事務室に用事があって行ったら『「ハッピーな部活動」の作り方』というタイトルの書籍があった。新しく図書室に置くために購入されたらしい。せっかくなので借りて読んでみることにした。ここ最近私自身が「部活動」について考えさせられる機会が多いので。様々な考え方があって然り。今の私の考え方が絶対的だとは思えないこで。
一般的な内容が多く記載してあった。その中に書いてあったのが「やってもやらなくてもいい」という表現。これは何度も書いてありました。さらに「目的」と「内容」を一致させること。この書籍の内容を全て受け入れるという話にはなりませんが、共感できる部分も多くありました。
「やってもやらなくてもいい」という内容。放課後の時間はそれぞれが有効に使えば良いと思います。身体を動かしたいと思えば運動部に入ればいいし、文化的な活動に時間を割きたいと思えば文化部に入れば良い。全ての運動部が「強くなるためにやる」という方向で進めない時代になっているのは間違いない。そうであれば「身体を動かせる」という部分だけを求めて「競技志向ではない」部活動に入るのもありだと思う。
部活動説明会の時に「うちは本気でやる」という話をする。その「本気」という価値観が人それぞれで異なるので話をしても理解してもらえない部分はあると思うが。陸上競技部なので「競技をする」という話になる。集まって身体を動かす、とりあえず試合に出るというサークル的な活動をするわけではない。最初の時点で活動指針を示している。それでも「やるだけ」になってしまう者が出てくる。
1年生が入学してきてすでに半年が経過している。ふと練習を見ていた時のこと。うちの練習の中では毎日のようにバランス系の練習をする。これはきちんとやれば必ずできるようになる練習。運動能力が高いとか低いとかはあまり関係ない。同じ1年生でも1人はある程度できていたがもう1人は未だに静止することができない。これはある意味すごい事だと思う。やれば必ずできることが半年経っても変化しない。一事が万事。半年経っても筋力的に向上している雰囲気がない。結構補強をしているが一向に変化しない。
参加している者の心に火をつけられない指導者の責任だと言われるかもしれない。顧問はそこまで背負う必要があるのか。クラスとは違って「一定の方向性」が決まっているのが部活動だと考えている。熱量の大小はあるかもしれないが「強くなりたい」「速くなりたい」という想いがその根底にあるから指導をする意味がある。価値観の多様化。それは認めざるを得ない。しかし、半年やっても基礎的な部分の変化がないというのはちょっとしんどい。
「目的」と「内容」の一致について触れてあった。「日本一になりたい」という「目的」を持っている。その選手が「練習はダラダラやりたい」と考えている。そうであればその「目的」は絶対に果たさない。当然の話。そうであれば「目的」か「内容」のどちらかを変更しなければいけない。「日本一」を目指すのであればきちんとした技術指導を受けしっかりと練習を積んでいく必要がある。ここは学校選択の際にもいえることだと思う。指導を受ける環境を選択する時点でそれから先の結果は決まってくる。
「ダラダラやりたい」というのがあるなら「日本一になりたい」という部分を諦める必要がある。適当にやって結果を出せるほど甘いものではないから。本気で上を目指そうと思えば必要なことがある。
二極化に近いのかもしれない。サークル活動を自分達でやれる環境を作っていくこともこれから必要になるのかなと感じている。どちらの側からしても今の現状は良いものではないなと感じている。「本気でやりたい」と思う者にとっても「気楽にやりたい」と思う者にとってもプラスではない。それぞれにとってハッピーな在り方を考えていく必要がある。
私自身は「競技を突き詰めたい」と思っている。かなり勉強はしてきたつもりだが「まだ足りない」と感じている。向上心というよりも私自身の生き方なのだと思う。技術指導に関しては「まぁいいや」ではやりたくない。もちろん選手に全ての技術的な要素を伝えることはありません。私自身の頭の中でスプリントについて「突き詰めたい」と思っているだけ。選手にはそれを噛み砕いて必要な要素を伝えていく。
私がやりたいから指導をするという部分もある。別に評価を受けるためにやっているわけではない。自己中心的な指導なのかもしれない。それでも「速くなりたい」と必死に練習する選手がいる。その選手の手助けができるかどうかが私の存在価値だと考えている。部活動は顧問のためにあるわけではない。だからこそ選手がやりたい方向に応じて対応する必要がある。サークル的な団体も作っていかなければいけなくなるのかも。クラブチームの意義も見出していく必要性がある。
まとまらない。とりあえず書いておく。考えさせられる。