かなり書きました。自分で書いていて少し頭が整理できたかなという気はします。かなり端折りながら書いていますが。
インターハイに複数出場を果たした翌年転勤。新しい場所での指導となりました。ある程度の事は出来ると思っていました。が、指導を始めるとほぼ「拒絶」でした。元々そこまで競技をしたいと思っているわけではないところにいきなり「本気でやろう」という指導者が来る。べつに上の大会を目指しているわけではない。それなのに強くなるための練習を求められる。
競技場に行ったときに「hoshoの荷物置き場はそこではなかった」とか「試合の前の週は山で練習するのがhoshoのやり方」というような意見がかなり出ていました。刺激をもらうために他校と一緒に練習をすれば「なんで他の学校と一緒にやらなけれらればいけないのか」という不満も出る。私の行動や発言の全てが受け入れられないという時期が続きました。指導云々ではない。かなりの反発がありました。
病みました。冗談抜きで病みました。鬱に近い感じがあったのではないかと思います。ギャップが大きすぎて。別にそこまでして競技をしたいと思っているわけではない。もちろん速くなりたいという気持ちはあったと思いますが。木曜日は30分ウエイトをやって終わり。走る日は野球部が練習を始める前の段階の30分で終わり。それからするとあまりにも求めすぎていたのかなと思います。話を聞いてもらえる人がいたので救われました。心から感謝しています。その人がいなければ職場を離れていたかもしれません。それくらいの感覚でした。
転勤する。競技をしたいと指導者に飢えている選手達がいるチームと「楽しみたい」というチームではやはりやる事が違うと思います。当時の選手は「楽しくやりたい」という部分が大きかった。それは否定するものではありません。それぞれがどのように考えてやるのかは自由。競技志向ではないからダメだとは思わない。が、どうせやるなら一生懸命にやる方がいい。雰囲気を変えていくために何をするのか。必死に悩みました。スプリント云々を考えるのではなくその前段階。
練習スタイルを一気に変えました。同じ動きを繰り返すドリルをほぼやらない。練習の合間に「遊び」を入れる。練習負荷も減らしながら。鬼ごっこをしたり、ドッヂボールをしたり。マークを使って身体を動かすメニューを考えたのもこの時期です。どうやって練習をさせるか。ここはなかなか分かってもらえないと思います。強くなりたいと思って高校に入ってきた選手だけではない。むしろ「軽い気持ち」で入ってきた選手しかいない。そんな中で高い水準を求め続けることは不可能。スプリントに関して考えるというのではなく練習をするためにどうするかを考え続けていました。
それでも少しずつ形になってきた。マネージャーの存在が大きかったと思います。この件も何度もblogには書いています。献身的にチームを支えてくれる存在。その子のためにとチームが団結したというのもあります。約1年間かけて少し「競技をする」という土台が出来たのかなと。
翌年、うちで競技をしたいと強く思ってくれる選手が複数入ってきてくれました。ある意味プレッシャーです。きちんと力を伸ばしてあげなければいけない。オーソドックスな走りをしている選手は皆無。独特な走りでした。これまでの経験が生かされない。「どうやって育てるか楽しみにしてる」と親しい指導者に言われました。それくらい難しい走りだったと思います。
毎日グランドで動きを見ながらやっていく。競技に関してはそれなりの力がありましたがそれ以外が...。上級生は何度も涙を流していました。そういう部分が変わらなければ競技力も上がらない。取り組みの姿勢の問題です。なかなか大変でした。笑えないくらい。
この頃から練習のバリエーションが増える。目指す動きがあってそこへのアプローチをどうするか。一つの手段だけで身につけさせるのではなく様々な角度から同じ方向を目指してやっていく。ここの部分をやるようになりました。見ていて思ったことを本人達と確認しながらやっていく。感覚が悪いと思えば別の練習を考える。パターン化せずに新しい刺激を入れる。あれこれやっているように思われるかもしれませんが目標は一つですからそこに向けてどうするか。
NMSを中心にチーム作りをしました。あちこちに連れて行く。大阪、岡山、宮崎。本当は全員を連れて行ってあげたかったのですが難しい部分がありました。そのことに対する不満はあったと思います。それでも外での刺激をチームに還元できるかどうかは大きな話でした。
特に大阪でmtm先生の練習を見て話をした事は大きな転換期でした。陸上が好きな選手が集まって練習をする雰囲気。さらに練習の中にスプリントに関する様々な動きが入っている。シンプルにやり続けることで明らかに動きが変わる。更に「精度」が高い。正確な動きをすることを徹底する。少しの動きのズレも許さないというくらいの練習。同じようなことをやっているとしてもmtm先生の練習と他のチームの練習は違うと感じました。
更に練習のつながり。流れ。ここがすごく大切だと感じました。何のために練習をしているのか。この動きをやったから次の動きをする。目的のためにどのような練習をするのか。ここの徹底でした。ドリル的な動きはやらない。道具を使いながら「結果的にその動きを身につける」という練習になる。選手は意味を理解しながらそれに取り組む。その形で進めて行くのだから大きな差が出ます。
走りとトレーニングの繋がりも。何のためにトレーニングをするか。ここを話しました。この時からトレーニングだけの日を作るのをやめる。これまでよりももっと練習に対して考えて計画するようになりました。全てはスプリント能力の向上のため。
こういう考え方の中で練習を作る。NMのスタートは本当にひどいものでした。全く加速できない。才能的にはあるのだと思います。が、走りとしてはかなり難しい。中学生だから走れていた。特に何も考えないから走れていたという感じがありました。そこから狙いとする動きを目指して取り組む。元々速い子だからという評価をする人もいると思います。本質的な部分が見えていない。この手の走りをする選手が何人潰れているか。こちらも預かっているので必死でした。
マーク走とチューブ走が多くなりました。練習環境としてはかなり厳しい。距離は走れません。直線で60mくらいしか走れない。時々合間を縫って120mを走らせてもらうだけ。狭いグランドでどうやって競技力を上げていくか。工夫をするしかないという感じでした。限られた環境の中だからアイデアも出てくる。オリジナルの練習を作りたいという気持ちもありましたが、自然とうちの環境でしかできないメニューになっていきました。
複合走やDM走が増えたのはその辺りの影響が大きい。走れない中で感覚の変化を作り出していく。走り込み云々ではなくこういう部分で作っていく。道具をかなり使うようになりました。それにより更に競技場に行かなくなる(笑)持ち運びができないので。
あれこれやる中で最終的に12秒15、12秒30、12秒67で3人が走りました。リレーでもインターハイ出場を果たす。周りから見れば「行くのが当たり前」と言われるのかもしれません。まー甘んじて受け入れます。同レベルの選手が集まってインターハイに行けるチームがどれくらいいるのかは分かりません。それでも行ったという事実はうちにはある。自信を持ちたいと思います。
そして今。またあれこれ考えながら練習を組み立てています。昨年やっていた練習とはまた違う形で感覚づくりをしています。バリエーションも増えました。毎日同じ練習をするのを辞めようと思って取り組んでいます。
そんな感じて今に至ります。正しいかどうかは常に疑っています。それでもこれまで一緒に競技をすることができた選手には感謝しています。悔しい想いをさせてしまった方が多かったのではないかと思います。それでもその子達との関わりの中で私自身学ばせてもらっています。
考える日々。毎日毎日色々と考えてやっている。何をすればプラスになるのか。そこに尽きます。多くの指導者に学ばせてもらっています。図々しいと思われることもたくさんあったと思います。それでも学ばせてもらうことの意味。優れた指導者というのはやはり器が大きい。何処の馬の骨とも分からない地方の高校の指導者であっても受け入れてもらえます。質問したことに対しては細かく答えてくれる。私自身は未熟ですが人には恵まれていると思います。
長くなりました。一応こんな感じで推移しているというのを自分の中で確認できました。もう一度原点に返って取り組んでいきたいと思います。
インターハイに複数出場を果たした翌年転勤。新しい場所での指導となりました。ある程度の事は出来ると思っていました。が、指導を始めるとほぼ「拒絶」でした。元々そこまで競技をしたいと思っているわけではないところにいきなり「本気でやろう」という指導者が来る。べつに上の大会を目指しているわけではない。それなのに強くなるための練習を求められる。
競技場に行ったときに「hoshoの荷物置き場はそこではなかった」とか「試合の前の週は山で練習するのがhoshoのやり方」というような意見がかなり出ていました。刺激をもらうために他校と一緒に練習をすれば「なんで他の学校と一緒にやらなけれらればいけないのか」という不満も出る。私の行動や発言の全てが受け入れられないという時期が続きました。指導云々ではない。かなりの反発がありました。
病みました。冗談抜きで病みました。鬱に近い感じがあったのではないかと思います。ギャップが大きすぎて。別にそこまでして競技をしたいと思っているわけではない。もちろん速くなりたいという気持ちはあったと思いますが。木曜日は30分ウエイトをやって終わり。走る日は野球部が練習を始める前の段階の30分で終わり。それからするとあまりにも求めすぎていたのかなと思います。話を聞いてもらえる人がいたので救われました。心から感謝しています。その人がいなければ職場を離れていたかもしれません。それくらいの感覚でした。
転勤する。競技をしたいと指導者に飢えている選手達がいるチームと「楽しみたい」というチームではやはりやる事が違うと思います。当時の選手は「楽しくやりたい」という部分が大きかった。それは否定するものではありません。それぞれがどのように考えてやるのかは自由。競技志向ではないからダメだとは思わない。が、どうせやるなら一生懸命にやる方がいい。雰囲気を変えていくために何をするのか。必死に悩みました。スプリント云々を考えるのではなくその前段階。
練習スタイルを一気に変えました。同じ動きを繰り返すドリルをほぼやらない。練習の合間に「遊び」を入れる。練習負荷も減らしながら。鬼ごっこをしたり、ドッヂボールをしたり。マークを使って身体を動かすメニューを考えたのもこの時期です。どうやって練習をさせるか。ここはなかなか分かってもらえないと思います。強くなりたいと思って高校に入ってきた選手だけではない。むしろ「軽い気持ち」で入ってきた選手しかいない。そんな中で高い水準を求め続けることは不可能。スプリントに関して考えるというのではなく練習をするためにどうするかを考え続けていました。
それでも少しずつ形になってきた。マネージャーの存在が大きかったと思います。この件も何度もblogには書いています。献身的にチームを支えてくれる存在。その子のためにとチームが団結したというのもあります。約1年間かけて少し「競技をする」という土台が出来たのかなと。
翌年、うちで競技をしたいと強く思ってくれる選手が複数入ってきてくれました。ある意味プレッシャーです。きちんと力を伸ばしてあげなければいけない。オーソドックスな走りをしている選手は皆無。独特な走りでした。これまでの経験が生かされない。「どうやって育てるか楽しみにしてる」と親しい指導者に言われました。それくらい難しい走りだったと思います。
毎日グランドで動きを見ながらやっていく。競技に関してはそれなりの力がありましたがそれ以外が...。上級生は何度も涙を流していました。そういう部分が変わらなければ競技力も上がらない。取り組みの姿勢の問題です。なかなか大変でした。笑えないくらい。
この頃から練習のバリエーションが増える。目指す動きがあってそこへのアプローチをどうするか。一つの手段だけで身につけさせるのではなく様々な角度から同じ方向を目指してやっていく。ここの部分をやるようになりました。見ていて思ったことを本人達と確認しながらやっていく。感覚が悪いと思えば別の練習を考える。パターン化せずに新しい刺激を入れる。あれこれやっているように思われるかもしれませんが目標は一つですからそこに向けてどうするか。
NMSを中心にチーム作りをしました。あちこちに連れて行く。大阪、岡山、宮崎。本当は全員を連れて行ってあげたかったのですが難しい部分がありました。そのことに対する不満はあったと思います。それでも外での刺激をチームに還元できるかどうかは大きな話でした。
特に大阪でmtm先生の練習を見て話をした事は大きな転換期でした。陸上が好きな選手が集まって練習をする雰囲気。さらに練習の中にスプリントに関する様々な動きが入っている。シンプルにやり続けることで明らかに動きが変わる。更に「精度」が高い。正確な動きをすることを徹底する。少しの動きのズレも許さないというくらいの練習。同じようなことをやっているとしてもmtm先生の練習と他のチームの練習は違うと感じました。
更に練習のつながり。流れ。ここがすごく大切だと感じました。何のために練習をしているのか。この動きをやったから次の動きをする。目的のためにどのような練習をするのか。ここの徹底でした。ドリル的な動きはやらない。道具を使いながら「結果的にその動きを身につける」という練習になる。選手は意味を理解しながらそれに取り組む。その形で進めて行くのだから大きな差が出ます。
走りとトレーニングの繋がりも。何のためにトレーニングをするか。ここを話しました。この時からトレーニングだけの日を作るのをやめる。これまでよりももっと練習に対して考えて計画するようになりました。全てはスプリント能力の向上のため。
こういう考え方の中で練習を作る。NMのスタートは本当にひどいものでした。全く加速できない。才能的にはあるのだと思います。が、走りとしてはかなり難しい。中学生だから走れていた。特に何も考えないから走れていたという感じがありました。そこから狙いとする動きを目指して取り組む。元々速い子だからという評価をする人もいると思います。本質的な部分が見えていない。この手の走りをする選手が何人潰れているか。こちらも預かっているので必死でした。
マーク走とチューブ走が多くなりました。練習環境としてはかなり厳しい。距離は走れません。直線で60mくらいしか走れない。時々合間を縫って120mを走らせてもらうだけ。狭いグランドでどうやって競技力を上げていくか。工夫をするしかないという感じでした。限られた環境の中だからアイデアも出てくる。オリジナルの練習を作りたいという気持ちもありましたが、自然とうちの環境でしかできないメニューになっていきました。
複合走やDM走が増えたのはその辺りの影響が大きい。走れない中で感覚の変化を作り出していく。走り込み云々ではなくこういう部分で作っていく。道具をかなり使うようになりました。それにより更に競技場に行かなくなる(笑)持ち運びができないので。
あれこれやる中で最終的に12秒15、12秒30、12秒67で3人が走りました。リレーでもインターハイ出場を果たす。周りから見れば「行くのが当たり前」と言われるのかもしれません。まー甘んじて受け入れます。同レベルの選手が集まってインターハイに行けるチームがどれくらいいるのかは分かりません。それでも行ったという事実はうちにはある。自信を持ちたいと思います。
そして今。またあれこれ考えながら練習を組み立てています。昨年やっていた練習とはまた違う形で感覚づくりをしています。バリエーションも増えました。毎日同じ練習をするのを辞めようと思って取り組んでいます。
そんな感じて今に至ります。正しいかどうかは常に疑っています。それでもこれまで一緒に競技をすることができた選手には感謝しています。悔しい想いをさせてしまった方が多かったのではないかと思います。それでもその子達との関わりの中で私自身学ばせてもらっています。
考える日々。毎日毎日色々と考えてやっている。何をすればプラスになるのか。そこに尽きます。多くの指導者に学ばせてもらっています。図々しいと思われることもたくさんあったと思います。それでも学ばせてもらうことの意味。優れた指導者というのはやはり器が大きい。何処の馬の骨とも分からない地方の高校の指導者であっても受け入れてもらえます。質問したことに対しては細かく答えてくれる。私自身は未熟ですが人には恵まれていると思います。
長くなりました。一応こんな感じで推移しているというのを自分の中で確認できました。もう一度原点に返って取り組んでいきたいと思います。