思うことを。ちょっと競技から離れるかもしれませんが。そして全力で炎上する危険性があるのかもしれない。それでも書いておきます。
今、「何かをしてあげる」ことが増えている。先日師匠との話の中で「保護者が子供のキャリーバッグを持って歩いていた」というのがあった。保護者が子供のために何かをしてあげたいと思うが故にそのような行動になるのかもしれない。実際、援助を必要とする場面もあるのかもしれないが「自分でやろうと思えば出来る事」を「何かしてあげなければ」という自己満足のために手を出す。これは本当の意味での成長を妨げるのではないか。
時代の流れなのかもしれない。様々な場面で送迎をするようになった。少しの距離でも我が子のために送迎をする。それぞれの家庭の方針もあると思うので一概に否定はできない。が、自転車で移動できる距離であれば自力で移動すれば良い。数年前、競技場で練習していた時には保護者の送迎が目立った。練習が予定より長引いたこともあり「◯時に終わると行ったから迎えにきたのに待たされた。時間を返してくれるのか?!」と言われたこともある。
練習終了時間を明確に示したことはない。それも良くないのかもしれないが。私の計画不足、配慮不足もある。どこかに遠征に行っているとか遠くで合宿をしているというわけではない。練習の流れによって変わってくる部分。全く信頼されていなかった時期なのでやることなすこと全て不満だったのもあるだろう。迎えに行ったのに待たされたという不満が生まれやすい。
これも数年前、セミナーパークで練習をすることがあった。グランドが狭いというのもあり様々な環境で練習をしたいなと。練習の状況を見て判断して「週末にセミナーパークに行く」と伝えることが多くあった。明確な練習計画を立てているわけではないのでそれはそれで「計画性がない」と言われるのかもしれない。そんな時に「早い段階で計画を立ててくれないと仕事が休めない」という話になった。送迎するために仕事を休まないといけないのにいきなり言うなという話。
「送迎が難しいのであれば電車で練習参加させて欲しい」と伝えた。が、「練習で疲れているのに駅まで歩くのか?」と。中学生は駅伝の練習などでセミナーパークを使う。その際は駅から歩く。中学校では顧問が車に乗せて移動することは皆無に近い。電車で移動して歩くという感覚は普通なのだと思う。合宿の時も終わってから電車で帰るチームもいる。これも私の感覚なので私が狂っているのかもしれない。
それぞれの価値観で判断するので難しい部分があるが「自分で出来ること」に対して手を差し伸べることが多すぎる気はする。迎えにくるというのが全て悪いと言っているわけではない。常に手を差し伸べることが本当に必要なのか。出来ることを自分でやるという感覚は必要なのではないか。
全てが与えられる。そこに慣れてしまうというのは良くない。考える必要がなくなるからです。誰かに頼めばやってくれる。自分でやらなくても他の人がやってくれる。そういう感覚があればやはり競技にとってはプラスにならないと思います。競技場面だけではない。
検定週間。必要があれば残ってこちらから教えます。本来であればこれ自体必要なのかどうか分かりません。検定に合格させてあげたいという気持ちはもちろんあります。しかし、こちらがどれだけ熱を入れても本人が「最大限の努力をしない」というのではあまり意味がないと思います。勉強をしてきて分からないところを質問する。教えてもう一度自分でやって理解する。それが勉強ではないか。
「分からないところがあるか?」とこちらから質問する。これは完全に受け身の姿勢を強化していると思います。言われるがまま、特に考えず問題を解き続ける。検定には受かるかもしれない。しかし、そこに本来的な教育の意味があるのか。単純作業を繰り返しているだけで何か身に付けるものはあるのか。与えられたことだけをやるというのでは成長には繋がらない。そう感じる場面が多い。
社会に出た時にどうなるのか。上司が常に部下に気を使って「大丈夫か?」と毎日毎日聞くようなことはない。学校では生徒のやりやすいように常に声かけをするが職場ではそうではない。それは本当に正解なのか?与えることが当たり前になりすぎてはいないか。
冷たいのかもしれない。全てをやってあげる事が本人のためになるのか。どちらかというと情熱を持って人に接するようにしています。しかし、それは時と場合によるのではないか。なんでもかんでも与える事が本当にいい事なのか。不平等だという人もいるのかもしれない。
もっと冷静に考えなければいけない。最終的にやるのは誰なのか。何もかも保護者や教員が手助けしていくことがプラスになるのか。いつかは自分で判断し行動をしなければいけない日が来る。その時に本人にどのような力が身についているのか。そこは必要だと思います。
年齢を重ねたからでしょうか。色々と思う事があります。まとまりませんが。前半部分、不安があったので親しい方にラインで送ってみてもらいました。あれこれ考えさせられます。何かあれば揚げ足を取ってやろうという世の中です。こうやってblogを書くこと自体がリスクしかないですから。
考え方に対して検閲が入る日も来るのかなと思います。とりあえずアップしておきます。
今、「何かをしてあげる」ことが増えている。先日師匠との話の中で「保護者が子供のキャリーバッグを持って歩いていた」というのがあった。保護者が子供のために何かをしてあげたいと思うが故にそのような行動になるのかもしれない。実際、援助を必要とする場面もあるのかもしれないが「自分でやろうと思えば出来る事」を「何かしてあげなければ」という自己満足のために手を出す。これは本当の意味での成長を妨げるのではないか。
時代の流れなのかもしれない。様々な場面で送迎をするようになった。少しの距離でも我が子のために送迎をする。それぞれの家庭の方針もあると思うので一概に否定はできない。が、自転車で移動できる距離であれば自力で移動すれば良い。数年前、競技場で練習していた時には保護者の送迎が目立った。練習が予定より長引いたこともあり「◯時に終わると行ったから迎えにきたのに待たされた。時間を返してくれるのか?!」と言われたこともある。
練習終了時間を明確に示したことはない。それも良くないのかもしれないが。私の計画不足、配慮不足もある。どこかに遠征に行っているとか遠くで合宿をしているというわけではない。練習の流れによって変わってくる部分。全く信頼されていなかった時期なのでやることなすこと全て不満だったのもあるだろう。迎えに行ったのに待たされたという不満が生まれやすい。
これも数年前、セミナーパークで練習をすることがあった。グランドが狭いというのもあり様々な環境で練習をしたいなと。練習の状況を見て判断して「週末にセミナーパークに行く」と伝えることが多くあった。明確な練習計画を立てているわけではないのでそれはそれで「計画性がない」と言われるのかもしれない。そんな時に「早い段階で計画を立ててくれないと仕事が休めない」という話になった。送迎するために仕事を休まないといけないのにいきなり言うなという話。
「送迎が難しいのであれば電車で練習参加させて欲しい」と伝えた。が、「練習で疲れているのに駅まで歩くのか?」と。中学生は駅伝の練習などでセミナーパークを使う。その際は駅から歩く。中学校では顧問が車に乗せて移動することは皆無に近い。電車で移動して歩くという感覚は普通なのだと思う。合宿の時も終わってから電車で帰るチームもいる。これも私の感覚なので私が狂っているのかもしれない。
それぞれの価値観で判断するので難しい部分があるが「自分で出来ること」に対して手を差し伸べることが多すぎる気はする。迎えにくるというのが全て悪いと言っているわけではない。常に手を差し伸べることが本当に必要なのか。出来ることを自分でやるという感覚は必要なのではないか。
全てが与えられる。そこに慣れてしまうというのは良くない。考える必要がなくなるからです。誰かに頼めばやってくれる。自分でやらなくても他の人がやってくれる。そういう感覚があればやはり競技にとってはプラスにならないと思います。競技場面だけではない。
検定週間。必要があれば残ってこちらから教えます。本来であればこれ自体必要なのかどうか分かりません。検定に合格させてあげたいという気持ちはもちろんあります。しかし、こちらがどれだけ熱を入れても本人が「最大限の努力をしない」というのではあまり意味がないと思います。勉強をしてきて分からないところを質問する。教えてもう一度自分でやって理解する。それが勉強ではないか。
「分からないところがあるか?」とこちらから質問する。これは完全に受け身の姿勢を強化していると思います。言われるがまま、特に考えず問題を解き続ける。検定には受かるかもしれない。しかし、そこに本来的な教育の意味があるのか。単純作業を繰り返しているだけで何か身に付けるものはあるのか。与えられたことだけをやるというのでは成長には繋がらない。そう感じる場面が多い。
社会に出た時にどうなるのか。上司が常に部下に気を使って「大丈夫か?」と毎日毎日聞くようなことはない。学校では生徒のやりやすいように常に声かけをするが職場ではそうではない。それは本当に正解なのか?与えることが当たり前になりすぎてはいないか。
冷たいのかもしれない。全てをやってあげる事が本人のためになるのか。どちらかというと情熱を持って人に接するようにしています。しかし、それは時と場合によるのではないか。なんでもかんでも与える事が本当にいい事なのか。不平等だという人もいるのかもしれない。
もっと冷静に考えなければいけない。最終的にやるのは誰なのか。何もかも保護者や教員が手助けしていくことがプラスになるのか。いつかは自分で判断し行動をしなければいけない日が来る。その時に本人にどのような力が身についているのか。そこは必要だと思います。
年齢を重ねたからでしょうか。色々と思う事があります。まとまりませんが。前半部分、不安があったので親しい方にラインで送ってみてもらいました。あれこれ考えさせられます。何かあれば揚げ足を取ってやろうという世の中です。こうやってblogを書くこと自体がリスクしかないですから。
考え方に対して検閲が入る日も来るのかなと思います。とりあえずアップしておきます。