成長だと思います。

周りから見ると何気ない出来事なのかもしれませんが私にとって大きな出来事でした。記録として書いておきます。
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考査終了~動きの確認~

2013-12-06 | 陸上競技
やっと練習へ。本当はまだまだ書きたいことがあるのですがこれは自粛しておきます。

考査に土日が2回かかったこともあり、2年生が修学旅行の準備ができていないだろうという部分に配慮して少し早めに終わることにしていました。2年生は木曜日が午前中授業で午後から「準備時間」となっていました。この時間は練習をさせたかったので水曜日に早めに終わらせようと。普段から遠征や合宿に行っています。「旅行」に必要なものはある程度分かるはずです。一般生徒は「始めての旅行」という感覚でいるでしょう。何を持って行っていいか分からない状態の者と何度も何度も経験をしている者では「段取り」は違います。ジャージ類とは違うのかもしれませんが基本的には同じです。とはいえ、少し買い足したりしなければいけないでしょうから最大限の配慮をしておきました。

練習は基本的なことをうやろうと考えていました。3時間の練習計画でしたからそれほど多くはできません。基本的な動きをひたすらやる。膝締めのスティックドリルをやったのですが、1年生はどうも上手くいきません。確認をすると「なんとなくやっている」という感じでした。今更か・・・。感覚的なことがあるので非常に難しいのですが「同じ動き」をすればよいという訳ではありません。何のためにこの動きをするのかと言うのが分かっていないと技術的変化は生まれないのです。もっと細かく確認をしておけばよかったと深く反省。

ドリルの目的が分からずにやるということほど「無駄」なことはないと思っています。なんとなくやっているという状況。目的が明確で感覚を作ることができなければその役割は果たせません。これは「強豪校がやっているから真似る」のと同じ。似ている練習であってもその中身が伴わなければ「効果はない」のです。そこは考えないといけないと思います。予定を少し変えてもう一度ドリルの意味を考えさせました。接地のポジションが重要だと話し続けてきましたがほとんど伝わっていない感じでしたね。もっと早く細かく確認押しておけば秋の時点で記録が出せたのではないかと感じています。甘かった。

正直、それなりに指導はできるようになってきていると思います。ある程度の水準までは到達していると思いますが、それでも不足が生まれています。「完璧な指導」というものはありません。見ているうちに「これはダメだな」と感じる能力を磨いていく必要があります。これができればある程度の力を持った選手を上の水準まで引き上げることができると思います。まだまだ目標とする諸先輩方には届きませんが(笑)。

動きを確認してからチューブ。久々に試合期に行っているもも上げもやることに。これは「切り替えが遅いな」と感じる部分がったので導入。冬期であってもこの部分はやっておきたい。一つ一つ積み上げていく必要があると思います。その後、時間的なこともあってバトンの並走とパスを少し。かなりやりこんでも良かったのですが他にもやりたいことがありましたし、3時間で終わるという大きな課題もあったので(笑)。久々にバトンが落ちてしまいまいました。普段バトンを渡すことがない選手が渡して落としました。「関係ないからいいや」で終わるのではなく「何故バトンが落ちるのか」を考えさせました。これは他の選手にもです。自分たちのやっていることの「意味」を考えることでミスを減らすことができると考えます。これから大事な要素だと思いますね。

終了後、短い距離のソリッド走を。動きの確認をして接地のポジションを作っています。それを実際の走りにつなげていくための練習です。この日は「膝」について意識させました。後ろから引っ張られるような状態になります。後半の動きを保つのが難しい。重心が移動したくても移動できない状態になっているのです。だからこそ走っているときに「膝」の部分をどうするかで重心移動を作り出す。まーこれが正しいかどうかは分かりませんけどね(笑)。

同じソリッド走であっても小さなエースは動きの意識を変えさせています。最大限の武器は人並み外れた「ピッチの速さ」です。動きはかなり良くなってきています。最後までこのピッチを保てるようになることが重要だと考えています。重心移動がなくてピッチだけ上げるというのではなく、移動もしながらピッチを保つ。ここの部分です。体重が軽いのでソリッド走は苦手分野。他の選手に勝てません。それで良いと思っています。他の選手と同じ課題ではないからです。最後までピッチを保つことでソリッド走を克服するという大きな課題を克服してもらいたいですね。

大きなエースは男子と一緒に走らせています。やっと男子が走れ始めました。接地ポジションが悪いのと腰が落ちるので進みませんでしたがこの日はかなり良かった。いつもは同じくらいで走っていた大きなエースは置いていかれていました。本人的にはかなり悔しかったと思います。しかし、それも経験です。11秒前半で走るように男子がなれば置いて行かれるのは当然。その中で自分の動きを保てるかです。中間以降の走りが武器だと思っていますからそこの克服ですね。

で、ショートを織り交ぜているのですが1年生女子達が小さなエースについていました。細かい部分の動きを変えていくことで大きな成長につながります。時間はかかるかもしれませんがこの走りが安定してできるようになると大きく可能性が出てきます。面白いと思いますね。

ちょっと他に感じる部分もありました。これはまた別に書きたいと思います。多分(笑)。
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考査終了~ミーティング~

2013-12-06 | 陸上競技
前の記事の続き。この日の練習前にミーティングをしましたがなかなか「伝わらないな」と感じる部分がありました。現在、一人で短距離と長距離を見ています。昨年までは長距離の指導をしてくださる方がいらっしゃったのでお願いをしていたのですが、今年度からは私がどちらも見ることに。かなり難しいことだと思っていたので長距離は外部コーチに任せるようにしていました。うちの長距離が盛んだった頃のOBです。

こういう前提があるので私は練習メニューを立てていません。完全に任せています。が、「チーム」としての方針は同じでやりたいと考えています。難しい部分ではあるのですが。練習を見ていないのに生活指導や取り組みの指導をするというのは良いことではないかもしれません。練習場所が異なるので物理的に不可能なのです。「全てを見る」という指導者もいるとは思いますが私には不可能だと思っています。そういう流れもあるのでなかなかこちらの指示が入りません。

文化祭の時期に「文化祭の準備がしたいから終わってから練習をする」と申し出てきた者がいます。細かいところまで指示をしていなかった私の責任もあると思います。しかし、基本的には「練習をする」と話し続けています。「聞いていなかった」と言われるかもしれませんが、確認すると「何となく感じていた」とのこと。それで十分だと思うのですが。顧問からすべての指示が出なくても「雰囲気」で感じる。それで行動を改めるというのであれば問題はないと。が、「準備をする」という話が出てきて「え?」という感じでした。

日誌の中に「先生は何度も文化祭を経験しているが、自分たちは初めてだからどちらも楽しみたい」と書かれていました。悪気はないのかもしれませんがちょっと考えものです。私は文化祭楽しんでいますか???って話です。「仕事」としてあれこれ指示を出さないと回らない部分が多々あり時間に追われて過ごしていました。その様子を見て何を感じるか?「楽しそう」と思えるのか。ここは分かりませんが、指導することの難しさを感じました。

そういう経緯があって今回の鍵の片づけなどの話につながってきます。「気が利かない」というのではなく「自分たちは関係ない」という感覚があるのかなと思っています。普段から別に動いているのでそういう感覚が出てくるのかもしれない。また、私の指示が曖昧な部分があるので「分からない」という部分があるのかもしれません。自己弁護をするつもりはありません。私がもっともっと細かく指示を出していけばこのような問題は生じない。私の責任によるところが大きいのだと思います。が、少し釈然としません。「自分は」という感覚が強すぎる。

こういう話をしていました。座って話をしていたのですが一人の顔は最初から見えません。ミーティングをするときに顔が見えないというのはどうかなと思う部分があります。前の人の真後ろに座っていたので目が合うこともありませんでした。ミーティングの途中でその指示もしました。話が伝わったかどうか分からない部分があるので通常であれば顔がきちんと見えるところに移動して座るべきではないかと。

ここからの部分は日付が変わってからの話になるのですが、日誌を提出した時、「人任せになっていること」「顔が見えなかったこと」の指導をした者が何も書いていないので呼んで確認をしました。大事なことだと思ったからです。何故書かなかったのか?と問うと「書こうと思ったが書くと批判的な内容になるので止めた」とのこと。言い分としては「自分は見えるところに移動していたにも関わらず指導を受けたことへの不満がある」ということでした。見えないので「少し動いた」が、私から指導を受けたことに納得がいかないとのこと。

私がそうとらえただけかもしれませんが「自分はやっているのに何がいけないのか」という正当化されているなと感じました。結局、私からは顔が見えず目も合わない。そこの部分を指摘しているにもかかわらず「自分は見えていた」という主張では行き違いが生まれます。他の部分は百歩譲って「私の指示不足」かもしれません。この部分は「目が合ってない」という指摘をしているのです。「合っていました」と言われましたが合っていないのです。「自分はできている」と思うから「不満」がある。自分は気を使って移動していたのになぜ言われなければいけないのか。

どうなのでしょうか?「自分はやっている」と思っても相手が「全くできていない」と思えばそれは「できていない」のと同じではないでしょうか。これは私自身の振り返りにもなりますが。一人で指導することの難しさを痛感しています。かなりしんどい。こちらが意図する話が相手に伝わらないというのは・・・。悪気はなくても相手が「え?」と思うことはあります。その状況では何も生み出しません。ここは「自分はやっているのに何が悪いのか」という正当化があるからだと思います。ここが変わらない限りは話は進まないのかなと。

指導が不十分なため「不満」が生まれますし、「言い分」もあるでしょう。その中でどうやって伝えていくか。改めてそう感じることがありました。この指導内容も私の「一方的な見方」なのかもしれません。自分自身が考えないといけないと思っています。自分は何もできていないなと言う自戒も込めて書きました。

また練習内容に届かず・・・。うーん。
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