基本的に何かあった時には他の人の話を聞くようにしている。食事会があったり、誰かと話をする時には基本「聞き役」になる。特別な理由はない。色々な人がいて色々と話をしたいだろうと思うからなのかもしれない。
私自身は何も面白みがない人間だと自覚している。他者が興味を持つような話が出てできない(笑)。私が興味関心を持っていることに対して興味を持つ人が少ないというのもある。実際、競技の話などを聞かれたことはほぼない。練習に関しても考え方に関しても誰からも聞かれない。まー面白くないから仕方ないのだが。
昔、大学の頃ある集まりに参加したことがある。リーダー研修のようなモノで体育会に所属している部のキャプテンや副キャプテンが参加するもの。その場では様々な部活動が参加していた。司会というかグループの責任者となった。現キャプテンが次期キャプテン達に少し何かを伝えられればという感覚で引き受けた。その時、「時間がある時にはそれぞれの部活の現状の話をしたり、どういう取り組みをしているか話をした方が自分達のためだ」と投げかけた。が、空き時間にそんな話をする後輩達はいなかった。あーそういうものなんだなーと改めて思った。役割を与えられたからその場に来ているのかな、と。私的には色々な人の話を聞いたりする中で自分なりの考え方を作り上げていきたいなと思っていたから「感覚が違うんだ」と強く感じた。
それ以後、自分から積極的に話をすることはなくなった気がする。本当に興味があれば聞いてくると思うから。今の仕事はそういう感じでは上手くいかない部分がある。「人見知り」と書くと各方面からツッコミが入るが、実際問題ある程度の距離置きながらやっていると思う。ドライな部分があると思う。指導者はきっと自分の指導にある程度自身を持っているから他者から聞くことは少ないのかもしれない。自分のやって来たことを話したいという気持ちが強くある気がする。
私はblogにあれこれ書いているからそれで昇華されているのかもしれない。別にどんなことをやっているというのを隠す必要もないと思っているし、それに対して興味関心を持つ人がそれほど多いとは思わない。blogを見てくださる方々がいてくれるのは何となく救われる(笑)。面白いことを書いているわけではないし、参考になる部分はない。それでも「話を聞いてくれる」のと同じことなのかなと。
正直、自分自身「面白みがない人間だな」と思っている。自分が興味があること以外は本当に知らない。それでも何とか生きているので大丈夫なのだろうが。話をしても面白くないだろうなと思うことが多々ある。アクティブ感がないので盛り上がる話もできない。ここは大きな問題だとは思う。ある意味枯れている(笑)。
今一番したいことは本を読みたい。最近本当に本を読めていない。自分のせいなのだが。唯一の趣味である読書ができないというのは面白くない。引き出しが少ないから話をする事もないのかなーと思う。そういうコンプレッスがある。だからといってなにかをする気はないという矛盾(笑)。
もう少し何かした方が良いんだろうなとは思っている。が、実際問題読書くらいしか興味がない。本当に幅が狭い。自分で身体を動かしたり、釣りに行ったりなどのアクティブな趣味がある方がきっと人生は楽しいと思う。私自身、本当に生きている事を楽しめているのか?何となく過ごしているのではないか?そんな気持ちになる。何が正解で何が間違ってるのかは分からないけど。
ぼーっと自分のことについて考えてみると今の仕事が自分に向いているのかも考えさせられる。何かを誰かに伝える仕事。私が今の仕事に就いた時とは明らかに取り巻く環境が変わっている。こちらが伝えたい事を持っていたとしたもそれを「必要としない」子供達もいるんだろうなと感じることが増えてきた。無理矢理にそれを伝えようとすれば間違いなく軋轢が生まれる。それって誰にもプラスにならない。競技を通じて人間的な成長をしてもらいたい。そう思う部分がズッとあるが、実際そんな事を求めて部活に所属する生徒は少なくなっているんじゃないかなと感じることもある。
もっと魅力があれば違うのかもしれない。そこは分からない。前とは違う。そう思う部分はある。しかし、それは大学時代から何も変わっていないのかもしれない。やはり興味がないと何も変わらないんだと思う。私が興味のないことに対して知りたいと思わないように、競技などに関してそこまでしてやらなくて良いと思っている人にとってはやはりどんな練習するのか、どうすればいいのかなんてことはきっと興味がない。それを求める事は違うのかもしれない。もちろん、興味関心を持ってもらうための努力を我々がすれば良いだけなのだと思うが。
色々なコンプレッスや悩み、表面に出せない感情をずっと持っている。それはきっと誰にでもあることだと思う。こんなどうでもいい事を考えている暇があれば趣味を見つけろという話なのかも知らないのですが。
落とし所のない話を書いています。流してください。
私自身は何も面白みがない人間だと自覚している。他者が興味を持つような話が出てできない(笑)。私が興味関心を持っていることに対して興味を持つ人が少ないというのもある。実際、競技の話などを聞かれたことはほぼない。練習に関しても考え方に関しても誰からも聞かれない。まー面白くないから仕方ないのだが。
昔、大学の頃ある集まりに参加したことがある。リーダー研修のようなモノで体育会に所属している部のキャプテンや副キャプテンが参加するもの。その場では様々な部活動が参加していた。司会というかグループの責任者となった。現キャプテンが次期キャプテン達に少し何かを伝えられればという感覚で引き受けた。その時、「時間がある時にはそれぞれの部活の現状の話をしたり、どういう取り組みをしているか話をした方が自分達のためだ」と投げかけた。が、空き時間にそんな話をする後輩達はいなかった。あーそういうものなんだなーと改めて思った。役割を与えられたからその場に来ているのかな、と。私的には色々な人の話を聞いたりする中で自分なりの考え方を作り上げていきたいなと思っていたから「感覚が違うんだ」と強く感じた。
それ以後、自分から積極的に話をすることはなくなった気がする。本当に興味があれば聞いてくると思うから。今の仕事はそういう感じでは上手くいかない部分がある。「人見知り」と書くと各方面からツッコミが入るが、実際問題ある程度の距離置きながらやっていると思う。ドライな部分があると思う。指導者はきっと自分の指導にある程度自身を持っているから他者から聞くことは少ないのかもしれない。自分のやって来たことを話したいという気持ちが強くある気がする。
私はblogにあれこれ書いているからそれで昇華されているのかもしれない。別にどんなことをやっているというのを隠す必要もないと思っているし、それに対して興味関心を持つ人がそれほど多いとは思わない。blogを見てくださる方々がいてくれるのは何となく救われる(笑)。面白いことを書いているわけではないし、参考になる部分はない。それでも「話を聞いてくれる」のと同じことなのかなと。
正直、自分自身「面白みがない人間だな」と思っている。自分が興味があること以外は本当に知らない。それでも何とか生きているので大丈夫なのだろうが。話をしても面白くないだろうなと思うことが多々ある。アクティブ感がないので盛り上がる話もできない。ここは大きな問題だとは思う。ある意味枯れている(笑)。
今一番したいことは本を読みたい。最近本当に本を読めていない。自分のせいなのだが。唯一の趣味である読書ができないというのは面白くない。引き出しが少ないから話をする事もないのかなーと思う。そういうコンプレッスがある。だからといってなにかをする気はないという矛盾(笑)。
もう少し何かした方が良いんだろうなとは思っている。が、実際問題読書くらいしか興味がない。本当に幅が狭い。自分で身体を動かしたり、釣りに行ったりなどのアクティブな趣味がある方がきっと人生は楽しいと思う。私自身、本当に生きている事を楽しめているのか?何となく過ごしているのではないか?そんな気持ちになる。何が正解で何が間違ってるのかは分からないけど。
ぼーっと自分のことについて考えてみると今の仕事が自分に向いているのかも考えさせられる。何かを誰かに伝える仕事。私が今の仕事に就いた時とは明らかに取り巻く環境が変わっている。こちらが伝えたい事を持っていたとしたもそれを「必要としない」子供達もいるんだろうなと感じることが増えてきた。無理矢理にそれを伝えようとすれば間違いなく軋轢が生まれる。それって誰にもプラスにならない。競技を通じて人間的な成長をしてもらいたい。そう思う部分がズッとあるが、実際そんな事を求めて部活に所属する生徒は少なくなっているんじゃないかなと感じることもある。
もっと魅力があれば違うのかもしれない。そこは分からない。前とは違う。そう思う部分はある。しかし、それは大学時代から何も変わっていないのかもしれない。やはり興味がないと何も変わらないんだと思う。私が興味のないことに対して知りたいと思わないように、競技などに関してそこまでしてやらなくて良いと思っている人にとってはやはりどんな練習するのか、どうすればいいのかなんてことはきっと興味がない。それを求める事は違うのかもしれない。もちろん、興味関心を持ってもらうための努力を我々がすれば良いだけなのだと思うが。
色々なコンプレッスや悩み、表面に出せない感情をずっと持っている。それはきっと誰にでもあることだと思う。こんなどうでもいい事を考えている暇があれば趣味を見つけろという話なのかも知らないのですが。
落とし所のない話を書いています。流してください。