kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

「頑張る事」を頑張る?

2016-12-06 | 陸上競技
更に。

このblogの中で定期的に誰かに閲覧されている記事があります。

「努力」は必ず報われるとは限らない

という記事です。酷い書き方ですね(笑)。更に内容が長いので読む気にならない(笑)。Yahoo!検索などで「努力」とかで引っかかるのでしょうか。「努力」したら必ず上手くいくというのはあくまで「幻想」だと思っています。

「頑張る」という言葉が好きではありません。どれくらいの事をしているのかが抽象的で分かりにくいからです。「私は頑張っている」と言ってもそれはどれくらいなのか??誰かと比較しての値?過去の自分よりも?ここは曖昧です。


練習をする。これは必須です。一生懸命努力することも同じくらい大切。が、ここに「勘違い」が潜んでいる。毎日練習をする事が大切なのか?一生懸命努力する事が重要なのか?選手にも話しますが「練習を頑張った」という部分で勝負が決まるならひたすらやればそれが結果に直結します。実際はそれほど練習していなくても強い選手がいるのが現実です。

いつの間にか選手も「練習を頑張る」事に酔ってしまう。自分達はこんなに頑張っているんだ、という気持ちが出てくるのです。苦しいのに頑張って練習をしている。これってすごいなっていう雰囲気になります。10年前ならこれが大切だと思っていたかもしれません。が、今は随分違ってきています。

頑張る事を頑張る。これは本来の目的ではありません。競技力を上げるために練習をしているのです。そこに繋がらないのであればそれは無駄になる。酷い言い方ですね(笑)。しかし、その感覚を持たないと間違った方向に進んでしまうと思います。「自分達は努力しているんだ」という部分で満足してしまうからです。

本当は「強くなるために何をするか」を考えないといけない。練習を頑張るだけでは意味がなくなる。「頑張ったという事が大切だ」と言われるかもしれません。しかし、そこで競争するのではないのです。「競技力」で競うのです。練習時間の長さや練習強度で競争するのではない。キツい中で頑張って走ったから良いのではない。キツい中で自分の動きを改善するために何をしたのかが重要。

「結果」とはインターハイに出たというだけではない。15秒台で走っている選手がインターハイを目標にしたら「インターハイに行けなかったら意味がない」という事になってしまいます。これは違うと思っています。この選手が最大限の事をやって13秒台で走ればそれはそこに「価値」が生まれる。最大限に「強くなる事」を目指した「結果」であれば「価値」はある。頑張った事に意味があるのではない。

どちらにしても「努力」というのは「強くなるため」には必須です。「努力」をしない者には可能性さえない。その「努力」は正しい方向に向かわないといけない。「努力」をすれば良いのではない。その中身です。頑張る事を頑張るのではない。

冷静さを持ちながらやっていきたいと思います。記事の一つ一つが長くなりすぎないように最大限の「努力」をしますね(笑)
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3割と信念

2016-12-06 | 陸上競技
続きといえば続き。

価値観について考えていて本を読んだ。自分で思った事をすぐに行動に移さないと気が済まないので。前日の同級生達との関わりがあったのでほんが読みたくて仕方ないという衝動が抑えられませんでした(笑)

読んだ本、青山学院大学の原監督の著書でした。結局陸上かよって話になるのですが(笑)。が、基本的に私自身は長距離に関してはほぼ分かりません。だからこそ私が長距離関連の本を読むというのは「異なる価値観に触れる」という事になるかな、と。

目立つと叩かれる。まさに(笑)。やっぱり世の中というのはそんなもんなんだなと思います。別の本にも書いてあったのですがインターネットが普及した事により誰もが「批評家」になります。気に入らないと思った人がいたら集団でバッシングすることができる。そうなると目立つ行動をしたり大きな目標を掲げる人間は「批判の対象」になりやすいのだと。

こうやってblogを書いているとやはり叩かれる事も増えると思います。私個人としては様々な場所で地味にしているつもりですが周りからは「目立つ」と言われます。そうなるとそういう行為が気に入らないという人も出てくると思います。

が、著者の中には「3割に理解してもらったらやる」という部分がありました。全ての人に共感してもらう、理解してもらうというのは無理。宗教くらいしかありません。私は6割くらいという気持ちでいましたが3割という書き方がしてありました。1割だったらそれはエゴだからやめた方がいいとも(笑)。

その代わり強い信念を持っているかどうかは大きい、と。信念があれば周りから何を言われても「信じた道を進み何かを変える」ということができる。そこは大切なことだと思います。私自身指導の仕方や選手への関わり方で批判される事もあります。が、「誰のために指導するのか?」という考え方は捨てたくないなと思います。狭いテリトリーの中で「自分が育てた」と自信満々に言っているというのはカッコ悪いと思っています。本当はもっと伸びるかもしれないのに「狭い世界」の中で何かをやっている。

私は選手が強くなるためなら手段は選びません。頭を下げて教えを請うというのは当然の話。さらには「可能性」がある選手であればアドバイスはします。私にしか出来ない部分があると思うからです。もちろん、それぞれの立場やプライドも存在すると思います。でも、そんな小さな事を言っていたら選手は育たないのではないか。出来ないのに出来るフリをして何かしているほどカッコ悪い事はありません。そんな小さなプライドのために選手の貴重な時間が無駄に使われるのはどうなのか。

小さな世界の中であれこれ言っていたら話は進まないと思います。私自身、それなりに指導ができると思っています。「指導できない」というのであれば選手勧誘などはしたらいけない。勧誘した選手に対して失礼だからです。しかし、自分に出来ないことがあればその部分は頼ればいい。それが選手にとってプラスになるのだから。

数を集めて勝負するのであればそういうやり方もある。選手は「道具」ではない。自分の学校が勝ち上がるための「道具」ではない。だからこそこちらも責任を持って関わらないといけない。それができないなら勧誘したら選手にも保護者にも中学顧問にも失礼になる。当たり前だと思う。

わざわざ書く必要はないかもしれない。こんな書き方をするから「敵を増やす」のかもしれない。が、間違っているとは思わない。この考え方に「3割の理解者」がいてくれたら「信念」を持って進みたい。明らかに間違っているとは思わない。私自身が狭い世界で生きているから間違っているのかもしない。が、今は「正しい」と信じて進む。

預かった選手がどう成長させていくか。そのキッカケを与え続ける事が必要になる。そのために私は選手と向き合うようにしています。時間をかけながら少しずつ育てていく。偉そうに思われるかもしれませんがうちの選手のためには私が必要だと思っています。それくらいの自負を持ってやっていかなければ私がやる意味はないですからね。

一緒に競技が出来る選手を大切にしたいと思います。どこよりも。時にはキツいことも言います。が、それは「愛情」を持って発しています。言われた時には気づかないかもしれませんが(笑)。「ムカつくわ」と思われても私が指摘しないと本人達に伝わる事はずっとない。そこも信念を持ってやっていきたいなと思います。

頭の中の整理をしたいと思います。blog、上手く利用しながらやりたいですね。
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多様な価値観

2016-12-06 | 陸上競技
思うことを。

先日高校の同級生に会いました。かなり貴重な時間でした。何が貴重だったかというと「それぞれの世界で生きている」からです。分かりにくいかもしれませんが。20年の間、それぞれが自分の人生を歩んできています。その中で培われた「価値観」というのは本当に面白い。

私は高校を卒業してから大学に進学しました。爆漠然と「教員になりたい」と思っていました。その時から私は私の道をひたすら突き進んできた気がします。その中で自分の価値観を作ってきた。大学で陸上競技部の主将をさせてもらいました。当時は100人規模の部活でした。かなり鍛えられた気がします。こういう経験はなかなかできません。ありがたいことです。

その後、大学院に進み今の仕事へ。どちらかというと閉鎖的な世界で生きている気がします。こういう性格ですから競技に関係ない所で付き合いの幅を広げようとう感覚が本当に少ない。それでも全く困らないからです。他県の陸上競技の先生方との関わりはかなりあります。が、結局は「陸上競技」というフィルターを通しての関わり。

今回、今の仕事とはほぼ関係ない集まりでした。これはものすごく新鮮。本当に楽しい時間を過ごすことができました。もっと深い話が出来ると面白かったのではないかという気がするくらいです。

今の私はどうも高校時代とは随分違うようです。自分ではほとんど変わっていない気がしていますが「そんなキャラじゃなかった」と言われました。あの頃は今よりももっともっと閉鎖的な世界で生きていた気がします。人生の全ては陸上競技。それしか考えてなかった(笑)。今でも変わらないんじゃないか?!と突っ込まれるかもしれませんが。あの頃は周りの人にほぼ関心がなかった気がします。

それが大学に進み様々な方々と出会いました。その中で自分の価値観を大きく変える出来事が何度も何度もありました。少しずつ社交性を身につけていたのかもしれません。大きく変わる転機。大学に進学して本当に良かったと思っています。

そう考えると今はまた閉鎖的な生き方をしている気がします。自分の中で培ってきた「価値観」だけで生きている。本当はもっと違う価値観があるんじゃないかという気もしています。同級生は国際結婚をしています。これなんて完全に異なる文化との交流です。メチャメチャ元気でした(笑)アクティブ。

もう少し自分の「幅」を広げていかないといけないなと感じました。それがきっと生徒や選手に還元するからね「何か」を生み出す。手取り足とり全てをやっていくのは違うと思っています。そこだけは譲れないなというのはあります。

話が逸れるかもしれませんが私は高校時代も大学時代もほぼ独学で競技をやっていました。全く分からない中を手探りで進んでいった。その中で死ぬ程勉強しましたし、無駄な遠回りもしました。が、今となってはそれは「貴重な財産」だったと思います。その経験があるから今がある。何から何までレールを敷かれて「これをやれば大丈夫」という生き方をしていたらきっとダメになっていたと思います。

ある程度は選手や生徒に苦労をさせないといけないと思います。これは譲れない価値観。だから成長できる。しかし、それ以外の価値観にもっと触れてみることも重要なのかなと。「そんなにやらなくてもなんとかなるよー」っていう感覚の話をもっとしていくと自分自身が変わっていけるのかなという気がします。未知なる自分を知ることができる。

楽しい。それを機にまた本をしっかりと読んでみようという気になりました。これはこれで自分のためになります。二日間で3冊読みました(笑)。おいおい、偏ってるよ、というツッコミはなして(笑)。

うーん、書きたいことがあるのですがなかなか上手くまとめられません。また機会があれば書きますね。
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