ひたすら書いておきます。
ショートスプリントに対してアプローチを始めた年。mihoがインターハイで戦いたいという希望を持っていました。それに対してこちらも色々と考える。中間以降の伸びは抜群だったので前半部分の練習を増やしていきたい。加速段階の動きというのはなかなか難しいと思っています。中間の動きはある程度やっています。が、スタートから加速段階の動きというのは難しい。ここを勉強しながら対応したいと。
上手くスピードに乗せるために少しピッチを意識した練習にしました。マーク走や中間マークを徹底。身体を起こすのを我慢する。その手の練習を増やしていきました。こちらが見ていた時の感覚はかなり良くなっているなと感じていました。しっかりとピッチが上がって起きるのも我慢できる。手応えを感じていました。
が、2月中旬くらいに「マークが遠いので狭くしても良いか?」というのをmihoから提案がありました。ピッチを保つためにはどうするかを考えてやっていたので前半マークの幅を少しずつ狭くする事にしました。それによりピッチが保てるようになる。ここが大きな失敗の原因でした。
3月になってある程度スピードが出せるようになる。前半で遅れる事がなくなっていました。が、実際にレースに出てみると中盤以降で身体が動かなくなる。スタート云々ではなく本来の武器を失ってしまっていました。1番の課題は「重心移動」が小さくなっていること。ピッチを保とうとするあまり重心移動を疎かにしていた。移動を小さくしてピッチを保っていたのだと思います。そのことに気づく事が出来なかった。視野が狭くなり過ぎていた。本当に情けない話です。
結局、12秒5でしか走れませんでした。200mは追風参考で25秒1まで行きましたがこれはほぼ維持だけで走っただけ。本来の動きができなくなり自信も喪失。しんどかったと思います。気持ちを切らさずやってくれましたが本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。
この時、本当に何をしているか悩みました。やりたい動きがある。その動きをしっかりとさせたいと考えていました。型にはめるような形で動きを作っていく。それが大きな失敗を生んだのだと思います。元々13秒2くらいの走り。その選手が試行錯誤しながら12秒3まで力をつける。これだけで大きな事だと思います。この時はドリル的な動きをかなり入れていました。パワータイプの走りだったので接地が強い。スイッチングの動きが遅れ気味になるのでその部分をどうするか。その中で動きに関してかなり考えていました。
加速段階に関して一番考えた時期だと思います。これまでは14秒台の選手をどう伸ばしていくかという感じだったのでそこまで細かくやっていなくても記録は出ていました。スピードレベルを維持する練習がメイン。前も書きましたが「速い選手は速い」という思い込みがありました。しかし、実際はそうではない。きちんとやりさえすれば走れるようになる。感覚だけで走るのではなくきちんと動きを作っていくことで結果は出る。
mihoの12秒36に関しては彼女の潜在能力だと思います。レースの組み立てや流れかきちんとできて出たタイムではない。2年間必死にmihoと競技に向き合ってきたお陰でかなりスプリントについて考えることができたと思います。ピッチだ、ストライドだと枝葉の話をしている場合ではない。もっと根本的な部分を見直さなければいえない。そこに関して強く感じる事が出来ました。
mihoは大学でも競技を続けてくれました。思うように走れなくなっていた時期もありましたがある時「練習を高校時代の練習に戻そうと思う」という連絡がありました。それがきっかけになったかどうかわかりませんが12秒03まで記録を伸ばしてくれました。高校時代の事を考えると恨まれているのではないかという気持ちはあります。
マイルで中国大会7位になってから二度とこんな想いをさせたくないと強く思いました。インターハイを決めたrinaが「私だけがインターハイに行って良いのか」と苦悩していた。そう思って勉強したつもりでしたがまだまだ足りないものがあらというのを突きつけられた2年間でした。
完全にわたしの思い出話になっています。しかし、この中にスプリントに対する考え方の変遷が詰まっていると思います。もうしばらくこんな感じの内容になると思います。振り返り。
ショートスプリントに対してアプローチを始めた年。mihoがインターハイで戦いたいという希望を持っていました。それに対してこちらも色々と考える。中間以降の伸びは抜群だったので前半部分の練習を増やしていきたい。加速段階の動きというのはなかなか難しいと思っています。中間の動きはある程度やっています。が、スタートから加速段階の動きというのは難しい。ここを勉強しながら対応したいと。
上手くスピードに乗せるために少しピッチを意識した練習にしました。マーク走や中間マークを徹底。身体を起こすのを我慢する。その手の練習を増やしていきました。こちらが見ていた時の感覚はかなり良くなっているなと感じていました。しっかりとピッチが上がって起きるのも我慢できる。手応えを感じていました。
が、2月中旬くらいに「マークが遠いので狭くしても良いか?」というのをmihoから提案がありました。ピッチを保つためにはどうするかを考えてやっていたので前半マークの幅を少しずつ狭くする事にしました。それによりピッチが保てるようになる。ここが大きな失敗の原因でした。
3月になってある程度スピードが出せるようになる。前半で遅れる事がなくなっていました。が、実際にレースに出てみると中盤以降で身体が動かなくなる。スタート云々ではなく本来の武器を失ってしまっていました。1番の課題は「重心移動」が小さくなっていること。ピッチを保とうとするあまり重心移動を疎かにしていた。移動を小さくしてピッチを保っていたのだと思います。そのことに気づく事が出来なかった。視野が狭くなり過ぎていた。本当に情けない話です。
結局、12秒5でしか走れませんでした。200mは追風参考で25秒1まで行きましたがこれはほぼ維持だけで走っただけ。本来の動きができなくなり自信も喪失。しんどかったと思います。気持ちを切らさずやってくれましたが本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。
この時、本当に何をしているか悩みました。やりたい動きがある。その動きをしっかりとさせたいと考えていました。型にはめるような形で動きを作っていく。それが大きな失敗を生んだのだと思います。元々13秒2くらいの走り。その選手が試行錯誤しながら12秒3まで力をつける。これだけで大きな事だと思います。この時はドリル的な動きをかなり入れていました。パワータイプの走りだったので接地が強い。スイッチングの動きが遅れ気味になるのでその部分をどうするか。その中で動きに関してかなり考えていました。
加速段階に関して一番考えた時期だと思います。これまでは14秒台の選手をどう伸ばしていくかという感じだったのでそこまで細かくやっていなくても記録は出ていました。スピードレベルを維持する練習がメイン。前も書きましたが「速い選手は速い」という思い込みがありました。しかし、実際はそうではない。きちんとやりさえすれば走れるようになる。感覚だけで走るのではなくきちんと動きを作っていくことで結果は出る。
mihoの12秒36に関しては彼女の潜在能力だと思います。レースの組み立てや流れかきちんとできて出たタイムではない。2年間必死にmihoと競技に向き合ってきたお陰でかなりスプリントについて考えることができたと思います。ピッチだ、ストライドだと枝葉の話をしている場合ではない。もっと根本的な部分を見直さなければいえない。そこに関して強く感じる事が出来ました。
mihoは大学でも競技を続けてくれました。思うように走れなくなっていた時期もありましたがある時「練習を高校時代の練習に戻そうと思う」という連絡がありました。それがきっかけになったかどうかわかりませんが12秒03まで記録を伸ばしてくれました。高校時代の事を考えると恨まれているのではないかという気持ちはあります。
マイルで中国大会7位になってから二度とこんな想いをさせたくないと強く思いました。インターハイを決めたrinaが「私だけがインターハイに行って良いのか」と苦悩していた。そう思って勉強したつもりでしたがまだまだ足りないものがあらというのを突きつけられた2年間でした。
完全にわたしの思い出話になっています。しかし、この中にスプリントに対する考え方の変遷が詰まっていると思います。もうしばらくこんな感じの内容になると思います。振り返り。