水曜日。
通勤途中に車のタイヤがパンクしました。最低です。
午後の練習、グランド状況が微妙でした。いつも使うグランドの西側は地面が緩く使えません。午後からは日がさしていたのですが部室の陰になるので乾きません。これでは練習にならない。グランドの東側を使わせてもらうことにしました。
練習開始前、前日に「練習に参加する必要はない」と帰宅させた選手が「謝罪」に来ました。謝ってもらう話ではないのですが。「中途半端なもの」を提出するというのは基本的に失礼です。そのことに対しての「謝罪」だと受け止めています。昨年、「練習に参加する資格はない」と話したことがあります。が、何度言っても普通に「ジャージ」で練習に来ます。「参加する資格はない」という意味が分からない。
「練習に参加する」のは「当たり前のこと」ではないと思っています。ある一定の条件をクリアしなければいけない。「参加を認めない」と言っているのに「参加する」つもりで来るのは違うと思っています。このあたりの考え方は間違っているとは思いません。今回はその辺りを踏まえてかきちんと制服で来ていました。当然ですが。
このことも踏まえて話を。前日に選手に対して「話」をしました。しかし、そのことがきちんと受け止められていない者が数名。やったこと書くのではなく「心」の部分を書くこと。または私が話した内容で「重要」だと思ったことを書くこと。その部分を伝えていました。それなのに「練習でやったこと」のみを記入する。
「同じこと」を聞いても聞く側の姿勢によって大きく変わってきます。「何かを聞き取ろう」として話を聞けばやはり「伝わるもの」がある。その場に立っていて「聞いているだけ」では何も伝わらないのです。競技指導においても同様。こちらが細かく技術的な話をしたとしても「聞き流す」者や「分かったつもり」の者は何も変わりません。
複雑なことを求めていません。シンプルです。「心」が変わっていくために何をするのか。待っているだけで何かを変えることはできない。自分で何かを変えていく意識がなければだめだと思っています。「待っていたら誰かがやってくれる」なんてことはない。
その部分の話をする。これは私が変わっているのでしょうか?そうは思いません。競技をする。「楽しくやればいい」ということでやり続けるのは違うのかなと思ってます。「本当に必要なこと」を伝えていくことが重要。それを伝える「ツール」が「陸上競技」だと思っています。それぞれの立場がある。その人が「伝える」ために一番やりやすい「ツール」を使えばいい。それが私にとっては「陸上競技」だというだけです。
もちろん、競技そのものの楽しさも経験してもらいたいと思っています。そこの部分が抜けてしまったら「修行」のようになってしまうからです。
一生懸命に努力しているから感じることがある。単純に大会に参加して楽しんでもらいたいというのではありません。最大限のことをやったから感じられる事があるのです。
今その環境の中で何をするべきか。ここを感じ取れるかどうかが大切。感じる事が出来ない者は絶対に結果には繋がらない。そう信じてやっています。
上手く書けないですね。情けない。もう少し別の事を書きたいなと思います。
通勤途中に車のタイヤがパンクしました。最低です。
午後の練習、グランド状況が微妙でした。いつも使うグランドの西側は地面が緩く使えません。午後からは日がさしていたのですが部室の陰になるので乾きません。これでは練習にならない。グランドの東側を使わせてもらうことにしました。
練習開始前、前日に「練習に参加する必要はない」と帰宅させた選手が「謝罪」に来ました。謝ってもらう話ではないのですが。「中途半端なもの」を提出するというのは基本的に失礼です。そのことに対しての「謝罪」だと受け止めています。昨年、「練習に参加する資格はない」と話したことがあります。が、何度言っても普通に「ジャージ」で練習に来ます。「参加する資格はない」という意味が分からない。
「練習に参加する」のは「当たり前のこと」ではないと思っています。ある一定の条件をクリアしなければいけない。「参加を認めない」と言っているのに「参加する」つもりで来るのは違うと思っています。このあたりの考え方は間違っているとは思いません。今回はその辺りを踏まえてかきちんと制服で来ていました。当然ですが。
このことも踏まえて話を。前日に選手に対して「話」をしました。しかし、そのことがきちんと受け止められていない者が数名。やったこと書くのではなく「心」の部分を書くこと。または私が話した内容で「重要」だと思ったことを書くこと。その部分を伝えていました。それなのに「練習でやったこと」のみを記入する。
「同じこと」を聞いても聞く側の姿勢によって大きく変わってきます。「何かを聞き取ろう」として話を聞けばやはり「伝わるもの」がある。その場に立っていて「聞いているだけ」では何も伝わらないのです。競技指導においても同様。こちらが細かく技術的な話をしたとしても「聞き流す」者や「分かったつもり」の者は何も変わりません。
複雑なことを求めていません。シンプルです。「心」が変わっていくために何をするのか。待っているだけで何かを変えることはできない。自分で何かを変えていく意識がなければだめだと思っています。「待っていたら誰かがやってくれる」なんてことはない。
その部分の話をする。これは私が変わっているのでしょうか?そうは思いません。競技をする。「楽しくやればいい」ということでやり続けるのは違うのかなと思ってます。「本当に必要なこと」を伝えていくことが重要。それを伝える「ツール」が「陸上競技」だと思っています。それぞれの立場がある。その人が「伝える」ために一番やりやすい「ツール」を使えばいい。それが私にとっては「陸上競技」だというだけです。
もちろん、競技そのものの楽しさも経験してもらいたいと思っています。そこの部分が抜けてしまったら「修行」のようになってしまうからです。
一生懸命に努力しているから感じることがある。単純に大会に参加して楽しんでもらいたいというのではありません。最大限のことをやったから感じられる事があるのです。
今その環境の中で何をするべきか。ここを感じ取れるかどうかが大切。感じる事が出来ない者は絶対に結果には繋がらない。そう信じてやっています。
上手く書けないですね。情けない。もう少し別の事を書きたいなと思います。