kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

与えられた環境の中で

2016-12-15 | 陸上競技
水曜日。

通勤途中に車のタイヤがパンクしました。最低です。

午後の練習、グランド状況が微妙でした。いつも使うグランドの西側は地面が緩く使えません。午後からは日がさしていたのですが部室の陰になるので乾きません。これでは練習にならない。グランドの東側を使わせてもらうことにしました。

練習開始前、前日に「練習に参加する必要はない」と帰宅させた選手が「謝罪」に来ました。謝ってもらう話ではないのですが。「中途半端なもの」を提出するというのは基本的に失礼です。そのことに対しての「謝罪」だと受け止めています。昨年、「練習に参加する資格はない」と話したことがあります。が、何度言っても普通に「ジャージ」で練習に来ます。「参加する資格はない」という意味が分からない。

「練習に参加する」のは「当たり前のこと」ではないと思っています。ある一定の条件をクリアしなければいけない。「参加を認めない」と言っているのに「参加する」つもりで来るのは違うと思っています。このあたりの考え方は間違っているとは思いません。今回はその辺りを踏まえてかきちんと制服で来ていました。当然ですが。

このことも踏まえて話を。前日に選手に対して「話」をしました。しかし、そのことがきちんと受け止められていない者が数名。やったこと書くのではなく「心」の部分を書くこと。または私が話した内容で「重要」だと思ったことを書くこと。その部分を伝えていました。それなのに「練習でやったこと」のみを記入する。

「同じこと」を聞いても聞く側の姿勢によって大きく変わってきます。「何かを聞き取ろう」として話を聞けばやはり「伝わるもの」がある。その場に立っていて「聞いているだけ」では何も伝わらないのです。競技指導においても同様。こちらが細かく技術的な話をしたとしても「聞き流す」者や「分かったつもり」の者は何も変わりません。

複雑なことを求めていません。シンプルです。「心」が変わっていくために何をするのか。待っているだけで何かを変えることはできない。自分で何かを変えていく意識がなければだめだと思っています。「待っていたら誰かがやってくれる」なんてことはない。

その部分の話をする。これは私が変わっているのでしょうか?そうは思いません。競技をする。「楽しくやればいい」ということでやり続けるのは違うのかなと思ってます。「本当に必要なこと」を伝えていくことが重要。それを伝える「ツール」が「陸上競技」だと思っています。それぞれの立場がある。その人が「伝える」ために一番やりやすい「ツール」を使えばいい。それが私にとっては「陸上競技」だというだけです。

もちろん、競技そのものの楽しさも経験してもらいたいと思っています。そこの部分が抜けてしまったら「修行」のようになってしまうからです。

一生懸命に努力しているから感じることがある。単純に大会に参加して楽しんでもらいたいというのではありません。最大限のことをやったから感じられる事があるのです。

今その環境の中で何をするべきか。ここを感じ取れるかどうかが大切。感じる事が出来ない者は絶対に結果には繋がらない。そう信じてやっています。

上手く書けないですね。情けない。もう少し別の事を書きたいなと思います。
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室内トレーニング

2016-12-15 | 陸上競技
火曜日。

午後からはトレーニング。練習の初めに少しだけ話をしました。前の記事に書いたような内容です。「やるべきことをやる」という感覚。それがない選手は結局上手くいかないと思っています。「約束」として決めたことをやり続ける。これは重要。「無理難題」を求めているのであれば批判されるかのせいもある。が、それほど難しいことを求めているわけではないのです。

この部分はチーム内に徹底したいと思っています。「例外は認めない」という姿勢。力がある選手は優遇されてそうでない選手は許されないという状況であれば「不協和音」の原因となります。物事に対する「取り組みの姿勢」を問うのです。力があれば許されるという勘違いをさせるのは良くない。

その後はトレーニング。シャフトトレーニングから実施しました。その後はシャフト補強。ある程度慣れてきてはいます。それでもかなりきついはずです。特に女子に関していえば「身体づくり」は必須だと思っています。ウエイトコントロールにも影響すると思っています。高校に入って走れなくなる女子は間違いなく「基礎筋力不足」です。もちろん、技術的な要素も大きく影響しますが。ここの部分を見極めながら練習を組み立てられるか。

シャフト補強、やはりきついので途中で止まってしまいます。ここをどれだけ克服できるか。本当はこの部分で「自分自身と向き合う」ことができるかどうかだと思っています。「苦しさ>想い」の場合はどうしても「少しくらいいいや」となってしまう。きれいごとではなく大半の選手がそうなります。誰もが「きついことが好き」ではないから。

「苦しさ<想い」になってくると「ここを超えないと」という部分が出てくる。そうなるとどんな練習でも乗り越えていけるようになります。それが結果につながっていく。

何度も書いていますが前任校で指導していた小さなエース。トレーニングは大嫌いでした。もちろん負けるのも大嫌い。天秤にかけたときに「きつい練習をいかに乗り越えるか」を自然と考えていました。シャフト補強、「一回の移動距離を大きくすれば回数が少なくて済む」という考え。距離は決まっているのですから回数が少ないほうが「楽」だと考える。

実際は移動距離を大きくするというのは難しい。重心移動を大きくするのですから。それでも「いかに楽にやるか」を考えた結果です。「手を抜く」のではない。効率よく練習をしようと心がけた結果なのです。「あんなに移動しなかったらきついですよね。もっと動けばいいのに。」と言っていました(笑)。

この感覚。天性のものかもしれません。どうしても「追い込むことが素晴らしい」と思う傾向があります。そうではない。結果的に「速く走ること」につながるのが目的です。苦しむことが目的ではない。そういう発想ができるようになると練習自体に対する取り組みが大きく変わってくるのではないかと思います。簡単にできることではありませんが。

「手を抜く」ことと「楽をする」ことは違うと思っています。最大限の負荷をかける中で「どうすればもっと楽にできるか」と考えるのです。「手を抜く」というのは自分がやるべきことをやらないという考え方。結果につながる部分ではない。そこの「違い」を指導する私も認識してやっていかなければいけないと思っています。

そこからランダム補強へ。ここは「取り組みの姿勢の差」が顕著に出ます。休息時間も定めていません。意識して出来るものは休まず次の種目へ移ります。そうでない者は種目の間でも休みながらやります。仕方ない部分はあると思います。それでも「強くなるために」という感覚の中で実施していけるかどうか。最後は自分のための練習になるのですから。

少し早めに終わりました。何人かは廊下が汚れているので掃除を始めました。何人かは話をしています。これも「差」だと思います。掃除をするのは面倒かもしれません。私も余程のことがない限りは言いません。しかし、使わせてもらっている場所が汚れていたら気づいてやるべきだと思います。これにより継続して練習が出来るようになるのですから。使わせないと言われたらそれで終わり。

最後にもう一度話をしました。日誌に書くのは「やったこと」だけではない。話を聞いて何を感じたか。練習をしている中でどう思ったか。ここの感覚がなければ練習をする意味はなくなっていきます。

特別なことはやりません。当たり前のことを当たり前にやる。この積み重ねだと思っています。少しずつ進んでいけたらと思います。
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「やるべきこと」をやる

2016-12-15 | 陸上競技
あまりにも衝撃的な事があったので火曜日のことについて触れる事が出来ていませんでした。かなりショックを受けています(笑)。笑えないくらいの話なんですけどね。

火曜日、この日は雨が降りました。この段階で午後の練習は室内でやることにしました。出来ればトレーニングは屋外でやりたい。下が硬いので毎回室内でやると足にダメージが残ってしまいます。これは私の感覚でしかないのですが。

この日は日課変更が入っていて6時間授業のうちの5時間が授業。なかなか分かってもらえないかもしれませんが結構大変です。その合間に練習日誌のコメントを書きます。かなり大変な作業です。そこまでしてやる必要があるのか、と言われたらそうかもしれませんが。

その中で「ちょっとどうかな?」と思われるものが何冊かありました。「きちんとやる」と約束していた部分を守れないというものでした。悪意はなかったと思います。が、「中途半端なもの」が提出された事に私は納得がいきませんでした。

そんなことはどうでも良いじゃないか。練習さえすればいい。そう考える人もいるのかもしれませんが。私は「競技をする」だけではなく「やるべきことをやる」という意識を徹底したいと思っています。

しかし、それが出来ないというのはやはり「良いこと」だとは思いません。やるべきことをやらない。それでも練習には参加する。これは違うなと思っています。私の価値観です。教育的な部分も含めての指導だと考えています。

そのこともあり該当者を呼んで話をしました。厳しいかもしれませんが「練習参加資格なし」と判断しました。そんなやり方で人が付いて来るのか?と言われるかもしれません。が、私は選手に嫌われることを恐れません。それが未来に繋がるからです。注意するのであればこちらも真剣に向き合います。適当に誤魔化す気はありませんから。

ここの部分は理解されにくい部分なのでしょうか。「日誌」自体にも大きな意味があると思っていますが大切なのは「考え方」の部分です。「考え方」は物事に対する取り組みの姿勢につながります。勉強も日常生活も練習も全ては「同じ部分」があるのです。ここの部分の理解がなければいけないと思っています。

該当者は帰宅させました。もう一度自分の取り組みについて、考え方について見直す時間が必要だと思ったからです。練習をしなければ強くなることはありません。しかし、最優先するべきは練習ではないと判断。冬期練習だからこそ「取り組みの姿勢」を考えなければいけないからです。

厳しいとは思いません。何故なら「最終的に選手のためになる」と思っているからです。ここで「誤魔化す」ことは良くない。これから先も「少しくらいだからいい」という感覚になります。何かあっても「最後は許してくれるんだから」という感覚になります。こちらは「ダメな物はダメ」と示す必要があると考えています。

プラスのことばかりblogに書くほうがいいのかもしれません。該当者は嫌な気持ちになるかもしれない。が、チームが進んでいく方向として記録しておきたいと思っています。「上手くいっていない」と思われたとしてもそれは「現実を示す」中で当然出て来る。

決してチーム自体が停滞したり悪い方向に進んでいるわけではありません。もっと進むために何をするかだと思っています。今は様々な事を徹底する必要がある。この部分がきちんとできればチームとしては大きく伸びていくと思います。

私は私にできる事を最大限にやる。この感覚を持ち続けたいと考えています。どのように受け取られるかは分かりませんが私的にはやるべき事をやるだけ。選手と私は違います。当然ですが。

一応記録しておきます。
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