インターハイが終わってずいぶん経っていますが結局私自身の時間の余裕がなくほとんど更新できていません。いつまでも引きずる話ではないと思うのですが「記録」としては残しておくべきだと思っています。お許しを。
今回のインターハイ、「ラウンドを進む」という大きな目標も持っていました。これまで4回ほどインターハイに参加することができましたが力及ばず予選落ちをしていました。今回で5回目、なんとかそこまでベスト24に残る。簡単なことではありませんが何とか達成したいという目標でした。今回は十分に可能性があると思っていました。が、結局は届かず。指導力が足りないというのを改めて痛感させられました。100mでは力を出し切れずに終わってしまった感じがあります。「全国の舞台だから仕方ない」と言ってしまえばそれ以上の発展はありません。全て私の力不足。その一言に尽きると思います。
「燃え尽きた」という気はありません。が、何度も何度も跳ね返される「予選突破」という大きな壁。自信を失う部分もあります。選手の調整失敗、気持ちの持って行き方の失敗という話ではないと思います。全ての面での責任は私個人にあると思っています。選手はやるべきことをやってくれていたはずです。力が出せなかったのは全て私の指導力不足。多くの人に応援していただき、サポートして頂いたにも関わらず、良い報告ができないということを申し訳なく思います。
中学時代に実力があって「強い」選手を預かること。これも大きなプレッシャーになるのかもしれません。「結果を残す」ことが当然であり、少しでも残せなかったら「何をやっているんだ」と批判される。うちのように「普通の選手」を預かっている場合はどうなのか?それでも「結果を残す」という部分はやるべきだと思っています。それがどのレベルなのかは分かりません。県総体で優勝したら「結果を残す」ことになるのか?それは違う気がしています。
情けないことなのかもしれませんが今回の4継に関しては「予選突破」しか目標は掲げられませんでした。100mは「決勝進出」でした。しかし、指導する側が最初から「負けても仕方ない」という部分があったのではないかという自責の念があります。大きすぎる目標は選手のモチベーションを上げることにはつながりません。いきなり「全国優勝」というのは大きすぎる目標。他のスポーツと違って「大番狂わせ」というのはあまりない競技です。持ちタイムに大きな差があれば「全国優勝」といってもそれは「夢」でしかない。実現不可能なものとなる。これで選手は動きません。
だからと言って「負けありき」の指導はどうだったのか?それほどサッカーは好きではないですがワールドカップ出場に際して選手が「優勝を目指す」と口にしていました。「実現不可能」なのは客観的に見てわかります。が、それでも「優勝する」と口にすることで自分自身を奮い立たせていたのかもしれません。予選リーグ敗退をした。その後マスコミは「優勝する」と口にしたことを批判する。これはどうなんでしょうか。人それぞれの目標がある。特にスポーツ選手が最初から「負けありき」で取り組んでいたら最後の一押しができない。ここに私自身の甘さもあったのではないかと思っています。
選手はできることをやってくれたはずです。最終的なメンタルのコントロールが上手くいかなかったとしたらそれは私の責任。持っている力を出せなかったのは選手自身ではなく私自身の責任だと思っています。通常であれば「辞任」するレベルの話なのかもしれません。これが私学の顧問であれば「結果を残せないのだから交替させる」というのはよくある話です。高校野球やプロ野球でも同様。「もっといい指導者を連れてこい」と保護者から言われてもおかしくない状況なのではないかと感じています。それくらい「結果」のはこだわらないといけない。同様に選手からも「kanekoの言っている通りにやってきたのに結果を出せなかった」と突き上げられることも考えられます。「力を出し切って負けた」のではなく「自己記録を下回る」結果というのは本人たちにとっても「納得できない」ものだと思います。本当に申し訳ないとしか言いようがありません。
「インターハイに行く」というだけでは物足りない。これは人間の欲求なのかもしれません。未だに全国で「自分たちの力を出し切る」ということができないもどかしさがあります。第三者から批判されることではなないと思いますが、関係者からは非難されても仕方ない内容だと思います。自分自身を正当化するつもりは一切ありません。私自身の指導力不足が選手たちの敗因だと感じています。
何とかできるか?私自身のモチベーションをそこまで引き上げることができるか?自分自身に大きな疑問を感じています。情けないですが。
今回のインターハイ、「ラウンドを進む」という大きな目標も持っていました。これまで4回ほどインターハイに参加することができましたが力及ばず予選落ちをしていました。今回で5回目、なんとかそこまでベスト24に残る。簡単なことではありませんが何とか達成したいという目標でした。今回は十分に可能性があると思っていました。が、結局は届かず。指導力が足りないというのを改めて痛感させられました。100mでは力を出し切れずに終わってしまった感じがあります。「全国の舞台だから仕方ない」と言ってしまえばそれ以上の発展はありません。全て私の力不足。その一言に尽きると思います。
「燃え尽きた」という気はありません。が、何度も何度も跳ね返される「予選突破」という大きな壁。自信を失う部分もあります。選手の調整失敗、気持ちの持って行き方の失敗という話ではないと思います。全ての面での責任は私個人にあると思っています。選手はやるべきことをやってくれていたはずです。力が出せなかったのは全て私の指導力不足。多くの人に応援していただき、サポートして頂いたにも関わらず、良い報告ができないということを申し訳なく思います。
中学時代に実力があって「強い」選手を預かること。これも大きなプレッシャーになるのかもしれません。「結果を残す」ことが当然であり、少しでも残せなかったら「何をやっているんだ」と批判される。うちのように「普通の選手」を預かっている場合はどうなのか?それでも「結果を残す」という部分はやるべきだと思っています。それがどのレベルなのかは分かりません。県総体で優勝したら「結果を残す」ことになるのか?それは違う気がしています。
情けないことなのかもしれませんが今回の4継に関しては「予選突破」しか目標は掲げられませんでした。100mは「決勝進出」でした。しかし、指導する側が最初から「負けても仕方ない」という部分があったのではないかという自責の念があります。大きすぎる目標は選手のモチベーションを上げることにはつながりません。いきなり「全国優勝」というのは大きすぎる目標。他のスポーツと違って「大番狂わせ」というのはあまりない競技です。持ちタイムに大きな差があれば「全国優勝」といってもそれは「夢」でしかない。実現不可能なものとなる。これで選手は動きません。
だからと言って「負けありき」の指導はどうだったのか?それほどサッカーは好きではないですがワールドカップ出場に際して選手が「優勝を目指す」と口にしていました。「実現不可能」なのは客観的に見てわかります。が、それでも「優勝する」と口にすることで自分自身を奮い立たせていたのかもしれません。予選リーグ敗退をした。その後マスコミは「優勝する」と口にしたことを批判する。これはどうなんでしょうか。人それぞれの目標がある。特にスポーツ選手が最初から「負けありき」で取り組んでいたら最後の一押しができない。ここに私自身の甘さもあったのではないかと思っています。
選手はできることをやってくれたはずです。最終的なメンタルのコントロールが上手くいかなかったとしたらそれは私の責任。持っている力を出せなかったのは選手自身ではなく私自身の責任だと思っています。通常であれば「辞任」するレベルの話なのかもしれません。これが私学の顧問であれば「結果を残せないのだから交替させる」というのはよくある話です。高校野球やプロ野球でも同様。「もっといい指導者を連れてこい」と保護者から言われてもおかしくない状況なのではないかと感じています。それくらい「結果」のはこだわらないといけない。同様に選手からも「kanekoの言っている通りにやってきたのに結果を出せなかった」と突き上げられることも考えられます。「力を出し切って負けた」のではなく「自己記録を下回る」結果というのは本人たちにとっても「納得できない」ものだと思います。本当に申し訳ないとしか言いようがありません。
「インターハイに行く」というだけでは物足りない。これは人間の欲求なのかもしれません。未だに全国で「自分たちの力を出し切る」ということができないもどかしさがあります。第三者から批判されることではなないと思いますが、関係者からは非難されても仕方ない内容だと思います。自分自身を正当化するつもりは一切ありません。私自身の指導力不足が選手たちの敗因だと感じています。
何とかできるか?私自身のモチベーションをそこまで引き上げることができるか?自分自身に大きな疑問を感じています。情けないですが。