kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

インターハイの振り返り2

2021-08-03 | 陸上競技
振り返っておきます。どこまでできるかですが。

今回は決勝進出を目指していました。自己ベストを出してラウンドを進んでいけば十分戦えるという印象の中で捉えていました。ある程度計画していた部分があります。が、第2回考査が終わってからの国体最終予選前後に少し計画が狂いました。国体を狙いたいという部分もあったようで幅跳と300mHの練習をしたいという申し出が。

マルチな種目をやることを否定するつもりは全くありません。が、幅跳びをすると足首に痛みが出て練習ができなくなる。300mHをやっても最後まで持たない可能性が高い。それでも本人が「やっておきたい」という希望を持っていました。「やらなくて良い」と断言して本来やるべきことに集中させる方が間違いなく良かったなと思っています。

まだきちんとこちらの準備ができていないというのがあったと思います。4月以降指導に関わらせてもらった。その中でこれまでの流れの中での取り組みや本人との意思疎通の部分が不足していたところは間違いなくあります。信頼を得られていなかったかもしれない。他の練習をやることでその日の計画が狂ってしまった。足首の痛みが出て練習ができなくなる、疲れてスピードが上げられなくなる。微妙なズレ。

更にその後、1週間近くまともに走れない日が続きました。この2週間の期間は40日程度しかない中国大会からインターハイまでの時間の中では大きな期間だったと思います。ここは本当に私自身がもっともっと話をしておかなければいけなかった部分なのかもしれません。狙った大会に向けて何をするか。取捨選択も含めてもっとできることはあったと思います。私自身が遠慮していた部分と短期間で信頼してもらう部分の難しさだと思います。

その期間、補強だけは続けさせました。身体作りも時間がかかります。間に合うかどうかの話をずっとしてきました。そこに関しては最初に比べるとかなり努力してくれていました。何も言わなくてもやるようになっていました。結果を出したいという気持ちは間違いなくありました。だからこそ「目の前のことだけ」ではなくインターハイでどうするかだけを考えさせてあげなければいけなかったなと。

昨年まで14秒8くらいだった選手。それが上手く進んできて13秒9になる。このプロセスの中に「時間をかけて積み上げていくこと」が不足してしまったと思います。インターハイに行けたら良いなと思っていたところからいきなり「インターハイで決勝へ」という高い目標に切り替えることになると「心」が付いて来なくなる。ここに関しては「仕方ない」で済ませないのかもしれない。準備段階で私自身がもっと取り組まなければいけなかったのかなと。

gt先生とmtiくんのことを前の記事に書きました。この二人は1年生の時から「インターハイで戦う」という部分を最優先してやってきました。数年間かけて「日本一になる」ための準備をしてきた。だから大きな怪我もしない。何を優先してその時に何をするのかを冷静に判断できる。選手自身も監督もその部分を大切にしてきたのだと思います。そう考えるとこの部分の「差」は大きい。目に見える部分もですがそれを支える「心」の部分。ここは大きいのかなと。

インターハイの前に記録会などがあったので走力を上げるための最大限の準備ができなかったというのもあります。2週間前の記録会でハードルが14秒7、100mが13秒0でした。このスプリントではなかなか戦えない。もう少し走れるとは思いますが最低でも12秒5前後のスピードがなければインターハイ決勝で戦うのは厳しかったのかなという反省もあります。根本的に足が速いかどうかの部分はインターバルの走りに大きく影響します。

10日前の調整練習からは少し走る練習を優先する日も作らせてもらいました。それでは間に合わなかったという部分。基礎筋力が上がってきてそれを安定させて走りに生かしていく。間に合うかどうかの話でした。時間的に少し足りなかったという感じがありました。それでもこの期間でできることは最大限にできていたのかなという感覚はあります。不足した2週間分を補うだけのことはできなかったですが…。

細かいニュアンスなどが伝わりにくい部分もあります。私自身が他の先生方や選手ともっと話を詰めていければ準備段階も違ってきたのかなという部分があります。

まとまりません。とりあえず記録しておきます。
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インターハイの振り返り

2021-08-03 | 陸上競技

更新が滞っていました。なかなか大会期間中は更新する余裕がありませんでした。時間的なものあって。

 

今回、skyとしては男子4継、ハンマー投げ、女子100mH、高跳&三段でのインターハイ出場でした。私はリレーに間に合うように28日の昼頃到着。競技場に到着した瞬間から雨。そこからその日はずっと雨という感じでした。リレーのアップの手伝いをしましたが雨でした。リレーに関してはベストメンバーで走る機会が少ないのがありました。競技場内でレース前に1本走るときに一人が故障。また最高のパフォーマンスを発揮することができませんでした。

 

故障が多い。これはかなり計画が狂います。4月当初からずっと故障が続いていました。特定の選手だけではなく複数の選手が。県総体の時には「野戦病院のようだね」と言われたくらいでした。とにかくレース中の故障が複数名出てくる。この状況で勝負するというのはなかなかハードです。苦しい状況の中でインターハイを決めたというのはすごいことだと思います。もっと早い段階で対応することができたのかもしれない。

 

私が担当させてもらってるハードル。これも計画的に練習ができたかといわれると非常に微妙でした。ここに関してはまた別に書きたいなと思っています。私自身の感じたことも含めてです。

 

今回は高跳びの選手が決勝に残りました。167を1回目でクリアしたのでこれは!?という感じがありましたが170を越えられずにあと一歩のところで9位。ハードルは準決勝に進みましたが14秒17で敗退。狙っていた決勝進出は果たせませんでした。申し訳ないなと思う部分がかなりあります。決勝進出ラインが13秒81。県記録更新を目指してやっていたのでこの部分が達成できれば・・・。

 

ここに行けなかった理由。複数存在すると思います。このことはレースが終わってから色々と考えていました。

 

gt先生とmtiくんが念願の日本一になりました。目の前で見たいという部分があって本隊が先に宿舎に帰った後、残らせてもらって応援しました。勝手な行動なのかもしれませんがどうしても見たかった。515を跳んだ瞬間はやはり感動しました。ライバルが520を跳べなかった瞬間に日本一が決定。身近な指導者が日本一になるという部分。感動という言葉しかない。

 

熱意の話も聞きました。インターハイ優勝を目指して3年間。そこだけを見続ける。寝ても覚めても棒高跳び。言い方は悪いかもしれませんが「常軌を逸している」という部分。「なんとなく日本一になりたい」と思っていやっているのではなく「絶対に日本一になる」と思って取り組んでいる。結局そういう部分なんだと思います。

 

指導者が本気でも選手がそこまでの熱意がなければ届かない。逆もしかり。近くで見ていただけにそれを強く感じました。「インターハイで表彰台の端っこを」と何度か書いてきました。結局、それくらいの覚悟しか持てていなかったのです。私自身が。数か月の間で何ができたのか。本当はもっとできたことがある。それをすべてやってこなかった私自身の責任が大きいと思っています。スプリントが12秒9のレベルでは最終的な勝負はできない。これはわかっていたのですが。

 

時間的なこともあるので。また詳しく振り返りはしたいと思います。ひとまずここまで・・・。今日の夕方からまた書きたいと思います。発熱しなければ・・・。

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