前の記事の続き?かなり思うことがあるのでその事に関して書いておきたい。
「強くなりたい」「速くなりたい」という気持ちを持つ。誰もが思う。でも本当に「強くなる」「速くなる」ために必要なことができている選手がどれだけいるだろうか。「速くなる」ためには最低限の練習が必要となる。「強くなりたい」と言葉でいうのは簡単だがそのために必要な練習が積めなければ強くなる可能性は著しく低い。前の記事に書いたように「10秒台で走らなければ陸上をやる意味がない」というのであれば練習をする必要はない。女子で言えば「12秒3を切れないとやっても意味がない」というのと同じことだと思う。
世の中は大部分が「トレードオフ」の関係にある。何かをやろうと思えば何かを引き替えにしなければいけないと思う。「練習をしないで速く走れるようになりたい」というのは無理。美味しいものや甘いものを好きなだけ食べたい。でも体重は減らしたい。ダイエットを希望する女性は「どれだけ食べても太らない」というダイエットサプリメントに目を奪われる。通常考えたらそのようなことはありえないが、「どちらもやりたい」という気持ちがあるから「トレードオフ」の関係を忘れてしまい、「自分の都合のいいように物事を判断する」ようになる。だからよくわからないビジネスが成立している。
本当に強くなるためには「現実に目を向ける」必要がある。残念ながら陸上競技はシビアだ。生まれ持っての素質の差はいかんともしがたい。何度も書いているが「誰もがボルトに勝てるわけがない」のだ。それを夢物語のように「練習さえすればボルトに勝てるんだ」と思ってやっていくのは違うと思う。速く走れる選手を羨んで自分もそうなりたいと思う。が、実際は届かなくて最終的に「妬み」に変わっていくのかもしれない。芸能人などに対するネット上の批判の大半はこれだと思う。実際に芸能人の立場には届かない。最初はあこがれているが届かないとわかった時に「批判」することで自分の感情をぶつけていく。何も生産性のない話になるのだがそんなことはどうでもいい。一時的にでも自分の憂さ晴らしができればいいから。
実際は能力のある選手には勝てない。正確に言うと「能力がある選手が良い指導者と良い練習をした」場合にはほとんど勝てる可能性はない。多くの場合はどこかが不足してしまう。それほど努力しなくても勝ててしまう選手というのもいる。そこに対してどのように指導していくのか。
それ以外の選手はまずは「最大限に努力する」ことを必要とする。どうせ勝てないからという気持ちで練習をする。この時点でもう「競技者ではない」と思う。部活動の在り方について問われるが私は「競技スポーツ」という部分があるから人は成長すると思っている。「楽しくやる」だけのレクリエーション的な部活動では「一つのことに一生懸命になる」事は難しい。勝利至上主義で競技をするつもりはない。が、「勝つこと」を目指さないと何もならない。それは「他者」に勝つことを求めるのではなく「自分自身」に勝つことを求めるところに高校時代の部活動の本質はあると思っている。
どうせ勝てないから練習は手を抜く。それならもっとほかのことをやったほうが良い。時間の有効活用になあらないから。「勝てない」「失敗したくない」ということを掲げて自分の行動を正当化していたら成長はしない。たいていの人間は勝てない。でも練習をする。ほんの少しでも前に進むために。その感覚が将来の力になる。言い訳をして逃げ道を作っていたら何も残らなくなる。難しいのかもしれない。それでもやるべきことをきちんとやっていけば必ず結果は出る。
その「結果」とは何か?日本一になることではない。行動に変化が生まれ考え方に変化が生まれる。そしてその様子を周りがみて「何か変わってきたね」というのが「結果」だと思う。0.01秒でも記録を短縮しようとする。その中でしか感じ取れないものがあるのだから。
「自分には才能がある」と思っていても進まない。それほど強くないからこそ努力して前に進むのだ。もっと強くなれる可能性があるからこそ嫌なことから目をそむけずに向かっていく。「どうせやっても無駄だ」と思うような考え方から脱出できないようなら「競技者には向かない」と思う。やるだけのことをやってやってやり尽くして初めて「どうだったか」がわかるのだから。
努力しないといけない。人が見ていないところでもやらないといけない。それが唯一強くなるための手段だから。人間として強くなる。言い訳せずに向き合う。こういう姿勢があって初めて何かが変わってくる。忘れてはいけない。目標なき行動は方向性を誤るが、行動なき目標は「机上の空論」でしかない。
自分自身に常に言い聞かせたい。言葉にするからは自分自身がやらないといけない。選手は私のことを見ているだろう。言うだけで何もやらないというのであれば誰もついてこない。そうならないようにまずは自分から。進んでいきたい。
「強くなりたい」「速くなりたい」という気持ちを持つ。誰もが思う。でも本当に「強くなる」「速くなる」ために必要なことができている選手がどれだけいるだろうか。「速くなる」ためには最低限の練習が必要となる。「強くなりたい」と言葉でいうのは簡単だがそのために必要な練習が積めなければ強くなる可能性は著しく低い。前の記事に書いたように「10秒台で走らなければ陸上をやる意味がない」というのであれば練習をする必要はない。女子で言えば「12秒3を切れないとやっても意味がない」というのと同じことだと思う。
世の中は大部分が「トレードオフ」の関係にある。何かをやろうと思えば何かを引き替えにしなければいけないと思う。「練習をしないで速く走れるようになりたい」というのは無理。美味しいものや甘いものを好きなだけ食べたい。でも体重は減らしたい。ダイエットを希望する女性は「どれだけ食べても太らない」というダイエットサプリメントに目を奪われる。通常考えたらそのようなことはありえないが、「どちらもやりたい」という気持ちがあるから「トレードオフ」の関係を忘れてしまい、「自分の都合のいいように物事を判断する」ようになる。だからよくわからないビジネスが成立している。
本当に強くなるためには「現実に目を向ける」必要がある。残念ながら陸上競技はシビアだ。生まれ持っての素質の差はいかんともしがたい。何度も書いているが「誰もがボルトに勝てるわけがない」のだ。それを夢物語のように「練習さえすればボルトに勝てるんだ」と思ってやっていくのは違うと思う。速く走れる選手を羨んで自分もそうなりたいと思う。が、実際は届かなくて最終的に「妬み」に変わっていくのかもしれない。芸能人などに対するネット上の批判の大半はこれだと思う。実際に芸能人の立場には届かない。最初はあこがれているが届かないとわかった時に「批判」することで自分の感情をぶつけていく。何も生産性のない話になるのだがそんなことはどうでもいい。一時的にでも自分の憂さ晴らしができればいいから。
実際は能力のある選手には勝てない。正確に言うと「能力がある選手が良い指導者と良い練習をした」場合にはほとんど勝てる可能性はない。多くの場合はどこかが不足してしまう。それほど努力しなくても勝ててしまう選手というのもいる。そこに対してどのように指導していくのか。
それ以外の選手はまずは「最大限に努力する」ことを必要とする。どうせ勝てないからという気持ちで練習をする。この時点でもう「競技者ではない」と思う。部活動の在り方について問われるが私は「競技スポーツ」という部分があるから人は成長すると思っている。「楽しくやる」だけのレクリエーション的な部活動では「一つのことに一生懸命になる」事は難しい。勝利至上主義で競技をするつもりはない。が、「勝つこと」を目指さないと何もならない。それは「他者」に勝つことを求めるのではなく「自分自身」に勝つことを求めるところに高校時代の部活動の本質はあると思っている。
どうせ勝てないから練習は手を抜く。それならもっとほかのことをやったほうが良い。時間の有効活用になあらないから。「勝てない」「失敗したくない」ということを掲げて自分の行動を正当化していたら成長はしない。たいていの人間は勝てない。でも練習をする。ほんの少しでも前に進むために。その感覚が将来の力になる。言い訳をして逃げ道を作っていたら何も残らなくなる。難しいのかもしれない。それでもやるべきことをきちんとやっていけば必ず結果は出る。
その「結果」とは何か?日本一になることではない。行動に変化が生まれ考え方に変化が生まれる。そしてその様子を周りがみて「何か変わってきたね」というのが「結果」だと思う。0.01秒でも記録を短縮しようとする。その中でしか感じ取れないものがあるのだから。
「自分には才能がある」と思っていても進まない。それほど強くないからこそ努力して前に進むのだ。もっと強くなれる可能性があるからこそ嫌なことから目をそむけずに向かっていく。「どうせやっても無駄だ」と思うような考え方から脱出できないようなら「競技者には向かない」と思う。やるだけのことをやってやってやり尽くして初めて「どうだったか」がわかるのだから。
努力しないといけない。人が見ていないところでもやらないといけない。それが唯一強くなるための手段だから。人間として強くなる。言い訳せずに向き合う。こういう姿勢があって初めて何かが変わってくる。忘れてはいけない。目標なき行動は方向性を誤るが、行動なき目標は「机上の空論」でしかない。
自分自身に常に言い聞かせたい。言葉にするからは自分自身がやらないといけない。選手は私のことを見ているだろう。言うだけで何もやらないというのであれば誰もついてこない。そうならないようにまずは自分から。進んでいきたい。