更新が滞っていました。なかなか大会期間中は更新する余裕がありませんでした。時間的なものあって。
今回、skyとしては男子4継、ハンマー投げ、女子100mH、高跳&三段でのインターハイ出場でした。私はリレーに間に合うように28日の昼頃到着。競技場に到着した瞬間から雨。そこからその日はずっと雨という感じでした。リレーのアップの手伝いをしましたが雨でした。リレーに関してはベストメンバーで走る機会が少ないのがありました。競技場内でレース前に1本走るときに一人が故障。また最高のパフォーマンスを発揮することができませんでした。
故障が多い。これはかなり計画が狂います。4月当初からずっと故障が続いていました。特定の選手だけではなく複数の選手が。県総体の時には「野戦病院のようだね」と言われたくらいでした。とにかくレース中の故障が複数名出てくる。この状況で勝負するというのはなかなかハードです。苦しい状況の中でインターハイを決めたというのはすごいことだと思います。もっと早い段階で対応することができたのかもしれない。
私が担当させてもらってるハードル。これも計画的に練習ができたかといわれると非常に微妙でした。ここに関してはまた別に書きたいなと思っています。私自身の感じたことも含めてです。
今回は高跳びの選手が決勝に残りました。167を1回目でクリアしたのでこれは!?という感じがありましたが170を越えられずにあと一歩のところで9位。ハードルは準決勝に進みましたが14秒17で敗退。狙っていた決勝進出は果たせませんでした。申し訳ないなと思う部分がかなりあります。決勝進出ラインが13秒81。県記録更新を目指してやっていたのでこの部分が達成できれば・・・。
ここに行けなかった理由。複数存在すると思います。このことはレースが終わってから色々と考えていました。
gt先生とmtiくんが念願の日本一になりました。目の前で見たいという部分があって本隊が先に宿舎に帰った後、残らせてもらって応援しました。勝手な行動なのかもしれませんがどうしても見たかった。515を跳んだ瞬間はやはり感動しました。ライバルが520を跳べなかった瞬間に日本一が決定。身近な指導者が日本一になるという部分。感動という言葉しかない。
熱意の話も聞きました。インターハイ優勝を目指して3年間。そこだけを見続ける。寝ても覚めても棒高跳び。言い方は悪いかもしれませんが「常軌を逸している」という部分。「なんとなく日本一になりたい」と思っていやっているのではなく「絶対に日本一になる」と思って取り組んでいる。結局そういう部分なんだと思います。
指導者が本気でも選手がそこまでの熱意がなければ届かない。逆もしかり。近くで見ていただけにそれを強く感じました。「インターハイで表彰台の端っこを」と何度か書いてきました。結局、それくらいの覚悟しか持てていなかったのです。私自身が。数か月の間で何ができたのか。本当はもっとできたことがある。それをすべてやってこなかった私自身の責任が大きいと思っています。スプリントが12秒9のレベルでは最終的な勝負はできない。これはわかっていたのですが。
時間的なこともあるので。また詳しく振り返りはしたいと思います。ひとまずここまで・・・。今日の夕方からまた書きたいと思います。発熱しなければ・・・。