kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

考える日々6

2019-01-21 | 陸上競技
かなり書きました。自分で書いていて少し頭が整理できたかなという気はします。かなり端折りながら書いていますが。

インターハイに複数出場を果たした翌年転勤。新しい場所での指導となりました。ある程度の事は出来ると思っていました。が、指導を始めるとほぼ「拒絶」でした。元々そこまで競技をしたいと思っているわけではないところにいきなり「本気でやろう」という指導者が来る。べつに上の大会を目指しているわけではない。それなのに強くなるための練習を求められる。

競技場に行ったときに「hoshoの荷物置き場はそこではなかった」とか「試合の前の週は山で練習するのがhoshoのやり方」というような意見がかなり出ていました。刺激をもらうために他校と一緒に練習をすれば「なんで他の学校と一緒にやらなけれらればいけないのか」という不満も出る。私の行動や発言の全てが受け入れられないという時期が続きました。指導云々ではない。かなりの反発がありました。

病みました。冗談抜きで病みました。鬱に近い感じがあったのではないかと思います。ギャップが大きすぎて。別にそこまでして競技をしたいと思っているわけではない。もちろん速くなりたいという気持ちはあったと思いますが。木曜日は30分ウエイトをやって終わり。走る日は野球部が練習を始める前の段階の30分で終わり。それからするとあまりにも求めすぎていたのかなと思います。話を聞いてもらえる人がいたので救われました。心から感謝しています。その人がいなければ職場を離れていたかもしれません。それくらいの感覚でした。

転勤する。競技をしたいと指導者に飢えている選手達がいるチームと「楽しみたい」というチームではやはりやる事が違うと思います。当時の選手は「楽しくやりたい」という部分が大きかった。それは否定するものではありません。それぞれがどのように考えてやるのかは自由。競技志向ではないからダメだとは思わない。が、どうせやるなら一生懸命にやる方がいい。雰囲気を変えていくために何をするのか。必死に悩みました。スプリント云々を考えるのではなくその前段階。

練習スタイルを一気に変えました。同じ動きを繰り返すドリルをほぼやらない。練習の合間に「遊び」を入れる。練習負荷も減らしながら。鬼ごっこをしたり、ドッヂボールをしたり。マークを使って身体を動かすメニューを考えたのもこの時期です。どうやって練習をさせるか。ここはなかなか分かってもらえないと思います。強くなりたいと思って高校に入ってきた選手だけではない。むしろ「軽い気持ち」で入ってきた選手しかいない。そんな中で高い水準を求め続けることは不可能。スプリントに関して考えるというのではなく練習をするためにどうするかを考え続けていました。

それでも少しずつ形になってきた。マネージャーの存在が大きかったと思います。この件も何度もblogには書いています。献身的にチームを支えてくれる存在。その子のためにとチームが団結したというのもあります。約1年間かけて少し「競技をする」という土台が出来たのかなと。

翌年、うちで競技をしたいと強く思ってくれる選手が複数入ってきてくれました。ある意味プレッシャーです。きちんと力を伸ばしてあげなければいけない。オーソドックスな走りをしている選手は皆無。独特な走りでした。これまでの経験が生かされない。「どうやって育てるか楽しみにしてる」と親しい指導者に言われました。それくらい難しい走りだったと思います。

毎日グランドで動きを見ながらやっていく。競技に関してはそれなりの力がありましたがそれ以外が...。上級生は何度も涙を流していました。そういう部分が変わらなければ競技力も上がらない。取り組みの姿勢の問題です。なかなか大変でした。笑えないくらい。

この頃から練習のバリエーションが増える。目指す動きがあってそこへのアプローチをどうするか。一つの手段だけで身につけさせるのではなく様々な角度から同じ方向を目指してやっていく。ここの部分をやるようになりました。見ていて思ったことを本人達と確認しながらやっていく。感覚が悪いと思えば別の練習を考える。パターン化せずに新しい刺激を入れる。あれこれやっているように思われるかもしれませんが目標は一つですからそこに向けてどうするか。

NMSを中心にチーム作りをしました。あちこちに連れて行く。大阪、岡山、宮崎。本当は全員を連れて行ってあげたかったのですが難しい部分がありました。そのことに対する不満はあったと思います。それでも外での刺激をチームに還元できるかどうかは大きな話でした。

特に大阪でmtm先生の練習を見て話をした事は大きな転換期でした。陸上が好きな選手が集まって練習をする雰囲気。さらに練習の中にスプリントに関する様々な動きが入っている。シンプルにやり続けることで明らかに動きが変わる。更に「精度」が高い。正確な動きをすることを徹底する。少しの動きのズレも許さないというくらいの練習。同じようなことをやっているとしてもmtm先生の練習と他のチームの練習は違うと感じました。

更に練習のつながり。流れ。ここがすごく大切だと感じました。何のために練習をしているのか。この動きをやったから次の動きをする。目的のためにどのような練習をするのか。ここの徹底でした。ドリル的な動きはやらない。道具を使いながら「結果的にその動きを身につける」という練習になる。選手は意味を理解しながらそれに取り組む。その形で進めて行くのだから大きな差が出ます。

走りとトレーニングの繋がりも。何のためにトレーニングをするか。ここを話しました。この時からトレーニングだけの日を作るのをやめる。これまでよりももっと練習に対して考えて計画するようになりました。全てはスプリント能力の向上のため。

こういう考え方の中で練習を作る。NMのスタートは本当にひどいものでした。全く加速できない。才能的にはあるのだと思います。が、走りとしてはかなり難しい。中学生だから走れていた。特に何も考えないから走れていたという感じがありました。そこから狙いとする動きを目指して取り組む。元々速い子だからという評価をする人もいると思います。本質的な部分が見えていない。この手の走りをする選手が何人潰れているか。こちらも預かっているので必死でした。

マーク走とチューブ走が多くなりました。練習環境としてはかなり厳しい。距離は走れません。直線で60mくらいしか走れない。時々合間を縫って120mを走らせてもらうだけ。狭いグランドでどうやって競技力を上げていくか。工夫をするしかないという感じでした。限られた環境の中だからアイデアも出てくる。オリジナルの練習を作りたいという気持ちもありましたが、自然とうちの環境でしかできないメニューになっていきました。

複合走やDM走が増えたのはその辺りの影響が大きい。走れない中で感覚の変化を作り出していく。走り込み云々ではなくこういう部分で作っていく。道具をかなり使うようになりました。それにより更に競技場に行かなくなる(笑)持ち運びができないので。

あれこれやる中で最終的に12秒15、12秒30、12秒67で3人が走りました。リレーでもインターハイ出場を果たす。周りから見れば「行くのが当たり前」と言われるのかもしれません。まー甘んじて受け入れます。同レベルの選手が集まってインターハイに行けるチームがどれくらいいるのかは分かりません。それでも行ったという事実はうちにはある。自信を持ちたいと思います。

そして今。またあれこれ考えながら練習を組み立てています。昨年やっていた練習とはまた違う形で感覚づくりをしています。バリエーションも増えました。毎日同じ練習をするのを辞めようと思って取り組んでいます。

そんな感じて今に至ります。正しいかどうかは常に疑っています。それでもこれまで一緒に競技をすることができた選手には感謝しています。悔しい想いをさせてしまった方が多かったのではないかと思います。それでもその子達との関わりの中で私自身学ばせてもらっています。

考える日々。毎日毎日色々と考えてやっている。何をすればプラスになるのか。そこに尽きます。多くの指導者に学ばせてもらっています。図々しいと思われることもたくさんあったと思います。それでも学ばせてもらうことの意味。優れた指導者というのはやはり器が大きい。何処の馬の骨とも分からない地方の高校の指導者であっても受け入れてもらえます。質問したことに対しては細かく答えてくれる。私自身は未熟ですが人には恵まれていると思います。

長くなりました。一応こんな感じで推移しているというのを自分の中で確認できました。もう一度原点に返って取り組んでいきたいと思います。
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考える日々5

2019-01-21 | 陸上競技
一気に書いてしまいたいのですがなかなか時間が確保できずに。

スプリントについて考え始めたという時期に触れました。実は時期を同時にしてmihoが3年生の時にmakinoとkanaが入学。この辺りのことは「大きなエース」と「小さなエース」として記録しています。技術指導とは全く別の部分で大変でしたから(笑)中学時代の実績は二人とも13秒2。私の中ではかなり魅力のある走りをしていました。タイムは出ていませんがもっといけるのではないか?という感覚が。

この2人がいる間、必死にスプリントについて考えました。1人は身長が170を越え、もう1人は150あるかないか。走りのタイプもストライドでグングン進むタイプと尋常ではないピッチで走るタイプ。両極端でした。オーソドックスな走りをする選手がいません(笑)。

kanaは小さい。その割にスタートで進まない。makinoは大きいのでなかなか運べない部分があるのですがkanaは運びやすいはず。その原因をスタブロの出の部分からじっくり見るようにしていました。見ていると一歩目の足運びが悪い。直線的な足運びをさせたいのですが後ろ足が跳ね上がる。ここを改善しない限り進まないだろうなと感じていました。1年生の冬の間にここを修正するための練習を徹底しました。スタート局面に関してはなかなか教えてもらえる機会がないので毎日グランドで考え続けました。

スタート。重心移動が0の段階から始まります。スタプロから出ることで移動が始まります。慣性の法則。その場に止まってる状態から動き始める。当時スタブロを前後一緒にする、足を擦るように出る。ジャマイカスタートが注目されました。色々な情報がありましたが目の前の出来事をしっかりと見るようにしました。

重心移動が0なので一歩目は重心移動を生み出すための動きになる。考え方として「一歩目を早く着く」というのがあります。早く着いた方が速く進めるというものかなと。これは前の記事に書いた「加速段階をよくするために速く動く」という部分なのかなと。しかし、考えた時に重心移動が0の段階から進めていくために「一歩目を遠くに」というイメージのほうがいいのではないかと思っていました。単純に遠くにという話ではなく膝の引き出しで重心を大きく動かすというイメージです。

そう考えて動きの徹底をしていきました。冬季練習の間にスタート練習をする。加速段階の動きを何度も何度も繰り返していく。加速段階の動きを作りながら。段階的に①壁引出②タイヤ押し③低重心walk④スケーターズジャンプ⑤ワンハンドからのタイヤ引き⑥スタブロからの出という流れで実施。これを毎週金曜日に時間をかけて実施していました。状況に応じてメニューを変更しながらという部分もありましたが。細かい部分を見ながら修正。これによりkanaは飛躍的にスタート局面が良くなりました。makinoはなかなか膝の引き出しができずに上手く乗れない。ここも課題でした。

そんな流れの中で2年生になりmakinoが春先からかなり走る。中国大会で12秒20を出してインターハイへ。本当は200mでインターハイを狙っていたのですがそれは達成できず。スピード持続が武器でしたからこちらの方が確率が高いと思っていたのですが。秋にはkanaが12秒35を出す。同じチーム内に12秒20と12秒35がいる。他の選手は13秒中盤くらいでしたが本気でリレーでインターハイを狙うという水準に来ていたと思います。

この頃から競技場に行く事をやめました。徒歩5分強くらいの距離にある競技場です。土のグランド。長い距離を走る事を一切やめていました。そうであれば競技場でなくても練習はできるのではないか。練習道具を運ぶ事を考えたら学校の方が効率的だと考えていました。近いのに行かないのか?とよく言われていました。

この頃、週に2回はトレーニングの日としていました。火曜日と木曜日。足を休めるという意味合いも強くありました。毎日走って怪我をするリスクを抱えるよりは走らない日を作って身体づくりに専念する。そのかわりかなりの練習負荷だったと思います。3時間ひたすらトレーニングです。トレーニングパターンはかなりありました。実際問題脚を休めることになっていたのかどうかは疑問ですが(笑)

この影響もあり身体作りが進みました。kanaが「先生のせいでズボンが履けなくなった」と言っていました。臀筋や足がかなり大きくなったのだと思います。makinoに関しては男子と同じ重さでトレーニングをするという感じがありました。強すぎる。

当時のメインは「タイヤ引き」と「競争」でした。さらにバトン練習。ハイスピードを出すために並走をかなりやりました。ジョグでのバトンはやらない。元々ジョグはしないので。高いスピードを出しての受け渡しを常にやる。それがスピード練習につながると思ってやっていました。並走をやると同時に3060というようなメニューも。今でも合流走のような形で実施しています。バトンの出の練習にもなるので。毎日のようにやっていました。リレーでインターハイを目指す上では必須だったと思います。

タイヤ引きは120mくらいの距離を中心に。makinoは筋力があるので男子と一緒に。kanaはタイヤ引きを嫌がるので女子と一緒に。同じ重さのタイヤを使います。体重の軽いkanaにとってはその手の練習は苦手種目だったと思います。少し重いタイヤを引くときにはkanaだけは別メニューにしていました。

この頃からスイッチングの動きをかなり入れるようになっていました。低いフレキハードルを購入していたのでそれを使いながらスイッチングをする。そのままシザースをしたりスキップをしたり。脚が遅れないような動きを入れる。これは基礎的な話だと思います。どこでもやっている練習かなと。

そうして迎えたシーズン。2人はかなり強くなっていました。最終的には中国大会でmakinoが12秒14、kanaが12秒17。2人がインターハイに進みました。4継も48秒26で4位となりインターハイ。2.3年生が4人、女子全員で7人しかいないチームでのインターハイ。スプリントに関して少し自信が持てた瞬間でした。

同時に大きな課題も。100mのタイムの割に200mが走れない。12秒17のkanaは25秒28でした。このタイムでインターハイには進みましたが、スピードレベルから考えたら24秒台に入ってもおかしくないという感じがありました。距離を踏まないという練習の中では出てくる課題なのかもしれないなと思っていました。有酸素系の練習が極端に少ない。この部分の対応策も考えなければいけないのかなと感じていました。

手応えを感じ始めていた。が、そこから転勤することに。1からというか0からというか。かなりしんどい日々でした。ここに関してはまた書きます。一応練習形態やスプリントに関する考え方のまとめという位置付けて書いています。興味のない方には全く面白くないと思いますが(笑)
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