今回の県新人、なんとなく「上手くいかないな」というのは感じていました。これは私の力不足というのもあると思います。この夏、初めてリレーでインターハイ出場を果たしました。これまでであれば中国大会以降は「新チーム」としての活動が中心となります。インターハイ出場者が毎年1名ずつだったこともありメインは「新チーム」となっていました。毎年何とか個人で中国新人に進めるレベルの選手がいてくれたというのも恵まれていたのだと思います。今年はかなり厳しい状態であったことは間違いありません。それでも「チーム」として継続してやってきたことがある。これは見えない力となってつながっていくと考えていました。そこが甘かった。
以前のように厳しい指導をすることがずいぶん減ってきました。それでもバトンに関してはここ最近は厳しく話をしています。見ていると「バトンがきちんと渡らないと先生に怒られる」という雰囲気がありました。本来であれば「リレーで戦うためにバトンを渡す」のですが、渡らなければ先生に指摘されるから何とか渡そうという水準。これで本当に渡るのか?ここは大きな疑問でした。この1年間、「バトンが渡らない」というのはあまり意識したことがありませんでした。「渡るのは当然」であり、あとはその精度だと考えていたからです。怪しい時は何度もありましたが「これは渡らないな」と感じることはありませんでした。結局、今回は男女ともに失格。この現実を受け止めなければいけません。
また、「リレー」という部分に頼りすぎていて各自が「自分の責任」を果たすことができていない。ここも大きいと思っています。どれだけのチームが「リレーで戦う」と考えているのか分かりません。しかし、今のうちは「リレーで戦う」という言葉に逃げています。各自が個人種目で戦うことを避けて「リレーで戦う」というところで誤魔化しています。リレーであれば「4人」で走ります。一人が上手く走れなくても他の3人が何とか走ってくれれば勝つことができます。だから「責任の所在」があやふやになるのです。4人が4人、「他の3人がやってくれるだろう」という感覚でいる。だから自分が何とかしなければいけないという感じがありません。バトンに関しても同様。「何とかなるだろう」という感じでしかない。責任を果たすという部分ができていないのです。
今の3年生、この部分は強かったと思います。小さなエースは「リレーで戦う」という気持ちが誰よりも強かった。だからインターハイまで届いたのだと思います。練習の時には「私が何とかするから大丈夫」という言葉を何度も言っていました。他の誰かに頼るのではなく「自分の力でリレーを勝たせる」という感覚が誰よりもあった。だから安心して任せられるのです。また、大きなエースも「私が全部抜くから任せて」と言っていました。練習でも1年生を前から出してそれを全力で抜くという練習が中心。実際のレースを想定して「前にいる選手を追う」という走りをしていました。通常のレースであり得ない状況です。「リレーで戦う」ためにそこまで考えていたのです。「自分が力を出さなければ勝てない」という感覚で普段の練習をやっていた。今はどうか??ここの「差」は本当に大きいと思いますね。
更には「個人」としてどうするかです。「リレーで戦う」という所に逃げて「個人で勝負する」という感覚が全くと言っていいほどありませんでした。失礼な話かもしれませんが「弱い選手が4人集まっても戦えない」という感覚が不足しています。今のうちの戦力であればそれなりに走れます。あくまで「それなり」です。女子は中国には進むでしょうが予選落ちで終わり。大きな理由は「個人で戦える選手がいない」ことです。「個人で戦う」事ができない選手が集まったところで結局は「誤魔化している」だけだと思います。「自分の力では戦えないからリレーで戦う」という話になっている。上述の通り「責任の放棄」なのです。個人では決勝に残ることも中国に進むこともできない。リレーなら他の人がいるから何とかしてくれる。その感覚が強くありました。
正直、女子の100mは個人で中国を考えていました。上位4人の力は抜けていると思いましたがそれでも十分戦えるレベルまで来ていました。「過大評価」と言われるかもしれませんが、これまでずっと競技を見てきて「これはいける」と感じた部分です。が、結果的には全く戦えず。今回短距離で決勝に残ったのは200m女子1人です。一応準決勝には何人か残りましたがとても戦える状況ではありません。三段跳びで8位に入った男子もいますがまだまだ力不足は否めません。「個人で戦えない」者が集まってリレーに逃げる。これでは勝負できるはずがありません。結局、今回の県新人で「変わったな」と感じるのは男女キャプテンのみ。これは「個人で決勝に残った」というのが大きな要因だと思います。「個人でも戦える」という感覚が競技に向かう姿勢を大きく変えるからです。他の者はまだ何が問題なのかを理解できません。このままでは「次も同じことをする」と思います。
これは全て「指導者の責任」だと思います。私がそこまで選手のモチベーションを上げることができなかったのが原因です。これまで応援してくださった多くの方、OB・OGが作ってきてくれた伝統という部分を今回の県新人で途切れさせてしまったことに対して本当に申し訳ないなと思っています。言葉では言い表すことができません。私の力が足りないばかりに多くの期待に応えることができませんでした。本当に本当に申し訳ありません。
以前のように厳しい指導をすることがずいぶん減ってきました。それでもバトンに関してはここ最近は厳しく話をしています。見ていると「バトンがきちんと渡らないと先生に怒られる」という雰囲気がありました。本来であれば「リレーで戦うためにバトンを渡す」のですが、渡らなければ先生に指摘されるから何とか渡そうという水準。これで本当に渡るのか?ここは大きな疑問でした。この1年間、「バトンが渡らない」というのはあまり意識したことがありませんでした。「渡るのは当然」であり、あとはその精度だと考えていたからです。怪しい時は何度もありましたが「これは渡らないな」と感じることはありませんでした。結局、今回は男女ともに失格。この現実を受け止めなければいけません。
また、「リレー」という部分に頼りすぎていて各自が「自分の責任」を果たすことができていない。ここも大きいと思っています。どれだけのチームが「リレーで戦う」と考えているのか分かりません。しかし、今のうちは「リレーで戦う」という言葉に逃げています。各自が個人種目で戦うことを避けて「リレーで戦う」というところで誤魔化しています。リレーであれば「4人」で走ります。一人が上手く走れなくても他の3人が何とか走ってくれれば勝つことができます。だから「責任の所在」があやふやになるのです。4人が4人、「他の3人がやってくれるだろう」という感覚でいる。だから自分が何とかしなければいけないという感じがありません。バトンに関しても同様。「何とかなるだろう」という感じでしかない。責任を果たすという部分ができていないのです。
今の3年生、この部分は強かったと思います。小さなエースは「リレーで戦う」という気持ちが誰よりも強かった。だからインターハイまで届いたのだと思います。練習の時には「私が何とかするから大丈夫」という言葉を何度も言っていました。他の誰かに頼るのではなく「自分の力でリレーを勝たせる」という感覚が誰よりもあった。だから安心して任せられるのです。また、大きなエースも「私が全部抜くから任せて」と言っていました。練習でも1年生を前から出してそれを全力で抜くという練習が中心。実際のレースを想定して「前にいる選手を追う」という走りをしていました。通常のレースであり得ない状況です。「リレーで戦う」ためにそこまで考えていたのです。「自分が力を出さなければ勝てない」という感覚で普段の練習をやっていた。今はどうか??ここの「差」は本当に大きいと思いますね。
更には「個人」としてどうするかです。「リレーで戦う」という所に逃げて「個人で勝負する」という感覚が全くと言っていいほどありませんでした。失礼な話かもしれませんが「弱い選手が4人集まっても戦えない」という感覚が不足しています。今のうちの戦力であればそれなりに走れます。あくまで「それなり」です。女子は中国には進むでしょうが予選落ちで終わり。大きな理由は「個人で戦える選手がいない」ことです。「個人で戦う」事ができない選手が集まったところで結局は「誤魔化している」だけだと思います。「自分の力では戦えないからリレーで戦う」という話になっている。上述の通り「責任の放棄」なのです。個人では決勝に残ることも中国に進むこともできない。リレーなら他の人がいるから何とかしてくれる。その感覚が強くありました。
正直、女子の100mは個人で中国を考えていました。上位4人の力は抜けていると思いましたがそれでも十分戦えるレベルまで来ていました。「過大評価」と言われるかもしれませんが、これまでずっと競技を見てきて「これはいける」と感じた部分です。が、結果的には全く戦えず。今回短距離で決勝に残ったのは200m女子1人です。一応準決勝には何人か残りましたがとても戦える状況ではありません。三段跳びで8位に入った男子もいますがまだまだ力不足は否めません。「個人で戦えない」者が集まってリレーに逃げる。これでは勝負できるはずがありません。結局、今回の県新人で「変わったな」と感じるのは男女キャプテンのみ。これは「個人で決勝に残った」というのが大きな要因だと思います。「個人でも戦える」という感覚が競技に向かう姿勢を大きく変えるからです。他の者はまだ何が問題なのかを理解できません。このままでは「次も同じことをする」と思います。
これは全て「指導者の責任」だと思います。私がそこまで選手のモチベーションを上げることができなかったのが原因です。これまで応援してくださった多くの方、OB・OGが作ってきてくれた伝統という部分を今回の県新人で途切れさせてしまったことに対して本当に申し訳ないなと思っています。言葉では言い表すことができません。私の力が足りないばかりに多くの期待に応えることができませんでした。本当に本当に申し訳ありません。